第5話 混乱

 夕食後。

 たんたたんた、たんたたんた、たんたたんた、たんたたんた、たたたたたたたた、た、たーた、た、たたた……

 自分の部屋でスマホをいじっていると突然、画面が切り替わって、電話が鳴り始めた。着メロは、去年の自由曲。——沙也だ。

「もしもし」

『あーひろぉ?』

 自分からかけたのに何言ってんだこいつ。

「なに。」

『あのさ、あのさ……、部長が、倒れたって。倉田圭の時と同じ。教科書に仕込まれていたカッターで指の先を切って。倉田圭の時と違って、こっちは全然血も出なかったらしいけど……。』

「……え?」

 大伴行人。あいつも妃芽菜ファンなのか?あいつ、彼女いなかったっけ。

「あいつも妃芽菜さんのこと好きだったの?あいつ、彼女って確か。」

『別れた。あいつもひめにこくってた。倉田圭ほどではないけど結構しつこい部類。』

「そう、だったんだ。」

『で、あともう一つ。ハルカが、ハルカが、いない。』

「は?」

 ハルカ、が、春香、に変換されて、頭の中が真っ白になった。春香が、いない?

『ハルカのお母さんから電話があった。まだ帰ってこないんです、って。紘って今日一緒に夕練してたよね。夕練の後から誰も見てないらしいんだけど。なんか知らない?』

「なんか知らないって……」

 一瞬、あの事を言うか迷って、やっぱり駄目だと思いなおす。

「特に何も。フツーに帰っていったよ。」

『それは紘のいる目の前で帰っていったのね。』

「そうだけど、何か……」

『ううん。別に何でもない。』

「そ。」

『一応聞くけど、紘はハルカの居場所は知らないのね。』

「うん。心当たりは全くない。」

 これは本心だ。

『そっか。じゃあね。』

 プツリ、と音を立てて電話が切れた。耳からスマホを話すと、ベットの上に寝っ転がって考えた。


 大伴行人。あいつも妃芽菜ファン。

 あいつの彼女は、それを知ってどう思っただろう。

 三人目の被害者か——。あいつが——。

 今回の犯人はだれだろう。教科書に仕込むのは同じクラスの奴らでも難しいのではないか。

 倉田圭は二組。部長の大伴は四組。

 まさか――犯人は別々?複数犯?

 それより、春香が行方不明ってどういうこと?あの後、誰も姿を見ていない?

