【第二章 招かれざる客の影②】


「昨日はひどい目に遭ったわ……」


 初の遠隔戦闘をこなした翌日。

 織姫はげんなりしながら言った。


 連休の間にはさまった平日なので、学校に来ている。

 今は昼休み。

 ハル・アーシャ・織姫は学食で昼食を終えたあと、校庭の一角にやってきた。

 園芸部が育てている花壇のそばだった。


「戦いとか魔法をがんばるのは全然いいの。そのつもりで魔女マギになったんだし。でも」


 今日の織姫は珍しく、傍目にわかるほど疲れた顔だった。


「スポンサーの人たちに勝利の報告をしにいくのは聞いてなかったわ……」

「あのおじいさんたちが応援してくれるから、水無月みなづきも姉さまの悪路王あくろおうも不自由なく活動できるんだよ。ちゃんとお礼をいわなくちゃ」


 苦笑しながら羽純が従姉妹に意見した。

 中等部の三年生である彼女も、織姫に呼び出されたのだ。


「そりゃ羽純なら、すっごく癖のありそうなおじさま軍団が相手でも、『おじいさん♪』とか呼んで、天使みたいに笑ってフレンドリーな空気を作れるでしょうけど。初心者のわたしにはまだ荷が重いわ……」

「ああ、野暮用ってスポンサーへの挨拶まわりだったのか」


 ハルは納得した。

 羽純および織姫の活動をスポンサードするのは、東京新都や関東地方を拠点とする企業・資産家・NGO・宗教法人・さらに地方自治体などだった。

 その代表者が集まる席に顔を出し、長時間話しこむ――。


 すこし前まで中学生だった女子には、たしかに荷が重いはずだ。

 まあ、肝が据わっている織姫のこと。

 この役目にもすぐ慣れそうな気はするが。


「大丈夫ですよ、織姫さん。そういうのが面倒なら、『わがままなアーティスト』のノリで振る舞えば、向こうからコンタクトを避けるようになります」

魔女マギの方がオンリーワンな人材だから、最終的には立場強いしね」

「まず、机を蹴っ飛ばすところからはじめるんです。あとジュースを買ってこさせて、味が気に入らないって相手にぶちまけたり」

「文句言われたら、よそへの“移籍”をほのめかせばいい」

「そういう不届きな誘惑、新人にしたらダメでしょう!」


 アーシャとハルが口々に言ったアドバイスへ、織姫はダメ出しをした。


「まったくもう。これだから春賀くんたちは……。でも、ちょっとだけ悪魔の誘惑に乗ってみたい気持ちもゼロじゃないわね」

「ね、姉さま」

「今日、学校が終わったら、本当はお墓参りに行くつもりだったんだけど。昨日の勝利をお祝いするって、おじさまたちが急に食事会をしようとか言い出しちゃって。主賓としては出席せざるを得ないのよね」


 従姉妹にたしなめられつつも、織姫はため息と共に言った。


「墓参りって、今日が誰かの命日とか?」

「ではないけど、一応、節目みたいな感じで。わたし、ドラゴンと戦うようになりましたって報告をお父さんとかお母さん、弟なんかにね」


 織姫は特に抑揚をつけず、いつもの調子で言葉を重ねた。


「たまたまわたしが剣道の試合でいなかった日曜日、家族で自動車に乗って出かけたの。ちょうど高速道路の下を通ったら、運悪く上が崩落してきちゃって。何年か前、そのあたりでラプトルが暴れたことがあって、それがもとで老朽化してたらしいのよね。……まあ、ドラゴンだけが原因じゃないけど、家族には報告しておこうかなって」


 織姫の家庭は祖父ひとり、孫娘ひとりなのだという。

 そうなった理由があるはずだった。

 また、ハルもひとり暮らしを長く続けてきた身。

 グルジア出身のアーシャもイスタンブール在住の母親をのぞけば家族はいない。

 だからというわけではないが、ハルはこう言ってみた。


「柊さんに貸しのひとつくらいはあるから、あの人に言ってみようか?」

「私の分も合わせれば、貸し三つはいきますよ?」

「ありがとう。でも大丈夫。本気で行きたくなかったら自分で言うわ。気にしないで。でも……いつかそういうことを頼むときが来たら、おねがいね」


 ハルとアーシャに冗談めかして言ってから、織姫は従姉妹にうなずきかけた。

 この話がはじまると、すぐに羽純がそばに来て、無言で織姫に寄りそったのだ。


「あ、そうそう。話は全然変わるけど」


 織姫がすこし唐突に言った。

 しめっぽい話題を意識的に敬遠するという共通点がハルとアーシャにはある。

 どうやら織姫も同じらしい。


「実は昨日、戦いのあとで思ったんだけど。この間、春賀くんがルサールカに使わせた《弓の秘文字ひもじ》ってあるでしょう?」

「ああ、あれか」

「あの文字、悪路王あくろおうも使えるようにしといた方が何かと便利じゃない?」

「それはまあ、たしかに」


 正論だとハルはうなずいたのだが。

 不思議だった。

 なぜか上手くいくイメージがわいてこない。

 どうしてだろう?


