Act.4

 しばらくしてから、注文を取りに来た女性店員と別の女性店員がふたりがかりで、瓶ビール一本に、料理一式が載った盆とコップをそれぞれふたつずつ持って来た。


 よく見ると、刺身と天ぷら、茶碗蒸しと小鉢、さらには蕎麦と炊き込みご飯まであって、かなりの量だ。

 しかも、それぞれの料理は、目でも楽しめるようにと意識しているのか、その辺の居酒屋と違い、上品に美しく盛り付けられている。


 ――いったいいくらするんだ……?


 値段がどうしても気になった俺は、お品書きに手を伸ばそうとする。

 が、それを砂夜は目聡く見付け、素早く俺の腕を掴んだ。

 俺よりも細い腕をしているくせに、握力はかなりなものだ。


「値段を調べようなんて無粋な真似はしないこと」


 砂夜はニッコリと、しかし、有無を唱えさせぬ語調で俺に言った。


 俺は黙って頷いた。結局、砂夜には敵わない。


「ほら、コップを持った持った!」


 砂夜の手がようやく離れてから、俺は促されるまま、コップを手にした。


 砂夜はそれを見届けてから、先ほどまで俺の腕を握っていた右手でビール瓶を持ち、琥珀色の液体を注いでゆく。

 すんでのところで泡が溢れそうになったが、砂夜は器用に注ぐのをやめた。


「今度は俺に貸せ」


 俺は半ば強引に砂夜からビール瓶を取り上げた。


 砂夜は苦笑しつつ、それでも素直にコップを持ち直し、俺に傾けてくる。


 俺の注ぎ方がイマイチだったのか、砂夜が注いでくれたのと違い、泡は気持ち程度しか入らなかった。


「そんじゃ改めて、誕生日おめでとー、アーンド、メリークリスマース!」


 砂夜の号令と共に、互いのコップが、カチンと乾いた音を立てながらぶつかり合う。


 それにしても、いくらイヴとはいえ、和食屋で『メリークリスマス』はあまりにも浮き過ぎている。


 不意に、カウンターの方を一瞥すると、先ほどの女性店員ふたりが小首を傾げる仕草をしながらこちらを見ていた。

 でも、俺と目が合ったとたん、ばつが悪そうに慌てて顔を逸らせてしまった。


 砂夜は俺と女性店員がそんなやり取りをしていることも知らず、コップのビールを一気に呷り、すでに二杯目を手酌で注いでいた。


「おい、空きっ腹にいきなり飲んだら悪酔いしちまうぞ?」


 俺が忠告しても、砂夜は、「平気平気!」と笑っている。


「私は今まで、酒に飲まれたことなんて一度だってないんだから。それより、宮崎の方が先に潰れちゃうんじゃない?」


「よけいなお世話だ!」


 そう言ったものの、砂夜の指摘は見事に的を射ている。


 俺も酒はそれほど弱い方ではないとは思っているが、砂夜があまりにも強過ぎるから、過去に何度も潰されてしまっている。

 何となく、今日もとことん付き合わされ、また、砂夜に醜態を晒す羽目になりそうな予感がする。


 俺は一杯目のビールを半分ほど飲んでから、海老の天ぷらに箸を伸ばした。

 温かい天つゆに付けて口に運ぶと、サクリと良い音が響き、旨みが口いっぱいに広がる。


「私も食べよっと!」


 黙々と箸を進める俺を見て、砂夜もやっとで食欲を満たす気になったらしい。

 小皿に醤油を垂らし、箸でマグロの刺身にワサビを載せ、それを醤油に付けてから口に入れていた。


「んーっ!」


 どうやら、ワサビがまともに効いたようだ。咀嚼しながら、顔をしかめている。


「――何よ?」


 表情がくるくる変わる砂夜を観察していたら、見事に目が合ってしまった。


 俺は口の端を上げながら、「別に」と短く答え、小鉢に入っているほうれん草とシラスの和え物を箸で摘まんだ。


「何かムカつくんだけど、その不敵な笑い方」


 ビールを喉に流し込んでから、砂夜は唇を尖らせながら、俺を恨めしげに上目で睨んだ。


「お前が面白過ぎるからだよ」


 俺も砂夜に倣うようにビールを一気に呷った。

 ようやくコップが空になったので、二杯目を注ごうと瓶に手を伸ばしたら、すかさず砂夜に取り上げられてしまった。


「手酌なんてしたら出世しないよ、お兄さん?」


 気持ち悪いほどに満面の笑みを浮かべた砂夜は、俺がコップを差し出す前に、強引に琥珀の液体を注いでゆく。

 コップ七分目まで入ったところでビールがなくなった。


「すいませーん! ビール一本お願いしまーす!」


 砂夜は空になった瓶を右手で振りながら、大声で追加注文を申し付けていた。


 おいおい、ここは居酒屋じゃねえんだから、と俺は心底突っ込みを入れたかったが、酒が入って気分が良くなっているであろう砂夜に変に口出しするのもどうかと思い、あえて黙っていた。

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