 泣きそうな顔で紘を見たあの顔を思い出し、胸がチクリと痛む。

 春香――。



 翌日。朝七時ごろ。

「りくくーん」

 朝練に行こうと人気のない廊下を歩いていた磯上陸は後ろからパタパタとした足音とそう陸を呼ぶ声が聞こえた。

「洸先輩。」

 パーカッションの洸先輩は、朝練に来ている人たちの中でも特に熱心な先輩だった。いつも陸より早く来て遅く帰る。

「今日は僕が早かったですね。ようやく洸先輩に勝ちました。」

「そんな、早く来れば来るだけいいってもんじゃないよぉ。」

 陸は、先輩方の中での自分の評価がそんなに低くないと思っている。

「はい、ただいま洸先輩の名言出ましたー。朝練は早く来れば来るだけいいものではないのだ。だそうでーす。」

「ヤダ、私そんな言い方してなーい。名言とかやめて、恥ずかしーい。」

 陸が手に持った部室(器具室)のカギをちゃらちゃらといじると洸先輩が言った。

「ああ、りくくん鍵わざわざ借りてきちゃったの?」

「え。」思わず陸は自分の手の中にあるカギを見る。「借りてこないんですか?」

「知らないのー?音楽室に合鍵が置いてあるんだよー。みんなそれ使ってんの。」

「そうなんですかー。」

「そうそう。陸君、使ったことなかったっけ。」

「ありませんねー。これからはそっちの使ってみます。」

 陸は器具室の戸の前に座り込んでカギを差し込む。

「あれ……。」

「どーしたの、りくくん。」

「あの。」陸は洸先輩のほうを向いて言う。「これ、開いてます。鍵かっていません。」

「紘が閉め忘れたのかな。」

 そう言って洸先輩は戸をガラガラと開ける。

「ねぇ、りくくん。」

「洸先輩?」

「はるちゃんが。」

「はい?」

『はるちゃん』が、『二宮春香』先輩だとわかるまで陸は少しの時間を要した。

 顔を上げる。目に映ったものの信じられなさに陸は先輩の名を呼ぶ。

「ひかるせんぱい……」


 そこに二宮春香が倒れていた。




 その日の放課後。

「今日から一週間の部停?今後一切の朝練昼連夕練の禁止⁈」

「そうだってー。」

 騒ぐ紘を前に洸は落ち着き払った様子で答える。

「はるちゃんが夕練の時に倒れちゃってそのまま北校舎に取り残されたからさ。それに――、あの『メッセージ』を書いた人間がいるとなると部停になるのもわかるっつうかー。」

「『メッセージ』ね……。」

 ひめを汚す愚か者に天罰を与える——、こう書かれたボードが、春香を発見した洸たちによって先生に報告された。とうとう問題になって、先生方の知るところになってしまったのである。

「紘、一緒に夕練してたんでしょ。知らなかったの?発見が遅れたのって紘が「春香はもう先に帰った」って言ったからでしょー。」

「うん、事実先に帰って行ってたよ。」

「だろうね。忘れ物取りに来たぽかったし。」

「忘れ物?」

「シャーペン。はるちゃん、それを持ったまま倒れてた。」

「ふうん。」

「ふうん、じゃないっしょ。そのシャーペンって……。」

 洸はためらうように一回言葉を切ってから言った。

「紘、覚えてる?小学校の頃、紘、はるちゃんの誕生日にプレゼントあげてたでしょ。」

 紘の中にある、ぼんやりとした記憶。それが洸の言葉で引っ張り出される。

「あ……。」

「春香が倒れているときに持っていたのはその、シャーペン。」

 そして、気まずい話をしてしまった洸は無理やり話をまとめる。

「だから、はるちゃんは忘れ物を取りに来て倒れたんだから紘がどうたらいうところじゃない。逆にそんなこと言ってたらはるちゃんにうざがられるぞ。」

「はいはい。どうぞ、うざがってください。結構です。」

「わーひどーい。はるちゃん、かわいそー。」

 そのとき、

「ひかるぅー。」

 と洸を呼ぶ女子の声が聞こえた。鞄を持っている子だ。一緒に帰る約束でもしていたのだろうか。

「いまいくー。」

 洸はその子に向かってそういうと

「じゃ。」

 と紘に一言だけ言ってかけていった。

 紘は一つだけ思う。

 作はあの日からずっと入院していた学校に来ていない。

 じゃぁ、

 誰と帰ろう?



