第27話 99 Luftballons
1
銃声は外からだった。私は窓に近寄り、下を見た。
トラックの中を人々が鬼ごっこのように駆けずり回っているのが見えた。パニックに陥っているのは間違いないのだが、状況がつかめない。
さらに銃声がした。今度は一発や二発ではない。パンパンパーンと激しく撃ち合う音だ。競技場の外に繋がるゲート付近でバタバタと人が倒れた。
(襲撃だ)
何者かがこのマーケットを襲っている。
アリサの兵士たちがゲート付近に集結し、応戦を開始したが、凄腕のスナイパーがいるのか一方的に倒されていく。しかも皆、正確に頭を撃ち抜かれていた。
十人ほどいた兵士たちはたちまち壊滅し、ゲートの攻防戦は数分で終了した。
モヒカン頭に皮のベスト、マッドマックスを地でいく連中がスノーモービルに跨がり、競技場の中に侵入してきた。
私はソファに戻ると、値札も取らずにパンツを履き、ジーンズに足を突っ込んだ。
すぐにここを離れるのが賢明な選択だ。
缶詰をコートのポケットに押し込めるだけ押し込んだ。
ライフルの残弾は九発、これじゃとても足りない。ここに来る道中、気晴らしに何発か試し撃ちしたことが悔やまれる。弾薬の在庫がどこかにありそうだが、探しているヒマなんてない。
他に失敬できるものはないかと物色していると。エレベーターの到着を告げるチャイムが鳴った。
私はあわててバーカウンターの影に隠れ、引き金に手を掛けたままエレベーターの扉を注視した。
出てきたのはアリサとニット帽を被った若い男だった。アリサはニット帽の肩に寄りかかっていた。大腿部のあたりが真っ赤に染まっている。
「奴らは何者?」
私はカウンターの影から立ち上がった。
ニット帽が反射的に銃を向けたが、アリサがそれを止めた。
「レイダーと呼ばれている、ならず者の集団よ」
彼女は苦痛に顔を歪めた。
「自慢の軍隊も壊滅したようね」
「バカみたいに強い女がいるんだ。あんたも早く逃げた方がいい」と、アリサは言った。
(渚かもしれない)
だが、確証はない。
「逃げ道はある?」
私は尋ねた。
「この部屋の反対側に非常階段がある。それを降りたら、地下鉄の入り口がすぐに見えるはずだ。地下に入れば奴らをまける」
ニット帽が言った。
新宿の地下迷宮が健在なら逃走できるかもしれない。問題はそこにたどり着けるかどうかだ。敵はすでに本丸まで押し寄せているはずだ。
「わかったわ。それじゃ幸運を祈っている」
私は二人に背を向けた。
「待ってくれ」
ニット帽が止めた。
「アリサも連れて行ってくれないか?」
「無理よ。その足じゃすぐに追いつかれる」
「俺がここで奴らを足止めして、時間を稼ぐ」
ニット帽は懇願した。
彼は頼む相手を間違えている。私はブルース・ウィルスでもスティーブン・セガールでもないのだ。負傷した身長180もある女を連れて逃げられるほどタフでも親切でもない。
「いいよ。私はここに残る。あんたひとりを死なせはしない。死ぬなら一緒だよ」
アリサが男に言った。
「お前を死なせたらあの世の仲間たちに顔向けができねぇよ」
ニット帽は強情に言い張った。
雰囲気からして、この男はアリサに惚れているようだ。まだ16か17くらいだろう。テオよりすこし上くらいか。なかなか可愛い顔立ちをしている。ガチレズの女に惚れたところでどうなるものでもないのに、まったくこの世界のガキどもはどうしようもないくらい純情だ。
「あんたが時間稼ぎしたところで1分ももたないよ。行けるところまで三人で行こう。ただし、足手まといになったら容赦なく置いていくから」
私は言い捨てると、奥のドアに向かった。
2
ほこりと蜘蛛の巣だらけの廊下を突き当たりまで進むと非常口があった。錆びついた鉄の扉を押し開けて踊り場に出ると、強い風が吹き込んできた。吹きさらしの螺旋階段が下まで続いている。さすがに年季が入っているだけあって、塗装が剥げ落ち下地がむきだしになっていた。耳がちぎれるほど冷たい風が吹き抜ける中、私は階段を降りた。
眼下には雪に覆われた駐車場が見える。ランドクルーザーが一台と黒と白の軽四が停まっていた。あれが最後に動いたのはいつだろう。車体の半分以上は雪に埋まっていた。
