第28話 Venus and Mars
私にとって渚は友達というより手の掛かる妹のような存在だった。憑神のように私の傍から離れない渚を疎ましく思ったことも一再ならずある。彼女が居なければ私はもっと自由な交友関係を築き、違った学生生活をおくれたと思う。
しかし、私はこの不自由な足かせを断ち切って自由になろうとしたことは一度もなかった。やればできたはずだ。きっと、私も渚を自分の一部と考えていたのだろう。左手が不自由だからといって、切断する気にはならない。それはきっと痛みと喪失感を伴うことだから……
もし世界中の人間が敵に回ったとしても、渚だけは私の傍にいるという確信があった。しかし、その渚が今敵に回り、私の命を奪おうとしている。たとえ宇宙人に使嗾されているにせよ、その事実は私をひどく混乱させる。渚の洗脳を解かないかぎり、残された選択肢はカルネアデスの板しかない。私が死ぬか、渚が死ぬかだ。
渚は右手に拳銃を持っていた。リボルバータイプの銃で、大きな木目調のグリップに黒くて長い銃身が付いていた。ハリー・キャラハン愛用のM29かもしれない。そうでないにしても女の手に余る無骨な銃だ。彼女はそれで化け物じみた射撃をやってのけた。一発も仕損じることなくヘッドショットを決めつづけた。そして多分、私も同じことをやれるのだろう。
私は階段を降りると、渚に対峙するように立った。身長は五センチほど渚が高い。彼女は左手でサングラスを外すと、ポケットにしまった。クロエの香りが鼻先をかすめた。
「七年間、このくそったれな世界で怜於奈を待ってた。どんなに退屈したかわかる? 気が狂いそうだったよ」
渚は私を詰った。理不尽な怒りだ。しかし、その理不尽さが如何にも渚らしくて私は笑いそうになった。
「計算違いをしたのはそっちでしょ。あんたに腹を刺されたのは四、五日前の話なんだけどね。ところで、私がここに来るってどうやって知ったの?」
私は彼女の銃から目を離さず言った。
「忘れたの? 私たちは一つなんだよ。ギュッて抱き合って生まれてきたの。だから怜於奈がどこに居たって、私にはわかるんだ。だって、怜於奈は私の一部なんだもん」
渚は唇の端に笑みをたたえていった。
以前なら吐き気を催すような病的な言葉が今は妙に説得力をもって私の胸に響く。
宇宙人たちは生命維持装置の故障により、ヒカルを地球に残さざるを得なかった。その際、彼らは偶々そこに居合わせた(今やそれすら疑わしくはあるのだが)少女三人にヒカルの生物としての情報を書き込んだ。ハードディスクにパーティションを切るように脳の一部に書き込んだのか、それとも私が知らない別の方法を用いたのかはわからない。いずれにせよ私と渚はバックアップとして同じ人格(ヒカル的に言えば排他的な情報ネットワーク)を体内に抱えて育ったのだ。
私は今まで、当の本人たちはその存在に気づかず暮らしてきたと思っていた。しかし、その考えを根本的に改める必要がある。私は無意識のうちにその領域にアクセスする方法を体得していたのではないだろうか。
その傍証のひとつが、こちらに来てからの私の身体の変化だ。寒冷化への耐性、聴覚、視覚の大幅な機能の向上、これらは宇宙人ヒカルの持っていた肉体を制御する情報なのだ。彼ら宇宙人は地球だけでなく、銀河系の星々を旅してきた。中には灼熱の惑星もあれば極寒の衛星もあったことだろう。彼らはその星に適応した生物の身体情報を保存していたのだ。場合によっては綾瀬ひかるにそうしたように肉体そのものを乗っ取ったこともあったに違いない。
しかし、そんな情報だけでゴルゴ13も青ざめるようなスナイプ能力を手に入れたり、エスキモーですら風邪を引く気温で眠っても平気な身体になれるものだろうか?
