なよ竹のかぐや姫 ~竹取の翁~

月村はるな

第1話 竹林

 

 ……今は昔、竹取の翁といふものありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、よろづのことに使ひけり。名をば、さぬきのみやつことなむいひける……

 

 

 

「二年の竹中妃芽菜たけなかひめなです。よろしくお願いします。」

 宮二中吹奏楽部に、転校生がやってきた。

 

 一月六日日曜日

 「ヒロくん」

 朝のミーティングの後、そういってきたのは沙也さやだった。

 宮二中吹奏楽部でサックスを吹いている竹臣紘たけとみひろは、合奏があるから早く楽器を出したいのに。何の用事だ。と毒づきながら振り返る。

 沙也とは小学校も一緒で、結構仲がいい。ちなみに沙也の担当楽器はトロンボーンだ。

 「さっきの転校生、サックスなんでしょう。案内してあげなよ。」

 転校生。

 竹中妃芽菜と名乗るあの女の子は、上野中でサックスを吹いていたといっていた。さらさらと流れる髪。白いつるつるの肌。切れ長細目。厚すぎでも、薄すぎでもない赤い唇。ぺこっと頭を下げるあのしぐさ。

「はいはい。わかってますよ。おまえも早く楽器出せよ。今日合奏だろう。それとも何。転校生の世話焼きしたいの。好きにしろよ。」

「うわぁー。なにそれ。あ、そうだ。」

 沙也はいたずらっ子のようににやにや笑いながら言った。

「上野中から来た子だもん。ヒロくんより絶対うまいね。だからかかわりたくないんだ。」

「俺パーリーなんですけど。」

 上野中は、毎回コンクールで上位入賞を果たしている学校だ。それなのに、なせ、うちの吹奏楽部に?

 この吹奏楽部、一学年十人ちょっとしかいない弱小校だ。

(なんか、あったのかな。)

 女子の集団に囲まれている竹中妃芽菜にそっと目をやる。

(しゃぁねえな。)

「竹中さん」

 竹中妃芽菜と彼女を囲む女子が振り返る。

「妃芽菜ちゃん。こいつ、サックスの竹臣紘。下手だけど、一応パーリー。こいつについていってねー。」

 わきから沙也が出てきて言う。

「いや、お前、一応ってなんだよ。下手って。」

「だってそうじゃん?サックスの二年が一人だから、必然的にヒロくんがパーリーなんでしょう。妃芽菜ちゃんが入ってきたらどうなるかわかんないじゃん。」

 それを見てパーカスの洸が言う。

「相変わらず仲いいね。沙也ちゃんと竹臣君。」

 それを聞いて沙也がぱっと顔をそらす。

「やだ、そんなんじゃ……。」

 女子の集団がそれを見て一斉に笑う。

「竹中さん、こっち」

 そう言ってその場を竹中妃芽菜と離れると、後ろで洸が「沙也ちゃん浮気されちゃった」という声と女子の大笑いが聞こえた。



一月の半ば月曜日

「ひめ~。」

 靴箱の前。沙也が妃芽菜を呼んでいる。いつの間にか、「妃芽菜ちゃん」が「ひめ~」に代わっている。あだ名らしい。

「ひめ。一緒にかえろー。」

 沙耶と妃芽菜は家が近いらしい。最近一緒に帰っている姿をよく見かける。


 予想通り、妃芽菜の腕はすごかった。

 上野中から来たのだ。当たり前だ。

 リズムやピッチはもちろん、強弱のつけ方、音の響きなど、細かいところまで、すべてが正確で素晴らしいものだった。どうやら妃芽菜は三月に行われるコンクールに出れるそうだ。まぁ、人数が少ないから当然かもしれないが。

「こんにちは~」

 先輩でも来ているのだろうか。沙也たちが誰かに挨拶をしている。

「おい、紘。」

 後ろを振り返る。

「善也先輩。お久しぶりです。」

「どうだ。曲の調子は。合奏は。小薬先生キレてたか?」

 前野善也まえのぜんや先輩はサックスパートの三年生の先輩だ。さばさばしていて、後輩からの人気が高い。面倒見がよくて、もうそろそろ受験だろうに、毎日のように部活に顔を出し、指導をしていってる。紘と違い、成績のほうもとてもよろしいのだそうだ。家が近くて、何回か一緒に帰ったこともあった。

