【第五章 悪路王、そして南天の弓星】⑤


「アーシャさん、あのドラゴンどうなっているの!?」

「わかりませんっ。あんな現象を見るのは、私もはじめてです!」


 いきなり飛び去ったソスを追って、織姫と共にアーシャは走る。

 先行させた悪路王が『館』のそばでドラゴン上位種に襲いかかった直後、ラーク・アル・ソスの全身が白金色に燃えはじめたのだ。

 溶鉱炉で灼かれる鋼鉄のように白熱しながら、彼は空へ浮き上がる。

 しかも、手にする魔導の杖もいっしょに燃えていた。


「天上に輝くルルク・ソウンの聖霊よ。秘文字のなかの秘文字よ。我、ラーク・アル・ソスに竜弑しの刃を授けたまえ!」


 ソスの唱える口訣こうけつ――呪文だった。

 すると、白金の焔に灼かれる魔導の杖は『巨大な剣』へと変貌を遂げていった。


 それは幅広で直刃、鉈のように刃が厚い大剣だった。

 無骨な造りである。

 しかし、刀身にはルルク・ソウンのルーン記号が十数個も見栄えよく刻まれて、異文化の工芸品めいた雰囲気を宿していた。


「り、竜弑し……?」


 ソスが行使した不可解な魔術に圧倒されながらも、アーシャたちは『館』近くにやってきた。すかさず織姫が叫ぶ。


「悪路王! さっきの魔法、もう一度できる!?」


 クオオオォォオオッ!


 狐狼の咆哮が力強く応えた。

 織姫は早くも『蛇』のあつかいになれてきたらしい。

 大蛇のような九尾の先が燃えはじめる。

 それぞれの尾より焔の玉を放つ《火》の疑似神格だった。


 これがふたたび、今度はソスめがけて放たれたのだが――。


「ええっ!?」


 織姫が驚愕した。百戦錬磨のアーシャも同じだった。

 九つも飛んでくる焔の玉に対して、ソスはまったくの無防備だったのである。

 疑似神格にはいつも防御のルーンを展開し、周到に身を守っていたというのに。


 そして、直撃した九つの焔は――白熱したソスに傷ひとつ付けられなかった。

 悠々と空を舞うブロンズドラゴンは身じろぎひとつしない。

 悪路王の魔術攻撃をそよ風程度にしか感じなかったのだろう。


「邪魔をするなと、すでに言っておいたな」


 ソスは手にした『剣』の切っ先を悪路王に向けた。

 その瞬間、今にも飛びかかろうとしていた悪路王の動きが止まった。


「悪路王!? 動いて! 攻撃しなくてもいいから、せめてあの剣を避けないと!」


 織姫が心配そうに呼びかける。だが彼女の『蛇』は応えない。

 ソスはばさりと翼を広げ、飛翔をはじめた。

 悪路王に向かって一直線に。


「くくく。“まがいもの”ごときが天敵たる竜弑しの威に刃向かえるわけもなし。ここで骸をさらすがいい」


 白熱化したソスが無造作に『剣』を突き込んでいく。

 悪路王は防御を一切しようとはしなかった。

 まるで王に挑んで戦い敗れ、かつての主にひれ伏した謀反人のように。

 織姫が「悪路王!?」と叫ぶ。


 また、アーシャは新たな事実に気づいて愕然とした。

 さっきルサールカが抉ったソスの左肩、もとどおりに治っている!

 これも白熱化の恩恵なのか。

 いずれにしても、このままでは悪路王が死ぬ。


「ルサールカ!」


 アーシャは聖水化した相棒を飛翔させ、突っこませた。

 悪路王めがけて、である。

 水圧の力で白き狐狼を吹っ飛ばす。

 ソスの『剣』から遠ざけるための緊急措置だった。

 代わりにルサールカが『剣』に貫かれたが、物理攻撃だから問題ない、はず――。


 キュアアアァァァアアアアンンンンッ!


 ルサールカの咆哮は断末魔の叫びにも似ていた。

 ソスの『剣』に貫かれた瞬間、蒼きワイバーンの聖水化はあっけなく解け、実体にもどり、串刺しにされた状態となり、力のかぎり絶叫して苦悶を訴えたのである。


 あの『剣』は聖水すら断ち切る神威を宿しているというのか――。

 愕然としたアーシャの前で、『剣』が抜かれる。


 すぐにルサールカの巨躯は墜落していった。

 飛ぶ力などないのだ。

 相棒の失墜を目の当たりにして、アーシャは一瞬だけ大きく目を見ひらいた。


「アーシャさ――!」

「織姫さん! 悪路王はまだ神格を使うことができますか!?」


 動揺と申し訳なさで取り乱しそうな織姫の声をさえぎって、アーシャは訊ねた。


「う、うん。あと一回だけなら大丈夫みたい……」

「予想どおりですが……とても新人とは思えない力ですね」


 やはり、織姫は第三階梯かいていクラスの力を持っていた。

 アーシャは大きくうなずいた。


「なら、最後の疑似神格は直接攻撃ではない形で使う方がいいでしょうね」

「わ、わかった。それで、アーシャさんの『蛇』は……?」

「まだ――死んではいないようです。ただ、人間でいうと意識がだいぶ朦朧としているみたいで……私が呼んでも応えてくれません」


 ルサールカとの霊的結合は、まだ断たれていない。

 相棒が生きている証明だった。

 だが、アーシャがどれだけ念を送っても、まったくいらえがない。

 明らかに非常事態だった。

 すると、織姫が顔をひきしめ、おもむろに言った。


「だったらアーシャさん。わたし、しばらくひとりでがんばってみるわ。そんなに長くは保たせられないかもしれないけど。でも、その間にあの子……ルサールカの状態をたしかめてきて!」


 後輩の気遣いに、アーシャはすばやく考えを巡らせた。

 織姫に指示をあたえて、戦いをバックアップするつもりだった。

 だが、ルサールカのそばに行くことができれば。

 最期の力を引きだして、疑似神格の行使を命じられるかもしれない。

 それに、何より――。


「まかせても……いいんですか?」

「ええ。わたしには悪路王がいるもの。それと同じよ。ルサールカが死にかけているなら、あの子にはアーシャさんがついていなくちゃ!」

「ありがとうございます!」


 ひとりでは戦えないなどと言わない。

 十條地織姫は芯のしっかりした少女なのだ。

 後輩のそういう面をむしろ異様な早熟ぶり以上に評価しつつ――

 アーシャは駆け出した。

 すこし前に《跳躍力強化》で向上させた身軽さのおかげで、メダリスト級のスプリンターめいた速さである。

 さっきはこの魔術を使えない織姫に合わせて、ふつうに走った。

 だが、今は全力で全速だ。


 アーシャは走った。

 相棒の蒼きワイバーンが墜ちていった場所へ。


「ルサールカ! おねがい、私の声に応えて!」


 織姫のそばにいる間は『先輩』として、冷静に振る舞う必要があった。


 だが、もうその必要はない。

 瀕死の相棒へ必死に呼びかけるアーシャだった。

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