【第五章 悪路王、そして南天の弓星】②


『一昨日の未明、横須賀近海でラプトルの一群が海上自衛隊に掃討される。

 が、このとき取り逃がした一体が東京湾を北上し、新木場近辺に潜伏している模様。周辺地域には避難勧告を発令中――』


 ソスが『館』を占拠したと判明した直後、公表された情報である。

 ドラゴン上位種については極力秘匿するという“ルール”にもとづいて、新都の行政部がストーリーを書いたのだ。


 おかげで、新木場の再開発予定地は完全に無人となっていた。

 陽はすっかり暮れて、真っ暗な夜。

 アーシャはひとり軍用車両のジープを駆って、『館』へ向かっていた。


 この近辺には、ソスのばらまいた呪詛が蔓延している。

 魔女マギならぬ普通人コモンは足を踏み入れるだけで虚しく死すのみ。

 だから、アーシャは単独行動を余儀なくされている。


 歯がゆい状況だった。

 本当なら日本国内に数名いるという魔女と『蛇』を全て召集し、パーティーを組んでソスと対決すべきだというのに。

 中欧に『黒の雷帝』が隠れすむヨーロッパ、『紅きハンニバル』の膝元である北米などとちがい、日本の魔女関係者は上位種に対しての問題意識が低いのだ。


「もうすこし時間があれば、日本国外から人を呼ぶこともできたのに……」


 アーシャは車を停めて、外に出た。

 おそろしく空気が冷たい。

 骨まで凍えそうだ。

 冷気ではなく、《死の呪詛》にさらされているせいだった。


「ルサールカ。おねがい」


 ささやくと、淡く蒼い光が一瞬だけアーシャの体を包みこむ。

 相棒に頼んで、加護を強めてもらったのだ。

 これで呪詛は完全に遮断され、空気の冷たさも気にならない。


 海の近くだった。

 アーシャはテトラポッドで護岸された海辺を歩いていく。

 かつてはゴミ処理場でもあったという埋立地。

 その一角に小モノリスがあった。

 あいかわらずリヴァイアサン・水無月がからみついたままだ。


 だが、透明だった三角柱の色は、今や鮮血のようにあざやかな赤――。

 そして、小モノリスのそばで、ローブをまとった半人半竜が待っていた。


 関係者が『ドラコニアン』と仮称する形態だ。

 おそらくソスの変身体である。

 この場所で待つと、彼の方から連絡を入れてきたのだ。


「急に呼びつけて、すまなかったな。死すべき種族の乙女よ」


 ドラコニアンが言う。

 やはりソスの声だった。


 二時間前、《死の呪詛》の影響範囲外ぎりぎりで哨戒中だった警視庁の都市救助部隊に、を魔術で届け、通達したという。


『諸君らの巫女と早急に会いたい。かなわぬ場合は夜明けと共に君らの都へ舞い降り、火遊びを愉しませてもらうとしよう』


 アーシャが助っ人の到着を待たず、ひとりソスと対峙する理由だった。


「どういたしまして。おかげで、そういう姿に変身したあなたたちをこの目で見ることができました。私、最前線以外で上位種と出会ったのは初めてなもので」

「上位……ふふ。君たちは我らジズーをそう呼ぶのか」


 爬虫類的な異相なので、笑みを浮かべたかはわからない。

 しかし、重厚な声からは明らかな微笑のニュアンスが感じられた。


「なに。手慰みに学んだ術をひさしぶりに使ってみたのだよ」

「率直に言わせていただくと、もうすこし地上的――人間的な姿でもいい気はします。あなたたちの魔術なら、人間そっくりに変身することもかんたんそうなのに」

「無論できるとも。しかし勘弁してもらおう」


 言葉だけは割と丁寧に、しかし態度としては傲然とソスは言った。


「竜の種族は本来、猿めいた姿に変化せぬことを誇りとすべき生き物。そうでないもいるにはいるが……すくなくともラーク・アル・ソスの流儀ではない」

「ところで――私を招いた理由、訊いてもかまいませんか?」


 不敵に微笑みながら、アーシャは言った。


 ドラゴン上位種は強い。

 ソスの戦闘能力もまちがいなく自分とルサールカを凌駕しているだろう。

 それでもアーシャは笑う。

 己に『勝てる』と暗示をかけるために。


 心で負けたら、戦う前から決着はついたも同然なのだ!


