キス税を払う?それともキスする?

嵩戸はゆ

奥村華side

第1話 契約する?

「僕と契約しないか?」

 突然の提案に言葉を失って、その人をついまじまじと見る。こんな間近でしっかり見たのは初めての気もする噂の人。

 その噂の南田は華にこう続けた。

「高い税金を払うのを躊躇しているんだろ?悪い話じゃないと思うんだが?」

 南田が言っているのは医療費軽減税のことだ。通称キス税。


 医療費削減を叫ばれる現代。政府は医療費軽減税なるものを打ち立てた。まことしやかにささやかれていた「キスをすると免疫力がアップする」という学術的根拠も怪しい説が採用されたのだ。

 キスする者は税金を免除され、しない者は税金を払わなければならなかった。


 僕と契約しないか?の前に華は衝撃的な言葉を言われていた。衝撃的過ぎて耳を通り抜けていたが。

 返事を待っている南田が無表情のまま怪訝そうな声を出した。

「聞こえているのか?キス税を払うのが嫌なんだろ?だったら僕と契約して僕としたらいい。」

 空耳だろうか。おかしな話が聞こえてくる。

「おい。奥村華。…沈黙は了承とみなす。」

 なんの前触れもなく、いや…あったのだが、南田はかがんで華と視線を合わせ、そして軽く触れ合わせた。くちびるを。

 ピッ…ピー。南田が押した機械が反応して「認証しました」と音を出した。それとともに反射的に華は南田を力いっぱい押しのける。

「なっ…。」

 無表情が微かに変化した気がしたのは気のせいなのかもしれない。走り去る華に「おい。認証しないでいいのか?」と後ろから聞こえた。


「なんなの?なんなの?あり得ない!」

 ひとりイライラしながらアパートに帰る。その道すがら色々なところでキスをする人がいた。中には抱き合いながらする人も。普段はそんなこと気にも止めない…ように努力しているのに、さっきの今だ。イライラが倍増する。

「だいたい、あの機械…。」

 キス税が施行されると、そのための設備や制度が整えられた。それが南田が押していた機械だ。


 どこでも飲み物が買える自販機のように、キスしたことを政府にすぐ報告できるようにする為に至る所に機械が設置された。その前でキスをして指紋認証をすると個人が特定される。それが政府に送られて税金が免除されるシステムだ。

「いつでもどこでも人前でも!腐ってる…。こんな制度。」

 自然に早足になると逃げるようにアパートに帰った。


 玄関に入って一人になるとホッと息をつく。そして思わずつぶやいた。

「どうして南田さん…。」

 南田の名をつぶやくと、ついさっき華の前にあった瞳を思い出してしまって、崩れ落ちるように座り込んだ。南田のかけたままの眼鏡が頬に当たったことまで嫌でも思い出された。しかもその後…。

 別に経験がないわけじゃない。キスの一つや二つ…。決していい思い出ではないけれど。

 それにしたって…。


 南田に話しかけられる前。華は認証する機械を見つめて、ため息混じりにつぶやいていた。

「もうすぐハタチになっちゃうなぁ。」

 医療費軽減税。それは一年の猶予期間はあるものの成人と同時に施行される。華も20歳になれば、その対象だ。


 一年の猶予があるとは言っても一年しかない。その間に税金を免除できるような相手を見つけなければならない。つまりキスをするような間柄の人。

「嫌だなぁ。キス税なんて…。」

 その後は南田が現れて現在に至る。


 しかもあの噂の南田さん…。

 いつも無表情で普通に会話をできる人を見たことがない。主成分は精密機械でできています。と言われても驚かないくらいにパソコンとなら南田は会話できそうだ。無表情で有名な南田。

 そんな人と…。

 また思い出しそうになって華は玄関からベッドまで駆けてベッドへダイブする。枕に顔をうずめてジタバタともがくのだった。


 次の日、仕事に行くのが憂鬱だった。南田は直属ではないものの職場の先輩。短大卒で今年入社の華に対して、南田は確か大卒の2年目。23歳か24歳ということになる。

 そもそも南田に年齢などあるのだろうか。そう思えてしまうほどに人間味が足りなかった。


 でも…。昨日は割と普通に話してたかも?普通…じゃないよね。行動はぶっ飛んでた。セクハラで訴えれるんじゃないか…。無理かな。キス税、最強説は揺るがない気がする。

 考えながら歩いていると人の気配を感じて前を見た。

 うわっ。なんで南田さん…。

 考えることに一生懸命になり過ぎて、前から南田が来ることに気づいた時はすぐ近くだった。逃げるのには無理があった。

 何か言われる…!

 体を固くした華の横を南田は普通に何事もなかったように通り過ぎた。

 え…何…それ。


「あぁそうでしょうとも。」

 華は誰も残っていないオフィスで愚痴をこぼす。

 華は南田のせいで仕事中も集中できずに失敗ばかりだった。そのため残業する羽目になってしまっていた。

「そうでしょうとも。ただからかっただけ。」

 南田の変人ぶりは有名だったものの、南田の有能ぶりも有名だった。そして残念なことに、残念というか、もったいないことに見た目は抜群に良かったのだ。

 だから実際には南田は女の子に不自由していないのかもしれない。そしてキス税が嫌なんてつぶやいた自分をからかったんだ。そう結論づけて納得できた。


 よく給湯室でおしゃべりしている女の子が「南田さんが普通の性格だったらなぁ。」と残念がる声を上げることは珍しくなかった。

 スラッとした平均身長を少し上を行くくらいの背。それよりも高く見えるのは脚が長いせいだろうか。顔が小さいせいかもしれない。そして笑ったら無くなってしまいそうな切れ長の目。


 ただ、笑ったところを見た人は幸せになれるという都市伝説があるほどに笑顔を見た人は誰もいない。笑顔どころか感情の起伏というものを感じない。

 そんな風だから色々な意味で噂の人なのだ。

 そんな南田さんと…。はーぁ。

 華は何度目になるか分からないため息をついてうなだれた。

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