第2話 貴公子

 

 春香と一緒に帰ったちょうど一週間後の月曜日。

 その日は作の都合が悪いらしく、一緒には帰れないといわれていた。それで一人で帰ったのだが、うちにつくと、沙也からLINEで連絡が来ていた。普段はろくにLINEで連絡をしていないのに。

 

 石野作のことで、相談が――。

 

 

 『石野作に、嫌いだと言ってほしい。』

 沙也からそんなことを返信された紘はすぐさま返事をする。

 『?』

 

 沙也の返信。

 

 『妃芽菜ちゃんが、

 嫌いだと言っていたといってほしい。』

 

 妃芽菜?妃芽菜が、作に?

 紘の返事。

 

 『これって……』

 

 沙也の返信。

 『妃芽菜ちゃんなりの配慮。』

 『直接言われるよりはましだろうって。』

 

 紘の中で、何かが緩やかにつながる。

 今日の放課後、用事があって、一緒に帰れないと言っていた作。

 竹中妃芽菜が気になる、と言っていた作。

 妃芽菜が、作を嫌いだと言っている。

 それを紘から伝えろと――。

 ははん。

 

 『もしかして、今日の放課後、作は、妃芽菜さんを呼び出したりしていたりしていなかったのかなぁ??』

 『・・・・・・・』

 『もしかして、そこで、何か、作が、妃芽菜さんに、言っていたりとか、していなかったかなぁぁ??』

 

 『わかってるなら、黙れ、このクソ』

 『はいはい』

 

 石野作、竹中妃芽菜に突っ込んで、当たって砕けて、見事に玉砕。

 お疲れさまでした。石野君。

 紘はにやにやと一人笑った。

 

 その次の日。火曜日。

 その日の紘の気分は最悪だった。

 朝、登校途中に、倉田圭らを見つけてしまった。

 倉田圭。

 サッカー部二年。ちゃらちゃらした雰囲気。彼に泣いた女子生徒は数多いという。

 昔――昔、小学生のころ、まだ小さかった紘の妹をからかい半分にいじめ、泣かせた奴だ。いまは大丈夫らしいが、その当時は廊下で姿を見るたびに、泣いていたらしい。紘の彼への印象は相当悪い。

 でもそれだけではない。

 そのあと――当時同じクラスだった紘に向ってこう言ったのだ。

 お前、いっつもいっつも妹べったりだよな。妹もお兄ちゃん、お兄ちゃんってべったりだし。もしかして、お前シスコン?はは、シスコン紘。はは、うける。シスコン紘、シスコン紘。

 

