【第五章 悪路王、そして南天の弓星】③
新木場の再開発予定地の上空――。
鳥の群れさながらに集まったソスひきいるラプトルたちが三〇匹近く。
対してアーシャたちの『蛇』は二体のみ。
ルサールカは大きく翼を広げながら、翼なき狐狼はあやしい飛翔力でふわりと空中に浮きながら、魔女たちの頭上にポジションを取っていた。
隣にやってきた後輩へアーシャは訊ねた。
「
「ええ。みんなで候補をいくつか考えて、いちばんかっこいいのを選んでみたの」
織姫の声も表情も陽性のものだった。かなり落ち着いている。
もちろん緊張もしているらしく、すこし表情が硬い。
しかし、はじめての戦闘にしては規格外の平常心だと言えた。
この冷静さは一体どこから?
「戦うのも大丈夫……だと思う。どうすればいいのか、わたしにはよくわからないけど。あの子――悪路王が守ってくれてるし、まかせろって言ってるから」
「あの『蛇』が、生まれたばかりなのに!?」
後輩の申告に、アーシャは驚くと同時に納得した。
『蛇』の加護は動揺や恐怖心からも、ある程度なら魔女を守ってくれるもの。
だが、織姫はまだ一日程度のキャリアしかないはず。
ここまでの加護を『蛇』から得るには、第三
アーシャはフッと微笑んで、この疑問を忘れることにした。
今、重要なのは頼りにできそうな救援が来てくれたという一点のみなのだ。
「さっそくですが、当てにさせていただきます。いいですね?」
「ええ。こういうのはじめてだから、どこまで力になれるかはわからないけど……何でも言って。がんばってみるわ!」
率直に不安を訴えつつも、前向きな誠意と熱意を示す。
織姫らしい素直な返答にうなずいてから、アーシャは指示を出した。
「もし可能なら『蛇』の疑似神格を覚醒させて、ラプトルたちを薙ぎ払ってください。無理でしたら私のルサールカに――」
「ううん、大丈夫。悪路王がすごいやる気になってる!」
上空のラプトル群をにらみながらの問答。
打てば響くようなレスポンスのよさに、アーシャは大きくうなずいた。
織姫はよく『蛇』と同調し、濃密なパートナーシップを築きつつあるようだ。
そして、悪路王――。
その
九尾それぞれの先端に、火の玉が忽然と生まれたのである。
赤々と燃える焔。
もうまちがいない。
悪路王は《火》の疑似神格を持つリヴァイアサンなのだ!
次の瞬間、九つの火の玉がやにわに膨張した。
ひとつひとつが悪路王と同じほどの大きさにまで成長し、飛んでいったのである。
ラプトル数十匹の群れめがけて、まるで流星のような速さで。
暴走機関車がレールに迷いこんだ羊をひき殺すように、九つの火の玉は進行方向にいるラプトルどもを次々とひいていった。
ひかれたラプトルの全身はあっけなく燃え上がり、焔につつまれた。
そのまま灼かれながら石化し、地上に墜落していく。
死んだのだ。
火の玉たちは一匹葬った程度ではまったく満足せず、次から次へと獲物を求めて飛翔を続ける。
スピード、威力、さらに自動追尾の性質と、申し分のない魔術攻撃だった。
見とどけたアーシャはおもむろに告げた。彼女自身の相棒へ。
「ルサールカ! 私たちの相手はもちろん――!」
キュアアアァァァアアッ!
アーシャの声に応えて、蒼きワイバーンは飛翔する。
もちろんラーク・アル・ソスへ。
「ルルク・ソウンの秘文字よ。灼熱の列びを示せ!」
ソスの頭上に顕れたのは、《火》のルーンを示す配列だった。
焔の威力を高める魔術なのだ。だが、アーシャとルサールカにも備えはある。
「ルサールカ、疑似神格を《水》に変更!」
今夜、相棒に術を使わせるのはこれで三度目。
蒼きワイバーンの体からは、細かな塵のようなものがパラパラ落ちつづけている。
肉体の崩壊があいかわらず進行中なのだ。
術を使わせれば、この崩壊がさらに速まり、進んでしまう。
だが、それでもやらなければ!
