第4話 天罰

 石野作の意識はまだ戻っていない。

 警察は事故の可能性が高いと判断した。

 その矢先に――


 ひめを汚す愚か者に天罰を与える。


「これ、どーゆーこと。」

 沙也が言う。

「石野作って書いてある。天罰って。まさか、」

 沙也が紘を見上げて言う。

「石野君に、天罰が下されたの?あれは、天罰なの?」

 紘の頭の中はその一言で真っ白になる。事故と思われる、作のけが。その真相は。

「知るか、そんなこと。」

 沙也がヒスをおこす手前のような声で言う。

「ねぇ、これ、一人目って書いてある。なにこれ。二人目が出るの。何なの。」

「さや。」

 うんざりした目で見ながらそう言うと、沙也ははっと我を思い出したような顔をしてから言った。

「ごめん。騒ぎすぎた。」

「でも」

 紘は言う。

「一人目って書いてあるからには二人目もいるんだろうな。――三人目も、四人目も。」



 紘の予想はすぐに当たった。

 翌日。木曜日。

 倉田圭が怪我をした。

 指を切っただけらしいが、血はかなり出たらしく、みんなはパニックになっていた。

 昼休み終わりごろ。倉田圭のクラスでのことだった。


「ヒロくん」

「さや。」

 その日の帰り道。

「出たね、二人目。」

 沙也が言う。

「ですね。」

「ひどかったらしいよ。春香が、二組で。聞いたんだけど。」

 倉田圭のクラスは二組。

「教科書を取り出そうとしたら、そこにカッターナイフが仕込んであったらしくて。人差し指の先を切っちゃったって。血がひどかったらしいよ。教科書が真っ赤になって。保健室に行った後も、机の上は真っ赤。通った後には血がぽたぽた垂れていたとか。」

「ふうん。」

「春香、真っ青だった。相当なものだったんだろうね。」

 沙也の口調はいたって平気。

 昨日は二人目が出るのかもしれないとおびえていたが、今は普段と特に変わらない。

 それを指摘すると、

「だって、倉田圭だよ。脅迫状?昨日のあれじゃないけど、ひめにたかる虫だよ。もともと、うるさかったし、いい気味って感じ。けがも大したことないんでしょ。」

 という返事が返ってきた。

「まぁ、確かに。」

 おおむね、自業自得という考えが多数らしい。作の時と違って、案じる人は少ない。

「そういえば、もうひめと陸は付き合ってるのか?」

「ううん。まだだと思う。昨日あんなことあったし。磯上君は北校舎のケヤキの木にテルテル坊主を結び付けたら付き合いますっていう話なんだよね。でも北校舎出入りできなくなっちゃったから、まだ無理だと思う。」

「ふうん」

 そう頷きながら地面から顔を上げる。

 ちょうど真上に半月になった月がぽっかりと浮かんでいた。

 一人目――二人目——。

 三人目は、誰だろうか。

 月に向かって、そうつぶやくが、月は何も答えない。


 その週の日曜日。午後四時過ぎ。

 北校舎の音楽室は、合奏終わりの吹奏楽部生達がおしゃべりをする声が聞こえる。おしゃべりができるということは、その日の合奏がうまくいったということ。先生に思いっきり叱られたときは、お葬式のように皆無口になり、あたりはとてもしんとする。カタカタと楽器を片付ける音だけが響くその空間は、普段の様子を知っている部外者が見たらとても異様なものだと言う。無理もない。あのピリピリとした雰囲気は経験者でないとわからない。入ったばかりの一年生が、おろおろとあたりを見回していたことを思い出す。

 紘はその中、一人、楽器を片付けずにいた。それに気が付いた春香がざわざわとした中で言う。

「ねぇひ…もし……するの……?」

「何?き・こ・え・な・い」

 周りがうるさくて、よく聞こえない。紘は普段より大きな声で春香に言う。

「もしかして、夕練、するのぉ?」

 今度は春香も紘に負けず劣らずの声を出す。

 夕練というのは部活の終わった後、音楽室に残って練習することである。普段の練習のようにパート室でなく、音楽室のみというのが皆は面倒くさいと思っているようで、朝練や昼練に比べて、やっている人数は少なかった。

