第23話 Change the world


 私はテオに促されて洞窟に戻った。焚き火の端に座り、ぼんやりと揺れる炎を見つめていた。

 次の一手を指す前に盤面の状況をよく確認しておく必要がある。

 テオの話ではここら一帯はかつてトウキョウと呼ばれていたらしい。それが私の知っている東京のなれの果てかどうかはわからない。スカイツリーの残骸でもあれば話は早いのだが、あいにく外は一面の雪の原だ。東京を思わせるものなど何もなかった。

 しかし、テオもバルガも日本語を話す。多少、イントネーションがおかしなところもあるが、日本語なのは間違いない。顔立ちだって証明不要なほど日本人だ。

 彼らが日本人の末裔であるなら、私は未来の日本にたどりついたことになる。それ自体は大した驚きではなかった。ヒカルに出会う前ならともかく、今さらタイムスリップ程度では動じないくらい私は奇怪なできごとに慣らされていた。しかし、文明が跡形もなくなるほどの未来とは何年先なのだろう。そもそも何がどうしてこうなってしまったのだろう。

 私はこの先どこへ向かうべきなのか。

 

「朝になればちょっと遠出することになる。」

 バルガが言った。

 彼は陶器製の瓶に入った強い香りのする酒を飲んでいた。こんな世紀末のような時代ですら酒というものはなくならないらしい。

「遠出っていったいどこに行くわけ?」

「町だよ」

 バルガは脇の下をボリボリと掻きながら言った。

「町なんてあるんだ。ここが一番の繁華街じゃなくて安心したわ。それで何しに行くわけ?」

「毛皮を売りに行く。それから冬を越すのに必要なものを買わなければならない」

「冬が来る? 今は冬じゃないの?」

「まだ冬の入り口ってとこだ。でもじきに来る。そうなれば狩りにも出られない。冬の間はここで寝て暮らすことになる。飢え死にしないだけの食い物がいる」

 私が見た外の景色はもう十分に立派な冬だったが、あれよりひどいの来るとなれば冬眠するしかあるまい。

 私は洞窟の中を改めて見回した。

 木製の棚には鍋や食器が並んでいた。壁際にはスコップやツルハシが立て掛けてあり、その隣には竹製の葛籠が積み上げられていた。浮き上がった上蓋から茶色い毛皮が詰まっているのがのぞいて見えた。

 たしかにこれで冬を越すとなると心許ない。熊だって冬眠の前にはもう少しましな準備をしているはずだ。


「だったら、ちゃんとした服を買ってきてよ。お下がりじゃない新品の服をね」

 この男のシャツを着てこの先過ごすなんてあり得ないことだ。

「その必要はない。お前も一緒に行くのさ」

 バルガは意味ありげに笑った。

「まあいいわ、ここに居たって退屈するだけだし。それで町は遠いの?」

「お前を連れてなら、たっぷり二日はかかるだだろうな」

「いやよ。こんな雪の中を二日も歩くなんて、ぜったい無理」

 私はきっぱりと拒絶した。

「そういうわけにはいかないんだよ。売り物の中にはお前も入っているからな」

「意味がわからないんだけど?」

「町の淫売宿にお前を売る。きっと高く売れるぞ。お前みたいに色が白くて滑らかな肌をした女はめったにいないからな」

 バルガはそう言うと、舐めるように私を見た。

「あんたもグルだったの?」

 私はテオをにらみつけた。

「知りません。今初めて聞きました」

 彼は例の澄みきった目で私を見返した。

「こいつはお前のためでもあるんだぜ。お前がどこの誰かは知らんが、帰るあてはないんだろ? こっちもお前にただ飯を食わせてやる余裕も義理もない。お前くらいの上玉なら町一番の娼館で働ける。そうなりゃ寝床と食い物の心配はなくなる」

「お断りよ。なんで私が娼婦にならないといけないのよ」

「だったらここに置いておくわけにはいかないぞ」

「こちらから願いさげだわ」

 私は出口に向かった。

 ヒカルがいないとわかったからにはこんなところに長居すべきではなかったんだ。町があるというのなら、そこに行けば良いだけだ。

「何もわかっちゃいないようだな。お前みたいな若い娘がひとりで生きていけるほどここは甘いところじゃない。淫売宿で足を開いてりゃおまんまが食えるならありがたく思わなきゃな」

