Act.2

 どれほど同じ姿勢でいただろうか。

 ふと、暗がりの中で、仄かに明かりが浮かんでいるのを感じた。


 俺は怪訝に思い、顔を上げる。と、そのまま瞠目してしまった。


 ベンチに座っているすぐ目の前で、ひとりの女が立っている。

 それだけならば別に驚きもしなかっただろう。

 問題は、その女の異常としか言いようのないファッションだった。


 ダウンジャケットを着込み、マフラーを巻いていても凍えそうなほど寒いのに、女の服装は見た目からしても寒々とした白いロング丈のワンピース一枚のみ、足元は、靴も履いていない全くの素足だった。


 ――こいつ何者だ……?


 俺に限らず、誰が見たってそう思うだろう。


 背中まで真っ直ぐに伸びたブロンドの髪に、深海を彷彿させる蒼い双眸。

 外見は申し分なしの美人だが、それでもやはり、〈妖しい女〉という認識はどうあっても拭い去れるものじゃない。


 女は表情ひとつ変えず、俺を見下ろしている。

 深い蒼にジッと見据えられると、こっちもいたたまれない。


 俺は女から視線を逸らした。

 女の双眸には、何もかもを透かし見てしまいそうな、そんな強い気が働いているような気がしたのだ。


「――はあ……」


 しばしの沈黙のあと、女から大仰な溜め息が漏れた。

 かと思ったら、「いつまでだんまりを続ける気だよ?」と、おおよそ女の外見からは想像も付かないほどの荒い語調で訊ねられた。


「こっちはせっかく、あんたに呼ばれたからわざわざ来てやったってのに……。私だってさ、年がら年中暇ってわけじゃないんだからね!」


 ――呼んだ? 俺が? この女を……?


 女の言っている意味が分からず、俺は眉間に皺を寄せながら首を捻った。

 そもそも、俺は人を呼んだ覚えがない。

 それ以前に、この辺りには俺以外は誰もいなかったはずだ。


「――あんた誰……?」


 まず、真っ先に浮かんだ疑問を投げかけた。


 女は先ほどまでのポーカーフェイスを崩し、俺と同様に眉をひそめる。

 そして、またしてもこっちが絶句してしまうようなことをサラリと告げてきた。


「私? 私は天使だよ。見て分かんない?」


 ――いや、分かんねえし……


 言葉には出さなかったが、心の中で即座に突っ込みを入れた。

 呆気に取られながら女を見つめていると、女はまた、盛大に溜め息を吐いた。


「――信じてないね?」


 信じる信じない以前の問題だろ、とは言えなかった。

 口を開こうとしたら、女に鋭い視線を向けられてしまったからだ。


 女には、口を噤ませてしまうほどの眼力が備わっている。

 天使よりも、むしろ、〈魔物〉と名乗られた方が納得出来る。


「私はれっきとした〈天使〉だよっ!」


 自称〈天使〉は、さらに眉を吊り上げ、声を荒らげた。もしかしてこの女、他人の心の中が読めるのか。


「人の心を透かし見るなんて朝飯前だよ! てか、〈魔物〉だなんてずいぶんな言い方じゃないか! こーんな麗しい容貌を持った魔物がどこにいるってんだいっ? ええっ?」


 今にも噛み付きそうに、女は俺に顔をギリギリまで近付けてくる。


 俺はベンチに腰かけたまま、それでも、何とか女から逃れようと仰け反った。


「――すいません……」


 ここはもう、謝るしかない。

 非常に不本意ではあるが、これ以上、女に詰め寄られては堪ったものではない。


 俺の謝罪に女は満足したのか、ようやく離れてくれた。

 だが、苦虫を噛み潰したような表情に変わりはない。


「とりあえず話を戻そうか」


 女は左手を腰に当てた姿勢で、わざとらしく咳払いをひとつした。


「あんたさっき、強く想ってただろ? 『もし、奇跡を起こしてくれるのなら、あの瞬間に戻してほしい』って。

 あの瞬間――つまり、昨年の今日だね? そいつの送り主が死んでしまう二時間前」


 女は淡々と語ると、俺の手に握られているジッポーに向けて顎をしゃくった。


 女の言葉に、俺はもう、いちいち驚くことはなくなった。

 天使だろうと魔物だろうと、とにかく、この女は俺の全てを見通している。

 現在だけではない、過去のことも全て。


「――俺が、あいつを殺した……」


 ジッポーに視線を落としながら、俺は今まで誰にも言えなかった本音を漏らした。



 時は、昨年の十二月二十四日に遡る――

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