「うん。」

「まじか~」

 その反応に違和感を感じて後ろの春香の席を見ると、わきに春香のユーホが片付けられずに置いてあった。

「春香もぉ?」

「そうだよー」

「ふうん。」

 聞こえるように、ふぅん、ではなく、ふ・う・ん、と発音する。

「ちょうどよかったから、Ⓓのところ合わせない?」

 今日先生に指摘されたところだった。

「うん、わかった。」

 そう返事をすると、春香はくるりと後ろを向いて楽器を抱えて音楽室を出て行った。


 ミーティングを終え、皆が帰った後、リードを濡らしていると後ろの戸がガラガラと音を立てて空いた。

「はるか」

 振り返ると楽器を持った春香が立っていた。

「あわせよっか。」

「そうだね」

 椅子を三つ引っ張ってきて、向かい合わせになって座る。余ったもう一つの椅子を間に置き、そこにメトロノームを置く。春香がテンポを楽譜通りに合わせて、手を放すと、カチ、カチ、という規則正しい音が人気のない音楽室に響き始めた。

「1,2,3っ」

 メトロノームに合わせて春香が言う。それから一拍分で思いっきり息を吸い、息を吐きだす。先生に注意されたのは紘達木管のメロディーに対する、春香の裏メロの強弱についてだったから、紘は特に直すことはなく、時々口を挟むだけで、淡々と練習は進んだ。ここは弱く、ここは強く。ほら、そこはもうちょっと音に深みをつけて。

 三十分ほどたったところで、休憩をはさみ、もう三十分ほど練習したところで春香が言った。

「今日、六時で北校舎閉めるって言ってたから、もうそろそろ終わろっか。」

 時刻は五時半少し前。片づけにかかるのはに十分ぐらいだが、ちょうどきりもいいしまぁいいか、というと、春香も片づけを始めた。

 ユーホのケースを取りに行った春香が戸をガラガラと開ける。ホルンやユーホなどの楽器ケースは、邪魔にならないように部屋の外に出し、廊下のわきに並べることになっている。

