【第一章 放課後と魔女たちと②】
胡月学園の所在地は墨田区の両国。設立は約一〇年前だ。
学園ができる前、東京近辺は人口の減少が進んでいた。
旧東京
また幾度かのラプトル襲来を受けて、各地が荒廃していた。
そのままでは過疎化の一途をたどるだけだったろう。
しかし、新たに新都として『再開発』する流れとなり、同時期に学園は新設された。
おかげで土地が確保しやすかったらしく、ふつうの学校よりも敷地が広い。
学園には中等部と高等部があるのだが、どちらの校舎も同じ敷地内だ。
雑木林もあちこちにあって、校内を散歩するだけで『広い公園でピクニック』気分を味わえる。
「グラウンドも広いから、運動部の子たちはよろこんでるわよね」
「文化部にはべつの意見がありそうだけどね。校舎から歩いて一〇分以上かかる部室って、結構めんどくさそうだよ」
織姫にあいづちを打ちつつ、ハルは道のりを思い浮かべる。
高等部の校舎を出ると、すぐに雑木林。
そのなかの小道を抜け、野球場のそばを進み、ようやく隣り合う鉄筋校舎ふたつの前にやってきた……。
これが図書館と、文化部クラブハウスだった。
前者は読んで字のごとく。
後者は一棟まるまる文化部の部室だけを集めた場所。
クラブハウスは四階建て。
ここへ顔を出すため、ハルたちは放課後わざわざやってきたのだ。
「ついに来ましたね。うわさのオトコの
「何だって、アーシャ? おとこのこ?」
幼なじみのつぶやきをハルは聞きとがめた。
「武藤さんが言ってたじゃないですか。
訳知り顔でアーシャはうんちく(?)を披露した。
「男子でありながら女子以上に美しい、反則的な生き物にちがいありません。メイド服とか着ているかもしれませんね」
「反則的というか二次元的というか……」
「五つの部で部長をやってるとも、武藤さん言ってたわよね」
面白そうに織姫も口をはさんだ。
「
「まあ、没個性とは縁がない人なんだろうなあ。絶対に」
ハルはつぶやいた。武藤さんの説明を思い出す。
『あの人はねー。半端に説明するより会ってもらうのがいちばんかな。前田さんっていうんだけど。あんまりすごいから、みんなM部長って呼んでるの』
『なんでイニシャル?』
『本名を呼ぶの、畏れ多いんだよね。尊敬の証ってやつ?』
武藤さんは先に部室で待っている。ハルたちはクラブハウスに入った。
階段を上がり、廊下を進み、『
「お、来たねー。入って入って」
武藤さんに迎えられ、通された部室にいたのは――
「よく来たわね。アタシがMよ」
イニシャルで名乗る怪人物だった。
M部長はマタニティドレスのような黒い女物の服を着ていた。
推定体重一四〇キロ。
体型はふくよかであり豊満だった。
ハルは土偶を思い出した。
縄文時代の土人形。
『母性』の象徴だという説がある。
色白で瞳はつぶらだ。
決して美少年でも美少女でもなかったが。
「アンタたちが例の新入部員? これから、暇なときはアタシの顔を見にきなさい。この部屋にいなくても、きっとクラブハウスのどこかにいるわ」
つやのあるハスキーな声。
男の作り声にも、れっきとした女性の声にも聞こえる。
いわゆるオネエ……だろうか。それとも本当に女性なのか?