道路を挟んだ向こうにニット帽が言ってた地下への降り口があった。見渡した限り人影はない。だが油断は禁物だ。相手には凄腕のスナイパーがいるのだ。私は競技場でアリサの兵士たちが次々と頭を吹き飛ばされる光景を思いだした。リー・ハーヴェイ・オズワルドですらケネディの頭を打ち抜くのに三発を要したが、奴はすべて一発で仕留めていた。
直接姿を見ていないが、もしあれが渚なら襲撃の目的は考えるまでもない。
「さっき言ってたバカみたいに強い女ってどんな奴なの? たとえば外見の特徴とか」
私は周囲に注意を払いながら尋ねた。
「黒髪のセミロングで、細身の女だったわ」
アリサが言った。
彼女は手すりにしがみつき、苦痛に顔を歪めながら一歩ずつ階段に足を落としていた。
「歳は?」
「二十歳くらいだったと思う。そういえば黒いスーツを着ていた。とても仕立てが良くて上等の生地であつらえたスーツ。それにカシミアのコートを羽織っていた。あんなのいったいどこで手に入れたんだろう」
駅で会った渚の特徴と一致する。ひょっとしたら人違いではないかという期待も外れた。
「心当たりがあるの?」と、アリサが探りを入れてきた。
「さあ、どうかな」
私はとぼけた。さすがにあんたらは巻き添えを食らっただけで、狙いは私だなんて言えるわけがない。
「西の方に旅したとき、あの女の噂を聞いたことがある」
ニット帽が言った。
「漆黒の悪魔、たしかそう呼ばれていたはずだ。四、五年前から軍団を率いてあちこちのマーケットを荒らしているらしい」
「漆黒の悪魔⁈」
吹き出しそうになった。漆黒の悪魔なんてダサい通り名を付けられていると知ったら渚はどんな顔をするだろうか。いやすでに知ってるのかもしれないが……
テオの話では渚が現れたのは七年前だ。それからずっとこの世界に留まり私を待っていたことになる。モヒカンどもを率いて山賊まがいのことをしているのは退屈しのぎだろう。渚は退屈が大嫌いなのだ。
そして彼女は私が来たことを知った。どうやって知ったのかはわからない。猟犬のように鼻を効かせたのか、猛禽類のような目で見張っていたのかもしれない。いずれにせよあの子との再会はもう避けられないのだろう。私は覚悟を決めた。
最後のステップに足を下ろしたとき、異変が起きた。
さっきまで耳元で鳴っていた風の音が突然止み、水の中に潜っているような静寂に包まれた。一瞬聴覚が遮断されたような気がしたが、そうではなかった。
私は無意識のうちに音を選別していたのだ。自分にとって脅威になる音と、そうでない音を。
フィルターに靴底が雪を蹴る音が引っかかった。それと連動するよう私の目が反応する。
視界がスコープを覗いているように絞られ音の出所に照準を合わせた。いきなりサーモグラフィのような画面に切り替わり、ランクルの後ろにオレンジ色の人形を捉えた。
次の瞬間、モヒカンが車の陰から飛び出してきた。スローモーションのような彼の動きにライフルの狙いを合わせる。軽く引き金を引くと、男の頭が吹っ飛んだ。
私にとって初めての殺人だ。とうとうやっちまった感はあったが、殺らなければ殺られるという状況が罪悪感を帳消しにした。いや、それより自分がターミネーターに変身してしまった驚きと戸惑いが上回ったというべきか。
「あんたスゲぇよ。たった一発でヘッドショット決めるなんて」
ニット帽が感嘆の声を上げた。
「ぼさっとするな! 後ろだ」
私は怒鳴った。
ニット帽は振り返って、階段を見上げた。モヒカンが一匹、非常口から顔をのぞかせていた。
「死ねや!」
ニット帽は銃を乱射した。一発も当たらなかったが、背後を牽制できればそれで良かった。
私は建物の左の陰から迫ってくる敵に集中した。
――いよいよだ。
ゴクリと生唾を飲み込んで私はその瞬間を待った。
黒いミニのスカートスーツに赤いヒール。カシミアのコートは羽織っていなかったが、渚はレイバンのサングラスを掛けていた。手入れの行き届いた髪と形の良いお尻を揺らしながらゆっくりとこちらに歩いてくる。私の前まで来ると、腰に手を当ててモデル立ちした。
「久しぶりね、すごく逢いたかったよ」
真っ赤なルージュが腹立たしいほど似合っていた。
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