「たしかにこの前のルサールカとアーシャさん、すごかったです」

「でしょう? もし水無月みなづきがよくなったら、水無月みなづきにも使わせたいわよね」

「それもまあまあ正論……だねえ」


 従姉妹たちがうなずき合い、ハルも認める。しかし。


「だ、ダメです! あれは私と晴臣(だけ)の絆といいますか(ムニャムニャ)……」


 なぜかアーシャだけが反対した。

 ところどころ小声すぎて聞こえないが、織姫にはわかったようで『そういえば……しまったわ』という顔になる。

 ハルは幼なじみの言わんとするところを想像して、言った。


「アーシャが慎重になる気持ちもわかるよ。訳のわからない力だから、あまり当てにしすぎるのはたしかに危険だ。秘文字ひもじが原因の副作用とか出てくるかもしれないし」

「うわあ。春賀くん、やっぱりそっちへ行くのね……」

「何がだい? ま、それはともかく。リスクを踏まえつつも、データを増やすためにテスト運用の機会を増やしたい気持ちはたしかにあるんだよな……」


 ぶつぶつと言ってから、ハルはじっと織姫を見つめた。

 いちばん状態のいい『蛇』を所有する協力者の出現に、出来心を刺激される。


「せっかくの提案だし、ためしにやってみるか」

「は、晴臣!」

「ダメでもともとだよ。この間はどうやったっけな?」


 アーシャの文句を聞きながしつつ、ハルは記憶を探った。

 あのときはたしか、アーシャとルサールカがどうしても『必要だ』と心の底から願い、手をさしのべたのだ。

 そして、幼なじみもその手を取り――。


「十條地。僕の手をつかんでくれ」


 ハルは右手をさしのべた。

 こくんと織姫がうなずいて、その手をゆっくりと取る。


 ルルク・ソウンの秘文字ひもじが宿るはずの手、あの謎めいた魔術記号の在処を――。

 それからハルは強く念じた。

 どうしても十條地織姫が必要なのだと。


 そのまま一分近く。

 ハルはおもむろにつぶやいた。


「どうやらダメみたいだな。十條地にルーンを託すことはできないみたいだ」


 どうしてできないのだろう?

 考えこむハルだった。





 その後、放課後となり、織姫は食事会とやらに出席するため早々に下校した。

 アーシャも『用事がありますので!』と教室を出ていった。

 ハルはひとり帰宅――せずに、鉄筋校舎ふたつの前にやってきた。

 図書館と文化部クラブハウスである。

 しかも、織姫の従姉妹・羽純を連れとして。


「でも、いいんでしょうか? 魔女マギの道具や本を学校に置いてしまって……」

「ベストではないけど、下手な場所よりはベターかなあ」


 不安そうにつぶやく羽純へ、ハルは返事した。


「うちの学園は《S.A.U.R.U.サウル》の出資で設立されたんだ。新都内にある、べつの大学と同時期に。この両校はある目的のために造られたそうだよ。魔術関係の教育を一般の子弟にも施すっていう、ね……」

「ふつうの人にも魔法を教えるんですか!?」

「もちろん誰にでもってわけじゃないだろうけど。意欲の高い優秀な人材がいたら、若いうちに《S.A.U.R.U.サウル》へ勧誘して、英才教育を施す感じらしい」


 魔術を研究する秘密機関がどうして学校の運営などしているのか?

 不思議に思い、調べてみたのだ。

 世界各地に似たような学校があるらしい。


魔女マギになれるかは素質次第だけど、研究職はちがうからさ。こういう人集めの方法はありかもよ。そんなわけで、この学校は魔術の秘密や危険を外に洩らさないよう設計されてるし、君や十條地の生活圏でもある」


 しばらく『魔女の館』の代替施設を置いても、問題ない場所だった。


「ここの地下はそういうケースも考えて、造ってあったらしいし」


 ハルはあらためて図書館を眺めた。

 下校直前に柊さんから電話があったのだ。

 新たな『館』となる場所をチェックしてきて欲しいと。


 ここへ来る途中、羽純と会ったのは偶然。

 事情を話したのはなんとなく。

 そして、羽純が遠慮しつつもこう申し出たのは予想外だった。


「ごいっしょさせていただいたら……ダメですか? 何かお手伝いさせてください」


 魔女マギとして役に立てないことを気にしているのだろうか?

