第16話 Tiny Dancer

 笑ってしまうくらい刹那的な生き方しかできない質らしい。

 選択の幅を自分の手でどんどん狭めているのだ。気がつくと安全な歩道を外れて、車道に飛び出している。いつはね飛ばされてもおかしくない。ギリギリの人生、分かっちゃいるけどやめらない(ダメな人間はたいていそううそぶく)、それが私の生き方だ。


 半端者――あの夜のロックンローラーの乾いた高笑いは後に聞いたどんな言葉よりリアリティを持って、私の心に居座り続けている。あれは予言でも呪いの言葉でもなかった。私という人間の本質を言い当てた言葉だったのだ。


 陽光に燦然と耀くガラスの塔を、最後にもう一度見上げた。半端者には眩しすぎる。もう二度とくぐることはない真っ当な世界へと続く門に私は別れを告げた。

「アディオス!」

 投げキッスに守衛が怪訝な顔を向けた。ひとつ肩をすくめると、私はタクシーに手を上げた。


 ヒカルの葬儀は一時からだ。

 東京駅に向かい、そこから新幹線に乗ればなんとか間に合う。

 手持ちのお金がそんなにないことに気がつき、駅構内のコンビニに立ち寄った。ATMの前では老婆が覚束ない手つきで画面を操作していた。

 もたつく老婆を横目で睨みながら私はスマホを手にした。葬儀会場の名前をもう一度確認しておきたかったからだ。

 連絡先から夢乃を探しているとき、ふとある疑問に行き当たった。


 ――夢乃はどうやってヒカルが死んだことを知ったのだろう


 一年も二年も経ってからなら、風の噂を耳にしたということもあり得る。しかしヒカルが死んだのは数日前のことだ。しかも夢乃が今、住んでいるのは京都なのだ。

 新聞記事やテレビのニュースで知った可能性もなくはないが、私の知る限りではそんな報道はなかった。面接で時事問題について訊かれることが多く、このところ私はかなり丁寧に新聞を読み、ニュースも見ている。

 そればかりではない。なぜ夢乃はヒカルのお通夜に参列したのだろう。

 二人の接点はヒカルが消えたあの日だけだ。それともヒカルと夢乃の間に行き来があったのだろうか。夢乃にそれを問い正すべきかどうか、私はスマホの画面の上でしばらく指を泳がせながら考えた。


「前、空きましたよ」

 後ろに並んでいた男性が背中をつついた。

 取りあえず夢乃に逢ってからだ。それからでも遅くはない。私はスマホを仕舞うと必要な金額を下ろした。


 秋の行楽シーズンということもあり、ホームは修学旅行の高校生で溢れていた。ガキの集団がはしゃぐ声ほど耳障りなものはない。バカでかい声で悪ふざけしている様は、さかりのついたオスの求愛行動のように動物的だ。実際、連中は周りのメスの視線をチラチラと意識しながらふざけているのだ。


「あなた、何組の生徒? ちゃんと列に戻りなさい」

 足早に通り過ぎようとすると、背後から声がした。

 冗談かと思うような型の古い水色のスーツを着た中年の女教師が肩を怒らせている。私のリクルートスーツを学校の制服と間違えたのだろう。

 さすがに気付いたのか、彼女はばつの悪そうな表情を浮かべ言葉を探していた。

「似てますものね」

 私は自分のスーツの襟を摘まんでみせた。

「申し訳けありません」

 彼女は後ろにひっつめた半白の頭をあわてて下げた。

「まだ現役に見えるのかな」

 私はちょっと照れの入った笑顔を向けた。


「余裕、余裕! お姉さん、メッチャメチャかわいいもん」

 二、三人の男子生徒が囃したてる。

 女教師はそちらの方を睨みつけたが、私の手前説教するわけにもいかず、彼女のイライラが手に取るようにわかって、笑いがこみ上げそうになった。

「それじゃ」

 私は軽く会釈すると、まだ構って欲しそうな坊やたちに手を振り、ゆっくりと立ち去った。


 ようやく自分の座席にたどり着くと、さっきコンビニで買った缶コーヒーとスマホをバッグから取り出した。

「少し遅れるかもしれませんが、出勤します」と店長に返信する。

 出勤予定の女の子が急遽欠勤になり、人手が足りなくなるのはよくあることだが、店長がこんな早い時間から連絡してきたのは店の主力級が誰も出られないという非常事態なのだろう。どのお店にも顔となる女の子がいる。指名の上位にいる女の子たちで、私もそのうちの一人だ。

 彼女たちの出勤状況ひとつで、店のその日の売り上げは大きく変動する。店長にとっては死活問題なのだ。

 うちのナンバーワンはかなり気まぐれな性格の女王様タイプだから、店長は厄介事を私に振ってくることが多い。

 普通、人気のある子はヘルプに回ったり、フリーの客に付くことは滅多にない。それは入店して間もない子や、人気の薄い子の役目だ。それでも店長から頼まれると私は進んで引き受けた。

