Act.7

 翌日は、いつも通りに出社した。

 一見、いつもと変わらぬ光景だが、そこには、いるはずの人間がひとり欠けていた。


 砂夜がいない。

 けれども、この時の俺はまだ、単純に風邪でも引いて欠勤したのだと思い込んでいた。

 いや、思いたかった。


 砂夜の仮通夜には、定時で上がってから、昨晩に電話をしてきた倉田さんと共に行った。

 本通夜ではないから、実家で密やかに行うらしい。


 砂夜とはよく飲みに出かけていても、実家に行くのは初めてだった。

 しかも、亡くなってからお邪魔することになろうとは、ずいぶんと皮肉な話だ。


 家を訪れた俺達を迎えてくれたのは、砂夜の母親だった。

 砂夜よりは大人しそうな印象があるが、目元はやはりよく似ている。


 多分、自分が腹を痛めて産んだ娘だけに、母親の方が断腸の思いでいることだろう。

 しかし、俺達には哀しい顔を見せることはなく、むしろ、口元に笑みさえ浮かべていた。

 それがまた、相当の無理をしているのではないかと、見ているこっちが痛々しい。


 砂夜は案内された一階の一番奥の八畳間の座敷で、静かに横たわっていた。

 そのすぐ後ろには祭壇があり、信じたくなかった現実を突き付けられる。


「綺麗な顔してるね……」


 砂夜の前に正座するなり、倉田さんが、囁くように言った。


 母親の話だと、家に帰る途中で酒気帯び運転をしていた車に撥ねられたとのことだったから、事故後は目を逸らしたくなるほどの凄惨な姿だったに違いない。

 けれども、今は傷痕を消してしまうほどに化粧を施され、倉田さんの言う通り、息を飲むほど綺麗だと思った。


 本当に、〈物言わぬ人形〉そのものだ。


 俺は、砂夜の頬に手を伸ばした。躊躇いつつ、けれども、ゆっくりと触れる。


 昨晩とは違う、柔らかさも、温もりも持ち合わせていない。


 今すぐ抱き締めて温めてやりたい。俺は思ったが、出来なかった。


 倉田さんや、砂夜の家族がいるから、というより、砂夜をこの腕に抱いてしまったら、二度と離したくなくなりそうだったから。


 俺は砂夜の頬から手を放すと、正座した膝の上で強く拳を握り締めた。



 あの時、どうして砂夜の想いに応えてやれなかったのだろう。

 何故、砂夜を引き留められなかったのだろう。

 もし、無理にでも砂夜を留めていれば、今日もいつもと変わらず、あの屈託ない笑顔を俺に向けていてくれたはずなのに――



 今はもう、砂夜に対する罪悪感しかない。


 非があるのは、砂夜を轢き殺した相手だ。

 しかし、俺はその相手よりも、俺自身を深く恨んだ。



 俺が砂夜を殺した――



 その想いに囚われたまま、俺は一年間を過ごし続けた。

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