【第三章 よみがえる焔】④
「考えてみたら、奇跡を演出してくれそうな知り合いはあんたくらいしかいないからさ。いきなり出てこられても、あまり驚きはしないけど……」
焔に呑まれた自動車から、自分を『連れ出した』仕掛け人。
和服の少女にして霊的存在がそうなのだろうと踏んで、ハルは言った。
きっと《瞬間転移》に類する魔力を使ったのだと、適当に見当をつけて。
「この間と今回、僕が変なふうになった原因があんたにあるなら、礼を言う気になれないかもしれない。その辺どうなんだい?」
「まあ、おまえを試すつもりで小細工したのは認めよう」
前回と同じく、尊大な口ぶりで少女は言った。
電灯もない廃墟の駅構内。しかし、入り口付近なので月明かりが差しこんでくる。
おかげでじっくり観察することができた。
やはり幼い。が、可愛らしい顔立ちには蠱惑的と呼びたくなる雰囲気があった。
「最初に見かけたとき、おまえの目と心をすこしばかりいじっておいた。ふふ、なかなかの趣向であっただろう?」
「僕をドラゴンの前でパニック状態にさせて、何を試せるっていうんだ……」
自慢げな微笑と共に白状されたものの、相手は謎の霊的存在である。
怒る気にもなれず、ハルは脱力気味に訴えた。
「祟りとか呪いって言われる方が、身に覚えもあるから素直に納得できるよ」
「祟るつもりがあるなら、一息に殺している。その程度の力であれば、まだどうにか遺っておるからな。妾が見たかったのは、おまえの“底”だ。絶対にかなわぬ怪物を前にした命の瀬戸際であっても、死ぬ寸前まで活路を求め、あがける器か否か……」
ささやきながら、少女はハルの足もとを指さした。
「最低限その程度の器量がなくては、そやつがあっても無駄というもの」
ハルは足もとを見た。
さっきぶちまけた所持品がいくつも転がっている。
少女の指が示すのは黒い小石だった。父の懐中時計に隠されていた、謎の石――。
「そやつ、だって?」
「うむ。その
奇妙な響きの言葉は、黒い小石のことらしい。
「ふふ、覇者の
微笑む少女を見て、ハルは思い出した。
覇者の秘文字。星のかけら。以前も彼女が口にしていた言葉だった。
「ところで小僧よ。あの竜めは、おまえを本腰入れて狩るつもりのようだぞ」
少女が駅の外へ視線を投げる。
ハルは東京駅入り口の物陰から、ふたたび空をうかがってみた。
ソスは高層ビルの屋上に舞い降り、翼を休めている。
だが、明らかにただの休息ではない。
彼の頭上には白い輝きを放つ球体が浮かんでいた。
それも一個や二個ではなく、数百以上も。
夜空をいろどる星雲の燦めきにも似た、無数の光の集合体だった。
「我が『目』どもに告ぐ。急ぎ獲物を見つけ、我に報せよ!」
ソスが唱える口訣に応じて、白い光が四方八方へ飛び散った。
しかも、ゆっくりと雪のごとく地上へ落ちてくる。
「あれは全て、おまえを探すための物見役。あやつめ、人間ごときを
面白そうに言う少女を前にして、ハルはふと気づいた。
ドラゴンが間近にいるのに何ともない。
焔の幻覚も見なければ、体が硬直することもなかった。
少女が仕組んだ『小細工』、もう解かれているようだ。
しかし、絶体絶命のピンチに変わりはない。
深くため息をついてから、ハルは少女の方に向きなおった。
「わざわざ僕を試して、あんたは何をしたいんだ? まあ、そのことには山ほど文句を言いたいけど、焼け死なずにすんだのはあんたのおかげだから、礼は一応言っと――」
「礼は要らん。下心があって為したことだからな」
感謝の言葉をさえぎるように、少女はハルを見つめた。
見た目の幼さにそぐわぬ、妖艶とも言えるまなざし。
その瞳は黄金色で、どこか冷血生物めいている。ここでハルはハッとした。
少女の瞳は、ドラゴンどもの目とよく似ている――!