「一応、決闘状をいただいたものと解釈していましたが……」

「そのようなものではある。だが、補足させてもらうなら」


 アーシャの閃かせた闘志を、ソスはむしろ飄然と受け流した。


「私は今、君との戦闘以上に意義ある挑戦をひかえていてね。そのために力をたくわえているのだ。君が呼ぶ“まがいもの”の血も足しにさせていただきたい」

「あのモノリスもどき――あれがあなたの『力』ですか?」

「ふふふ。すぐにわかる。それよりも今は闘争を愉しむべきだぞ!」


 ソスのまとうローブがやにわにはじけ飛んだ。

 異形があらわになる。

 人間に酷似した体型でありながら、全身は青銅ブロンズ色の竜鱗りゅうりんにおおわれ、背には小さな二枚の翼、腰からは短い尾まで生やす。


 ドラコニアン形態のソスは見る間に巨大化していった。

 その両翼は大きく、雄々しく、禍々しくなり、尾も長く長くのびて――ほんの十数秒で巨大なブロンズドラゴンに早もどりを遂げた。


 だが、アーシャは気づいた。

 ソスの全身をおおう青銅色の鱗が痛々しく黒ずんでいる。

 超高温の焔で灼かれたかのように焼け焦げ、輝きを失っていた。

 しかし。


「“まがいもの”とはいえ、我らに近き種族の雌竜よ。そなたの血をたくわえて、我が石塔は十分な輝きを得た。礼を言うぞ!」


 鮮血色の小モノリスにからみつく水無月へ、ソスは手をのばした。

 意識のない竜蛇型の巨体を乱暴に引きはがした。

 そのまま無造作に放り捨てる。

 そして、ソスは血の色をした小モノリスへ焔を吐きかけた。


「雌竜の血よ、我が復活を成就せしめよ!」


 竜の焔を浴びて小モノリスは爆発し、これにソスの巨体も巻きこまれた。


「ぐおおおおおおっ!」


 爆発の焔に呑みこまれて、ソスが苦悶の咆哮をあげる。

 だが、灼かれる巨体からは見る間に黒ずみが消えていった。

 青銅色のメタリックな輝きも回復していく。傷が癒えたのだ!


「この魔術のためにリヴァイアサンを捕らえたのですか!?」

「うむ。君が呼ぶ“まがいもの”の血も吸い出し、我が糧にしてくれよう!」


 驚愕するアーシャを前にして、叫ぶソス。

 彼の右手に忽然と金属製の長い棒が顕れた。

 ドラゴン上位種は只の獣ではない。

 人間と同じほど器用な腕で、道具まで用いることができるのだ。


 特に魔力の制御を助ける『魔導の杖』は、彼らの多くが愛用するという。

 しかも、ソスの杖は只の金属棒ではなかった。

 棒の先端に剣の刀身を付けた長柄の武具――つまり『矛』なのだ。

 アーシャは決然と顔を上げ、召喚の歌を口にした。


「古き清浄の御印みしるしに願いたてまつる! かりそめのあおき竜を地上に遣わしたまえ!」


 夜空に『蒼きルサールカ』の実体が顕現する。

 両腕に当たる前肢のない飛竜。

 ワイバーン型リヴァイアサンであった。


「ルサールカ。これが最後かもしれないけど……私と共に!」


 キュアアアァァァアアッ!


 アーシャの檄にルサールカは咆哮で応えた。

 これを迎え撃つべく、ソスは『矛』を片手にルサールカめがけて飛び立つ。


 だが、牽制の一撃も放ってきた。

 アーシャへ、である。

 ちらっと地上を見おろしたソスの視線に魔力がこもっていた。

 これは邪視。見るだけで魔術をかける手法!


 アーシャはとっさに後方へ跳んだ。

 直後、今まで立っていた場所で小さな爆発が起きる。

 悪ふざけのようなソスの牽制。

 だが、アーシャは猫のような身のこなしで数メートルも跳びのいていた。

 すばやく《跳躍力強化》の魔術を自らにかけて、身体能力を増強フィジカルエンチャントした恩恵である。

 晴臣と織姫がいない今夜は、ルサールカを盾にせずともまったく問題なかった。


「私たちも仕掛けましょう。全力、全開、そして全速で!」


 アーシャは鋭く命じた。牽制をする余裕など、こちらにはない。

 ここで全力を振りしぼり、短期決戦に持ちこむ――。

 背水の覚悟がアーシャと、そしてルサールカに火をつけた。

 単なる精神主義ではない。

 魔術の世界では、意志力と念の強さこそがより強大な魔力を生み出すのだから!


