第13話 悪者
午後からの仕事が始まると、ますます奥村の疲労した姿を見ることになった。
まぶたを開けていられないほどに疲れているようだ。
「今度は視力の機能が低下するのか…。」
頑張っていることは重々承知だ。そして本来なら優しい言葉をかけるべきだろう。しかし僕らの関係ではそれは許されない。
南田は心を鬼にすると声を荒げた。
「君の機能は全くもって停止している。時間の浪費だ。僕は君とは仕事をし兼ねる。有給の提出を許可する。半休を取れ。」
「え?」
さすがに眠気も吹っ飛んで目を丸くした奥村がこちらを見つめる。胸をズキッとさせながらも最終宣告を言い渡す。
「帰れと言っている。」
大きな声と衝撃の内容に、近くにいた先輩が見かねて声をかけた。
「南田くん。奥村さんも頑張ってるんだ。もう少し優しく…。」
「奥村さんは僕とペアなんです。」
冷たく言い放つと、声をかけた先輩が顔を引きつらせて離れていった。
そう。これでいいんだ。南田は奥村さんに容赦ない。ペアで可哀想だ。そう思われなければ…。
奥村はショックを受けた様子で帰り支度を始めている。泣かれなかったことが唯一の救いだった。
南田は残った仕事と明日も残ってしまうだろうと見越してかなりの量の仕事を進めていた。もちろんさすがにそれ相応の残業になる。
こんなことくらいどうってことない。彼女はもっとつらいだろう。奥村さんにつらく当たることしかできない僕がこれくらいのことをしないでどうするのか…。
その思いで黙々と仕事に没頭していった。
次の日、奥村はめげずに出社した。そのことに安堵する。
「おはようございます。」
「あぁ。早いんだな。」
南田は奥村をねぎらいたかったが、それを口にすることはなかった。
仕事を始めると南田は容赦ない指示をするように心がけた。
「この製品は樹脂だ。抜き勾配も知らないのか。君は設計者としての自覚が足りなさ過ぎる。製品ばらつきを考えろ。ここの寸法がこれでいいわけがない。」
奥村さんはよくやっている。だが、それではダメなのだ。
「休息を取ろう。」
南田はため息混じりに口にした。
奥村が休憩室へ向かったのを確認すると内線をかける。個別で部長にお願いしていた奥村への教育を頼むためだ。
「南田です。」
「あぁ。久しぶり。飯野だ。」
ヘルプデスクにいる知り合いの飯野は若い子を連れてきて個人的に教育をしていた。その人に頼もうと思ったのだ。部長には許可を取ってある。
「素質はあるが基本がない奴がいるんです。教えてやってくれませんか。」
「ほう。南田がそんなこと頼むなんて珍しいな。いいぞ。いつからだ。」
「今からでも構わなければ、今から毎日午前中。奥村って奴です。」
「なんだ。午前中だけか?集中して一日でもいいぞ。仕事はいくらでも残業させろ。根性も鍛えなきゃな。」
まぁ男ならそうなのか?しかし残業させろとは飯野のじいさんも古い考えの人だ。それに…。1日中、奥村さんと離れるなど…。いや。僕の私欲を優先しているわけではない。奥村さんに残業などさせるものか。
「おい。南田?聞いてるのか?」
「あぁ。すみません。午前中だけでお願いします。」
「まぁそう言うなら了解した。」
席に戻ってきた奥村に資料を渡した。
「これから午前中はヘルプデスクの飯野さんのところに遣いに行ってくれ。」
普通に、教育をしてきてくれ。とも言いづらく、遣いを頼まれた奥村は素直にヘルプデスクへ向かった。
ふう。息をつくとまたパソコンに向かった。奥村が戻ってくるまでに進められる仕事を猛烈な勢いで進めていった。
昼食を終えた奥村が南田の隣の席に戻った。
「あの…。ありがとうございます。飯野さんのこと。」
こんなにつらく当たっている奴にお礼を言うのか…。どこまでお人好しなんだ。
「基礎も出来ていないやつと仕事したくないだけだ。」
奥村の顔を見れずに南田は素っ気ない返事を返した。
午後からはまた厳しく指導した。それでも頑張る奥村に賞賛したい気持ちだった。
5時になると定時のチャイムが流れる。派遣の子たちは帰り支度を始めている。そんな中で南田は奥村に告げた。
「君も帰れ。」
奥村はいかにも不満げな顔から言葉を発する。
「まだ仕事残ってますから。」
律儀で真面目過ぎる。
「発言だけは一人前か。卓越するほどになってから所感を述べるんだな。」
「自分の仕事は終わらせてから帰ります。」
いいんだ。帰ってくれ。残業させては君を僕のペアにさせた意味がない。
「無能な奴がいくら残っても中身が伴わない。とにかく帰宅しろ。」
辛辣だっただろうか。しかし…。
無言で帰り支度をする奥村に、南田は声をかけてやれなかった。
しばらくして思い直すと奥村を追いかけた。渡そうか迷っていたものをポケットに確認する。
会社のビルから出る手前で追いついた。「奥村華!」と声をかけると立ち止まった。その奥村にポケットの中身を握りしめて手を差し出す。
「これを…君の落し物だ。」
差し出された手を不可解な面持ちで見つめた後に、奥村も手を出した。
手の中に落ちたのは鍵。南田のマンションの鍵だった。
「私のではありません。人違いです。」
「何を…。だから君は強情だと言っている。」
来ないつもりか。もう僕は腐っていない。強行手段だろうと、僕は君を手に入れる。
顔を上げた奥村に顔を近づけた。目を丸くした奥村の頭に手をかけて自分の方へ引き寄せた南田は、そのままくちびるを重ね合わせた。
もう君は公私ともに僕のものだ。
離したくない気持ちをなんとか引き剥がしてその気持ちとともに手を離した。すると奥村はその場にペタンと座り込んでしまった。
「僕はもう少し仕事をしてから帰宅する。」
奥村から返事はなかった。認証の機械がないこの場で重ねてしまったことを彼女はどう思っただろうか…。
衝動を抑えきれなかった。彼女のことが愛おしかった。
南田を見送るように座り込んだままの奥村を、離れたところから見ている人影があった。
「ふ〜ん。そういうこと…。」
その人はニヤリと口の端に笑みを浮かべた。
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