【第二章 招かれざる客の影】

【第二章 招かれざる客の影①】


「でも、ドラゴンたちは太平洋から三浦半島――神奈川の方に接近中なんでしょう!? こんなところで降りていいの!?」


 十條地織姫はプロペラの音に負けないよう、声を張りあげた。

 織姫とアーシャを乗せた白いヘリコプターは、今まさに着陸を終えるところだった。

 かつて『魔女マギの館』があった、新木場の再開発予定地である。

 この間の戦いで、一部は焼け野原になっている。


「このまま現地へ向かっても、どうせはまにあいません!」


 着陸したヘリのドアを勢いよく開けながら、アーシャが言った。

 彼女たちは連れとわかれたあと、近くの小学校に向かった。

 最短で現地へ赴くため、『迎え』にきてくれたのがこのヘリだった。

 学校のグラウンドを臨時の着陸場として、ふたりを乗せたあと離陸したのだが――。

 機内でアーシャが目的地の変更を告げ、ここ新木場に降り立ったのだ。


「こちらが到着する頃には、自衛隊と環太平洋防衛機構TPDOの迎撃部隊がラプトルと交戦をはじめているでしょう」


 海辺に向かって足早に歩きながら、きびきびとアーシャが語る。


「私たちがいるのに彼らを戦わせるのは、軍事費と人的資産の無駄遣いです」

「でも、さっきまにあわないって」

「いい機会だから、こういうときに有効な対処法を教えます。この間から教えている魔術、今日は実戦で使ってもらいますね」

「あ、あれを!?」


 アーシャに続きながら、織姫はあわてた。

 魔術の使い方、なんとなくはわかる。

 ためしにやってみて、成功したこともある。しかし、自信があるかというと――。


「試しに訊くけど、自信ないとか言ってもいい?」

「いいですよ。自信がなくても必ず成功させてもらいますけど」

「了解。死ぬなら成功してから死ねってやつね。アーシャさん、意外と鬼コーチだわ」

「織姫さんは聞き分けのいい教え子で、たいへん結構です」


 ふたりはテトラポッドで護岸されている海辺までやってきた。

 道々、機動隊の制服を着た警官の姿をちらほらと見かけた。

 警視庁所属の都市救助部隊だという。

 『館』周辺の封鎖を監視中だったらしい。


「わたし、魔女マギの仕事を手伝うのは自衛隊の仕事だと思ってたわ」

「日本だと都市部での魔女マギ支援は警察の管轄みたいです。軍、じゃなくて自衛隊は哨戒活動や『蛇』をまわせない前線での戦闘、戦後処理を担当することが多い印象ですね」

「いよう」


 話しかけてきたのは、くたびれた背広姿の青年だった。

 見城献上玄也げんや、《S.A.U.R.U.サウル》の東京新都支部スタッフである。

 無精ひげをはじめとするだらしなさがなければ、イケメンと呼ばれる機会が多そうな人物ではある。


「おふたりを超特急で送るつもりで、せっかくヘリを用意したんだがね」


 緊張感のない顔つきで、見城はのんびりと言った。


「途中下車するってことは、あれを十條地のお嬢さんにやらせる気か? キャリア一月未満の新人に、ちとスパルタがすぎるんじゃないかね?」

「能力的には問題ありません。十分いけるはずです」

「なるほど。百戦錬磨のミス・アーシャが認める逸材ってわけだ」


 しれっとアーシャが答えれば、見城もにやっとうなずく。

 ふたりとも十條地織姫の力量をあまり心配してない様子だった。

 それをプレッシャーに感じながら、織姫は目の前に広がる東京湾を見やった。


 江戸前の海だ。

 この先は太平洋の大海原につながっている。

 そして、まもなくラプトルたちが飛来するという三浦海岸の沖合にも――。


「じゃあ織姫さん。《幽体連結アストラル・リンク》をはじめてください」


 予想どおりの術名をアーシャは告げた。


「パートナーの『蛇』と距離がはなれていても、たがいの霊体をリンクさせれば感覚の共有が可能です。こちらの指示を伝えたり、『蛇』が見聞きした情報をリアルタイムで受信することだってできるようになります」