 お互いに楽器を片付けて、椅子をしまおうとしていた。そのとき廊下に顔を向けた春香が言った。


「ねぇ、今度ある、南高の定期演奏会、一緒に行かない?」


 無理して作ったような、明るい声。少し震えている。


「――え。」


 春香が振り返る。

 嫌な予感がする。

 顧問の小薬の命令で、吹奏楽部はコンクールや定期演奏会があると強制的にそれを見に行かされることになっている。でも、それは男子は男子で、女子は女子で固まっていく。

 宮二中吹奏楽部で、それを男女で見に行くのは――。


「付き合わない?私、紘のこと、好きだよ」


 春香の頬が、ほのかに赤い。声も、震えている。そこに、普段の春香らしさはない。

 小学生のころから、仲の良かった春香。でも、こんな顔をしているところは今までに見たことがなかった。初めて見る、顔だった。


 だめだ、春香が女の子の顔がしている。


「ご、ごめん。」


 ふり絞るようにそう答える。だめだ、息が苦しい。言えない。言葉が、声に出せない。

 ほんとはもっと別に言うことがあるはずなのに、それしか言えない。


「そ。」

 春香が答える。

「ね、1個さ、聞いていい?」

 春香がくるりんと後ろを向く。


「なんで、ダメなの」


 その問いに、紘は答えられない。


「別に、好きな子、いるんでしょ。」


 ドクンと、心臓が、音を立てて、跳ねる。


 春香は、壁に向かって歩いていく。後ろを向いているので、その表情はわからない。

 次の瞬間、春香が何をするつもりなのかが分かった。


 春香は、夏コンの時の額に撮られた写真を額に入れた飾ったものの脇、この前とられたウインターコンサートの時に撮った集合写真の前に歩いて行った。


「この子だよね。」

「——この子って。」

「紘の好きな子って、この子だよね」


 春香の指が、一人の女の子の前で止まる。にっこりと、カメラのレンズをのぞき込む目。金色の楽器をかまえる少女――。紘ははっと息をのむ。


 春香が面白がるように言う。

「ほら、この子だよね。紘の好きなのは、この子。」

 春香が明るい声で言う。

「はは、私、こうなるのわかってたのに、何言ってんだろ。はは、紘が好きなの、きっと私じゃないって気が付いてたのに。——周りの子だって、あんなに言ってるのに」

 そして、戸のほうに歩いて行って、ガラガラと開けて、出ていこうとする。

「ちょ、ちょっと、はる――」

 紘は焦って声を出す。

 その途端、春香はパッと後ろを振り向いた。


 春香の顔を真っ赤だった。

 真っ白な、一回も日に当たったことがなさそうなあの顔が真っ赤になっていた。目は赤くなっていて、泣き出す一歩手前といったところだった。

 春香が、泣きそうになっている。

「は――」


「馬鹿にしないで。」

 はるか、と呼ぼうとした声を春香が遮った。


「馬鹿にしないでよっっ。」


 春香はそう叫ぶと戸を思いっきりバンと音を立てて閉めて廊下に向かって駆け出して行った。


 はるか、と口の裏でつぶやく。

 バタバタと、春香のかけていく音だけが、音楽室の中に響いていた。



 二宮春香は忘れ物をして、音楽室に戻ろうと、北校舎に入った。

 北校舎は六時に閉めるよ――。

 今は五時五十五分過ぎ。竹臣紘とすれ違わないように気を使っていたらこんな時間になってしまった。

(早くしなきゃ。)

 そう思いながら音楽室に置いてあった鍵で器具室の戸を開ける。これ、鍵の意味あるのか、と心の中でツッコミを入れる。

(シャーペン、シャーペン。)

 楽譜に、いつもミスをするところを書き込んでいたらそのまま楽譜に挟んでおいて来てしまった。

「あった。」

 シャーペン――水色のそのシャーペンは竹臣紘が小学六年の時の春香の誕生日の時にプレゼントしてくれたものだ。


(あの頃は、きっと紘も私のことが好きだった。だから、誕生日にプレゼントを買ってくれたんだ。)


 春香はそれを悟ると同時に全く別のことも悟る。


(だったらもう、これからは、誕生日に何もプレゼントしてくれない。もう、紘が好きなのは私じゃない――)


 はぁ、と、一つため息をつく。

(だめだ、だめだ、春香――、しっかりしなきゃ。)

 自分にそう言い聞かせ、立ち上がる。大切な、思い出のシャーペンを手にドアへ駆け寄る。

(――え?)

 何か、見慣れないようなものを見た気がして春香は振り返る。今感じた違和感は何だろう?

(あれだ――)

 掲示板。

 その名のついた白いボードにはミーティングの前に春香が次の合奏の日時を書いたはずだった。

 だけどそこに書かれていたのは春香の描いた合奏の予定を知らせるものではなかった。赤い文字が書かれていた。


 ひめを汚す愚か者に天罰を与える。二人目、倉田圭。


 その言葉の意味を理解した春香は悲鳴を上げた。

「いやっ。いやぁ――」

 赤い血。それに濡れた教科書。真っ赤な机。ぽたぽたとたれた血。真っ青になった倉田圭。

 いい気味。天罰だよ。

 それは現場を見ていないほかのクラスの奴らだけが言えることだ。


 景色がゆがみ始める。

 クリーム色の天井と薄汚れた木の板の天井と、倉田圭の赤い血の色が頭の中でぐるぐると回って春香は気を失った。

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