【第五章 悪路王、そして南天の弓星】④


 すやすやと寝息を立てる少女。

 たしか名前は白坂しらさか羽純はずみだ。

 胡月学園中等部の制服を身につけている。

 枕元にハルが立っても起きる気配はない。

 強めに肩を揺すってみたが、やはり無反応。


「眠っている……いや、眠らされているのか?」


 ソスに眠りの魔術をかけられたのではないか。

 推測したハルは『商売道具』入りのウェストバッグを探った。

 かければ魔術的視覚を得られる片眼鏡モノクルで確認しようとしたのだが――。

 取り出す前にやめた。


 仰向けになって眠る白坂羽純。

 その全身を白く淡い光がつつみこんでいる。

 これは魔力の輝きだった。

 今まで見えなかったのに、急に視認できるようになった。


「僕が気になったから、魔術的視覚が発現したわけか……」


 特異体質のネタはまだ尽きないらしい。

 ハルはしみじみとつぶやいた。


「でも、腕力だけで『眠り姫』を連れ出すのはちょっときついな。どこかにストレッチャーでもあればいいんだけど」


 ドラゴン上位種がかけた魔術の眠り。

 ハルごときに《解呪》は不可能だ。

 しかし、家捜しする時間も惜しい。

 それに目の前の美少女は小柄で、すばらしく軽そうでもある。

 あきらめて、おんぶして運びだそうとしたときだった。


(なぜ、起こせないと思う?)


 不意に火之迦具土のささやき声がした。


(おまえが呼べば、必ず巫女の――蛇の贄たる乙女の心には届くだろうさ)

「…………」


 根拠薄弱な言いぐさへの反論はいくつも考えついたのだが。

 しかし、『こういうことか?』とイメージを思い描ける自分にも気づいていた。

 火之迦具土に言われてハルも感じたのだ。

 たしかにむずかしくはなさそうだと――。


 繊細にととのった少女の面差しをじっと見つめる。

 彼女は『竜』、もしくはその近似種と命を共にする存在。

 ならば、必ず届く。


 自分は――自分たちこそが竜の種族にとって天敵であり、暴君であり、憎悪の的であり、畏怖と忠誠と叛逆の対象なのだから。

 竜の系譜につらなる娘である以上、無視されることは絶対にない――。


 訳のわからない確信に突き動かされて、ハルはそっと手をのばした。

 少女の頬を撫でる。

 そして、いっしょに


「君……起きられる、か?」


 呼びかけた瞬間、少女がぱちりと目を開けた。

 あわてて手をひっこめる。


 寝起きの魔女マギはしばらく寝ぼけまなこでボーッとしていた。

 そして、ベッドサイドに見知らぬ男がいるのをぼんやりと見て、そのまま十数秒。

 不意に短く悲鳴をあげた。


「きゃあっ」

「えーと。僕はあやしい者じゃないよ」

(乙女の寝所しんじょに忍び入り、しどけない寝姿を観賞しておいて、世迷い言を……)


 火之迦具土のささやき声、今回ばかりは正論であった。

 しかし、うかつにも今さら気づいたハルはできるだけ人畜無害をよそおい、柄にもなく『頼りになるお兄さん』風に歳下の魔女へうなずきかける。

 幸い、火之迦具土の声は少女――白坂羽純には聞こえていなかったらしい。


「は、はい。大声を出して、すいません。ところで、わたしはどうしてここに……たしか中庭にいて、それから……変身したドラゴンと会って」

「うん。君はソス、その上位種につかまってたんだよ」


 眠らされる前のことを思い出したらしい羽純に、ハルは言った。


「僕は君の従姉妹、十條地さんの……だ。春賀っていう」

「おうかがいしたことがあります」


 安心&信用させるため織姫の名を出すと、羽純は居ずまいを正した。

 ベッドの上できちんと正座して、従姉妹の知人を見つめる。

 そのまっすぐな視線にさらされて、ハルはたじろいだ。

 写真以上に目力が強くて、思わず引きこまれそうになったのだ。


「《S.A.U.R.U.サウル》の方で、織姫姉さまの新しいだと」


 意識して避けた肩書きを、向こうが口にする形となった。

 否定は――しなかった。

 なんとなく否定できる理由がないように思えたのだ。


「十條地は今、取り込み中でね。僕が様子を見にきたんだ」

「そうでしたか……。ところで春賀さん。ひとつ、お訊ねしてよろしいですか?」


 白坂羽純は、どうやら割といい家の箱入り娘らしい。

 しっかりとした、丁寧な言葉遣いである。

 だが、どこかおっとりとした口調で、親しみやすさを感じさせてくれた。


「この館のなか、ふつうの方にはとても危険なはずですけど、どうして……?」


 館内はあいかわらず《死》の呪いが充満中だ。

 ハルの魔術的視覚には、この致死の魔力が毒々しい銀色の鱗粉として空気中を舞っているように見える。

 魔女の羽純にも同じものが認識できるはず。

 だというのに、どうして無事なのか?

