第18話 気づいちゃう?

 時間を忘れ集中していた華は12時を過ぎてしまったことに気づいて、ソファの南田に目をやった。疲れていたのだろうか、いつの間にか寝ていたようだった。

 穏やかな寝顔を見て、華は複雑な気持ちになっていた。

 ハニートラップ…。どうなんだろう。でもそのために、残業しない主義を崩してまで私を手助けしてくれるものなのかな。

 何を、誰の言葉を信じていいのか華は分からなくなっていた。


 南田の上着を体にかけてあげて、かけたまま寝てしまっていた眼鏡をそっと外してあげた。目を閉じた南田はまつ毛が長くてうらやましいほどに綺麗な顔をしていた。

 やっぱり分からない人…。

 そして手の中の眼鏡をじっと観察しても普通の眼鏡のようだった。

「やっぱり無表情変換スイッチなんてついてないよね…。」

 コトッと音を立てて眼鏡はテーブルに置かれた。

「そう言えば…最近は頬に眼鏡が当たらないなぁ。」

 そうつぶやきながら、そっと顔を近づけた。

 ピッ…ピーッ。認証しました。

 壁の機械から音が聞こえた。


 ガチャ。バタン。

 華が出ていた音がした後は、シーンと静まり返ったリビング。

 少ししてゴソゴソと動く音とともに南田にかけられた上着は顔を隠すように頭まで移動された。


 次の日の朝、南田のマンションから帰るのが遅くなってしまった華は久しぶりに眠かった。それでも南田の残業時間を見てみたくて早く出社していた。昨日は残業していたけど、やっぱり他の日も気になったからだ。

 しかし部署に行く途中で華は言葉を失うことになった。

「!」

 驚きのあまり物陰に隠れる。しばらくしてため息混じりにつぶやいた。

「朝から会社でって…。」

 華が目撃したのは、会社で認証している人。しかもそれは「派遣の女は使い捨て」と言っていた寺田と相手は派遣の子で「仕事はいい男を見つける手段」と言っていたペアになった二人だった。

 もう付き合い始めたってこと?さすがだわ…。

 華は頭痛がしそうだった。

 会社で認証なんてどうかしてる。そう思って、またため息が出た。自分こそ…。それ以上考えるのが嫌になって首を振る。

 とにかく会社での認証はやめた方がいいに決まってる。抗議しなくては。

 認証していた二人が仲良く職場へ向かったことを確認してしばらくした後に華も職場へ重くなってしまった足を向かわせた。


 ずいぶん早く来たつもりだったのに、南田は既に席にいた。

 もしかして夕方からの残業だと私に残業してるのがバレちゃうから、朝早く来てるってこと?…いやいや。だからバレちゃダメなわけじゃないし。

 そう思っても「残業するやつは無能」と言っていた南田に残業してるんですか?などと聞きにくかった。

「おはようございます」それだけ言うとまたヘルプデスクに向かうことにした。


 お昼はいつものように可奈と食堂で待ち合わせた。言いづらいなぁと思いつつ可奈にお願いしてみた。

「出退勤の時間を可奈ちんの席で見せてもらえないかな?」

「え?いいけど、華ちゃんの席で見られるでしょ?」

 そりゃそう思うよね…。でも…。

「いつも南田さんが隣に座ってるから見にくくて…。可奈ちんが言ってた南田さんのが見たいのに。」

「そっか。そっか。華ちゃんも気になるんだね。」

 満足そうな可奈に不満げな声が出る。

「そういうんじゃないけどさぁ。」

 そこまで話して向かい合わせで座る食堂のテーブルから身を乗り出して可奈の耳元でささやく。

「南田さん…。………。」

 華の言葉に可奈の可愛らしい目が見開かれた。

「華ちゃん!!み!」

 んー!んー!と可奈の口を華が押さえても尚、騒いでいる。しばらくして可奈が落ち着いたのを確認してから手を離した。

「ゴメン。大騒ぎして…。でも…。」

 可奈も華の耳元で続きをささやく。

「華ちゃんが南田さんのこと好きかも。なんて!」

 改めて人に言われると急に恥ずかしくなって華は顔が熱くなった。

 二人は席にちゃんと座り直すと周りに分からないように続きを話す。

「でもどうして?いつから?」

 分からない…。厳しいのは相変わらずだし、何考えてるのか分からないのも相変わらずで…。だけど…なんだろう弱ったところを見ちゃったからかな。昨日。人間っぽい南田さんを見ちゃったから…。疲れていたとは言え無防備な姿で眠ってるところとかも…。

「ねぇ?華ちゃん聞いてる?」

「あ、うん。ゴメン。でもいつからって言われてもなぁ。」

 自分だってまだ自分の心に半信半疑で、ハニートラップかどうかもはっきりしないし、それに…。だいたい私たちはただの契約関係だ。その言葉に胸がズキッと痛かった。

「まぁ華ちゃんがやっと良さを分かってくれて安心したよ。」

 可奈は満足そうにニコニコしている。可奈には南田との関係をなんと言っていいのか、その部分は一切話していない。

 華は複雑な気持ちなのは変わらないものの、昨日のことを思い出す。まだ何者かさえも分からないような南田に思わず自らキスをしてしまったことを。その行動に自分の気持ちを認めざるを得なかった。

 思い出してしまった昨日の出来事に華はキューっと胸を苦しくさせた。

 悔しいけどすっかり南田さんの思惑通りだわ…。自分の頬をそっと触る。眼鏡がいつも当たってしまっていた場所を。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る