「まぁまぁですよ。小薬先生も機嫌は悪くありませんでした。」

 小薬先生は三年生の数学の教師であり、この吹奏楽部の顧問の先生である。機嫌が良かったり悪かったり。宮二中吹奏楽部生は、先生の顔色を見て行動する技術が必要だ。

「そうか。今度のコンサートも見に行きたいんだが。ちょうど受験の一週間前なんだよな。わりぃ。たぶん行けない。」

「いえ、そんな。受験、頑張ってください。」

 そういって、善也先輩と別れて、今日、一緒に帰る約束をしていた作のもとに走る。同じクラスで吹奏楽部の石野作いしのつくるはホルンを吹いている。

「つくる。」

ぼんやりと立っていた作はこっちを見た。そしてそのぼんやりした顔のまま言う。

「ああ、ひろ」

「わるい。遅れた。いこう。」

単語をつなげてそういう。

「ああ、うん。」

 そういいながら、歩き始める。校舎を出ると夕焼けで、あたり一面がピンク色に染まっている。まぶしさに、目を細めながら作が言う。

「竹中さんてさ」

「妃芽菜さんが?」

意外だった。こいつ、あんまり自分から話題を振らないのだ。しかも、その話題が妃芽菜だ。

「今度のコンクール出るの。」

「コンクール?あの、三月にあるやつ?」

 校門のわきで交通整理をしているボランティアの人にさようならと言ってから作はいった。

「そう。出るの?」

「たぶん。」

そう答えると、作はうなずきながら言った。

「そうなんだ。」

その顔がやけに真面目っぽいので、紘はふいっと顔をそらしていった。

「なに。お前まで、俺が下手だって言いたいの。俺がファーストおろされて、パーリー辞めさせられるって?」

「いや。そんなんじゃ。」

作はそこで、ようやく笑った。でもその笑い方がやけに真面目なので、紘はわざと真面目な顔をして、

「なに、おまえ、妃芽菜さんのこと、気になるの?」

といった。

「うーん、よくわかんない。」

作はやけにまじめに返してくる。今日は真面目だらけだ。紘は驚いて、

「えー。真面目なほうすか。え、え、え、好きなの。えーまさかの。」

といった。作はさっきと同じ言葉を繰り返す。

「わかんない。ただ、かわいいなって。なんか、この、なんつうの。この中学っつうか、部活っていうかに、いるカンジの人じゃないよね。別世界の人って感じ。なんかそういうのが、気になる。ぼく、よくわかんない。」

 作の一人称は「ぼく」だ。色も白いし、背も低め。そういうところが「かわいい」とうけたりする。気も弱いし、おとなしい。そんな作が妃芽菜の話題を振ってきた。しかも気になると言っている。これはどういうことだろう。

 「まぁ、いいや。また明日。」

 いつの間にか、いつもの別れる交差点に来ていた。うん、じゃぁ、と言って作と別れる。

 一人になってから、紘はさっき作の言っていた言葉を思い返していた。

 作の言いたいことがわからないでもない。

 竹中妃芽菜はこの宮二中の吹奏楽部にいる人間じゃないのだ。

 あの洗練された、上野中の音楽の中にいるはずの人間なのだ。

 雑音だらけのここに混じっていてはいけないのに。上野中で、素晴らしい演奏を披露していたはずなのに。

 音楽だけでない。その妃芽菜が醸し出す雰囲気はこの宮二中とは合っていない。

 妃芽菜は異世界から来たといってもおかしくない。

 異世界――まるで、月から来たような——。

 紘は思い出す。

 さらさらと流れる髪。白いつるつるの肌。切れ長細目。厚すぎでも、薄すぎでもない赤い唇――

 

 「ひーろー。」

 後ろから、急に肩をたたかれた。

 「春香。」

 二宮春香にのみやはるかは紘と同じ小学校出身の吹奏楽部のやつだ。ユーホ(チューバのちっちゃいやつ)を吹いている彼女は、われら宮二中吹奏楽部をそのさばさばとした性格で引っ張る副部長だ。

 「春香、今帰り?」

 「うん、帰り。紘も?」

 「俺も、そう。」

 最近は少ないが、小学校の頃はよく一緒に帰っていたものだ。なんだか、懐かしくなる。

 「そういえば、今日、前野先輩来てたよね?」

 「うん、来てた。すごいよな、もうそろそろ受験なのに。」

 「日頃の勉強がすごいんだろなー。紘も見習えば?」

 「うっせーな。お前はどうなんだよ。」

 「へーん。私、期末五教科七番だもんね。」

 宮二中の二学年の人数は百五十人。紘がだいたい二桁と三桁の間をさまよっている間、春香はちゃっかり一桁をとっている。

 「それ前も聞いたし。俺だってちゃんと勉強してますよ、してますってば。」

 「ふうん。あやしい。」

 「げ、そこ信じろよ。」

 「全然信用できなーい。」

 「うわー。なんかあっさりひどいこと言ってません?」

 「うーん。言ってない言ってない。」

 「あはは。」

 二人で何となく笑っていたら、春香の家の近くまで来た。小学校のころから一緒に帰っていたからよく知っているのだ。

 「じゃあね、また。」

 また、あした。

 そういって別れる。

 

 なんてことない日常の一コマ。

 だけど、紘は後から知ることになる。

 もう、あの人の中で、『計画』は始まっていたことに。

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