「ルサールカ! 疑似神格を遠隔攻撃のみに集中させて、投射!」


 翼を大きく広げ、夜空を舞うワイバーン。

 その前方に、魔法円が顕れる。

 円のなかに五芒星を描いた意匠。

 蒼き光が古き清浄の印を夜空に描いたのだ。


 そして一瞬後。

 魔法円の中心から、激流のように水がほとばしる!


 激流は八筋もあり、それぞれが蛇の頭部と牙むく顎をかたどっていた。

 以前の対決では、大量の水を素材にして双頭の蛇を造った。

 今回は八頭の多頭蛇ヒュドラである。

 八頭の水蛇は全てすさまじい速さで飛翔した。


 それぞれ異なる軌道を描いて、ソスに食らいつきにいく。

 ルサールカが持つ《水》の疑似神格を、最大威力の魔術射撃ランチャーとしたのである。


「ルルク・ソウンの秘文字よ!」


 ソスの短い詠唱。

 たちまち防御の力が展開された。

 彼の前に数十個のルーン記号が顕れる。

 《盾》を意味する配列だった。

 これはラーク・アル・ソスを防護する『魔法の盾シールド』なのだ。


 秘文字の盾に守られたドラゴン上位種へ、水の大蛇が次々とぶつかっていく。

 それは滝壺になだれ込む大瀑布にも似た攻撃だった。

 水蛇のひとつひとつがすさまじい水量と水圧で、かつ超高速なのである。

 この激流を受けとめて《盾》のルーンは大いに軋み、歪み、水圧に負けて今にも押し流されそうになっていた。

 しかし、ソスは手にした『矛』を天へかかげて叫ぶ。


「我が内なる獣を解きはなて、魔導の杖よ!」


 ソスのまとう魔力の量が大幅にふくれあがった。

 同時にソスを守護するルーン記号も白く輝き、水蛇たちの圧力に屈する寸前だったのがウソのように、小揺るぎもせず持ち堪えるようになった。


「……やっぱり」


 ルサールカの全力攻撃はしのがれつつある。しかし、アーシャはうなずいた。

 敵が上位種である以上、予期していたことだ。だが、あえて力勝負を挑んだ。

 力の次は工夫と技巧で、狡猾に敵の隙を突くために。


「ルサールカ、疑似神格を《月》に変更。影の向こうに消えなさい」


 昂ぶる闘志を抑えて、静かにささやく。


 ――『疑似神格』とはリヴァイアサンが持つ魔力の属性である。《風》の疑似神格があれば大気や風にまつわる術、《火》の疑似神格があれば火系の術を行使できる。そして、ルサールカはもちろん《水》属性であった。

 だが、強力な魔女と盟約する『蛇』は、しばしば第二の神格にめざめる。


 ルサールカもそうだった。

 彼女は《水》と《月》の疑似神格を併せもつ、稀少な二重属性のリヴァイアサンなのだ。


 アーシャは《月》の神格に変更させ、ルサールカに新たな術を行使させた。

 これは淡い月明かりと夜、そして眩惑を本領とする疑似神格。

 『消えなさい』と命じられて、ルサールカの姿は夜闇に同化し、消失した。


「む!?」


 敵の消滅にソスが気色ばむ。

 同時に八頭の水蛇もついに勢いを失い、消滅した。

 役目を果たした防御のルーンもいっしょに消えていく。

 ソスは空中に取りのこされた形となった。


 だが、次の瞬間、ルサールカは彼の背後にいきなり出現した。

 月神格による神秘。姿も気配も消して、闇から闇へと瞬間移動を遂げる――。


 豪快な力勝負に集中していたソスは虚を突かれたらしい。

 反応が遅い。

 すかさずアーシャは格闘戦を許可した。


「ルサールカ! ソスの喉笛を吹き飛ばして!」


 キュアアアァァァアアッ!