「ここにいないかもしれないのは、ほかの部にも行くからですか?」
怪人物にも自然に話しかける。
さすが十條地織姫というべき順応力だ。
「そうよ。アタシには所属する部のみんなを部長として、母として見守る義務があるの。だから、あちこちふらふらしてんのよ」
「母! お母さんですか!?」
「ええ。選ばれし者、力のある者はね。その能力に見合う責任を果たさなきゃいけないの。だから、アタシはみんなを守り、導くのよ」
つっこみどころが多い、M部長の発言だった。
しかし、そこをつつく意欲がわいてこないハルだった。
織姫も感心&びっくりした体でうなずいている。
部長の存在感ゆえに納得してしまったのだろう。
特に最大の疑問点である『オネエか女子か』。
本人の主張が『母』なんだから、性別・母でいいやと早くも諦観の境地に達して、ハルは挨拶した。
「見守っていただく必要はあまりないですが、よろしくお願いします」
「ふうん……そう。アンタ、そういう子」
「へ?」
「すぐには心を開かない、めんどくさい性格みたいね」
「…………」
「ま、いいわ。いずれアンタもアタシの愛に気づいて、感謝する日が来るでしょ。深く静かに見守ってこその母なのよ」
超然たる口調でM部長は言った。
日本の高校にもここまでの変人がいたか――。
ハルが感じ入っていると、今まで黙っていたアーシャが口を開いた。
「ところで、すいません。私も入部希望者です。手続き、いいですか?」
ごく平然と訴える。部長の異質さにまったく動じていない。
「これで私も晴臣や織姫さんと同じ立場。ふたりだけで部活するからって仲間はずれにされることもなく、公然といっしょにいられます。ふふっ」
「あ。アンタはちょっと待ちなさい」
のんきに微笑むアーシャへ、部長が待ったをかけた。
「
「な、何を言ってるんですか? 私、そんな部に興味ありませんよ?」
「その方がアンタにとっても都合がよくなるわよ。そうね……そこのところをくわしく説明してあげる。ついてらっしゃい!」
海を割って浮上してくる巨鯨のように、M部長が“ぬっ”と動いた。
巨体のくせに動きが速い。
鉄砲水が低地へ向かうように“どどっ”と部室のドアへ突進する。
しかも、いつのまにかアーシャの手をつかみ、道連れにして。
「へっ? ち、ちょっと部長さん!? 私、そんな説明受けなくても――!」
抗弁もむなしくアーシャは拉致され、部室の外へ連れていかれる。
さすがにウエイトがちがいすぎる。
《筋力増強》の魔術でも使わなければ、妖精のように細身の幼なじみが部長にかなうはずないのだ。
「ほかのみんなは適当に時間をつぶしてなさい!」
この指示を残して、M部長は去っていった。
「こ、ここは一体どこなんですかっ?」
「文芸部の部室よ。つっても、部長のアタシしか部員はいないけど」
アーシャが連れこまれたのは、クラブハウス三階つきあたりの一室だった。
壁際にはスチール製の本棚。
大量の小説やマンガがならんでいた。
「私には、
M部長はかなりの変人具合だが、アーシャはひるまない。
同じ
「せっかくのお誘いですけど、ご縁がなかったということで――」
「アンタがどうしてもって言うなら、無理強いはしないけど……。でもいいの? あっちの部であの娘といっしょにいたら、たぶん負けるわよ」
「あの十條地って娘に、春賀ってのを取られたくないんでしょ?」
アーシャは「!?」と絶句した。
出会って一〇分も経ってないのに、どうしてそれを?
だが認めるわけにもいかず、必死に言葉を探す。
「そんなことありませんっ。適当なこと言わないでください」
「ふふふ……わかるのよ。アタシには、ふつうの人間にはない特別な力があるから」
「特別な力!?」
超能力伝奇アクション風味のセリフをささやくM部長。
丸みと、意外に愛嬌もある顔が妖しく微笑むのをアーシャはたしかに見た。
「ええ。アタシのスキル《
「恋愛模様とか言われても、何のことやらですっ」
「ずばり、友達以上恋人未満の男を取られたくない、アンタの乙女心!」
「きゃあああああっ!」
思い切り心の裡を看破されて、ついに悲鳴をあげるアーシャだった。
スキル。
異様にすぐれた観察眼によって、人間関係のほつれを見破る眼力という意味だろうか?