「つまり、遠隔地に『蛇』だけ送りこんで、戦闘してもらえるのよね……」


 前に教わった術の目的を、織姫は反芻した。


「はい。もちろん、このやり方には弱点もあります。魔女マギが近くにいないと、『蛇』は疑似神格を使えませんし。でも、敵がラプトル程度なら、遠隔戦闘で十分です」

「ただし、わたしが魔法を上手く使えれば……」


 しくじれば、自衛隊・横須賀基地の航空戦力が投入されるという。

 織姫は深呼吸して、気をひきしめた。


「敵の到達に合わせて現着できるか微妙なときは、これがいちばんです。慣れてない織姫さんのために、遮蔽物のすくない海まで来ましたし」

「そ、そういうのも影響するのね」

「はい。ただ、特級認定マスタークラス魔女マギには自宅のベッドに寝そべりながらラプトル二〇匹を全滅させた怠け者もいますから、結局は慣れの問題です」

「それはさすがに、ものぐさがすぎるんじゃないかしら……」


 見知らぬ先輩魔女マギにつっこんでから、織姫は白状した。


「前にもらった初心者用の魔法の教科書? ごめんなさい、正直言って、結構ちんぷんかんぷんだったわ……」


 訳のわからない、遠回しで具体性に欠ける記述の数々。

 あれを思い出した織姫に、アーシャは「それならそれでいいです」と言った。


「この世界、最後は結局ブルース・リーのノリですから」

「つまり、あれね。考えるな、感じるんだ……」


 偉大なカンフースターにして武術家の教えを胸に、織姫はイメージした。

 まず、悪路王あくろおうの姿を。

 そして、白き狐狼と自分が無数の糸で結ばれている姿を――。


 大切なのは集中力、イメージのあざやかさ、己の精神こそが世界で最も強固な魂なのだという揺るぎない自負心。

 それが秘訣だと、前にアーシャが教えてくれた。


(正直、上手くできてる自信はないけど!)