 それで、紘の朝の気分は相当悪かった。

 ぶすっとした顔のまま教室の席に着くと、後ろの席の阿部隼人が肩をたたいてきた。

 「ひろぉ。お願いなんだけどぉ、あのですねぇ、今日提出の数学のプリントをですねぇ、見せていただけませんかぁ?」

 「はいはい」

 プリントを差し出す。

 「ありがとうごさいまぁすぅ。」

 隼人が宿題を見せてくれと頼むのは今日に限ったことではない。普段なら、いえいえぇ、とこちらも調子を合わせるのだが、今日はそうする気分になれなかった。

 案の定

 「あれ、今日、紘調子悪い?」

 と聞かれてしまった。

 大したことないよ、と答える。

 「ふうん」

 隼人はそう頷いてから話を続けた。

 「ねぇ、そういえばさぁ、吹奏楽部に、超美人の転校生が来たってホント?」

 「超美人?竹中妃芽菜さんのこと?」

 「そうそれ。」

 隼人は言った。

 「ねぇねぇ。どんな感じの子なの?顔だけじゃなくてさ、性格とかも。やっぱかわいい子って性格悪いかなぁ。」

 「どうだろう。あんま、よくわかんない。」

 「そっか。」

 隼人が頷くと、そこにドアをガラッと開けて担任の田辺が入ってきた。

 「あっ、ヤベ」

 隼人はそこで数学のプリントを全然進めていないことに気が付き、シャーペンを握りなおして、プリントに目を落とす。紘はそれを見て席に座りなおした。

 隼人はうっとうしい時もあるが、気がよくて、一緒にいて自然と明るくなってしまうやつだ。今も紘はさっきまでも重い気分がいつの間にか晴れていることに気が付いた。

 それとあともう一つ。

 竹中妃芽菜のことを、隼人も気にしていた。妃芽菜はかなりのうわさになっているらしい。

 あっさり玉砕した作のことを思って忍び笑いし、その事実を作にどう伝えるか悩んだ。それから作のことを思い出してもう一度忍び笑いした。

 倉田圭のことはすっかり忘れていた。

 

 

 「妃芽菜さん」

 部活の時間。

 「これ、今度の楽譜。コピーしてきた。」

 パート室として使わせてもらっている一年三組の教室で、紘は妃芽菜に家でコピーを取った次のコンクールの楽譜を手渡した。

 「ああ、はい。ありがとうごさ、じゃない、ありがとう。」

 敬語はやめて、といったばかりだった。妃芽菜はそう言ってからこっちを向いてニコッと笑う。もてるんだろな、と紘は思う。やっぱ、美人だ。隼人が危惧するように性格が悪いわけでもない。実際、作はもう妃芽菜の虜だ。

 ああ、そうだ、作。そういえば、今日会っていない。早く、言わないと。紘はそれを思い出す。全然見ないから休みかもしれない。最近インフルが流行っているのだ。クラリネットパートの田代彩音は、作と同じクラスだったはず。それと、部長の大伴行人と副部長の春香は欠席者を把握しているはずだ。

 後で聞いてみよう——。紘はそう思った。

 

 その日の放課後、副部長の春香に作るの出席状況を確認すると、今日は作はインフルエンザにかかり、しばらく休むことになったらしい。言えなかった、と、沙也に報告した。沙也はそれなら仕方ない、と頷いた。

 

 そのあとだ。

 その日紘は、クラスの花壇の水やり当番なので、学校裏の畑にじょうろを手に歩いていた。

 その時――その時、体育館裏の木の陰に人影がふらっと見えたような気がして紘はそこに立ち止まった。目を擦る。

 そこにいたのは二人の男女だった。片方は妃芽菜だ。もう片方は紘に背を向けているため、顔は見えない。学生服を着ているところからかろうじて男子だということがわかるだけだ。そしてふっと妃芽菜は相手から顔をそらすと、体育館わきに向かって歩いて行った。それを見ているうちに、男子のほうはこちらに向かって歩いてきた。はっとした時にはそいつと目が合ってしまった。倉田圭だった。

 「ん。紘?」

 「紘ですが、何か。」

 暗い声で紘は答える。こいつは、やっぱり苦手だと改めて思う。

 「何やってんの。」

 「水やりの途中です。」

 「もしかして、見てた?」

 「それがどうかしましたか。」

 そういえば妃芽菜と倉田圭は同じクラスだ。

 「ああ、やっぱり。」

 口止めするかと思いきや、

 「んじゃね。」

 と言って去っていった。

 倉田圭。恐るべし。今のことも、彼にしてみればたいしたことはないのだろう。絶対あいつは女子慣れしている。

 

 それにしても、竹中妃芽菜はもてている。

 作に、倉田圭。他にも紘の知らないところで何回も呼び出されているのだろう。竹中妃芽菜が一番恐ろしいのかもしれない。

 

 

 二月のはじめ。日曜日。

 その日は、善也先輩の言っていた、冬のコンサートの日だっだ。冬コンと略されていたが、本名は「宮ウインターコンサート」だ。宮公民館を貸し切って行われる。後ろには宮1,2,3中学校の美術部が共同で作った垂れ幕が飾られ、それぞれ宮1,2,3の中学校の文化部が、それぞれ発表の準備をしている。午前中はリハーサルで、午後から客が来る予定だった。

 文化部といっても、吹奏楽部が二つ、合唱部が二つ、それに演劇部が一つしかない。それに保護者会の合唱団も参加しするが、それでも全部で六団体しか出ない。午後一時開演で、それから各団体が三十分ずつ発表し、午後四時過ぎにはお開きという流れだ。去年と同じような流れらしかったので、紘たち二年生は、てきぱきと作業を進めていた。