「あなた自身も『聖なる水』に変わりなさい!」
「燃え殻となるがいい、“まがいもの”よ!」
ルサールカの巨躯は淡い蒼色をしている。
この蒼がさらに淡くなり、透明な水のごとく色が透きとおった瞬間、ソスは青白い焔を吐き出した。
この前の夜とは比較にならない火力――。
いくらルサールカでも、直撃を受けたら耐えきれまい。
しかし、今回。この劫火を真正面から浴びても、ルサールカはほとんどダメージを受けなかった。
すこし体が気化して水蒸気となった程度で済ませられた。
「む!?」
ソスはつぶやきざま、『矛』を突き込んできた。
これにもルサールカは抉られた。
心臓のあたりをざっくりと深く、『矛』の穂先で貫かれたのである。
だが、やはり無傷で済んだ。
というのも、今ソスが刺したルサールカの肉体は『聖水』と化しているからだ。
鱗と肉、骨から成る『蛇』の肉体を、ルサールカの輪郭を持つ液体のかたまりに《聖水の恩寵》で変質させたのである。
それも只の液体ではなく、邪悪な竜の焔を鎮火させる『聖なる水』へ――。
今、ソスが繰りだした攻撃も、言うなれば水中に『矛』を突きいれただけなのだ。
どれだけパワーがあっても、これで水が破壊されることはない。
ソスとの一騎打ちに割って入るラプトルがいたとしても、聖水化状態なら一切ダメージを受けずにすむ。無視すればいいだけだ。
しかも、水と化した方には攻撃手段がないわけではなかった。
「ルサールカ!」
アーシャの指示で、ルサールカが一気に加速した。
聖水化したままソスに突っこんでいく。
体当たりである。
大量の水が超高速でぶつかっていけば、その水圧はかなりの威力だ。
「ぐおっ!?」
さっきのように《盾》も間に合わず、直撃を受けてソスは大きくのけぞる。
しかし、たいしたダメージにはならなかったようだ。竜族はうそぶく。
「ふふふふ。死にかけた体でよく戦うものだな……」
聖水化して透きとおったルサールカを鋭くにらんでいる。
そして、ソスは『矛』をヒュッと軽く振った。
武器として役に立たないことはもうわかっている。
だが、本来の用途――魔導の杖としてはべつだ。
「ルルク・ソウンの秘文字よ。見えざる手を我がものに!」
ソスの頭上に五つのルーン文字が顕れ、青い輝きを放つ。
この文字と配列は《念動力》の魔術記号だった。
そして、ソスが持つ『矛』の穂先から念力の波動がほとばしり、さざ波のようにルサールカへ押しよせる!
キュアアアァァァアアッ!?
ルサールカが驚愕した。液体と化し、物理攻撃の影響を受けなくなった。
だが今、謎の引力にひっぱられ、ルサールカの巨体はソスのもとへと引きよせられていこうとしている!
それゆえに『蛇』は啼いたのだ。
「ルサールカ!」
とっさにアーシャは指示した。加速と飛翔を――。
聖水化した状態で、蒼きワイバーンはあらぬ方向へ飛翔を開始した。
その速度は今までの比ではない。
決壊した堤防から水が流れ出るように、ルサールカは飛び出した。
おかげで念力の波動を逃れられて、アーシャの相棒は自由の身となった。
だが、いつまで避けつづけられるだろう?
《念動力》のルーンは依然として、ソスの頭上で輝いたままだった。
第五階梯の
この使用回数は、明日の夜が来るまで回復しない。
今夜はもう三回も神格を使わせている。
そして、盟約者として予感していた。
おそらく四回目か五回目を使わせた瞬間、ルサールカの肉体崩壊は一気に加速し、あっけなく絶命するだろう。
相棒の命と等価の切り札――。
使いどころをまちがってはならない。
ここからが真の正念場。アーシャは深く息を吸いこんだ。
一方、すこし時間はさかのぼる――。
旧東京租借地から新木場付近に車で移動してきたハルと織姫。
《
遠くの空では、ルサールカとソスがついに戦いをはじめていた。
そして、そちらをめざして駆けていく織姫をハルは見送ったのだ。
(あの娘には悪路王もついている。あやつ、仕上げた妾が言うのもなんだが、なかなかの出来物だぞ。そうかんたんに巫女を死なせはすまい)
「と言われても、僕にはそのあたりの見当はつかないからなあ……」
姿を見せず、ささやき声だけの
ちなみに、命名『悪路王』はドラゴンの亡霊が出したアイデアのひとつだ。
「ところでさ。不親切な背後霊のあんたは、ここからまったく当てにできないってことでいいのか? 手伝う気があるなら、ボランティアしてくれてもいいんだけど」
(バカを言うな。他人の面倒を見る前に自分ひとりを可愛がりたい口だぞ、妾は)
「わかりやすくて、いい答えだ。ここからはひとりでどうにかしてみるよ」
火之迦具土がマメなのは『取引』のときだけらしい。
その身勝手さがむしろ彼女らしく思えて、ハルはうなずいた。
(だが小僧……。手伝いが必要なら、さっき別れる前に巫女を口説き、眷属としておく手もあったはずだが?)