アーシャはM部長の圧力に呑まれつつあった。
「まだいろいろ読めるわよ……。基本的に『押せ押せ』でいくくせに、肝心なところでヘタレる負け犬根性がアンタにはあるようね……」
「痛っ! その言葉のナイフ、すっごく胸に刺さります!」
「そんな半端肉食系ヘタレ女が『押せ押せ』で部活をいっしょにしたって、どうせ今までと同じよ。いいえ、隣にいる太陽みたいな娘が比較対象になるから、もっと悪いわね」
「あ痛たたたた!」
「ついでだから、もうひとつのスキル《
「死者を鞭打つ発言なら、お願いですからやめてくださいねっ」
「……職種はわからないけど、二〇年後のアンタはバリバリのキャリアウーマンみたい。とびきり仕事のできる女として、充実した日々を送っている。でも、購入したばかりのマンションに帰ってきても、誰もいない……。むなしさとさびしさがアンタの胸に去来する。心を慰めてくれるのはお酒だけ……」
「ううっ」
「あら。二〇年後のアンタ、いいワインをためこんでるみたいね。専用のセラーまで用意しちゃって、ずいぶん稼いでるじゃない。……ま、変な男と縁があるより、お金だけある方が幸せな人生かもしれないしね……」
「ところどころリアルで本当にありそうだから、勘弁してくださいっ!」
打ちひしがれて頭をかかえ、文芸部の床にアーシャはへたりこんだ。
「し、仕方ないじゃないですか。どうやったら自分を上手くアピールできるのか、よくわからないんですから……」
アーシャは心細い気持ちで床のタイルを人差し指でぐりぐりした。
「晴臣はあんな感じのトンチンカン野郎ですし、織姫さんは天然にまかせているだけなのに好感度をアップさせまくりだし。私としてはせめて部活だけでもいっしょにと……」
「その判断、基本的には悪くないわ」
ぽんとアーシャの肩に手を置いて、M部長は言った。
「アンタに欠けているのはね。自分の潜在能力を活かすためのセンスと運と決断力、バイタリティ、演技力、ヴィジョン、セルフプロモーション……」
「ち、ちょっと言いすぎです。それじゃいいところまるでなしです」
「仕方ないわよ。アンタ、女子力と恋愛偏差値低いもの」
「うううっ」
「でもね。アタシのところに来たのも何かの縁。アタシについてくる気があるなら……いっちょ鍛えてやってもいいわよ?」
「――部長! どうしてそこまで!?」
ハッと顔を上げ、アーシャが訊ねると、M部長はふふんと鼻息を荒くした。
「言ったでしょ? 部の全員を守り、導くのがアタシの役目だって!」
実はこの出会いが人生の転機になるとは露知らず、M部長の不敵な顔を呆然と見あげるアーシャだった。
一方、部長&アーシャが去った
「いきなり静かになったな……」
ハルはしみじみとつぶやいた。
「でもさ。部長さんの性別くらい、すこし調べればわかりそうなもんだけど」
「たしかにそうよね。学校で身体測定だってあるわけだし」
織姫もうなずく。
しかし、武藤さんはかぶりを振った。
「そこがこの学校の変なところでさ。そういう個人情報を隠したいなら最大限に便宜をはかるし、本人の許可なく公開もしないんだよね。ほら、校内に一箇所『第三の性』の人向けトイレだってあるし」
「そういえば、タイの高校とかもそうだっけな……」
ハルはもう詮索しないことにした。
代わりにあらためて部室を見まわす。
どこの高校にもありそうな、広くもない無個性な部屋である。
まんなかのあたりで六個の学校机を長方形にならべて、会議机の代わりにしている。
しかし、備品の充実ぶりがすばらしい。
デスクトップPC二台にノートPCが二台。
出版業界ではおなじみ、赤い果実がシンボルのメーカー製PCも一台。
A3印刷可能なインクジェットプリンターにレーザープリンター、カメラ類、資料とおぼしき書籍やファイルの数々……。
「これだけの物、高校の部活がどうやって調達したんだ?」
「歴代部員のカンパとか、M部長がコネでもらってきたりとかみたい」
ハルの疑問に武藤さんが答えてくれた。
部長がいない今、会の活動を知る唯一の部員である。
すると織姫が訊ねた。
「そういえば、春賀くんのほかにも男子がいるんでしょう? その人はいないの?」
「ああ、桜庭先輩ね。あの人にはめったに会えないと思うよ」
「幽霊部員とか?」
「その逆。放課後になると学校をすぐに出て、ドラゴン関係の情報を集めにいくの」
どうやら桜庭先輩、その活動にかなり熱心な人らしい。
「ろくに家にも帰らず、引きこもりの逆をいく生活みたいでさ。でも、それだけにすごい情報をいろいろ仕入れてくれんの。こんなふうに」
武藤さんが机の上のノートPCをひとつ引きよせた。
モニターを開いてスリープ状態から回復させ、ある画像を表示する。
「これ、今まで関東じゃ確認されてない『蛇』なんだって。もしかしたら“新型”じゃないかって、桜庭先輩が活動報告に書いてたよ」
一匹の獣を写した画像。
ハルは大いに驚いた。織姫もそうだろう。
毛皮の色は白だ。
しかし、光を反射する部分は紅蓮色に輝いている。
狼と狐を合わせたような風貌。
何より特徴的なのは、九つもある太く長い尾――。
それはつい最近誕生したばかりのリヴァイアサン、織姫の相棒『
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