第21話 Stairway to Heaven

 バックアップ、その言葉は妙に生々しく私の耳に響いた。自分の今までの人生を全否定された気分だ。

 宇宙人たちは私をハードディスクに見立てて、パーティーションを切り、違うフォーマットでヒカルの情報を書き込んだ。私というオペレーションシステムではその情報にアクセスすることはおろか、認識すらできなかった。私は自分の中にある秘密のドライブに気づくこともなく十年間を過ごしたわけだ。

 しかし、気づいていた者も居た。私たちの母親だ。彼女たちは秘密のドライブに触ることも、どんなものかも知らなかったが、存在には気づいた。自分のコピーであるはずの娘が別の何かに書き換えられている、彼女たちの母性はそれを見逃さなかった。

 母がいつも私に向けていた困惑したような視線を、私は自分のエキセントリックな性格のせいだと思っていたが、違ったのだ。母には私の中にある別物がちゃんと見えていたのだ。私の母だけではない。渚の母も綾瀬ひかるの母も違和感を抱き、それを恐れ、忌み嫌い、遠ざけた。


 宇宙人は自分たちの痕跡を巧妙には偽装したつもりだが完璧ではなかった。彼らは母性というプリミティブな本能を見落としていた。彼ら種族は進化の早い段階で出産することを捨てた。高度に発達した遺伝子工学は人間を情報の集積体に還元し、我々地球人とはまるで違う個の概念を持つ社会を作りあげた。親兄弟といった血の繋がりは意味を持たなくなり、死や老いは超越され、性差は消えた。彼らにとって肉体は単なる情報の器であり、我々が携帯電話を変えるような安易さで交換できるパーツとなった。

 しかし、いくら情報の層を細かく取ったところで生物が生得的に持っている第六感のようなものまですくい取ることはできない。こぼれ落ちたものは他にもあったのだろう。容姿や声の質、匂い、他人と自分を識別する生物としてのしがらみまでは彼らのテクノロジーでも拾いあげることはできなかった。そう言う意味では彼らはもはや生物ですらなかった。排他的な情報の連鎖だけが、彼らのアイデンティティを保証していた。

 

 いずれにせよ、私はもう用済みらしい。バックアップは本体が回収された時点で破棄される。放っておいても寿命がくれば消滅するのだが、宇宙人的にはそういうわけにはいかないらしい。


「私たちがお役御免なのはわかったけど、ヒカルはどうやって私を守るつもりなの?」

「すぐに東京に帰りなさい」と森島は言った。

「東京ならば安全なの? 相手は銀河を越えてきた宇宙人なのよ。東京ごと廃墟にすることだって可能なんじゃない?」

 私は思わず笑ってしまった。

「宇宙人と言っても万能というわけではないのよ。しかも、彼らは調査船のクルーなのであって、彼らの母星の軍隊じゃないの。肉体がなければ地上で行動できないし、あなたに物理的な攻撃を加えることもできない。やれるのはせいぜいさっきのような幻覚を見せて、精神的なダメージを与えるだけ。それすら宇宙船の付近に限られている。だから彼らは綾瀬さんにあなたと深町さんを始末することを命じた」

 あの蛇女も宇宙人どもが作り出した幻覚というわけか。そうとわかればあんなしょっぱい攻撃にびびっていた自分が情けなくなる。

「ヒカルは仲間から身を隠しているの?」

「そうよ。現時点では彼女の協力なしでは彼らもこれ以上のことはあなたにできない」

 ヒカルと鉢伏山に行ったとき、私は殺されることを覚悟していた。しかし、彼女はそうしなかった。そして誰にもそんなことをさせないと言った。彼女はあの時、仲間を裏切る覚悟を決めたのだ。

「現時点ということは、この先連中が私を直接、攻撃する手段を手にするということ?」

「残念ながら、彼らがもうすぐそれを手に入れる可能性が高いと綾瀬さんは考えている。だから私に協力を依頼した。でも今できることはあなたをこの土地から遠ざけておくことしかない」

「一つわからないのは、なぜ宇宙人たちはそこまで私の存在を気にするの? 私が宇宙人のことを知っているから? それなら先生だって同じだし、だいたいそんなことを人に話したところで電波扱いされるだけじゃない」