私はかつてヒカルが語ったことを思いだした。
「あのね、レオナ。人類というのは渋滞に巻き込まれたフェラーリーみたいなものなんだよ。性能をもてあましているんだ」、そして彼女はこうも続けた。
「まるでブラックボックスだ。彼らをデザインした者はいったいどんな最終形態を意図していたのかまるでわからない」
そのとき、私は人類の誕生にはダーウィンの進化論とは違う秘密が隠されているのだろう程度に聞いていたが、そこに重大なヒントが隠されていたのだ。
私の身体は新しいOSをインストールしたことで、バージョンアップされたのだ。
そして渚も同じことをやったのだ。いやそれだけではない。渚は私の情報ネットワークにアクセスする方法を知っているのではないだろうか。
そう考えると今までの疑問もすっきりする。渚は私がヒカルと付き合い始めたことをいち早く知っていた。それだけではない。彼女は寝室を私とヒカルが過ごした部屋と同じ青にした。最初は興信所でも使って私の素行を調べさせたのかと思ったが、私の経験や記憶にアクセスできるなら簡単な話だ。
渚にできることが私にできないはずはない。渚の情報領域にアクセスできるなら、洗脳を解くチャンスはある。なぜなら、そこに私を抹殺するプログラムが書き込まれているからだ。
少しだけ目の前が明るくなった。
「それで、私をまだ殺すつもりなの?」
「もちろん。だってそれが私の使命だもん」
渚は銃口を向けた。
だが撃つ気配はない。なんとなくわかった。そしてこのなんとなくが彼女にアクセスするキーなのだ。私は聴覚を研ぎ澄まし、渚の心音に自分のそれを重ねた。二つの心臓は同じリズムを刻み始める。背後で銃声が聞こえた。ニット帽がモヒカンとやり合っているのだろう。
「あの厳つい連中はお友達?」
「あんなのが友達なわけないじゃん。手下よ。退屈しのぎにあいつらを使ってあちこち荒らしまわってるの」
渚は吐き捨てるように言った。
「漆黒の悪魔だっけ? 退屈しのぎとか言いながら結構楽しんでたんじゃない? 男性恐怖症を克服できて良かったよ。それについては多少自責の念があったからね」
私はわざと煽るようなことを言った。
心理的に揺さぶることで起きる変化を見たかったのだ。
「うるさい!」
渚はヒステリックに喚いた。心臓が速いビートを刻みはじめる。
(来る!)
予感とも直感とも違う何かが私にそれを教えた。強いて言うなら啓示だろうか。
私は体の重心を左に移した。44マグナムが肩口に達する前に、雪の上を転がった。すかさず銃口を渚に向ける。
「いったい何をしたの?」
渚は目を剥いた。
「渚と同じ力を使っただけだよ。あんたの動きは手に取るようにわかる」
「うそよ! 怜於奈にそれはできないはず」
「いい加減目を覚ましな! いつまで宇宙人に踊らされてるんだよ」
私はたまらず渚を怒鳴りつけた。
「踊らされてなんかないもん!」
「踊らされてるじゃん! だから私を殺そうとしてるんでしょ。自覚がないのだろうけど、あんたは宇宙人にプログラムされてんだよ」
渚はしばらく私の目をのぞき込んでいたが、突然ケラケラと笑いだした。
「ほんとにそんなこと信じてるの? あのね。宇宙人なんかもう居ないんだよ」
「どういう意味?」
「私がみんな殺しちゃったんだもん」
彼女は頭がおかしくなってしまったのだろうか。
「知ってる? あいつらってこれくらいの大きさの薄いチップなの」
渚は小指の先を突き出した。
「笑っちゃうでしょ。それがごたいそうなガラスケースに入ってたんだ。だからケースごと踏みつぶしてやったわ」
私はしばらくの間、いうべき言葉を見つけられなかった。
「じゃあ誰が私や渚の身体にヒカルの記憶を埋め込んだの? その小さなチップがやったとでも言うのかしら?」
「あのロボットがやったのよ。あれ手足が引っ込んで宇宙船にもなるんだよ」
「ロボット?」
「え! 忘れたの? 鉢伏山でみたやつよ。私と玲於奈はあれを追いかけて宇宙人に捕まったんだよ。それと綾瀬ひかるもね」
「それでそのロボットは?」
「所詮は探査用のロボットだからね。ぶっ壊して谷底に落としておいたわ」
私は震える声で訊いた。
「それじゃなぜ私を殺そうとしているの?」
「私の意思」
渚はそう言うと、拳銃を捨てナイフを握った。
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