第13話 過去の事故

そして、午後5時。白く大きな船体が、こちらに向かって戻って来るのが見える。


「戻ってきたね」


「そうね。そろそろ、お店を出ましょうか?」


そう言うと、本宮君はパソコンをバッグに仕舞い、ジャケットと伝票を持って立ち上がった。私もカーディガンを持って立ち上がる。


店の外に出ると、一気に潮の香りが鼻腔をくすぐった。クイーンメリー号から、乗客が次々に降りてくるのが見える。乗客が全員降りた後、何人かのクルーが、点検のためか船内を歩き回っていた。


その中で、入り口の側を通りかかる三谷船長の姿が目に止まる。


「本宮さん」


三谷船長もまた、私達に気づいて軽く会釈してきた。それから、近くにいたクルーに何か言った後、彼は船を降りてくる。


「いらしてたんですね」


私達のところにやって来た三谷船長が言った。


「ええ」


「あの、良かったら事務所の方へ」


そう言って三谷船長に案内されるまま、私達はクルーズ会社の事務所に移動する。乗船ロビーを抜けて、私達は運営会社の事務所の中に入ると、その奥にある部屋に通された。


従業員の運んできたコーヒーを一口飲むと、本宮君が言う。


「船長のお仕事も大変ですね」


本宮君の言葉に、三谷船長は、はにかんだように答えた。


「いえ、もう二十年も続けてる仕事ですから」


「二十年ですか。それだけ長く続けていると、いろいろと変わっていったこともあるでしょうね」


本宮君が、そう言うと、彼は頷く。


「変わりましたよ……。この客船を運航し始めた頃とは、時代がね。いや、始めた頃と言わず、十年前とも全く違います」


三谷船長の視線が、窓の向こうの海に移った。


「当時は、このクルーズが観光の一番の目玉で、毎日たくさんのお客様で賑わって。でも、いろいろと低価格な観光のスポットが出来ていき、当時よりも、お客様の数は減って……」


そこまで話すと、三谷船長がハッと気づいたような表情をして苦笑する。


「すみません……うっかり昔話のようなつまらない話をしてしまって」


「いいえ。ところで、三谷さん。さっき、クイーンメリー号のティークルーズの出航を見ていたんですが。その時に、40代くらいの男性が『こんな船無くなればいい!』と叫んでいました。心当たりがありませんか?」


すると、三谷船長の顔が曇ったのが分かった。


そして、彼は重い口調で答える。


「それは、おそらく……田所賢也たどころ けんや様かと」


田所 賢也…?あれ……どっかで聞いた名前のような?


私が、そう思った次の瞬間。


本宮君が、驚きの一言を告げた。


「田所 賢也さんは、あのクイーンメリー号の予告のあった6月19日に、乗船予約をしていますね?」


そうだ!どっかで聞いた名前と思ったら、メールで送られてきた乗船者リストの中にあった名前だったんだ!


「この田所さんとクイーンメリー号には、何か過去に繋がりがあるのではないですか?」


本宮君の確信をついた言葉に、三谷船長はハンカチを取り出すと、額を拭う。


「実は二年前のディナークルーズに、田所様御家族が乗船されたのですが……。その時に、ある事故が起きてしまったんです」


「事故?」


「はい……。そのクルーズ当時、4歳だった田所 心海ここみちゃんが、外のデッキで走っている際に怪我をして、額を数針縫う怪我をしてしまったんです」


「痛かったでしょうね、可哀想……!」


私が言うと、三谷船長は続けた。


「ええ……。それで、田所様は、そんな危険のあるデッキ部分は立ち入り禁止にしておくべきだった。これは会社側の落ち度だと主張されまして。一方、会社の方は親の不注意だと主張し、両者は一年程争っていたのです……」


それで、あの人は、クイーンメリー号を見て、あんなこと言ってたんだ。


「心海ちゃんは額に傷跡が残ってしまい、余計に田所様の会社に対しての憎しみも激しく……」


「訴訟にはならなかったのですか?」


本宮君の問いかけに、三谷船長が頷く。


「なりました。田所様が、会社に対して訴訟を起こされたのです。当初は、会社側も争う姿勢だったのですが……。田所様が、なかなか訴えを取り下げなかったため、これ以上、裁判を長引かせるのは、会社にとって負担が大きいということで、会社側が和解金を支払い、表面上は決着しました。ですが……」


三谷船長が暗い表情で続ける。


「田所様の方は、あくまで『謝罪』を求めたのに対し、会社からは『謝罪』はなく、ただ和解金を支払ったのみという対応が、田所様には不服だったようです」


一通り、三谷船長の話を聞き終えた本宮君が言った。


「なるほど。過去の事情は分かりました。田所氏が、今回爆破予告のあったクルーズに予約を入れているのは気付いていましたか?」


「はい……気付いていました。しかし、だからと言って、乗船を拒否することは出来ませんので」


明らかに、怪しいよね。そんな恨みのあるクルーズに、わざわざまた予約するなんて。


「分かりました。田所氏のことを含めて、引き続き調査を続けます」


「はい。どうか宜しくお願いします」


本宮君の言葉に、三谷船長は頭を下げると、次のクルーズの準備のため、事務所を後にした。

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