第22話 Wake Up Everybody

 私は目覚めた。

 頭は石のように重く、手足は死体のように冷たかった。ひょっとしたら私は死んでいるのかもしれない。一瞬そんな考えが脳裏を横切った。しかし、心臓は規則正しく鼓動を打っている。

  死んでいないのなら、いったいここはどこなんだろう? 

 海底のように暗く、冷凍庫の中のように寒い。しかも私はブカブカの木綿のシャツ一枚で地べたに寝転がっていた。適当に布を縫い合わせたような荒っぽい仕立てのシャツだ。それにひどい臭いがする。

 

 体をゆっくりと起こしてみた。

 クソいまいましい渚に刺された腹がズキンと痛んだ。

 よくもまあ親友で幼なじみをあんなふうにめった刺しにできたもんだ。宇宙人に操られていたにせよあんまりだ。きっとあの残酷な殺し方は渚の趣向に違いない。 

 あの子にはそういうところがあるのだ。道ばたでみつけたイモリを無慈悲に踏みつけて殺したことだってある。

 私がそれを窘めると、「不快なものは私の視界に入るべきじゃないのよ」、渚はそう言った。今の私は彼女の視界に入るべき存在ではないのだろう。


 腹の辺りをさぐってみると、傷口は嘘みたいに癒えていた。跡が残っていなければ良いのだが、暗くて確かめられなかった。

 とにかく私は生きている。こんな芸当が可能なのはひとりしかいない。

 かすれていく意識の端でヒカルが渚を銃で撃つのをみた。そこで私の意識はシヤットダウンしたが、ヒカルが私をどこかに運び治療してくれたのだ。

 きっとヒカルはそこらにいるはずだ。私は生まれたての仔馬みたいによろけながら立ち上がった。


 微かな明かるさを頼りに見まわすと、六畳ほどのスペースをゴツゴツした岩が取り囲んでいた。猛獣の牙のような乳白色の鍾乳石が天井から垂れ下がっている。

 私は洞窟にいるのだ。

 宇宙人のやることなど私の考えが及ぶところではないが、なぜ洞窟なのだろう。もう少しましな隠れ家はなかったのだろうか。それともこんな場所に潜まなければならないほど私たちは追い詰められているのだろうか。


 一方の壁の下側に穴があいていた。微かな明かりはそこから漏れていた。私は這いながらその中を進んだ。二メートルほど行くと出口が見えた。出口の向こうも洞窟らしい。

 男が二人焚き火を囲んでいた。掛かった鍋から碗になにかをしきりによそっている。

 異様な風体といっていい。

彼らの髪は寝起のベートヴェンみたいにとぐろを巻いていた。生まれてから一度も髪を切ったことも洗ったこともないようにみえた。

 ファッション? それなら最低のセンスだ。

 一人は赤毛でがっしりとし体格をしている。ヘヴィメタバンドのベーシストみたいな逞しい腕を革のベストからむき出しにして、碗の中のものをかきこんでいた。

 もう一人は黒髪の小柄で華奢な男だった。私と同じ仕立てのシャツを着ている。男というより、その横顔にまだ幼さが残る少年だった。

 どういう連中なのか見当も付かない。クロマニヨン人の夕食に出くわした気分だ。

 できればかかわりたくないが、ヒカルの仲間かもしれない。逡巡しているうちに赤毛のほうと目が合った。


「お目覚めかな。お嬢さん」

 赤毛が黄色い乱杭歯をみせて笑いかけた。

 歯を磨く習慣も持ち合わせていないのだろう。口臭がここまで漂ってきそうで、私は顔をしかめた。

「あんたらは誰なの?」

「俺はバルガ、こっちがテオだ」

 ニックネームなのだろうか。まあこいつらの名前なんかどうでもいい。

 私は穴から這い出して、彼らの前に立った。

 テオが目を伏せた。

 大きめのシャツがなんとか膝上まで覆っているとはいえ、裸に近いかっこうだ。少年には刺激が強すぎたかもしれない。


「ヒカルはどこ?」

 男たちは質問の意味を解しかねたように顔を見合わせた。

「ここに居るのは俺たちだけだ」

 バルガと名乗った男が言った。

「私をここに運んだ女がいたはずよ」

「お前をここには連れてきたのは俺たちだぜ」

「ウソよ」

「おいおい、いきなり嘘つきよばわりかよ。このテオが倒れているお前を見つけたのさ。俺はよせと言ったんだがな」


 とぼけているようには見えない。 

 彼らが言ってることが事実ならヒカルはどこにいるのだろう。何らかの事情が生じて、ヒカルは私を放置せざるを得なかったのかも知れない。宇宙人が追ってきた可能性だってある。

 とにかく新幹線のホームから洞窟までの空白を埋めるミッシングリングを見つける必要がある。

 誰かに連絡を取ることだ。さしあたっては森島碧か夢乃だろう。


「わかったわ。それじゃ私の服と持ち物を返してもらえるかしら?」

「覚えてないのか? お前は裸で倒れていたんだ。そのシャツだって俺のものなんだぜ」

「裸だって? そんなはずないわ」

「ほんとうです。あなたは何一つ身につけず倒れていたんです」

 それまで黙っていたテオが言った。その目は夏の朝のように明瞭で、これ以上疑いの言葉を差し挟む余地はなかった。


「何度も疑ってごめんなさい。もしよかったら携帯を貸してもらえるかしら?」

 テオは初めて聞く言葉のように肩をすくめた。

 ひょっとすると、彼らはほんとうにアルタミラ洞窟の住人なのかもしれない。


「いったいあなたたちは何者なの?」

「俺たちは猟師だ。ここらで鹿を狩っている」

 バルガが言った。

 めまいがしそうだ。

「外に出るのはどっち?」

 テオが黙って指差した。


 私は洞窟の入り口に足早で向かった。 

 教室の廊下ほどの幅の急な勾配を駆け上がると、強い冷気が差し込んできた。凍った地面に足を取られて盛大に転んだ。痛みを感じている余裕などない。

 私はふたたび地面にとりつくと、ヤモリのようなすばやさで出口まで這い上がった。

 そこには雪のカーテンが降りていた。

 ビルも電信柱も道路もなかった。あるのは果てしなく広がる雪原と満天の星だけだ。


「今は外に出ない方がいいですよ」

 いつのまにかテオが後ろに来ていた。

「ここはどこなの?」

 すこし震える声で私は訊いた。

「トウキョウです」

「そうはぜんぜん見えないけど」

「そうですか。僕もここをそう呼んだ人をひとりしか知りません」

「だれ?」

「祖父です」


 風が地上の雪を煙のように舞い上げ目の前を通り過ぎていくのを私はだまって見つめていた。

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