「彼らが恐れているのはあなたの中にある宇宙人ヒカルの情報ネットワークを通じて、彼らの知識やテクノロジーが漏洩することなのよ」

森島は息をつめるよう言った。

「そんなの杞憂に過ぎない。私の中にあるというだけで、どうすることもできないものなのよ」


 森島は机の上のタブレットを取ると、私に手渡した。開かれていたのは店のホームページにリンクされている私の日記だ。


「あなた、そこにプログラムをアップしたでしょ」と森島は言った。

 プログラミングの勉強をしていると日記に書いたら、コメントで証拠を見せろと煽られて思いつきで書いた記憶がある。私はそれを探して開いてみた。書いてから二三日はなんの反応もなかったのに、百以上のコメントが付いている。慌てて私は目を通してみた。


――これって構文解析のプログラムだよね? まったく未知の言語で書かれているようだけど、レオナちゃんはこれ一人で考えたの?

――レオナちゃんと一緒でとても美しいプログラム。意味はわからないけど……

――最初はデタラメに思えたが、何度も見直しているうちにある種の整合性が見えてくる。

――某大手掲示板から来ました。これ既知の言語で書かれたプログラムじゃないよね? よかったら解説希望。

——含まれている数式はどこから導いたの?



「驚いた。自分でもまったく無意識で書いたの。今、見直してみると全然理解できないプログラムだわ。どこからこんなものをひねり出したんだろう」

「それはあなたの中にある宇宙人綾瀬ヒカルの情報を利用して書かれているのよ。もちろんできるだけ地球人に理解できる形式には翻訳されているけれど、それが意味することを理解するのは今の地球の知識では不可能」

「そんな馬鹿な……自分がバックアップだなんて今知ったばかりなのに、どうやってそんなものを利用できるって言うの?」

 私の言葉に森島はため息を漏らした。

「綾瀬さんがどうしてあなたの前から姿を消したのかわかる?」

「それは夢乃に脅されたから……」

「違うわ。彼女にとってあなたと離れることは身を切られるほどつらい決断だった。それでも彼女が一緒にいるべきではないと決心したのはあなたが覚醒することを恐れたのよ」

「覚醒? いったいどういう意味?」

「あなたの中にある宇宙人ヒカルの情報ネットワークは圧縮された情報として保存されていたのよ。宇宙人たちは綾瀬ひかるにもしものことがあった場合はそれを復元して、回収する予定だった。しかし、あなたと綾瀬さんが接近し、愛し合うことで復元が始まった。しかもそれは同期という形でね」

「それの何が危険なの? 私が無意識のうちに彼らの知識を垂れ流すこと?」

「それもあるわね。あなたが何の気なしに書いたプログラムに注意を向ける者が出始めている。今はネットの片隅の噂話に過ぎないけど、人類というのは不思議な生物でね、一度誰かが線を踏み越えたら、必ず後に続く者が現れるの。人間はそうやって進歩してきた。でも、綾瀬さんがほんとうに心配しているのはあなた自身のことなのよ」

「私自身のこと?」

「このまま同期が進めば、あなたは完全な綾瀬ヒカルのコピーになってしまう。肥大化した情報は浅香玲於奈という人格を押しつぶしてしまうのよ。綾瀬さんはあなたが消滅してしまうことを何より恐れていた」

 皮肉な運命に愕然とした。いや悲劇と言い換えても良い。二台のハードディスクは愛というUSBケーブルで繋がり同期を開始した。それは宇宙人ヒカルの情報だけでなく、彼女が地球で体験したことすべても含まれる。出来上がるのは二人の綾瀬ヒカル、つまりそれは私という人間の死を意味するのだ。

「心配しないで。綾瀬さんは諦めていない。あなたと一緒に暮らせる方法を模索している。彼女はどんなことがあってもあなたを手放さない覚悟を決めているのよ」

 森島は震えている私の手を取って言った。

「だから、今あなたにできることは東京に戻ること。宇宙人たちに捕まってしまえば元も子もなくなるのだから」

 私は彼女の言葉にただ肯くしかなかった。

 