 当然の疑問にハルは答えた。


「かんたんに言うと、ちょっとした特異体質だよ」

「特異体質!?」

「こいつを活かして、人知れず覆面ヒーローとして活動する予定はないんだけどさ。予定は未定だから、まだ秘密にしておこうと思うんだ。協力してもらえると助かる」

「はあ」


 くわしく語る意欲も時間もないので、ごまかそうとしたのである。

 羽純は不可解そうに首をかしげている。

 が、疑問を口にしようとはしない。

 どうやら従姉妹とちがい、おとなしくてひかえめな性格のようだ。

 これ幸いと、ハルは都合の悪い会話を打ち切ろうとしたのだが。


「そうですか。不思議なこともあるんですね……」


 感じ入った面持ちで羽純はつぶやき、じっとハルの顔を見つめる。

 やはり目力が強かった。

 心にやましいところがあるせいか、目をそらせない。

 しかも、いきなり羽純がくすっと微笑んだので、ハルはどきりとした。


「ど、どうしたんだい?」

「あ、いえ。なんだか面白そうなお話なので、よろしかったら今度ゆっくり事情を聞かせていただけたら、うれしいなと思って……」


 淡く微笑みながら、おっとりと羽純は言った。

 織姫も『お姫さま』っぽい少女だが、従姉妹も負けず劣らずらしい。

 羽純のおっとりした素直さとマイペースぶり、『深窓育ちの姫君』と呼ぶにふさわしいものだった。

 しかも、その笑顔は『無垢』と呼びたくなる清らかさと明るさを併せもっていて――。

 思わずハルが毒気を抜かれた瞬間だった。


 ゴオオオオォォォォォオオオンンンンッ!


 外、それも頭上から爆音が聞こえてきた。

 近くで爆発が起きたようだ。

 羽純と顔を見合わせ、ふたりそろってバルコニーへ出る。


「ドラゴンたちがあんなに!? それに『蛇』が二体も……」

「十條地とアーシャ――僕の友達のリヴァイアサンだ! 君を捕らえた上位種と戦ってるんだよ。でも、ちょっと苦しそうだな……」


 再開発予定地の夜空は、今や竜と蛇が相打つ戦場だった。

 三〇匹はいそうなラプトルの群れ。

 これを追い散らすのは九尾の狐狼・悪路王。

 織姫のリヴァイアサンは巨大な焔の玉を九つも操りながら、夜空を東へ西へと縦横無尽に飛びまわっていた。


 悪路王はラプトルのそばを駆け抜けるたび、角状部位で打撃をしかけた。

 九尾を鞭のようにしならせて、ラプトルたちの顔面や胸部をしたたかに打ちのめしたのである。

 さらに四肢の爪で引き裂いたり、狼めいた顎で噛みついたりもした。


 結果、悪路王か九の焔のどれかが動くたび――。

 ラプトルの群れは着実に数を減らしていくのだった。

 圧倒的である。


 しかし、問題はルサールカ。

 ソスと一騎打ちする蒼きワイバーンの方だ。

 今は『蛇』の肉体を聖水化して、焔と物理攻撃を無効化中だった。

 だが、『矛』を持つソスの頭上――。

 五つのルーン文字が燦然と青い輝きを放っている。

 これも特異体質なのだろうか。ハルは見ただけでルーンの性質を看破した。


「《念動力》の魔術記号か!」


 ソスは見えざる手ともいうべき念力を飛ばし、ルサールカを掴まえようとしていた。

 回避できない状態にしてから、聖水化を《解呪》するつもりなのだろう。


「あ、あれは上位種のドラゴンだけが使える魔法なんですよね……?」


 羽純に訊かれて、ハルはうなずいた。


「ああ。『ルルク・ソウンの秘文字』ってやつだよ。上位種どもはたくさんの術を知ってるらしいけど、魔力への耐性が強いリヴァイアサンにはあれしか通じないんだ」


 相手がその手の知識にうといと気づいて、説明する。

 そういえば、魔術を使う上位種の出現率が東アジアは比較的低かった。

 こういう知識に自然と縁遠くなるのかもしれない。


「ルルク・ソウンの秘文字と『蛇』たちの疑似神格は威力の面では同等だけど――使える回数がちがう。アーシャは第五階梯だから、五回まで神格を使える。でも、上位種のやつらはもうすこし多めに秘文字を使えるらしいから……」


 さらにハルは気づいた。

 戦場となった埋立地にあったはずの小モノリスがいつのまにか消えている!