 私のようなニッチな需要を満たすのがせいぜいの可愛さで、指名の上位を維持するにはまず店のスタッフに気に入られることが大事なのだ。

それに今の就活状況では当分の間、お店の世話にならなければならない。

 ヒカルの葬儀からそのままトンボ帰りし、支度を整えて出勤。寝不足の躰にはなかなかハードだ。グリーンにしておいたのは正解だった。


 少し眠っておこうとシートに深く身体を沈めてみたが、どうにも神経が昂ぶって眠りが訪れない。

 間もなく発車のアナウンスを聞きながら、紺色のスーツを着てきたのはラッキーだったなと思った。これなら葬儀に出てもさほど無作法にならないだろう。

 しかし、気分がまったくお葬式モードにならないのはなぜなんだろう。

 ヒカルが死んだ。夢乃がそう告げたとき、私の反応は自分でも意外なほど冷静だった。取り乱すことも、泣きわめくこともなかった。

 あれだけヒカル、ヒカルと思い詰めていたのにも関わらずだ。

 心がその事実を受け入れることを拒否した? いや、そういうのではない。


 ヒカルは綾瀬ひかるの身体を借りた情報のネットワークにすぎない。彼女はそう言った。

肉体の死は存在の消滅を意味しない。ハードディスクが壊れても、データをレストアできれば再生は可能なのだ。

 ひょっとしたらヒカルはもう母星に帰ったのかもしれない。彼女の中身は無事、生命維持装置にコピーされ、不要になった綾瀬ひかるというハードディスクは破棄されたのだろう。

 だがそんな形で彼女が生きているとしても、私は何の興味も関心も持つことはできない。私が愛したヒカルは綾瀬ひかるの肉体と不可分に結びついている。そしてそういう形でヒカルが再現されることは二度とないのだ。それなのに私はどうしてこうも冷静でいられるのだろう。

 なんとなく答えが見えてきたような気がする。

 私がヒカルにこだわり続けたのは再び彼女に逢える可能性があったからだ。そしてそれが失われた今となってはTHE ENDなのだ。


 人としての当たり前の感情すら、私はあの夏の日に置き忘れてしまった。あの日を起点に私は変わってしまった。

 いや、私だけではないのかもしれない。

 ヒカルの生死より、今の私が引っ掛かるのは夢乃だ。


 ――だいじょうぶ、傷は癒える。あなたには私が付いているから


 ヒカルが消えた日、病院のホールにへたり込んで泣きじゃくる私を、夢乃は人目もはばからず抱きしめてくれた。

 あのとき友情と感じた言葉が今は別な響きを持って聞こえる。その響きの正体はぼんやりとは見えるのだが、あと少しのところで思い出すことができない。

 私は薄皮を一枚一枚剥がしていくようにあの夏の日を思い返してみた。


 あの夏、ほとんどの時間を私は渚の病室で過ごした。贖罪のつもりもあったけれど、正直なところヒカルが居なくなり、何をしていいのかわからなかった。かといって、家に居たくはなかった。渚の自殺未遂について母からあれこれ訊かれるのが鬱陶しかった。何か答える度に嘘を重ねなければならない。嘘はもうたくさんだった。


 私が病室に泊まり込むと決めたとき、夢乃は予備校の合宿を切り上げて付き合ってくれた。いつも私と渚の関係から一歩引いた位置に立つ彼女にしては珍しいことだと思った。トランプやモノポリー、ルーレットといったいかにも彼女らしいゲームを持ち込み、私と渚を退屈させまいと夢乃は陽気に振る舞った。


 あの頃、私は夢乃についてどんな感情を抱いていたのだろう。

 一つだけはっきりと覚えていることがある。

 渚の病室はかなり広かったのだが、付き添い用のベッドは一つしかない。それで私と夢乃はベッドとソファに交代で眠った。

 ある日、渚の父が気を利かせて、大きめのベッドに変えてくれたのだ。その夜から私と夢乃は枕を並べて眠った。

 二人で一つのベッドに眠っていると、嫌でもヒカルと過ごした夜を思い出す。

 麻薬のようなあの快感が押し寄せてくるたびに、傍らで眠る夢乃に触れてみたいという誘惑に駆られた。

 そして私はある夜、寝相の悪さにかこつけて夢乃の方に寝返りを打った。すれっからしになった今でさえ、あの時のことを思い出すと顔が赤らむ。

 夢乃はヒカルに勝るとも劣らない美少女だが、タイプはまるで違う。私とヒカルが愛し合うとき、自ずと役割は決まっていた。専ら愛を与えるのはヒカルであり、私はそれを受け入れる。早い話が、ヒカルがタチで私はネコだった。

 夢乃はどっちなんだろう。夢乃が私の乳房や下腹部に舌を這わせる、そんな妄想を逞しくしながら、私は夢乃の胸に置いた腕をゆっくりと滑らせていった。

 掌が夢乃の乳房に触れた。私は彼女の様子を伺いながら、しばらくそのままじっとしていた。夢乃のそれはヒカルのそれと違い、薄いTシャツ越しの感触はマシュマロのように柔らかく、弾力があった。

 彼女は動かなかったが、起きているのは気配でわかった。私は彼女の突起を探り当てると、人差し指と中指の間に挟んでみた。その突起が指の間で硬くなるのを感じながら、私の妄想はかなり危ないシーンまで先走っていった。

 キスしたい! そんな衝動が私の脊髄を電流のように走った瞬間、彼女は胸の上の手を払いのけ寝返りを打った。

 たったそれだけのことだったが、私は恥ずかしさと後悔で眠れなかった。


 新幹線が到着したのはお昼過ぎ、そこから地下鉄に乗り換えて目的地に向かった。葬儀の会場は家族葬を専門にしている小さなホールだった。

 着いたときにはすでに読経が始まっていた。十脚程度の折りたたみ椅子を埋めているのは四人だけの寂しいお葬式。

 中年の夫婦らしき一組と、ツルツルに禿げ上がったお爺さんが一人。そして夢乃はそこから二列離れた後方に腰掛けていた。喪服姿の彼女は相変わらず美しかった。

 少女時代の清楚さに艶っぽさが付加されたように見える。

 私に気づくと彼女はちょっと驚いたように口を開いたが、お坊さんの方を一瞬、伺ったあと、いたずらっぽい笑みを私に向けた。

 それから自分の隣を指で差し、「来てくれたんだ」と口を動かした。


キスしたい……形の良い唇を見つめながら、私はそんなことを思っていた。


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