第15話 The Circle Game
面接会場に着いたのは午前八時前だった。
ビジネス街のど真ん中に、他のビルと競うように聳えているのは私がこれから面接を受けようとしている自動車部品大手メーカーの本社ビルだ。
専門学校卒が狙う企業ではないが、冷やかし半分で応募したところ、意外にも一次面接に合格した。もっとも一次に通ったからといって、採用される可能性は神頼みレベルなのは変わらない。なんせ私の通っている専門学校からは過去に採用実績はないし、志望しているIT部門の採用枠は若干名で、主に大卒以上を対象としている。
「順番に名前をお呼びしますので、それまではこちらでお待ちください」
受付の女性に案内された会議室には、リクルートスーツ姿の面接志望者たちが名前を呼ばれるのを辛抱強く待っていた。自分の順番がいつになるかはわからないが、人数の多さからして、長丁場を覚悟せねばなるまい。
スマホを取り出してシフトを確認した。今日は休みを取っていたが、なんとか出られないかと店長からのメッセージが入っていた。
東京で独り暮らしを始めて間もなく、私はキャバクラで働くようになった。
高三のとき、地元の四年生の大学から東京の専門学校に進路を変更した。もう一日たりとも母と一つ屋根の下で暮らしたくはなかったからだ。
あの夏、渚の自殺未遂がきっかけで、嘘をついて外泊を重ねていたことがばれて、母と大喧嘩になった。問い詰められても私は真実をけして口にはしなかった。それを境に私と母の関係は修復不可能なほど険悪なものになった。なんとか間を取り持とうとする父の気苦労を見ているのも耐えられなかった。
就職すればそれで済む話しなのだが、一生をレジ打ちで送りたくはない。なにか自立できるスキルを身につけたかった。どうせ私は一生独身で過ごすことになる。ヒカルとの出会いは私が男にまったく興味を持てないことを教えてくれた。
ITの専門学校を選んだのは資格を取りたかったからだ。高三になって私はプログラミングに興味を持ち始めた。ヒカルと別れて暇を持て余していたのだろう。人間を相手にするより、パソコンに向かっている方が気が楽だった。
独学で始めてみて、自分がそれに向いているのだということがわかった。どんな複雑なプログラムでも一度目を通せばすぐに理解できた。人の感情の入った文章を読むより、数字と記号の無味乾燥な配列のほうが私にはなじみやすかった。
専門学校が主宰しているコンクールに自作のプログラムを応募したところ、最優秀賞に選らばれた。それが縁で特待生の話が来た。
母は地元の大学に進まないのなら、お金は出せないと言い張った。特待生といっても授業料が免除されるだけで、生活費の面倒までみてくれるわけではない。結局、父が母には内緒でアパートを借りるお金と当座の生活費を用立ててくれた。父ももう限界だったのだろう。私が消えることでホッとしたのだと思う。私は家出同然に東京にやってきた。
そして生活費を稼ぐために行き着いたのがキャバクラだった。
人いきれと寝不足のせいで頭はどんよりしていた。
こんなことならどこかで濃いコーヒーでも飲んでくれば良かったと後悔した。朝方にようやく眠りに落ちて、目覚たときには起床を予定していた時間をだいぶ過ぎていた。
眠れなかったのは夢乃からの電話のせいだ。彼女からの一年振りの電話はヒカルの死を告げるものだった。皮肉なことにあの夏の日、ヒカルが私を捨てて行方をくらましたことを告げたのも彼女だった。何か因縁めいたものを感じずにはいられない。
それにしてもヒカルはどこで何をしていたのだろう。なぜまたあの街に戻ってきたのだろう。
彼女は痕跡を一切残さずに消えた。
携帯はすでに解約され不通になっていたし、勤めていたキャバクラも私と公園で待ち合わせたその日に辞めていた。
夢乃の言うとおり、ヒカルは前もって準備をしていたのだ。
あの日、私を呼び出したのはきっと口を封じるつもりだったのだろう。しかし、彼女はそうしなかった。すべてが謎のまま放置された。そうして二年ぶりにもたらされた彼女の消息は死だった。
「浅香さん、浅香玲於奈さん」
