Act.6
重い気持ちを抱えたままでアパートに戻った俺は、石油ファンヒーターを点けると、コートだけ脱いで、そのまま座布団の上に胡座を掻いた。
砂夜の精いっぱいの気持ちが入っているという白い小箱。
いったい、中には何があるのか。
俺は、期待と不安、ふたつの対照的な想いを抱えながら、ゆっくりと蓋を開けた。
中から現れたのは、シルバーメッキのジッポーだった。
よく見ると、〈Love forever〉という英語が控えめに刻印されている。
俺はヘビースモーカーではないけれど、ストレスが溜まったり、酒を口にすると、無性に煙草を吸いたくなる衝動に駆られることがある。
砂夜も当然、その癖を知っていた。
けれども、煙草を嫌悪している砂夜は、俺が吸おうとすると、「身体に悪いよ!」と顔をしかめながら説教する。
教されても、結局は、右から左に聞き流し、吸ってしまっていたのだけど。
だから、煙草嫌いの砂夜がジッポーをプレゼントしてきたことに俺は驚いていた。
しかも、決して安いとは言い難い代物だ。
「これじゃあ俺に、『どんどん煙草を吸ってね』って言ってるようなもんじゃねえか……」
俺はひとりごちながら苦笑いし、箱からジッポーを取り出した。
金属特有の重みと同時に、ひんやりとした感触が手を通して伝わる。
ふと、箱の底に、ふたつ折りにされた紙切れが入っているのが目に飛び込んだ。
「なんだこれ……?」
俺は首を捻りながら、ジッポーを握り締めた反対側の手でそれを摘まみ、ゆっくりと開いた。
お誕生日おめでとうございます。
あなたがこの世に生まれた素敵な記念日、これからも一緒にお祝いさせてくれませんか……?
短い、けれども、俺を心を揺さぶるのに充分過ぎるほど、砂夜の切々とした想いがそのメッセージには籠められていた。
それなのに、「ごめん」という残酷で簡単な一言で済ませてしまった俺。
どれほど砂夜を傷付けてしまっただろう。
「また明日、ちゃんと顔を合わせて話そうか……」
俺は自らに言い聞かせ、メッセージと共にジッポーを箱に戻した。
◆◇◆◇
突然、スーツのジャケットの内ポケットに入れたままにしていた携帯電話が、ブルブルと震え出した。
俺はハッとして顔を上げ、目に飛び込んだ壁時計を仰ぎ見る。
どうやら、二時間ほどローテーブルの上でうつ伏せになって眠ってしまっていたらしい。
携帯は、相変わらず震え続けていた。
俺は内ポケットを弄って携帯を出すと、出る前に着信相手を確認する。
けれども、未登録の相手だったらしく、名前ではなく、携帯番号が表示されていた。
「もしもし?」
いつも以上にトーンを落として電話に出た。
もしかしたら、間違い電話なのでは、と思い込んでいたのだ。でも、すぐに間違い電話ではなかったことに気付いた。
『あ、もしもし宮崎君?
俺とは対照的なソプラノボイスで、相手は最初に名乗った。
倉田という名前は、よく知っている。同じ職場の三歳年上の女性社員だ。
「はい、宮崎ですけど……。どうしましたか?」
携帯番号を知っていることにも少なからず驚いたが、それよりも、急に電話をかけてきたことの方がより気になった。
『――宮崎君……』
そこまで言いかけて、倉田さんは押し黙ってしまった。
「あの、倉田さん……?」
このままだと、延々と沈黙を守ったままになりそうだ。
俺はそう思い、電話の向こうの倉田さんに呼びかけてみる。
『――宮崎君……』
また、先ほどと同様、俺の苗字を口にするのみだった。
じれったい。
けれど、急かす気にもなれず、倉田さんから話を切り出すまで、こちらもジッと携帯を耳に押し当てていた。
『――宮崎君、落ち着いて聴いてね?』
ようやく意を決したのか、倉田さんが口を開いた。
『――砂夜……、死んじゃった……』
一瞬、何を言われたのか理解出来なかった。
俺は呼吸を整えると、「もう一度言ってくれませんか?」と訊いた。
『――だから……、砂夜が死んだ、って……』
何度も言わせないで、というニュアンスを籠めて、倉田さんは繰り返す。
俺の中で、何かが崩壊した。
倉田さんは冗談を言っている。そう思いたかった。
しかし、彼女はつまらない嘘は吐かない人だ。ましてや、人の死を軽々しく口にするなんてことは絶対にあり得ない。
『――宮崎君……?』
俺からの反応がなくなったことに、今度は倉田さんの方が気になったらしい。
電話の向こうから、恐る恐るといった感じで俺に呼びかけてきた。
「――聴こえてます……」
辛うじて口にしたが、自分でも、声が掠れ、震えているのが分かった。
恐らく、倉田さんにも俺の動揺は伝わったはずだ。
倉田さんは心配そうに、けれども、気丈に続けた。
『明日、ごく近しい身内だけで仮通夜をやって、明後日に本通夜、明々後日に葬儀と火葬をするそうよ。宮崎君、砂夜とは凄く仲が良かったし、顔を見せてあげて。砂夜もきっと喜ぶから……』
「――分かりました……」
倉田さんの言葉に、俺はやはり、上の空で答える。
最後に、『それじゃあね』と別れの挨拶をされて通話が途切れてからも、携帯を耳から放せなかった。
右手には、変わらずにジッポーが握られている。
ずしりとした重みが、俺の心に突き刺さった。
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