Act.3

 俺は職場の同僚だった永瀬砂夜ながせさやに、帰りがけに呼び止められた。


 砂夜とは同期で、好きな音楽や本の趣味が共通していたこともあり、男女という隔たりもなく、すぐに意気投合した。


 砂夜はどちらかというと、男のようにサッパリとしていて気丈な女だった。


 例えば、俺が仕事でへまをして落ち込んだ時は、持ち前の明るさで励ましてくれたり、仕事のノルマが果たせずに残業せざるを得なくなった時は、コンビニで買ったパンとペットボトルのお茶を持って現れた。

 そして、要領の悪い俺に呆れつつ、それでも、さり気なく手を差し伸べて手伝ってくれた。


 俺の中では、砂夜は性別を超えた良き友だった。

 見た目は目鼻立ちのすっきりした美人だったから、一部の男子社員からは密かに持て囃されていたようだが、少なくとも俺は、砂夜を〈女〉として意識したことはなかった。


 だから、呼び止められた時も、単純に一緒に飯に行こうと誘われただけだと思っていたのだ。


 ◆◇◆◇


 俺は砂夜に連れられるまま、市街地の外れにある和食専門店に行った。


「おい、ここ高いんじゃねえの?」


 いかにも敷居の高そうな店構えに、俺は尻込みした。


 けれど、引いている俺とは対照的に、砂夜は堂々としたものだった。


「だーいじょうぶだって! それに今日は宮崎みやざきの誕生日でしょ? ちょっとぐらい奮発しなきゃ!」


「――へ?」


 俺はこの時、非常に間抜けな顔をしていたかもしれない。


 砂夜は俺の表情を見るなり、目を見開いた。


「あんたまさか……、自分の誕生日を忘れてたんじゃないでしょうね……?」


 その〈まさか〉だった。

 そもそも、誕生日というイベントに浮かれるのは子供の頃だけで、年月を重ねる毎にあまり重要視しなくなる。

 運転免許の書き換えや、新たに行った病院で問診票を記入する時に、改めて自分も年を取っていたのかと認識するぐらいだ。


「まあ、あんまり執着し過ぎてる男ってのもどうかと思うけどさ」


 砂夜は苦笑いを浮かべながら、先に立って木製の扉に手をかけて開ける。


 店内には、カウンター席と小上がりの座敷。

 そして、店の一番奥を見ると階段もある。訊いてみたところ、どうやら二階は宴会用の大部屋として開放しているらしい。


 当然ながら、ふたりきりの俺達は二階には行かず、一階の座敷に席を取った。

 開店して日が浅いであろう店内は、埃ひとつ見当たらないほど清潔感に溢れている。


「宮崎って好き嫌いなかったよね?」


 お品書きを握り締めながら、砂夜が訊ねてきた。


「ああ、特に食えねえもんはないけど」


 俺の答えに、砂夜は、「よし!」と頷き、大声で店員を呼ぶと、お品書きを指差しながら注文していた。


 俺は口出しする気もなかったから、砂夜と女性店員のやり取りを眺めながら、熱いお茶をゆっくりと啜る。


 女性店員が去ってから、砂夜はお品書きを壁側に立てかけ、頬杖を突いて俺に向き直った。


「誕生日がクリスマスイヴって素敵だよね」


 そう言いながら、砂夜が眩しそうに俺を見つめる。


「誕生日としてはこれ以上に憶えやすい日はないと思うけど、それでも完全に忘れちゃうなんてねえ……。でも、宮崎らしいと言えば宮崎らしいよね」


「――悪かったな」


 憮然として俺が言うと、砂夜は困ったように眉根を寄せながら苦笑した。


「別に悪いなんて一言も言ってないじゃん。それにさっきも言ったけど、変なトコで執着心丸出しの男よりもサッパリしてて好感持てるし。

 宮崎は知らないだろうけど、実はあんた、女の子達に結構モテてんのよ? クールで落ち着きがあってカッコイイ、って。――まあ、実際は〈クールで落ち着いて〉るんじゃなくて、ただの〈天然ボケ〉なんだけどねえ」


 屈託なく笑う砂夜に、俺は怒る気にもなれなかった。


「それを言ったら、永瀬だっておんなじだぜ?」


 俺の言葉に、砂夜はいっぺんに笑いを引っ込めた。


「はあ? 私も一緒? あんたと? どこが?」


 唇を尖らせながら顔を突き付けてきた砂夜に、俺は笑いを噛み殺しながら続けた。


「美人だけど、飾らないし嫌味がないからいい、って、男共がお前のことを言ってたぜ。けど、〈飾らない〉ってのは、裏を返せば〈色気ゼロ〉ってことだしな。素の永瀬を知ったら、男共は相当幻滅すんだろうなあ……」


「ひっど! 宮崎のくせに、よくもそんな口を叩けたもんだわ」


 口ではこう言いながらも、砂夜は別段、心底腹を立てている様子はなさそうだ。

 「もう」と溜め息と同時に呟くと、口元を綻ばせた。

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