「ああ、ひろ。」

 後ろを振り返ると沙也がいた。

「さや。」

「部活。一週間停止になっちゃったね。」

「うん。」

「でも、ハルカが見つかってよかった。」

「そうだね。」

「大丈夫かな。」

「何が?」

「ハルカ。体調悪いんでしょ。」

「ああ。心配だね。」

「そういえば、また『あれ』が見つかったんでしょ。」

「『あれ』?」

「きょーはくじょー。」

「ああ。あれ。」

 ひめを汚す愚か者に天罰を与える、か。

「ああ、『あれ』」

「そー。倉田圭、けがした時からくると思ってたけど、やっぱり。大伴もかな?」

「ああ、わかんないね。そこら辺のタイムラグから、犯人絞れるかも。」

「あー、なるほど。あと、大伴がひめファンだったってこと知ってるやつも限られてたっぽいから、そこからも絞られるかもね。」

「ああ。そっか。俺除外。」

「ええと。吹奏楽部内、全員の中から、紘を除外。あと、石野君と大伴の二人も除外。ひめも・・・・・除外?」

「除外。自分で『ひめを汚す』なんて書けないだろ。」

「りょーかい。」

 いつの間にか名簿をポケットから取り出した沙也がそれを見ながら言う。

「一年生は除外?よく知らないんじゃないかな?」

「そうだね――、あ。」

 そういえば、とあることを思い出した紘は思わず声を上げた。

「犯人は複数かもしれない。カッターを仕込むには同じクラスの人間でないと難しいけど、大伴と倉田圭はクラスが違う。」

「そっか。そうなると一年生の線も消えないね。」

「あと、被害者の共通点は?」

「うーん、それは、全員ひめファンだってことかな。」

「妃芽菜ファンであと残っているのは?ツウか、そもそも何人ぐらいいたの?」

「そんなに多くないよ。石野君に、倉田圭、大伴に……後、紘のクラスの阿部君って子。」

「阿部!阿部隼人?」

「ああ、そんな感じの人。」

 そういえば、あいつ妃芽菜のこと気になるって言ってたっけ。そうだ、橋本の髪の毛ネタはあいつがばらしたんだ。

「その四人?」

「ぐらい。そんなに多くないよ。」

 四人が多いか少ないかはともかく。

「そうなんだ。」

「そういえば石野君のケガってどうなの。」

 今までの三人の被害者。重傷を負ったのは作だけだ。

「意識はまだ戻ってないらしい。かなりひどいけがだったもんね。だけど、回復傾向にはあるって。今は、薬で眠ってる部分もあるみたい。」

「そっか。」

「倉田圭とか、大伴は?なんか知ってる?」

「倉田圭はあれから学校休んでるみたい。大伴はフツーに何もなかったかのようですねー。」

「倉田圭が休み?」

「うん。相当ショックだったんじゃない。」

「へぇ。」

 あいつが。

 と、その時。

「さーやーちゃーん。」

 聞き覚えのある声が後ろから響く。

「ハルカ。」

 バタバタと走ってくるのは二宮春香だった。すっかり元気そう。

「だいじょぶー?体調、悪いんじゃ。」

「大したことないよー。うわぁ、沙也ちゃん、紘君と帰ってたの。ああ、ごっめーん。お邪魔しちゃったかな。」

「いや、フツーに、違うから。」

 慌てて訂正。

「ああ、ごめん。ほんとに。私お邪魔しちゃったね。ごめん。あとは二人でごゆっくり。」

 そういって、春香は沙也に向かって手を振る。

「あー。違うって。ねぇー、はるかぁ。」

 沙也が春香とじゃれあうのを見て紘ははぁとため息をつく。


 ごめんね、春香。

 もう、もどれない。あの頃のようには、いかない。


 本当に紘はそう思う。もう、無理だ。



 ごめんね、春香。



 その週の金曜日。放課後。

 阿部隼人は階段を所属している水泳部の活動場所へと走っていた。水泳部は夏以外の活動はないと思われているが、毎日のように筋トレをさせられている。かなり厳しいものだ。でもその成果は出ているとは言いにくい。隼人のぽっちゃり体形は小学校のころから全く変わらない。

 階段はしんとしていて、響いている音は自分の足音と、遠くから聞こえる部活中の生徒の掛け声だけだった。隼人は今日日直で、ほかの人はもう部活を始めている。遅刻だな――そう思ってさらに足を速める。次の段へと足を前に出したその一瞬だった。

 背中にあるはずのない力がふっと加わった。

 踏み出した足が宙をける。あっという間にバランスを崩し、階段に体をぶつけながら落下していく。その落下は踊り場の壁に全身を強く打ち付けて止まった。

「――いたっ」

 全身の痛みに耐えてうずくまる待った隼人は、その時後ろのほうで階段を駆け上がる『誰か』の足音を聞いた。



 阿部隼人がけがをした。

 その一報が紘の元に届いたのは、十六日の土曜日――部活動停止のとける二日前のことだ。クラスの奴からLINEが届いた。


『アべハヤがけが。階段から落ちた?』


『まじで?階段ってどこの?』


『学校のだって。昨日らしいよ。』


『へぇ。。。』


『部活に行くときに落ちたらしーよ。すいぶは休みだったから知らなかったのかな~。』


『うん、知らなかったわー。』

『どんな感じ?』


『大したことないみたい。数か所に打撲。全治三日。』


 よかった。

 思わずそうつぶやく。


 ひょっとしてこれは『四人目』か?

 安易な紘の発想はすぐに当たった。


 二日後。部活動停止の解けてすぐ。

 また、『あれ』が見つかった。


 ひめを汚す愚か者に天罰を与える。


 三人目 大伴行人


 四人目 阿部隼人

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