 それでも『失敗は許されない』シチュエーションに後押しされて。

 織姫は我流のイメージを頭のなかで描ききった。

 大きく目を見ひらく。

 仕上げとして、ゆたかな胸の谷間を左手で押さえ、心臓を強く意識する。


 魔女マギの心臓――これこそが魔力を生み出す神秘の泉なのだ。


悪路王あくろおう、すぐに来て。わたしといっしょに戦って!」


 織姫は声と魔力を空に向けて、同時に解きはなった。

 空に光の五芒星が顕れ、そのまま『∞』の印になり、悪路王あくろおうの形に実在化する。

 そして、織姫とパートナーの魂はイメージどおりに連結をはたして――。


悪路王あくろおう!」


 叫んだ瞬間、悪路王あくろおうの霊体にひっぱられて、織姫の体から意識だけが抜け出した。


 織姫の意識はそのまま空を飛んで、悪路王あくろおうの『上』にポジションを取る。

 いわゆる“幽体離脱”をして、空から悪路王あくろおうを見守っている状態だった。


「ちゃんとオンオフできるのよね……」


 試しに目を開けると、すぐに意識はもとの体にもどった。

 織姫はきちんと埋立地の上に立ち、目の前には東京湾が広がっている……。


 ふたたび目をつぶる。

 また意識が“離脱”して、悪路王あくろおうの『上』に飛んでいった。


「織姫さん。悪路王あくろおうにルサールカのあとを追わせてください!」


 アーシャの声を聞いた瞬間、悪路王あくろおうの隣に蒼き翼竜が飛んできた。

 一角獣のごとき長い角を持つ、飛竜ワイバーン型リヴァイアサン。

 織姫が集中している間に、いつのまにか召喚されていたらしい。


「ついていけばいいのね。悪路王あくろおう、アーシャさんの言うとおりにして!」

「ルサールカ。そのまま指示した空域に移動!」


 盟約者の声に応えて蒼きワイバーンは飛行をはじめ、陸地をはなれていった。

 一直線に飛んでいく。速い。

 悪路王あくろおうもそのあとを懸命に追い、なんとか喰らいついていく。

 織姫の意識はリンクしたパートナーの霊体にひっぱられて、勝手にそのあとを追って飛んでいった。


 横を見れば、いつのまにかアーシャの姿があった。

 同じように“幽体離脱”した意識を魔術的視覚とやらが視認しているようだ。


「ただまっすぐ飛ぶだけでいいのなら、『蛇』は音速の三分の二くらいまで出せます」


 アーシャの意識は言った。

 ものすごい速さで自身も飛びながら。


「このまま接敵予測ポイントまで急がせましょう」

「でもアーシャさん。どっちの方角に飛べばいいのか、よくわかるわね!?」

「《空間把握》と《位置情報》の魔術を使ったからです。《見敵》と合わせて遠隔戦闘では必須となる術なので、おいおい教えますね」


 百戦錬磨の魔女マギとなるには、学ぶべきことが山ほどあるらしい。

 軽くため息をつき、そのまま悪路王あくろおうを全速飛行させること、しばし。織姫の意識もそれに勝手にひっぱられていく。


 ちょっとしたジョギングを楽しむ程度の時間が流れた。

 この間、二体のリヴァイアサンはずっと海上を飛んでいたのだが、やがて前方に鋼色の小型ドラゴンたちが見えてきた。

 襲撃地を探すように地上を睥睨している。


 竜族小型種、ラプトル――。

 聞いていたとおり九匹だった。

 上位種を間近で見たあとだと、竜よりもむしろトカゲに似ている気さえする。


「打ち合わせどおり悪路王あくろおうにやってもらうから、ルサールカは休ませて!」


 織姫は敵を認識するなり言った。

 羽純の水無月みなづきほどではないが、ルサールカも万全のコンディションではない。

 必要もないのに無理をさせるべきではないのだ。


「ええ、まかせます。気を抜きさえしなければ、余裕で勝てる相手ですよ!」


 アーシャのアドバイスにうなずいてから、織姫は攻撃の意志を発した。

 ずっとルサールカの背後を飛んでいた悪路王あくろおうが針路を変えて、ラプトル九匹めがけて突っこんでいく。

 全速力で、一直線に。


 そのまま群れへ激突。

 シンプルに体当たりをぶちかます。


 ラプトルの体格は『蛇』の半分以下。

 これだけで群れの三匹が自動車にひかれた犬のように吹っ飛んだ。

 ダメージも相当だろう。


 ――ある意味で、この先制攻撃が戦いを決定づけた。


 これを受けて浮き足立ったトカゲの群れと、最初に勢いをつけた悪路王あくろおう

 もともとの地力がちがいすぎることもあり、あとは一方的だった。


 角状部位とは、『蛇』が攻撃・威嚇に用いる器官である。

 悪路王あくろおうのそれは太くて長い九つの尾。

 まるで生きた大蛇のように身をうねらせながら、しかも敵のラプトルめざして


 尾がゴムのように伸び、しなり、鞭のようにラプトルを打ちのめす。

 この攻撃を九つある尾が次々と繰りかえすのである。

 尾で一撃された羽トカゲたちはかわすことも耐えることもできず、のけぞるように吹っ飛んでいく。


 たいてい二、三発で絶命し、ラプトルたちは続々と海へ墜落していった。

 そして、悪路王あくろおうが口から熱線の息を吐き、最後のラプトルを葬ったとき。織姫たちの勝利が確定した。


 ふたりの魔女マギは『蛇』たちの実在化を解き、地上より消し去る。

 同時に《幽体連結アストラル・リンク》も効果を失う。

 織姫は閉ざしていた目を開けた。


 向こうを見れば東京湾の海。

 近くを見れば新木場の埋立地。

 アーシャや見城、ヘリの操縦士たちの姿も自分の目で確認し、息を吐き出す。


「どうにか勝ててホッとしたわ……って、あら?」


 急に膝が笑いはじめ、がくりとへたりこんでしまう。

 体が泥のように疲れきっている。

 自分の状態に気づいて、織姫はびっくりした。


「『蛇』との距離がはなれるほど、私たちの消耗も大きくなります。指示を出したときの反応も鈍いですし。遠隔戦闘のデメリットとして覚えておいてくださいね。私もひさしぶりにやって、おなかがすきました……」