名前を呼ばれているのに気づいた。さっきの受付嬢が紙片を片手に面接志望者の顔を見回していた。
私は会議室の隣にある立派な応接室に通された。面接を担当するのは三人だ。
「総務部長の田丸です。緊張しないでいいからね」
中央に座った男が微笑みかけた。綺麗に七三にセットされた髪は真っ白だ。六十手前といったところか。その右側にいる男はシステム部長の中村と名乗った。田丸より一回りほど若く見える。
左端にいる女は私の顔をチラッと見ただけで、すぐに手元の書類に目を落とした。
質問はほぼ事前に予想していたものばかりだった。私は相手の話を最後までしっかりと聞き、適当な間を置いて丁寧に返答した。
先回りの答えは才気走った生意気な奴との印象を与えかねない。かといって、間を開けすぎては鈍い奴と侮られる。
そのあたりの勘所は二年間のキャバ嬢経験でしっかりと自分に叩き込んであった。とりわけ目の前のロマンスグレーの田丸は私がカモにしてきたタイプだ。
経験からして、一見紳士風のこの手の男は一皮剥けば私のようなロリ顔巨乳が大好物だ。
ワイシャツのボタンを一つ緩めておいたのは正解だった。田丸はさっきから胸の谷間が気になって仕方ないようだ。
面接での印象がどれだけアシストになるのか分からないけど、私がポイントを稼げるのはそこしかない。女を武器にして稼いできたのだ。就職するのに色気を禁じ手にする必要はない。
質問を無難に切り抜けて、いよいよ終わりかと思ったとき、ボールペンの先で神経質に机を叩いて左側の女が徐に口を開いた。
「あなたK女出身なのね」
ピンクのメタルフレームの縁を持ち上げて彼女は初めて私の顔をじっくりと見た。四十過ぎといったところか、私はまだまだ現役よと言わんばかりの厚化粧が見苦しいが、顔立ちは悪くない。
私が「はい」と答えると、「私の後輩ね」と少し微笑んでみせた。
「でもK女ならそのまま大学に持ち上がるか、地元の大学に進学するのが普通だけど、わざわざ東京の専門学校を選んだのは理由があるのかしら?」
なかなか痛いところを突く質問だ。
「大学の情報処理系を志望していたのですが、家庭の事情で四年制の大学に通うのは経済的に厳しかったのです。幸いこちらの専門学校の特待生に選ばれたので、進学することにしました」
「でも大学にも奨学金制度はあるでしょ?」
女は私の答えに満足していないようだった。
イラッときたが、口論は避けたい。
私は途方に暮れたような表情を作ると、すがるような視線を田丸に向けた。
「まあいいじゃないか。プログラミングのコンテストに何度も入賞している実績からして、彼女の勉学への熱意は確かなものだよ」
田丸は女を制するように言った。
しかし、女は怯まなかった。
「では、別の質問。高校時代で一番の思い出は?」
女は薄い唇の端を少し持ち上げ、挑むような目で私を見た。
いったいこの女は私に何を言わせたいのだろう。私が地元を離れたのは人に言えない事情があると踏んでいるのだろうか。
だとすれば、この三人の中で一番人を見る目は確かだ。
高校時代の一番の思いでだって? そんなものに一番も二番もあるものか。
私にとって思い出とはヒカルと過ごした二週間足らずの時間しかない。そのお陰で、表面的には幸せを取り繕っていた家族も崩壊した。親友と呼び合ったものたちとも疎遠になり、今では男だろうが女だろうが相手構わず寝るろくでなしのレズビアンのキャバ嬢だ。
だからなんだというのだ。私は十分に代償を払った。後悔なんて一秒だってしたことはない。もう一度選択肢を与えられても私は同じボタンを押す。私がやるせないのはヒカルがなにも言わずに私の前から消えたことだ。そして勝手にあの女が死んでしまったことだ。
このクソ忌々しいおばはんにあれこれ詮索されるのはもううんざりだ。
「ヒカルです」
「え?」
「高校時代の同級生で、私の恋人です」
「いったい君は何を言ってるのかね?」
「今日は彼女のお葬式なんです。すぐに行かなきゃ」
私は立ち上がるとクルリと背を向けた。
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