第7話 燕の巣
体験入学の日から一週間後。火曜日。
「ねぇ、聞いた?」
部活終わりの帰り道。紘の脇で沙也が言う。
「何。」
「ひめの事なんだけど。」
今週一週間は何の事件も起きていない。
「前野先輩もひめのこと好きなんだって。」
「え。」
善也先輩が?
「会ってる様子なかった気がするんだけど。」
沙也はくっくっくと笑う。
「て・が・み・だよ!」
マジですか。
「そうなのか(な)。」
「そうだよ!!」
「ふうん」
「ふうん、じゃないよ!」
「さや、うるさいって。」
「はいはい!」
「それほど騒ぐこと?」
「うん、騒ぐこと。だって、前野先輩だよ。」
「沙也の個人的な考えね、それは」
「わかってるけど……」
前野先輩は、沙也の宿敵であり、クラスの中で絶対的な王者だった倉田圭を小学校の時に先生につきだすという偉大な功績を残している。沙也は心の中で喝采を送っていたに違いない。尊敬している、というのが一番当てはまるのかもしれない。
その前の先輩が自分の友達のことを好きだということ。その誇らしさ。
「まぁさ、すごいよね、ひめ。もてっぷりがやばい。」
「それは同意。」
「でしょ。」
改めて、
そうなのか~。へぇへぇ、善也先輩も。
と感心する。
妃芽菜、凄い奴。
「そういえば、陸はもう妃芽菜と付き合ってるの?」
紘がそう聞くと
「まだじゃないかな。何の報告も受けてない。」
「そっか。でも、もうありゃ付き合ってるも同然だよな。練習中にいちゃつくな。陸め、調子に乗って。」
ここ最近、ずっと妃芽菜と陸が二人で行動していること、何だか居心地が悪いことを話す。
「それにしても『犯人』は何がしたいんだろうな。あんな二人の間に入り込む余地はもうない。」
「どーしてだろーね。嫉妬ぉ?」
「かな。それ以外の動機が見つからない。」
「誰なんだろうね。」
「さぁ。」
そう、とぼけてみる。
倉田圭のクラス。妃芽菜ファンの人間を知っている奴。
大伴のクラスに知り合いがいて、そいつに犯行を手伝わせている。
そして、吹奏楽部に所属しているということ。
ある程度、犯人は絞られてしまうのだ。
一学年、十人いるかいないかの吹奏楽部部員。五組あるから、一クラスにつき二人から三人程度しか同じクラスで同じ部活の人はいない。紘で言う、田代美由紀と、作だ。
「だよね。うん。」
沙也が作り笑いをしながらこちらを見ている。
沙也も、薄々感づいている。女子はもともと、そういうことに敏い。きっと気が付いている。
でも、きっと違う、何かの間違いだ、という気持ちもあるのだろう。それが痛いほど、伝わってくる。伝わってきてしまう。
沙也、沙也、沙也、沙也——。
なんで、そんな顔をする。
そんな風に、笑う?
「沙也——」
名前を呼ぶと、頭を傾けて紘を見上げる。
「何?」
自分と同じ位置にあったはずの頭はいつの間にか見下げる位置になった。それを実感する。
(もう、あんな顔をさせない。)
——二度とさせるものか。
三月三日。ひな祭りの日。
最近、ひな祭り関連グッツをよく見かける。ひなあられや、ちらしずしが簡単に作れるちらしずしのもとなど。挙げればきりがない。
でも、それらは男子である竹臣紘にとっては何も関係のない話だった。だいたい、ひな祭りは小さい『女の子』のための行事。女子中学生にも関係のない話だろう。男子である竹臣紘にとっては断言できないが。
今日は日曜日。
最近よく一緒に帰っている沙也も今日は峰と一緒に帰るといっていて、紘は一人、帰路についていた。
(誰かいないかな——)
そう思いつつ後ろを振り返る。作が事故にあって入院して以来、毎日一緒に帰れる男子、というものがいない。校舎の関係上、運動部とは下校時刻外れるし、同じ北校舎で活動している文化部には男子はほとんどいないし、しゃべったことない。大伴とはうちの方向が真逆。かといって、運動部の友達を二、三十分待つのも面倒くさい(その頃にはもう家についている)。ここ最近、沙也と帰るか一人で帰るかのほぼ二択だ。
作は目を覚ましたらしい。ただしまだ記憶は混濁していて、まだ正常には戻っていないそうだ。早く帰って来い、と念じる。——なぜ戻ってきてほしいのか?それは一緒に帰れるからだ!!(ww)
中二病っぽいこと考えたけど、別にいいや、と思い直す。だって中二だし、と言い訳をする。そしてもう一度後ろを振り返って誰もいないやとため息をつこう――とした時、十数メートル後ろに誰かがいるのがうすぼんやりと見えた。
誰だ——そう思って目を凝らす。小柄な女子、ああ、春香だ。
その瞬間、春香も顔を上げた。目が合う。
「春香。」
立ち止まり、そう呼びかける。
しかし、春香はぱっとはじかれたように顔を下に向ける。
(——え。)
戸惑う紘をよそにして、そのまま春香は早足に立ち止まった紘の脇を黙って通り過ぎる。
