【第一章 放課後と魔女たちと④】
「ま、何はともあれ大切なのは御飯です。腹がへっては戦闘できないと日本の格言にもありますし、お昼にしましょう。私はおなかがすきました」
特に最後を重々しくアーシャが発言し、ミーティングは終了となった。
織姫と羽純が私服に着替えるのを待って、近くの公園に移動。
ちょうどあいていた休憩用のテーブルに陣取って、昼食をはじめた。
「今日は特製の中華ランチを持ってきました。中華料理は私の得意分野のひとつです。みなさん、心ゆくまで味わってください!」
味によほど自信があるのか、鼻息荒くアーシャは告知する。
ここへ来る前、待ち合わせ場所で『今日のお昼は作ってきましたから!』と言われたとき、ハルはドラッグストアで胃薬を買わなければと思ったものだ。
対して、期待に目を輝かせるニューフェイスがいる。
「本当ですか? うわあ、とても楽しみです」
羽純だった。
その澄んだ瞳に宿る輝きは、本当にきらきらしていた。
「アーシャさん、本当に料理が上手だから。まちがいなく美味しいと思うわよ」
しかも、織姫が期待をあおる。
すでに一度、春賀家でアーシャの『手料理』を体験ずみのはずだが、朗らかな笑顔だった。
あのときの献立と量、たまたま『がっつり』だったと思っているのだろう。
そして、ついにアーシャが持参した手作り弁当を披露した。
「このちまきは昨日作ったやつの残りです。豚の角煮入り、さつまいも入りの甘いの、山菜入り、牛角煮入り……まあ、いろいろあります」
「すごい! 盛りだくさんですね!」
「そして
「そこまでされてるんですか!?」
「それから
どん、どん、どんとアーシャは料理を次々と出していった。
容れ物は日本のデパートの食器売り場で『こんなに重ねられるランチボックスがあったなんて!』と、感激しながら購入した重箱の七段重ねである。
どの野菜も色あざやか。
中華風に油で揚げてから調理しているためだ。
見た目も味もばっちりで、こってりで、卓から皿がはみ出そうなのがアーシャ流中華なのである。
織姫が目をぱちくりさせた。
それから、全てを悟ったように思慮深げな顔でうなずく。
「そういえば、よく『おなかがすいた』って言ってるものね……」
「すごい……た、食べきれるかな……」
一方、はじめ感激と尊敬のまなざしでアーシャを見つめていた羽純。
アーシャ流の量と品数を前にして、さすがに動揺を隠し切れなかったのだが。
いきなり決意の表情で顔を上げ、強い調子で訴えた。
「あ、あの。ものすごく美味しそうですっ。わたし、がんばりますね!」
「ふふふふ。どうぞどうぞ。遠慮なく味わってください」
「は、はい!」
けなげにうなずく羽純と、他人の胃袋も過大評価気味のアーシャ。
どちらも小柄な少女なのに、非常に対照的だった。
それにしても羽純はけなげだ。
ハルが早々に完食は無理だと割り切ったのに対し、なんとしても食べ切ろうと自分を鼓舞している。
きっと、残したら作ってくれたアーシャに悪いと思っているのだろう。
いい子だな――と思いつつ、ハルも食事に取りかかった。
こういうときはいつも胃腸に負担がかからない程度で箸を止めてしまう。
だが、今日は限界ぎりぎりまで胃袋に詰めこむ必要があるかもしれない。
「あ、そういえば。この間、晴臣と織姫さんが
「僕と十條地が? いつのまにそんなデマが……」
「け、けほっ」
「大丈夫、姉さま!?」
いきなりのどを詰まらせた織姫に、羽純がペットボトルの緑茶を差し出した。
一方、油淋鶏を一口で呑みこんだアーシャは目つきを鋭くする。
「その反応……うわさの発端は、やっぱり織姫さんが掘った墓穴ですか」
「ぼ、墓穴だなんてとんでもないわ。聞いてアーシャさん」