 断る口実をいくつか思いついたが、まあいいやと同行を受け容れて――。

 羽純を連れて、ハルは地下一階へ降りた。


 廊下のつきあたりにドア。

 《S.A.U.R.U.サウル》関係の事情を知る教員から受けとったカードキーを挿入。

 ドアを開けると、また階段。

 ここから先の地下二~六階が、当座の『館』になるという。


 ハルは羽純と共に各階を歩きまわった。

 全て空き部屋である。

 空調や鍵、照明なども動作をチェック。

 どれも問題なし。


「前の『館』にあった資料とかも問題なく運び込めそうだ。そろそろ撤収しようか」


 切りのいいところで、ハルは臨時のパートナーに声をかけた。


調査スカウト任務としてはかんたんもいいところだな。いつもこうなら楽でいいのに」

「あ、聞いたことがあります。世界を旅しながら、魔法の力を秘めた品物や魔術の教科書を探す仕事……なんですよね?」

「大雑把に言えば。ほかにもいろいろあるけど」

「いろいろ、ですか? ……たとえば、どんなのでしょう?」

「そうだなあ。たとえば、各地の竜族租借地そしゃくちに潜入して内情調査とか」

「そんなことも」

「生物としてのドラゴンの生態調査もあるね。ラプトルの連中を間近で観測したり」

「それは危険ですね……」

「危険っていえば、いちばんは地上にやってきた上位種の足取りや所在地を追いかける調査だねえ。ソスのときに実体験したけど、あいつらに目をつけられたら最悪だ」

「本当ですっ。気をつけてくださいね!」


 ハルは奇妙に思った。

 聞き役の羽純がやけに熱心すぎるような……。


「こんな話に興味があるのかい?」

「あ、はい。わたし、旅のお話とかが大好きなんです。あと、女の子で同じ趣味の子はあまりいませんが、冒険とか探険のエピソードなんかも」

「冒険って、五大陸最高峰を全て登頂とか、ヨットで太平洋横断とかの?」

「はい。自転車でヨーロッパ縦断とかも大好きですよ」


 ふふふと羽純は微笑んでから、照れくさそうに付け加えた。


「自分でやるのはまちがいなく無理でしょうけど……。それにずっと東京にいなくちゃダメだったので、実は関東から外に出たことがほとんどありません……」

「専属で守護している土地があるんだから、仕方ないよ」


 羽純は東京新都とその周辺を専属で守護する魔女マギだ。

 見かえりに莫大な報酬やVIP待遇を受けとるものの、『守護者』の役割を持つ魔女マギは任地をはなれて気ままに旅することもできない。


 アーシャのように各地を転戦していく『傭兵』の方が、実は稀だった。


「十條地じゃないけど、『蛇』を休ませている間に旅行でも行ってきたら?」

「ふふふ。素敵なアイデアですね。でも、それはダメです」


 羽純はあの透明度の高い笑顔になって、しかし、かぶりを振った。


水無月みなづきは弱っているだけで、呼び出せないわけじゃないんです。今のわたしたちでも役に立てることが何か起きるかもしれませんし」

「まじめだなあ。でも、その判断はたぶん正解……かな」


 ハルは頭をかきながら認めた。

 一本取られた気分だった。


「ビギナーとは思えないほど十條地たちは強いけど、だいぶ経験は浅いわけだし。『万が一』が起きる危険はたしかにあるな」

「さっき姉さまの家族の話になりましたけど、たまに思います。わたしがもっと早く水無月みなづきを呼べるようになっていて、この近くに来るドラゴンを全部追い払えていたら、もしかしたら今もみんな姉さまといっしょに――なんて夢みたいなことを」

「…………」

「こういう『念のため』は、たぶん無駄じゃないと思うんです。ふふっ」


 歳下の少女が明るく微笑むのを見て、ハルは思った。

 すこし遠慮がちなので目立たないが――この子はもしかしたら、自分や織姫よりもしっかりしているのかもしれない。


 それほど魔力が強くない身で、何年もドラゴンたちと戦ってきたのである。

 苦労を積んでいる分、いろいろ考えることも多かったのではないか。

 羽純に対する認識をすこしあらためたハルだった。


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