 ホテルの部屋を出たのは夜の九時、まだ最終の新幹線には間に合う。

 強いブランデーを飲み過ぎたせいで頭がガンガンする。タクシーに乗り込むと、今日は欠勤する旨を店長にLINEした。

 昼間の出来事が嘘のように街は見慣れた景色に戻っている。行き交う車、歩道を歩く人々、それぞれが目的を持って移動している確かさが感じられる。

 スマホを手にしたまま渚に連絡すべきか迷った。今のところ彼女に差し迫った危険はないと森島は言った。ヒカルに裏切られ、私はバックアップとして支障をきたした。彼ら宇宙人にとって、渚は唯一残されたバックアップなのだ。私とヒカルを処分するまで、渚の身柄は安全と言える。しかし、処分される運命にあることは間違いないのだ。情報を抜き取られたあとの渚に待っている運命は廃人しかない。彼女を一刻も早くこの街から逃がさなければならない。しかし、どうやって説得すれば良いのだろう。真実を話したところで、受け入れて貰える可能性はほとんどない。あなたは宇宙人から命を狙われている。いや正確にはあなたの中にある宇宙人の記憶の領域を回収しようとしている。

 馬鹿げている。誰がこんな話を「はい、そうですか」と納得するもんか。それに今彼女が私のことをどう思っているのかも分からない。夢乃を死なせたことで私を恨んでいるかもしれない。

 結局、結論を得ないまま駅に着いた。今の私は何か行動を起こすには疲れすぎている。まず、日常のサイクルを取り戻すことだ。ヒカルが連中の手に落ちない限り、連中は渚を処分することはないはずだ。それまでに渚を東京に呼び寄せる手を考えよう。私は東京までの切符を買った。

 ホームを夜風が渡っていく。十月の初めとは言え、この時間になると少し肌寒い。コートを着てくるべきだとちょっと後悔した。列車が入ってくるまで時間がある。自販機で温かい缶コーヒーでも買おうと私は向きを変えたとき、黒いロングコートを羽織った長身の女が歩いてくるのが目に止まった。

 

「間に合ってよかった」

 渚は言った。

 白いニットのセーターの胸元に掛かるターコイズのネックレスが夜目にも鮮やかだ。私が十六歳の誕生日にプレゼントしたものだ。高校生のお小遣いで買える安物だけど渚はとても喜んで、肌身離さず付けていた。

「どうして分かったの?」

「夢乃よ。彼女がメールで教えてくれた。玲於奈が帰ってきているって……」

 夢乃だって、いったいどういうことだ。彼女は死んだはずではなかったのか?

「ほんとに夢乃が?」

「どうして?」

 渚は立ち止まって、小首を傾げた。

「だって夢乃は死んだはずでは?」

「なに馬鹿なこと言ってるの」

 渚は笑いながら、ポケットからスマホを取りだして画面を私に向けた。

 メッセンジャーの画面には夢乃とのやり取りがずらりと並んでいる。私はスマホを渚の手からもぎ取った。


——玲於奈、すごく大人の雰囲気でビックリしたよ。13時40分

——いま、喫茶店で話している。渚もおいでよ。14時5分

——デート中なんて言い訳でしょ(笑)玲於奈もきっと怒ってないよ。まだ少しボンヤリしているところがあるけど、大丈夫。15時24分

——今、近くの神社で話している。高校時代に戻った気分。玲於奈にあの話をしたよ。やっぱり覚えていなかった。少し取り乱したけど、やっと落ち着いてくれた。きっとまたやり直せるよ。私たち。16時40分

——駅前のホテルのレストランで食事したあと、バーで飲んでる。玲於奈、最終の新幹線で帰るって。ほんとに逢わなくていいの? 20時20分


 私はメッセージ横の夢乃の写真をタップした。拡大された写真は間違いなく昼間会った夢乃だ。

「その様子だと、まだ治っていないのね」

「治っていない?」

「記憶障害」

「私がそれに罹っていたというの?」

「それすら覚えていないのね……綾瀬さんが消えた日のことは覚えているよね。玲於奈はそれだけは忘れなかったから。あれがすべての始まりだった」

 渚は思い出を辿るように視線を宙に浮かせた。

「あの後、玲於奈は記憶が断絶するようになったの。最初はちょっとした物忘れみたいな感じだったけど、そのうち今さっきのことすら忘れるようになった。それを指摘すると、狂ったように怒ったの。周囲との人間関係がどんどん悪くなったよ。私と夢乃は支えようと努力したけど、玲於奈は私たちのことすら忘れていった。これ見て」