「ちょ——、春香」
春香はそのまま何事もなかったかのように歩き去っていく。紘のことなど、目に入らないように。
『——この子だよね、紘が好きな子って、この子だよね。』
はじかれたようにぱっとあの瞬間のあの言葉が頭の中を流れる。無理をしたような、明るい声を出していた春香。
『馬鹿にしないで、——馬鹿にしないでよっっ』
春香は、女の子なのだ。普段どんなにさばさばと男子のようにふるまっていても、あの時紘に見せたあの部分は、春香の『女の子』の部分なのだ。それを紘は軽い気持ちだと決めつけ、普段から男友達のように気安くしゃべっているからと、そのあと何事もなかったかのようにしゃべりかけたこと。春香の言った通り、紘は春香の気持ちを『馬鹿にした』のだ。今、何事もなかったかのようにしゃべりかけたことも、春香には耐えがたかったのだろう。
——だけど、前に一度、ふつうにはるかとしゃべりませんでしたっけ?あの時は普通にしゃべって、今回無視されたのはなぜなんでしょう?そう考えて気が付いた。
まえは、一緒に沙也がいたのだ。
春香は、沙也のいる前では普通に接するつもりなのだ。あの時春香の指さした金色の楽器をかまえるあの少女と、その子と仲のいい子の前では。
それがいかに計算ずくの行為かは少し考えればわかる話だった。表だって仲が悪くなったことがばれれば問い詰められる。自分と仲のいい子ならいいが、仲の悪い、しかもこの不和の原因になった奴なんかに知られたくない——ということなのではないか。
でも、あんま意味ないよ、と苦笑する。
「沙也。」
後ろを振り返ってそういうと、春香のいたところよりさらに後ろの電柱の陰から沙也が同じく苦笑しながら出てきた。
少し抜けているところも変わらない、と紘は思う。
その一週間後、日曜日。
部活も終わり、北校舎の窓は暗い夕陽を照らすばかり。中にはもう誰も居ないようだった。
その中に一人、磯上陸はてるてる坊主という男子中学生の日常でめったにお目にかからないものを手に立っていた。
用具倉庫の裏から脚立というか、梯子というか、あの鉄製の道具を引っ張り出す。それを北校舎裏のケヤキの木にそっと立てる。
それが安定してかかっていることを確認してから、磯上陸はてるてる坊主を手に梯子に足をかける。
一段一段と上がるたびに、ミシ、ミシ、と梯子は音を立てる。やがて、一番最初の枝に手が当たった。
(ここで、いいかな——)
梯子を上るために口にくわえていたてるてる坊主をそっと手に取る。それを手に枝へ手を伸ばそうと右足を一段上に掛けようとする。
その時、磯上陸はその足が手ごたえを感じずに梯子の段ごと宙を蹴ったのを感じた。そしてその反動で自分の体が足と反対方向に傾いたのが感じられた。
「……っ。」
思わず梯子に縋り付くが、そのせいで梯子が自分の体と一緒に傾く。そのままバランスを失って、磯上陸の体は宙に投げ出された。
大伴が紘と鍵を形式上の音楽室のカギを返しに職員室に向かっていると、外からガラガラン、と何か金属製のものが倒れる音が聞こえた。
「?」
思わず紘と大伴は顔を見合わせた。
音の下外を窓から見るが、暗くてよくわからない。だが紘は顔を曇らせ、そのわきにある戸を開けて外へ行く。大伴がそれに続いて外へ出ると、紘はその少し先で、急に立ち止まった。
「紘、どう……」
した?、と続けようとしたところで、大伴は息をのんだ。紘がどうして足を止めたかがわかってしまったからだ。
「イソカミっ」
磯上陸が倒れていた。
陸はそこに倒れていた。目立ったような外傷はない。作のように血が出てているということはない。ただ、意識がない。
「りくっ、りくっ」
顔をパシパシたたいてみるが反応がない。後ろから大伴が慌てた声で言う。
「だめだっ、ひろ、脳震盪の可能性がある。下手に揺さぶるなっ。」
ハッとして紘は手を引っ込める。
「ごめんなさい……。」
「そんな場合じゃないだろっ、あほ。ひろ、先生を呼んでくるから、そこで待ってろっ。」
大伴はそう言って駆け出して行った。
「りく。」
紘は陸の脇にしゃがみこんで、様子を見るが、変りがない。完全に意識を失っている。重症だ。
やっぱり……。
次の被害者は陸だった。
ぐるりと周りを見渡すと、さっきの何かが倒れた音の原因になったと思われる梯子があった。
それは普通の梯子と一見変わりがなかったが、よく見ると上の方の一段だけ外れていた。片っ方のねじは梯子にそのままくっついているが、もう片っ方はどこを見ても見つからない。ほかの段を見てみるが、どの段もねじはしっかり固定されている。普通に外れるとは思いにくい。
まさか、
「誰かが細工した——?」
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