「あ、あれか。この間、十條地が僕に持ちかけた『来週の連休中に、韓国か台湾あたりに二泊三日』のチケットその他を予約できないかって、いきなりすぎる相談か。考えてみたら、あのときもクラスのみんなが近くにいたもんな」
「春賀くんのあやしいコネとかで、往復の飛行機だけでもって期待したのよね……」
「そりゃ密航船なんかの当てもなくはないけどさ。こっちに都合のいい日程とルートで出航するわけないだろ」
「そ、そんなお知り合いがいらっしゃるんですか?」
羽純に目を丸くされて、ハルは「ん、まあ」と言葉をにごした。
黒と白でいえば、黒に近いグレーゾーンで居心地よく暮らす身である。
こういう“いい子”に本性を見せるのはどうも気が引ける。
一方、羽純はなぜか感心した体でつぶやいている。
「密航……たまにニュースとかで見ます。そうだったんですか……」
「あ、だめよ羽純。さすがにそんな入出国、羽純にさせるわけにはいかないわ。いい機会だから、この子を海外旅行に連れてけないかって思ったんだけど」
「え!? わたしを!?」
「ええ。ほら、ちょうど
「姉さま……」
「そんな旅慣れてない子に、弾丸海外旅行させるのはいかがなものかなあ」
「そこはまあ、ものはためしで訊いてみた感じ? いい感じの旅行プランが組めそうなら、羽純にすすめてみようかって。――あ、友加里さんから電話だわ」
急に曲を奏ではじめた携帯端末を、織姫がバッグから取り出した。
端末をそのままテーブルのまんなかに置く。
柊友加里の画像が液晶に表示されていた。
赤いフレームの眼鏡をかけた、知的美人ふうの容貌である。
しかし、不思議と気だるげな目元が印象的だ。
「どうしたの、友加里さん?。偶然だけど、アーシャさんと羽純もここにいるわよ」
スピーカー通話にして電話に出るなり、織姫は言った。
いつのまにか敬語抜きで話す、フランクな関係を築いていたようだ。
特に
『それは助かるわ。じゃあ、いきなりだけど悪い報せを伝えてもいい?』
気やすさにまかせてか、柊さんは単刀直入だった。
『今、ラプトル九体が小笠原諸島の防衛ラインをすり抜けて、太平洋上を西に進んでいるそうなの。このままの進路だと、関東地方への到達が予想されるわ。万一の事態になりそうだから、織姫さんに迎撃準備を要請させてちょうだい』
「姉さまたち、行っちゃいましたね」
羽純がさびしそうにつぶやいた。
パートナーの
逆にアーシャは食べかけの弁当を残して、織姫に同行していった。
相棒が思わしくないのは羽純と同じ。
しかし、経験の浅い織姫をバックアップする役を引き受けたのだ。
「変な感じです。前は私が出ていく側だったのに……」
ハルとふたりで公園に残った羽純は、心配そうに表情をくもらせている。
残った中華弁当をまとめていたハルは、手を止めて言った。
「
本当は『いつだって想定外のことは起こりうる』など追加事項もあるのだが。
もちろん口にはしない。
すると、歳下の
ややぎこちない、いつもより透明感がすくない笑顔だったが。
「そう……ですね。はい。わたしも姉さまたちを信じることにします。春賀さんみたいに」
すこしだけ無理して作った、羽純の笑顔。
ハルが気を遣ったのだと察して、逆に心配かけまいとしてくれたようだ。
羽純のまっすぐな瞳に見つめられて、ハルは落ち着かない気分になった。
変な感じだった。
相手がいい子すぎて、逆に気後れしてしまう。
織姫とはまた異なるベクトルで、やりにくい相手だった。
「ただ、柊さんの言っていたことが気になります。関東地方以外にもドラゴンたちが飛んできているらしいって……」
羽純がまたすこし沈んだ表情になった。
柊さんが教えてくれた情報だ。