 このコンサートにも妃芽菜は出る予定だった。人数が多いほうが見栄えがいい、と小薬先生が言っていた。間に合わなかったら吹き真似でもいいから、というのは上野中から来た妃芽菜に対していささか失礼な気もするが、妃芽菜を出すことには紘も賛成だった。逆に紘が出て妃芽菜が出ないというのはとても恐れ多く感じてしまうのだった。

 その日から作はインフル復帰だったのだが、紘は忙しくて、妃芽菜のことは言い出せないでいた。

 「紘先輩」

 振り返ると、同じサックスパートの一年、磯上陸が立っていた。

 「これ、運んだほうがいいですか。」

 「なになに」

 陸は人懐っこくて、気配りのできる、それでいて面白いやつだ。紘はこいつを気に入っている。演奏の腕前も、妃芽菜のように飛び抜けているわけではないが、一年の中ではかなりいいほうだと思っている。

 「それはそこに持ってって。そこにだれか係でついてると思うから。」

 紘がそういうと、陸ははい、と返事をして荷物を抱えて走っていった。

 紘自身も準備の途中だ。神経を目の前の課題をこなすことに集中させる。

 もうそろそろ、コンサートが始まる。

 ただ今、十一時半を少し回ったところ。

 

 時間は飛んで、二時半少し前。

 もうそろそろ、宮二中吹奏楽部の出番だ。紘たちは楽器をもってステージ脇で待機していた。一個前の、宮三中合唱部の演奏が終わり、あたり一帯は拍手に包まれる。

 「いくよ」

 アナウンスを入れるため先頭に立っている部長の大伴がみんなに声をかける。大伴は自分のラッパを後輩で春香の妹の二宮桃香に持たせている。ステージのわきの壁がぱっくりと開き、そこに滑り込む大伴に楽器を持った皆がぞろぞろと続く。

 大伴のアナウンスが終わると、がらでもなくスーツを着た小薬が指揮棒を振り上げる。

 カンタベリーコラール。

 普段、このようなコンサートではやらない、とても落ち着いた曲だ。

 臨時記号がごちゃごちゃとつくこの曲はド、ミ、ソの和音を中心としてゆっくりと進む。その和音に乗せて、それぞれの楽器が数小節ずつメロディーを回す。妃芽菜はサックス2で、どちらかというと伴奏役なのだが、中心の音を吹いている紘よりも音が大きくならないように細かいところまで気を使っているのが脇でわかる。それにつられて、最近自分の音がよく響くようになった気がする。そして、のびのび吹かせられない環境を作っているこの宮二中吹奏楽部として恥ずかしくなる。

 それから定番曲のポップスを何曲か演奏した。

 ライジングサン、ハピネス。明るく、力強く。前に出て小薬先生が踊りだしたときには皆、笑いをこらえるのに必死になっていた。

 それからもう何代も前から毎年演奏しているという学園天国。

 最後に宮三中の吹奏楽部と合同で、翼をください。

 これは合唱部が歌を歌うので、ステージはいっぱいになった。七十人近くステージに出たのではないか。

 

 今回のコンサートはここ最近では一番の出来ではないか、と今日の演奏を振り返って紘は思った。妃芽菜が来てからなぜか自分の演奏も、だんだん良くなってきている気がする。いい影響を受けているのだろうか。ほかのみんなも特に目立った失敗はしていないし、まぁまぁの出来だと思うのだ。このコンサートは成功だ、と紘は思う。

 

 

 閉会式に臨みながら紘は思った。

 

 妃芽菜はなぜ、ここに来たのだろう。上野中ではもっとのびのびと音を出していたのだろうか。思いっきり音を出していたのだろうか。だとしたらなぜここに来たのだろう。

 いや、なぜここに来たか、ではないのだ。一番の疑問は。

 

 竹中妃芽菜はなぜ上野中を出てきたのだろうか。

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