 渚はセーターの袖をめくって見せた。薄くはなっていたが、五センチくらいの縫い跡が肘に残っている。

「それは私がつけたの?」

「一人で帰ろうとした玲於奈を追いかけたとき、突き飛ばされてガードレールで切ったんだ。もう私に構うなってすごい顔で睨まれた」

「ごめん、覚えてない」

「いいんだよ。謝らなければならないのはこっちの方なんだ。私がどん底のときでも玲於奈はけして見捨てなかったのに、私は腰が引けてしまって逃げだしてしまった」

 渚は目を潤ませ消え入るような声で言った。

「私はブツブツつぶやきながらゾンビみたいに校内をうろつき回っていたんでしょ。そりゃ引くわよ」

 私はそう言いながらも森島との会話を思い出していた。いったい何が本当なのだろう。

「ねえ、渚。森島先生はどうしたの? 私がおかしくなってからということだけど」

 渚は表情を曇らせて、哀しげに私を見た。

「本当に知らないの? 玲於奈はそれでおかしくなったんだよ。先生は生徒と交際しているのが学校にバレて夏休み前に退職したんだ」

 血の気が引いていくのが分かった。

「まさかその生徒ってヒカル?」

 渚は肯いた。

「学校に投書があったの。綾瀬さんが働いているキャバクラに通いつめ、しかもホテルに二人で泊まっていたと」

「そんな……それから二人はどうなったの?」

「綾瀬さんは退学、先生は懲戒免職になった。二人はその後、駆け落ちしたって噂があったけど、綾瀬さん亡くなっていたんだね」

 渚はしみじみと言った。

「とにかく二人が学校から消えたことを知って玲於奈は倒れてしまったの。それでうちの病院にそのまま入院した。食事を摂らないから、点滴だけで生きていた……一時はほんとに危なかったんだ。私と夢乃は泊まり込みで看病したよ。二学期の途中には学校に行けるくらいまで体力は回復したけど、もう昔の玲於奈じゃなくなっていた……」

 心臓は鼓動を早め、喉はカラカラだった。

 

「私がヒカルに近づくきっかけは何だったの?」

 私は震える声で訊いた。

「それがよくわからないの。ある日を境に玲於奈は綾瀬さんに付きまとうようになった。その……ストーカーみたいに。彼女からは邪険に扱われていたみたいだけどあきらめなかった。夢乃は何度もそんなことは止めてと忠告したのよ。私は惨めな玲於奈を見るのが悲しくて何も言えなかったけど、ほんとは一番の親友の私がもっと必死で止めるべきだった……」


 なるほどそういうことだっんだ。すべては自分が認めたくない事実から目を逸らすために作りあげた妄想だったのだ。ヒカルは森島碧とデキていて、私はそれを認めたくなかった。神社で私を襲った蛇女も、バイクで颯爽と現れた森島碧も夢乃に真実を聞かされて私が作りあげた幻影。いや、そもそも森島に職員室に呼び出されたところから、ストーカーの私がでっち上げた都合の良いストーリーだったのだ。

 気がつくと、私はケタケタと笑っていた。


 「もういいのよ。これからは私が玲於奈の傍にいるから! 一度は逃げだしてしまったけど、やっぱり私たちは双子の姉妹なんだ。離れてそれがやっとわかった」

 渚は片手を伸ばした。

 列車がホームに入ってくることを告げるアナウンスが聞こえた。

 前照灯が青い顔を映しだす。微かな違和感。何だろう。

 渚が耳元に口を寄せた。

「消去プログラム作動」

 無機質な囁きが耳に流れ込んだ瞬間、グイッと体を引き寄せられた。鋭利なものがズブリと腹にめり込む感触、火がついたような熱さが腹部全体に広がっていく。真っ赤に染まった両手。

 膝から崩れ落ちていくとき、瞳孔の開ききった渚の目が見下ろしているのが見えた。怒りも哀しみもない乾いた表情。周囲の乗客の悲鳴が耳をかすめていく。

 渚は私を押し倒すと、馬乗りになり、ナイフを逆手に掲げた。

「消去完了」

 渚は無表情にナイフを振り下ろした。

意識が闇の底に引きずり込まれていく。

「ヒカル……」

私は熱いものを零すまいと目を閉じた。

――私、殺されるの?

――絶対に私がさせない。


 何がさせないよ。嘘つき……


 途切れていく意識の中で、銃声が二発響くのが聞こえた。


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