 なおもバルガは背中で言いつのった。


「待ってください。今外に出るのは危険です」

 テオが追いかけてきて私の腕つかんだ。

「離してよ! 私ひとりで町に行く」

「無理ですよ。場所だってわからないんでしょ? すぐに凍え死んでしまいますよ。それに夜は雪狼だって徘徊しています」

「いいのよ。娼婦になんかにされるくらいなら、その雪狼の餌になったほうがましよ」

「だいじょうぶ。僕がそんなことは絶対にさせません」

 テオは私の両肩をしっかりと抱きしめた。

 すっと通った鼻筋に切れ長の目、その顔立ちはどことなくヒカルを思い出させる。

「ほんとに?」

「約束します」

 テオは強く肯くと、バルガの方を振り返った。

「聞いたとおりだ。この人には指一本触れさせない」

「おいおい、本気なのか? 食い物だって底をつきかけているんだ。手持ちの皮を売っても冬を越す準備にはほど遠いんたぜ。それなのに俺たちはもう十日も鹿を見かけていない。この女を売らなきゃ俺もお前も飢え死にだ」

「そうだとしてもこの人には関係のないことだ。もう話は終わりだ。バルガ」

 有無を言わせないテオの迫力にバルガは舌打ちすると、飼い主に叱られたセントバーナードみたいに私が寝ていた穴蔵に引っ込んだ。


「すごいわね。あんな大男を撃退するなんて」

 テオはあわてて体を離した。

「すいません。バルガも悪い奴じゃないんです。冬を前にして、あいつも焦っているんです」

「いい奴かどうかはわからないけど、わかりやすい男ではあるわね。まあ君がそう言うなら信じるわ」

「ありがとうございます。それよりお腹が減っているでしょ」


 グツグツ煮立っている鍋からシチューのようなものを碗に取ると、テオは私に手渡した。

 一匙すくって口に運んでみた。まずい、というかほとんど味付けがしていない。ボロボロに煮崩れた具をスプーンの先でほぐし少しだけ食べて、その臭いに碗を置いた。シチューというより、泥水の中に浮いた段ボールといったところか。とても食べられる代物ではなかった。


