【第五章 悪路王、そして南天の弓星】
【第五章 悪路王、そして南天の弓星】①
「でも春賀くん、ずいぶんと準備がいいのね?」
助手席にすわる織姫に訊かれて、運転席のハルは「何が?」と答えた。
両国橋のゲートを抜けて、旧東京の靖国通りを走る車中である。
見城に電話して、彼が個人所有する乗用車を貸してもらったのだ。
「旧東京に行くと決めていたわけでもないのに、通行許可証を用意してたでしょう? ああいうのをもらうのって、時間がかかるんじゃないの?」
「あー……種を明かすと、なんてことないよ」
学校をエスケープしてハルの家で
店主出張のため休業中の『弥勒堂』で自動車や書類を用意して、そのまま旧東京へハルたちはやってきたのである。
「さっき寄った《
「《S.A.U.R.U.》の人たちって、結構あやしいグレーゾーンの住人よね……」
織姫にぼやかれて、ハルは首をすくめた。
何しろ、柊さん言うところの『専業トレジャーハンター』である。
この仕事柄、国際的美術品窃盗団にかかわる知人なども多く、割とブラックよりのグレーに住んでいる自覚があったのだ。
話す間も、車は快調に進む。
すでに陽はだいぶ傾いていた。
「ところで火之迦具土――迦具土さんのことだけど」
見た目は童女の霊的存在に、織姫は勝手に愛称をつけていた。
相手が人間以外でも、迅速に距離を縮めていく特技は健在らしい。
「あの人、どうしてわたしや春賀くんに力を貸してくれるのかしらね?」
「直に訊いてみたらいいよ。たぶん、まともに答えないけど」
(おやおや。妾が崇高な善意で協力しているとは思わぬのか?)
不意に火之迦具土の声だけが会話に割りこんできた。
「そう思うには、あんたは胡散くさい部分が多すぎるんだよな……。命の瀬戸際じゃなかったら、たぶんまともに相手しなかったぞ」
ハルがぼやくと、火之迦具土はからかうように笑い声を出した。
(ふふふふ。そう言うな。これでもおまえがどこぞで野垂れ死ぬまでは、陰ながら見守るつもりなのだぞ、妾は)
「見守るだけの背後霊より、野垂れ死ぬのを防いでくれる守護霊が欲しいよ……」
やがて、乗用車は目的地に近づいてきた。
数日前にハルが苦痛でのたうちまわった場所――東京駅である。
ハルと織姫は、丸ノ内口から駅に入った。
前回、ソスと火之迦具土の亡骸が相打った場所である。
ジュラルミン製のドーム型天井はずいぶんと高く、荘厳で、かつての巨大ターミナル駅の玄関口としてふさわしい格式をいまだに残している。
ちなみに、廃墟である駅構内にはもちろん電気は通ってない。
照明など何もないのだが、それでも構内はそこそこ明るかった。
ソスが巨体と剛力にまかせて壁をぶち破ったせいで、外の光が入ってくるからだ。
「妾の骸が散華してから、たいして時も経っていない。今なら、ここに残る妾の力を集めるだけで、新生の術も施せるだろうよ」
実在化した火之迦具土がおごそかな口調でささやく。
次の瞬間、ハルの背筋はぞくりとした。
駅構内の奥の方から、莫大な量の魔力がこちらに――自称悪魔のまわりに流れこんでくるのを感じ取ったからだ。
しかも、この魔力はおそろしく濃密だった。手でさわれそうな気さえする。
「な、何なの、この感じ……?」
織姫もとまどっている。やはり
一方、火之迦具土は瘴気のごとく魔力が満ちた空間をなつかしげに見まわした。
「当代の人間どもが造る“まがいもの”。たしかリヴァイアサンと申したな。あの術に目をつけ、甦らせたのは悪くない。だが、ひとつ欠陥がある」
火之迦具土は妖しく微笑しながら語りはじめた。
駅構内に橙色の陽光が差しこんでくる。陽が沈みはじめたらしい。
「当代のやり方では、贄となる巫女と『蛇』の結びつきが弱い。あれでは巫女が闇に墜ち、魔道に染まらねば、たいした力も出せぬはずだ。それだけではいかんのだよ。巫女の聖なる輝きによって魔性の『蛇』が神に近づくのも、また天地の理なのだから……」
神代・古代とくらべたら、現代人の魔術的素養はずいぶんと低い。
ハルは思い出した。父がかつて語ったことだ。
「
語りの途中から、火之迦具土の声が呼びかけに変わった。その直後。
駅構内の斜陽の光がとどかない場所に『影』がわだかまる。