『まだ情報を収集中なんだけど、列島各地にラプトルの群れが襲来しているらしいの。同時多発的にね。日本中の防衛関係者が大騒ぎしてるそうよ。関東に来た群れをどうにかできたら、織姫さんには手が足りてない地域に出張してもらうかも』
竜族小型種『ラプトル』によるドラゴン・ストライク。
これは本来、散発的なものだ。
群れ同士で示し合わせて、特定の地域を計画的に襲撃などという事態はまず起こらない。
例外があるとすれば、上位種がからんだケースのみ――。
そのとき、横柄かつ尊大な少女の声がいきなりこんなことを言った。
「ふむ……味は悪くない。及第には達している。が、口のなかの油を酒で洗いたくなるな。かつて妾に供物を献じた人間どもは、そのあたりも抜かりなかったものだが」
声の方を見る。
いつのまにか和服姿の少女が隣にすわっていた。
紅蓮の焔を思わせる緋色の衣。
黒髪に紅いリボン。
見た目は可憐な幼女でありながら、その正体はドラゴン上位種の亡霊――。
「あんた……ものを食べることもできたのか」
「べつに飲み食いする必要もないので、めったにやらんがな。ところで小僧、地上もなかなかきなくさくなってきたようではないか」
一方、緋衣の亡霊とはじめて対面した羽純は目を丸くしていた。
それでも驚きを押し殺し、挨拶でもするつもりなのか口を開きかけたのだが。
あいかわらずの横柄さで
「巫女の小娘よ。おまえの素性はとうに知っているし、おまえも妾のことは耳にしていよう。あらたまった挨拶なら不要だぞ。面倒だ」
「は、はい。おうわさはかねがね姉さまたちから聞いてますっ」
「無論、妾がまとう女王の高貴さに感銘し、跪きたいのなら止めはせんが」
「!? 女王さま――なんですか!?」
「ふふふふ。そのあたりはおいおいな」
素直な羽純の相手で興が乗ったか、
そして、にやりと唇の端を曲げながら、ハルをちらりと見つめる。
「小僧。もしかしたら、おまえにとって歓迎しがたい客人が近く現れるやもしれぬぞ。そのとき試されるのはおまえの器量……謎を追うのもいいが、ゆめ警戒はおこたるな」
いきなりの警告に、眉をひそめるハルだった。
そして、東京新都でハルたちがラプトル飛来の報を聞いた頃。
太平洋上のとある小さな島で、白金色の焔が轟々と燃えあがっていた。
小笠原諸島に程近い海域の、住む者といえば海鳥ばかりの無人島である。
この岩場ばかりの孤島を白金の火が熱く、妖しく焦がす。
それは竜族の魔術が生み出した超自然の焔であった。
そして、かつてラーク・アル・ソスが生み出したのと同じ焔だった。
今回、この焔に灼かれるのはパヴェル・ガラド。メタリックシルバーの
二週間ほど前、「雪風の姫」を名乗る竜王に打ち倒されたばかり。
しかし、あのとき胸に開いた大穴はすでにふさがり、壊れかけだった心金も正常な機能を取りもどしつつある。
復活を成就させてくれた要因は、パヴェル・ガラドの掌中にあった。
右の竜掌に刻まれた、「<」を三つ重ねたようなルーンである。
これこそ、ガラドが継承した竜
「あとわずかで我が肉体は完治し、いくさの準備がととのう……。我が眷属たちよ、それまで我の代わりにかの地を飛び、開戦の角笛を吹き鳴らせ。パヴェル・ガラドが制覇すべき地の民草に、我が血の熱さを見せつけろ」
ここより西方の海に浮かぶ細長い列島へ、眷属どもを送りこんでいる。
彼らへの檄を口にしつつ、ガラドは白金色の焔に灼かれつづける。
全ては《剣の
「かの地を制覇し、我が領土とする――。それこそがわたしに課された試練なのだ!」
竜
彼の襲来によって未来が大きく変わることを、ハルたちはまだ知らない――。
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