「口に合いませんか?」

 テオが不安げに訊ねた。

「食糧危機の最中、申し訳ないんだけど……ちょっと私には無理みたい」

 テオは哀しげに目を伏せたが、名案を思いついたようにすぐに顔を上げた。壁際の麻袋に手を突っ込むと、赤い実を取り出した。

「これなら食べられますか?」

 リンゴだ。少し小ぶりだが紛れもないリンゴだ。

 一口囓ってみた。強い酸味の中にほのかな甘味があった。貪るように芯まで食べてしまった。

 置かれた状況の奇妙さに空腹であることすら忘れていた。私は麻袋に手を突っ込むとリンゴをもう一つ取った。


「君が栽培したの?」

「雪原を歩いていると、ごくたまに実を付けた木があって、それを収穫してお酒を造るんです」

 リンゴの酒と言えばシードルかカルヴァドスあたりだろうか。

「よければ一杯ごちそうしてくれるかしら?」

「ええ、もちろん」

 テオは木製のワイングラスになみなみと黄金色の酒を注いでくれた。

 白木を彫ったみごとな出来栄えのグラスだ。手彫りでここまで完璧な曲線を描くのは神業といって良い。元の世界に戻れるなら持ち帰りたい一品だ。

 私は甘い香りを楽しんだあと、一口含んでみた。思ったより強い酒だ。セット料金で飲める安物のブランデーとは違って深い味わいがある。


「美味しいわ」

 私が言うと、テオは不自然に目を逸らした。頬が赤く染まっている。

 先ほどから私の胸元が気になって仕方ないようだった。そういう視線は嫌いじゃない。

 それにこの子は当面、味方に付けておかなければならない。次の一手が決まるまではこんな洞窟とはいえアジトが必要なのだ。

 お金であれなんであれ男から何かを引き出すにはこの胸は重宝する。私よりイケてる女に成長した渚も胸だけは残念なままだった。

 強いお酒のせいですぐにキャバ嬢モードに入れた。


「ところで君とバルガはどういう関係なの?」

「バルガは僕の叔父です」

「さっきの様子では君に頭が上がらないように見えたから、少し意外だわ」

「それは僕が一族の長だからです」

「そうなんだ。これはこれはお見それしました。族長さま」

 おどけてみせたが、テオは表情を硬くしただけだった。どうやら外したらしい。

 ハゲオヤジを手玉に取るのと違って、この年頃は扱いが難しい。欲望がギラギラしているわりには妙に自尊心が高いからだ。こちらの些細なからかいにすぐ傷つく。相手にするにはスマホの画面にフィルムを貼る慎重さが必要なのだ。焦りは禁物だ。

 私は一呼吸を置くために、グラスを口に運んだ。


「僕が族長なのは父がそうだったからです。それに一族はもう僕とバルガしか残っていません」

 テオが言った。

「お父様は亡くなったの?」

 彼は小さく肯いた。

「父が生きていた頃、この辺りは鹿が豊富でした。商人たちが皮を買いつけに遠くから訪れました。服や食料、珍しい菓子を携えてね。そりゃにぎやかなものでしたよ。このグラスもその頃に買ったものです」

 テオは空になった白木のワイングラスに酒を注いだ。

「それがどうして飢え死寸前なる事態にまで追い込まれたわけ?」

「父がいなくなると流しハンターたちが鹿を乱獲しはじめたんです」

「つまりお父様がいらっしゃった頃にはそういった連中に睨みを効かせていたわけね」

「父は強い男でした。密猟者を捕まえたら、容赦なく首を刎ねて、木に吊しました。でも、今はもうやられ放題です。僕にはそれを止める力はない。鹿だってすっかり減ってしまった。暮らしも立ちゆかなくなり、一族の者も一人減り、二人減り、今では僕とバルガだけになってしまいました」

 テオは肩を落とした。

 強いリーダーを失った群の末路、ありがちな話だ。


「どうして君とバルガは洞窟を出ないの?」

「復讐のためです。父は殺されたんです」

 話がどうもきな臭くなってきた。

「僕が七歳の時でした。そうちょうど冬を前にした今頃の時分かな。女がたった一人でここにやって来たんです」

 テオは苦いものを飲み干すように表情を歪めた。

「そいつは人を探していました。父がそんな人間はここにはいないと言うと、女は父を殺しました。あっけないくらい簡単にね。それから一族の若い男たちが次々と殺されました。あんなに大勢いたのに女に傷一つつけることはできなかった」

 ダークサイドに落ちたワンダーウーマンなんだろうか。いくらなんでも強すぎる。

「むごい話ね。でも人を探しに来て、人を殺すなんて、ちょっと妙じゃない?」

「女はお前たちみたいな虫けらは生きてる価値はないとわめき散らしていました」

 なるほどサイコパスというわけか。ご愁傷様というよりほかにない。

「さっき復讐と言ったよね? ここに留まっていればその女が舞い戻ってくる確証でもあるのかしら?」

「その女が言ったんです。『少し来るのが早かったようね』と」

 テオはそこで口をつぐんだ。

 嫌な汗が脇の下に滲むのを感じた。


「それから? その他に何か言った?」

 テオはコクリと肯いた。

「でもレオナは必ずここに現れるはずだ、女はそう言いました」

 額をいきなり指で弾かれた気がした。

 渚だ、間違いない。あの子は死んでいなかったんだ。

 そして今も私を殺そうとつけ狙っている。


 空白の間に起こった出来事がおぼろげながら輪郭を帯びはじめた。

 私をタイムスリップさせたのはヒカルだ。そうしなければ宇宙人の追跡をかわせなかったのだろう。地球のどこにも安全な場所なんてあるわけない。だから彼女は私を違う時空に送り込んだのだ。

 しかし、渚は追ってきた。少し計算は狂ったようだがすでにこの世界で網をはっている。

 どうやらここも蜜と乳の流れる安住の地ではないらしい。


「ひとつ聞いていいですか?」

 テオが言った。

「なに?」

「あなたの名前です」

「レオナよ。浅香レオナ。二十一世紀の日本からやって来たの」



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