それは巨大な獣のシルエットだった。
輪郭は四つ足の哺乳類に近い形状だ。
全体に細く、背後に大きな何かを背負っている。
「あの晩、アーシャさんが呼んでくれた『蛇』の影……?」
「こんなにあっさり呼びもどせるのか……」
驚嘆する織姫とハルに、すかさず火之迦具土が言う。
「さあ、いよいよ大詰めといくか。小僧、神器を持て。娘は早く脱げ」
「「…………」」
ふたりはそろって沈黙した。
これから行う『儀式』については移動の車内で説明を受けていた。
手順はとっくに把握ずみ。
しかし、心の準備はまたべつで……。
織姫はもじもじとためらったあとで、不意にハルを恥ずかしげに見つめた。
「じ、じゃあ春賀くん。約束どおり、直前まで見たらダメよ? 約束破ったら、たぶん一生恨むからねっ。いいって言うまで、絶対にあっち向いてて!」
「わ、わかった」
あわててハルはそっぽを向き、織姫から視線をそらした。
ややあって、しゅるしゅるという衣ずれの音が聞こえてくる。
ぱさりぱさりと軽い布が床に落ちていく音も。
脱いでいるのだ。
『蛇』の霊気を全身で感じて、受けいれるために、余計なものを脱ぎ捨てろ――。
それが火之迦具土の語る『必然的理由』であった。
「ふむ。やはりな……妾の見込みどおりだ。巫女よ、おまえは実に育ちがいい」
「か、迦具土さんっ。いきなり変なこと言わないで!」
「何を怒る? 妾は嘘いつわりなく賞賛しているのだぞ。ふふふ。おまえの赤子はこのみごとな乳房より乳を授かり、さぞ健やかに育つであろうな。腰つきも妾好み……柳腰でいながら丸みも十分……これなら幾人でも子を孕めよう。うむ」
「ちょっと、それセクハラ! 迦具土さん、男の子も聞いてるんだからね!」
「ふふ。せくはらと言われても、何のことか妾にはとんとわからぬ」
チェスの何たるかを知る自称勉強家のくせに、ふざけた韜晦をしている。
ハルは織姫に同情しつつ、耳をふさぐべきか迷った。
本音を言うと好奇心がめいっぱい刺激されるため、全身を耳にして聞き入りたい気持ちではあったのだが。
「まあ、これだけ脱げばよいか。小僧、こちらを向――」
「だだダメ! まだ心の準備ができてないっ。ううっ。み、水着と同じくらいの露出度だし大丈夫、大丈夫……春賀くん、こ、こっち見てもいいよ……」
許可が出たので、ハルはゆっくりと振りかえった。
オレンジ色の西日が差しこむ廃墟のなか。
美の女神もかくやと言いたくなるほど、みごとな肢体の少女がたたずんでいた。
もちろん織姫である。
すばらしくグラマーな体型であろうことは、着衣の上からもわかりきっていた。
その織姫が今、下着姿で恥ずかしげに立ち尽くしている。
一応、制服のワイシャツを肩にかけていた。
だが、ボタンもとめずマントのように羽織るだけなので、露出を低くする効果はほとんどないと言っていい。
むしろ、ちょっと倒錯的な魅力をかもし出す要因ですらある。
ハルは思わず身をぐっと乗り出しそうになり、あわてて自制した。
しかし、織姫には内心を見すかされたようだ。
「春賀くん……すごいまじめそうな顔してるけど、微妙に目がぎらついてない?」
「いや、ほら。僕も健全な高校生男子だし」
「そ、そこはウソでもごまかすところでしょう!?」
「ふむ。この布、やはり邪魔になるかもしれぬな……。巫女よ、ぬ――」
「脱がないからね、迦具土さん! 絶対に脱がないからね!」
などと一騒ぎあったのち。
火之迦具土に横たわるよう指示され、織姫は不承不承という感じで従った。
結果、ハルから見て真正面の位置に、たぐいまれな肢体を持つ同い歳の美少女が仰向けになる形となった。
織姫は左足だけ膝を立て、羞恥で頬を紅くしながらハルの様子をうかがっている。
まだ一五歳という若さのくせにすばらしく発達したバストは、体が仰向けになってもしっかり上向きに盛りあがっていて、みずみずしい張りを感じさせてくれる。
おそらくは――いや、まちがいなくFか……。
予測を確信に変えるハルだった。
「は、春賀くん!? 今、すごく真剣にうなずいてたけど、変なこと考えてなかった!?」
「
「聞きたくないっ。春賀くんもやっぱり男の子なんだって十分理解できたから、恥ずかしくなること言わないで〜!」