「あ――水無月!?」


 羽純が叫んだので、ハルは彼女の視線を目で追った。

 埋立地の一角に竜蛇型リヴァイアサン・水無月が横たわっている。

 しかも、火之迦具土が言った『血を吸い出す』魔術の影響か、ぴくりとも動かない。


「実体があるってことは、まだ死んでないよな!?」

「は、はい。でも、すごく弱っています。実在化を解いてあげないと……!」


 羽純は心配そうに言うと、胸の前で両手を祈るように組み合わせた。

 そして目をつぶり、やさしい声でささやきかける。


「もう苦しまなくても大丈夫だから……ここから早く逃げて!」


 数百メートル先で横たわっていた竜蛇は、パートナーの祈りに応えた。

 光の粒子となって雲散霧消し、地上から消えうせたのである。

 羽純は目を開けて水無月の退場を確認し、安堵の吐息をもらした。


 ――魔女が命じれば、すぐにリヴァイアサンは消えうせる。

 ソスはこれを恐れて、羽純を眠らせたのだろう。


 彼女が殺されなかったのは、盟約者が死ねばリヴァイアサンも死ぬからだ。

 そして、魔女ごときの命に興味がなかったから――。


「あいつが水無月の『血』とかを利用するつもりだったおかげか……」


 ハルがつぶやいたときだった。

 聖水化して飛びまわるルサールカを狙っていたソス。

 だが、ブロンズ色のドラゴン上位種は不意に戦いへの興味を失ったかのように、蒼きワイバーンに背を向け、こちらへ――『館』の方へ飛んできたのである!


 そうか。ハルは気づいた。


 『蛇』を消せるのはパートナーの特権。

 では、誰が羽純の眠りを解いたのか――。


 水無月の消失がソスに“お目当て”の到着を悟らせたにちがいない。

 案の定、『館』の敷地に降り立った旧知のドラゴンはこのバルコニーを見すえていた。


「ど、ドラゴン……!」


 隣にいた羽純が息を呑み、恐怖で身をすくませる。

 ハルは前へ出て、彼女を背のうしろにかばった。

 いや、もちろん自分よりも魔女である羽純の方が一〇〇万倍は強いと承知していたが。

 このかよわげな少女は強靱無比な幼なじみとは全然ちがうのだ。

 ここで羽純の背に隠れるわけにもいかないではないか。

 やけくそ気味に意を決したハルへ、ソスは興奮気味に語りかけてきた。


「我が眠りの棺より、巫女を呼び起こす――。やはり御身であったか、僭主テュラノスよ」

「人を勝手に、変な肩書きで呼ばないでくれよ……」

「かりそめとはいえ、屠竜の弓を得た者への敬意と思っていただこう。先にあの“まがいもの”らを征服し、あやつらの血も吸い尽くしてから――とも考えていたが。再戦を約した両名がここにそろった以上、いたずらに決戦をのばすのも無粋というものだな……」


 くくく、とソスはほくそ笑んだ。


「雌竜の血より起こした焔を浴びて、我が心金は最大限に昂ぶっている。屠竜之技とりゅうのわざを模倣することも今ならばかなおう……。ふふ、ここで私も竜弑しとなり、御身に挑むが天命と見た!」


 クオオオォォオオッ!


 咆哮と共に白き狐狼が天翔けてきた。

 悪路王である。


 見れば、夜空にひしめいていたラプトルたちは全滅という状況だった。

 この一帯に広がる再開発予定の空き地には、石化した小型竜の骸が散乱している。

 悪路王に撃墜され、あちこちに墜ちていったのだ。


 雑魚の群れを蹴散らしたあとはいよいよ大将首――とばかりに、悪路王は背後からソスに飛びかかっていった。

 俊敏な狼めいた動きで、ソスの喉笛にかぶりつこうとする。


 ソスは獣の反応速度で『矛』を横に振るった。

 鋭い穂先が悪路王の横腹を斬り裂く。

 この一撃で悪路王の巨躯は吹き飛ばされ、襲撃は失敗に終わった。


 だが、狐狼の毛皮はドラゴンの鱗にも負けない強靱さらしく、『矛』の傷はさほど深くはない。

 悪路王はダメージを感じさせない軽快さでふたたび飛行をはじめた。


 狼めいた鋭い瞳が再襲撃の意志を明らかにしている。

 しかし、その雄姿を当の攻撃目標は脅威と見なしていなかった。


「無粋だぞ、“まがいもの”よ。これよりは暴君に挑む、我が叛逆のはじまり。竜の種族にとっては最も尊き聖戦。邪魔をいたすな!」


 傲然と吠えた瞬間、ソスの全身が燃えはじめた。

 ブロンズドラゴンである彼の巨体が白い――白金色の焔につつまれたのである。


 ハルにとっては見覚えのある焔だった。

 数日前、東京駅構内でハルを救った火之迦具土の骸――あれがまとった焔と同じものであった。

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