「口説く……?」
(うむ。それとも、まだ気づいていないのか?)
ハルは眉をひそめた。
この自称悪魔は、また思わせぶりなことを言う……。
(ふふ。あれだけの魔力が動き、蛇が生まれ落ちる瞬間に立ち会ったのだ。おまえにとってもいい刺激になったはずなのだがな)
「うるさい。適当なことしか言わないつもりなら、黙っててくれよ」
ハルは走りはじめた。織姫とはべつの方角へ。
ソスの狙いは春賀晴臣なのだという。
そのためにソスは妙な魔術で小モノリスを造り、織姫の従姉妹とその『蛇』を捕らえたのだという。
もちろん火之迦具土の言うことだから、全て真実かは疑わしい。
だが、それでも。
喉にひっかかった魚の小骨より遙かに不快であることはたしかで、しかも自分より歳下の女の子が犠牲になっているのなら――。
「あんな近くでアーシャたちが戦ってるんだぞ。『館』の方だって、いつ巻きぞえになって壊されるか、わかったもんじゃない……」
すこし向こうの空に視線を向ければ、ソスとルサールカの空中戦が目に入る。
ルサールカは《月》の疑似神格まで駆使して、まさに総力戦だ。
『館』が妙なことになってしまう前に、なかの女の子を救い出したい。
ソスと戦うことはできなくとも、せめてこれくらいしなくては――。
どうにか『館』のエントランスに到着できて、ハルは大きく息を吐き出した。
「我ながら、よく生きてるもんだなあ……」
安堵・諦念・驚嘆。それらが複雑に入りまじった末のため息である。
今の道中。
『館』まであと約一キロというあたりから、やけに空気を冷たく感じ、肌がピリピリするようになった。
春だというのに、真冬の寒冷地じみた寒さだった。
《死の呪詛》がはびこる勢力範囲に入ったせいである。
しかも、自衛隊や警察関係者の冷たくなった体まで、ときどき発見するようになり――。
だというのに、無事に『館』までたどり着けた。
寒さが耐えがたくなり、このままでは自分も冷たくなって道端に横たわる運命だと確信した瞬間、ハルは『死んでたまるか』と歯を食いしばったのだ。
その直後から、冷気をまったく感じなくなった。
自分の非常識な頑丈さ(?)は、ドラゴン上位種の魔術に打ち勝てるらしい。
とはいえ、はっきりした保証のないまま死地に突入するのは、かなり神経をすりへらすチャレンジであった。
(なあ小僧。おまえ、ひねくれている割にお人好しだと言われることはないか? 命の保証もないまま見ず知らずの娘を助けるため、よくもまあここまで――)
「いいから黙っててくれよ……」
(ふふ、これでも誉めているのだぞ。男はすこし間抜けな方が、可愛げがあっていい)
確信犯で情報をぼかしたであろう自称悪魔は、くすくす笑っていた。
貧乏くじをひきやすい性格だと、一応の自覚はある。
ハルは眉をひそめつつ『館』へ入っていった。
館内を歩きながら、懐中時計を取り出す。
父の形見ではないが、『
《高温感知》の魔術を使った。
死の魔力が満ちる館内。
一定以上の温度を持つ物体はかぎられてくる。
たとえば、ハルのように生きた人間とか。
懐中時計の鎖を持って、手から下げたまま館内を進んでいく。
一階、二階は無反応。三階で時計がぶらぶら揺れはじめた。
とあるドアの前で、特に揺れが大きくなる。
ここに高温の何かがあるようだ。
ノブに手をかける。
鍵はかかっていない。
ドアを開けてみた。
寝室だった。
ベッドがあり、机やタンスもある。
全体に調度類はどれも高級品で、きれいに掃除と整頓も行き届き、ハルなどにはかえって居心地悪そうな部屋だった。
おそらく、この『館』をあずかる魔女の個室ではないか。
部屋の高級志向から、ハルはそう予測をつけた。
そして、ベッドの上をなんとなく眺めて――びっくりした。
「本当に天使みたいな子だったんだな……」
天使と見まごうほど、可憐で清らかそうな美少女。
織姫に写真で見せられた魔女がベッドに横たわり、眠っていたのである。
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