織姫と言い合いながらも、ハルは手順を進めていた。
白銅鏡――ソスも狙った『副葬品』こと神体擬装用呪具を左手に持つ。
新生するリヴァイアサンの『
この鏡があらわになるなり、駅構内の奥で『影』がゆらめいた。
織姫のために生まれるリヴァイアサンの霊体――四つ足の獣のシルエットが己の依り代となる神器を見つけて、よろこんだのだ。
そして、火之迦具土が細い手をのばし、白銅鏡にふれる。
その途端にハルの手の上で鏡が燃えはじめた。
緋色の焔につつまれて、赤々と。
燃える鏡を見て、真正面で待つ織姫がびくっと身を震わせた。
以後の手順を知っているため、おびえたのだろう。
だが、彼女はすぅと深く息を吸いこみ、ハルを潤んだ瞳で見あげながら言った。
「い、入れていいよ、春賀くん……。おねがい……」
かぼそく震えた声。しかし、たしかな覚悟が秘められた声。
ハルは燃える鏡を織姫の白い腹部に近づけた。
すっきりと引きしまった、魅惑的なウェストである。
そのなかに鏡を左手ごと――突き入れた。
「――――!?」
織姫が美しい顔をゆがめ、苦悶をあらわにする。よほどの痛みなのだろう。
ハルは同じ場所で自分が味わった苦痛を思い出した。
鏡を抜き出すため、とっさに左手を引こうとする。
その気配を感じ取ったのか、織姫が逆に手をのばし、ハルの右手をつかむ。
「大丈夫ッ。大丈夫だから最後まで、続けて……春賀くんっ」
「十條地!」
織姫のかぼそい手がものすごい力でハルの右手をにぎりしめる。
苦痛を堪えようと、必死になっているのだろう。
いつのまにか織姫の全身は汗だくになって濡れそぼり、紅色の西日を浴びて輝いていた。
ハァハァと息も荒く、せわしない。目も虚ろで焦点が合わなくなった。
徐々にハルの手をにぎる力も弱くなっていく。
しかし、息が落ちついてきた。どうやら苦痛に慣れてきたらしい。
織姫がとろんとした目でハルを見あげる。
うなずきかけると、彼女は尚も苦しげだったが、気丈に微笑んでくれた。
そして、ついに――。
ハルが織姫の腹中に差し入れた白銅鏡。
その形が変わった。
左手でつかむ品物のさわり心地が今までとまったくちがう。
すぐにハルは左手を引き抜いた。
「ああああああああっ!」
織姫が絶叫する。しかし、これが最後の痛みのはずだ。
ハルは左手と共に引き抜いた品を見て、うなずいた。
白銅鏡はすっかり形を変えて、白い金属製の球体になっていた。
手のひらサイズのくせにずっしりと重い。
織姫の体内で形と性質を変え、リヴァイアサンの核たる『心金』に変化したのである。
直後、金属球が勝手に宙へ浮かびあがった。
四足獣の影に吸いこまれていく。影が実体を得たのは、次の瞬間だった。
狼とも狐ともつかない、犬科の風貌を持つ四つ足の獣――。
体躯は大きく、毛皮は全身白かった。
しかし、この体は光を浴びると紅蓮色の輝きを放つ。
そして、九尾であった。
太く長い尾が九本も生えていた。
尾のそれぞれが意思を持つかのように動き、蠢いている。
その動きはさながら大蛇のようであった。
蛇のごとき九尾を背負う、狐狼型リヴァイアサン。
それが織姫のパートナーだったのだ。
「あなたがわたしといっしょに戦ってくれるの……?」
あられもない姿の織姫がよろよろと身を起こす。
生まれたばかりの『蛇』はくーんと啼いた。
飼い主に甘える犬のような鼻声だった。
巨大な狐狼の甘えた仕草に、織姫の口元が自然とほころんだ。
「ふふ……。こやつにも名をくれてやらねばいかぬな。巫女よ、当てはあるか?」
首尾に満足したのか、火之迦具土が微笑んでいた。
「えっと、急には思いつかないけど……かっこいいのがいいかな。この子、クールっぽい感じの美人だから、そういうのが似合いそうよ」
「美人って……まあ、そう言えなくもないか」
織姫の言いぐさにうなずきつつ、ハルは『蛇』の威容を見あげた。
すっきりとした狐狼の面差しは端整にととのっていて見栄えがいい。
この手の獣としては、たしかに『美女』と言えるかもしれない。
盟約を交わした少女に誉めそやされて、白き獣は凛々しい顔を昂然と輝かせた。
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