 アーシャも疲れているようだ。ただ、へたりこんではいなかった。

 体力ではなく、魔女マギとしての力量の差が疲労に影響するのかもしれない。

 ともあれ、先輩であるアーシャの全面的バックアップ付きではあるものの、織姫はどうにか単独で戦闘を切り抜けたのだった。


「あの感じだと、戦闘にひとくぎりついたみたいだな」

「そう……みたいですね。姉さまたちも無事みたいで、安心しました」


 ハルがつぶやくと、隣で羽純も安堵の吐息をもらした。

 向こうでは織姫がへたりこみ、アーシャもぐったりと疲れた顔をしている。

 しかし、切羽詰まった様子は特にない。

 ふたりの周囲では、見城とヘリのパイロット二名が撤収の準備をはじめていた。


「こいつを持ってきてよかったよ。アーシャのやつ、また『おなかがすいた』って騒ぎ出すだろうから。十條地もだいぶくたびれてるみたいだし」


 ハルが持つトートバッグはもともとアーシャの所有物である。

 例の中華弁当を入れてある。

 これと共に新木場までタクシーでやってきたのだ。


「あ、わかります。水無月みなづきにいつもとちがうことをしてもらったときは、わたしもすごく疲れました。たまに点滴を受けることもありましたし――」

「点滴……?」


 羽純の相づちを聞きとがめて、ハルはつぶやいた。

 『蛇』の召喚と使役は、たしかに魔女マギを心身共に激しく消耗させるという。

 しかし、ラプトルとの戦闘程度で点滴を必要とするようなケースはまずないはずだ。

 ふつうなら。

 そういえば、織姫いわく『従姉妹は体が強くない』だったか……。


 やはり、白坂羽純は荒事に不向きな少女らしい。

 ハルはため息をついた。


「ど、どうかしたんですか、春賀さん?」

「いいや、なんでもないよ」


 この気立てがよくて体の弱い女の子と、織姫から感じる苦手意識。

 ハルはようやく正体に気づきはじめた。


 うしろめたさなのだ。

 《S.A.U.R.U.サウル》の一員として、昔から『蛇』と魔女マギの盟約プロデュースを手伝ってきた。

 しかし、適格者に選ばれる乙女がみんなアーシャのように特級認定マスタークラスにまで成長し、“活き活きと”活躍する逸材ではない。


 むしろ、この役目に不向きな少女の方が多いはずで――。

 羽純や織姫の近くにいると、罪悪感とやらが首をもたげてくるのである。


「ふたりとも来てたのね」


 ハルは物思いを中断した。

 柊友加里がこちらへ来るところだった。

 やわらかそうなカーディガンにスカートと、あいかわらず女性らしい格好だ。


「織姫さんたちにこのまま出張してもらう必要は、どうやらないみたい」


 手にした携帯端末を軽くかかげて、柊さんは言う。


「列島各地のラプトル出現状況をひととおり確認できたわ。同時多発的に襲来したドラゴン小型種のグループは全部で六組。それぞれ北海道根室の納沙布岬、青森県の八戸、伊豆諸島の大島近辺、静岡県の御前崎、高知県の土佐湾、宮崎県日南市に飛来……」


 柊さんの端末に日本地図が表示されている。

 そのなかの八箇所が赤く点滅していた。

 全て柊さんが口にした土地だった。


「みんな太平洋側か……」

「で、うち五箇所に『蛇』をまわして、水際でたたくことができたわけ。例外は宮崎の方だけど、襲撃が本格化する前に空自のみなさんがなんとかしてくれたわ」


 羽純とアーシャを除外すれば、日本国内に現在いるという魔女マギは七名。

 関東地方の東京新都に織姫。

 ほかに北海道、岩手、岐阜、和歌山、島根、香川にひとりずつ在住している。

 彼女たちの大半が迎撃に出る事態となったようだが、まずは大事にならずにすんだらしい。


「でも、織姫さんは魔女マギになりたてとは思えないほど優秀よね」


 柊さんがいきなり話題を変えた。


「ここだけの話よ。実をいうと私、あの人は『蛇』と盟約を結べたとしても、それほど強い魔力には目覚めないだろうと思っていたの。とんだ見込みちがいだったけど」

「そ、そうだったんですか」


 唐突な打ち明け話への答えに、羽純が困っている。

 ハルも以前、同じ見立てをした。

 しかし、火之迦具土ひのかぐづちが介入したせいか、織姫はとんでもない早熟ぶりを見せている。

 そこをいぶかしむのは自然なことだ。


 が、今の柊さんはハルの反応を見るため、こんな話をしている気も……。

 彼女のくわせものぶりを知る同僚として、ハルはなるべく脱力気味に答えた。


「まあ、ときどきアッと驚く逸材がひょっこり出てくる世界ですし」

「それはそうだけど、そんな娘によくある“とんがった”部分が織姫さんにはないから、意外だったのよねー」

「あれで十分、十條地は曲者ですよ。アーシャと互角にはりあえるくらいです」

「そういう見方もあるか……。その発想はなかったわ。一本取られたかも」

「あ、あのっ。今のは姉さまとアーシャさん、どちらに対しても失礼な気が……」


 年長者たちへ羽純がひかえめに意見すると、さすがの柊さんも苦笑した。


「ごめんなさい。ちょっと口がすべりすぎたみたいね。……あ、そうそう。その織姫さんにはまだ仕事があるんだったわ」

「あ。あれですね」


 羽純には心当たりがあるらしい。

 柊さんも「ええ、あれ」とうなずく。


「面倒だし余分なことだけど、これも仕事のうちだしね。じゃ晴臣くん、羽純さんをおねがいね。私は織姫さんを連れて野暮用があるから」


 柊さんがはなれていく。その先にはぐったりした織姫と、やや元気を取りもどしたアーシャがいた。

 銀髪の幼なじみは近くに来た見城へ詰めより、何か食糧はないのかと訴えているようだった。

 見城は爆笑しながら板チョコを一枚差し出していた……。


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