 蒼きワイバーンは咆哮し、頸をのばしてソスへ襲いかかる。

 ソスは振り返りざま、「むん!」と『矛』を横薙ぎにして迎え撃とうとした。

 が、ルサールカは敵のふところに飛び込みながらも巧みに避け、ついにドラゴン上位種の体へ喰らいつく。

 しかし、『矛』を避けた分だけ狙いもそれた。


 ルサールカが牙を突き立てたのは、ソスの左肩だった。

 だが、かまわない。

 肩ごと左胸と左腕を吹き飛ばせば、十分以上のダメージになる。


閃光の息レーザーブレス!」


 アーシャの指示で、ルサールカの口が青白く光った。

 人類の諸都市を焼きはらう『焔の息ファイアーブレス』。

 あれと同種の攻撃をリヴァイアサンも口から吐き出せる。

 ただし、一度撃ったら約一〇分ほど再発射できない。


 だから、アーシャはその威力を余すところなく敵に叩き込むつもりだった。

 相棒がソスの左肩にかぶりついた瞬間に、撃たせたのである。


「おおおおっ!?」


 青白い熱線を零距離から撃ち込まれて、ソスが絶叫した。

 すかさずルサールカは口を放し、ひらりと飛んで標的から距離を取る。

 ソスの左肩から胸部にかけてが大きく『V』の字に抉れた。

 傷口から水銀色の鮮血がはじけ、噴出する。


 致命傷ではないがかなりの痛打――。

 しかし、ソスはふっと鼻で笑った。


「手負いの身でみごとなものだ。どうやら手加減は要らぬと見える!」


 肩を抉られ、左前肢はかろうじてつながっているという様子のソス。

 彼は右前肢だけで『矛』を一振りした。


「ハボネスのトカゲどもよ。我が剣、我が鋼鱗となるため来たれ!」


 ラプトル――竜族小型種の召喚だった。

 頭上の星空より、幾十もの光が流星雨さながらに舞い降りてくる。

 三〇体近くいそうなラプトルの群れ。

 見なれた鋼色の竜たちだ。

 個の力はたいしたことはない。

 だが、ソスと戦いながら、この数をさばくのは――。


 おまけにラプトル二体が群れをはなれ、早くもルサールカの方へ飛んでくる!

 そのとき、アーシャは聞き覚えのある声が命じるのを聞いた。


「悪路王! あの連中を蹴散らして!」


 思わず視線を投げる。

 やはり十條地織姫だった。

 晴臣が通うのと同じ高校の制服を着て、こちらに駆けよってくるところだ。


 そして、彼女の背後に顕れた『∞』の印は実在化し、四足獣の形となり――。

 アーシャの眼前で、白い毛皮の狐狼型リヴァイアサンは顕現を遂げた。

 大蛇のごとき九つの尾を背負っている。


 白き九尾の狐狼は召喚者の号令に応えて、宙へ跳びあがった。

 四肢をのびやかに動かし、ひらりと地を蹴って。

 そのまま飛翔をはじめる。翼がなくともリヴァイアサンは空を飛べるものなのだ。

 空を行く狐狼はもう足を動かさず、天翔ける彗星のように直線的に飛んでいく。

 その飛翔は力強く、何より迅速だった。

 ほんの一〇秒足らずでルサールカのそばまで来た白き狐狼。

 こちらへ飛んでくるラプトル二体の前に立ちはだかる。


 次の瞬間、狐狼が背負う九尾のうち、ふたつがいきなり動いた。

 長く大きな尾がしなり、ラプトルめがけてのびる。

 そして、尾の先端は鞭のように小型種の顔面を殴打して、ふっとばした。


 アーシャは気づいた。あの九本の尾は武器になるのだ!


 よく見れば、それぞれの尾は先端だけ毛が黒く、さらにその先には梵字めいたルーン記号が妖しく明滅している。

 九尾の全てが白き狐狼の『角状部位』であるらしい。


 尾に打たれて、ラプトルの頸はぐきりと折れ曲がっていた。

 二体ともである。

 絶命したらしく、羽トカゲどもはどちらも石化しつつ墜落していく。


「ほう――」


 思わぬ敵の出現に、空中のソスがつぶやきをもらす。

 アーシャも驚きをあらわにして、織姫を見つめた。

 彼女の『蛇』を新生させるには、もっと時間が必要だったはず。

 それなのに、なぜ?


「なんとか間に合ったみたいね。助っ人に来たわよ、アーシャさん!」


 一方、十條地織姫は持ち前の快活さで告げるのだった。

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