「気づいているか、小僧? おまえは今、悪魔に逢っているのだぞ」
「あ、悪魔?」
「うむ。おまえを修羅の道にいざなう悪魔。一瞬で焼け死ねたはずのおまえをわざわざ救い出し、もっとろくでもない死に様を迎えさせようとする悪魔だ」
少女は笑う。にやにやと意地悪く。
「取引をしよう」
そして、人を奈落へ導く悪魔の気やすさで持ちかける。
「おまえに屠竜の力を――竜の種族が何よりも尊び、畏れ、求めてやまない覇者の秘文字をくれてやる。それはおまえに
屠竜。竜弑し。ハルは耳を疑った。
つまりドラゴンスレイヤー。
それは竜を屠り、殺めるという意味ではないか。
「あの竜ごとき、どうとでも誅殺できる力だ。だから、おまえはその石と『まともな死に方』を差し出すがいい」
「……なんだって?」
「只人として生き、只人として死ぬのをあきらめろ。その代わり――」
微笑でゆがむ少女の唇。その形はなぜか亀裂めいていた。
非人間的で、爬虫類的ですらある笑顔。ハルは思わず見入ってしまった。
「おまえは戦う神にもなれるし、地上を滅ぼす悪魔にもなれる……かもしれぬ。まあ、それに見合う器量がなければ、ただ野垂れ死ぬだけだが」
「も、ものすごく胡散くさい勧誘だぞ……」
「妾と盟約を結べ、小僧。おまえを王に――この世の『蛇』どもを全てしたがえ、竜族より畏怖と憎悪を注がれる者にしてくれよう」
ハルは困惑した。実に胡散くさい話だった。
ろくでもない誘いをされていることは理解できる。
そもそも、この少女――否、このバケモノの言うとおりにして、上手くいく保証は何もない。
だが、それでも。
価値ある賭けになる可能性は否定しきれなかった。
今まさに八方ふさがりなのだ。死ぬしかないギリギリの際に追いこまれている。
だったら一か八かの勝負に……しかし――
「おお、そうだ。外で騒いでいる竜だがな。あやつがこのままおまえを狩ったとしよう。しかし、それで満足しなかったら、どうなる?」
「…………」
「おまえにはたしか連れの娘がふたりおったな。さて、血と横暴を好む竜族のはしくれが見逃すかどうか――賭けではあるだろう、うむ」
わざとらしい少女のつぶやきを聞いて、ハルは舌打ちしたくなった。
さすが自称悪魔だなと、皮肉も言いたくなる。
気づいていなかった可能性を指摘され、大きく心を動かされたからだ。
ふたたびのため息。深呼吸。一〇秒ほど黙考。迷いを捨てる。
破れかぶれの気持ちを高め、心のなかで『ダメでもともと』と魔法の呪文を唱えて。
「自称悪魔とか、ツッコミどころは山ほどあるけど……」
少女をにらみながら、ハルは言った。
「どうせ竜に狩られるんだから、物は試しだ。あんたの誘いに乗ってやるよ」
前向きであり、後ろ向きでもある。
ある意味、春賀晴臣らしい選択だった。
ハルは黒い小石をふたたび拾いあげた。
強く握りしめる。手のひらにじんわりと熱さが広がっていった。
「いいだろう、小僧! ならば、先に進むがいい!」
緋衣をまとう少女は大きくうなずき、忽然と消えうせた。
照明などつくはずのない、廃墟の東京駅構内。
ハルの前には広大な闇が広がり、暗黒に閉ざされた冥界の入り口にいる気分だった。
だが、少女の退場と同時に、この暗闇を明るくする光源が生まれた。
闇のなかに、轟々と燃える紅蓮の焔が出現したのだ。
おかげで、東京駅丸ノ内口内部の様子が見てとれるようになる。
頭上はドーム状の高い天井になっていた。ジュラルミン製の年代物だ。
かつては一日で一〇〇万人以上もの利用者が訪れたというターミナル駅にふさわしい、広いエントランス部分である。
そして、その中心では焔がメラメラと激しく燃焼していた。
ハルは光と熱の発生源に近づいていった。
すると、燃えさかる焔はさらに勢いを増し、たちまち天井に届かんばかりの大きさにふくれあがった。
強烈な熱気にさらされて汗を流しながら、ハルはつぶやいた。
「で、僕は次に何をすればいいんだ……?」
その瞬間、変化は起きた。
轟々と燃えていた焔がいきなりはじけ飛んで雲散し、火のなかから巨大な『獣』の姿が顕れたのだ。
ハルは呆気にとられて、短く叫んだ。
「ドラゴン!?」
美しく、獰猛で、雄々しく、威厳に満ち、神々しさに充ち満ちた『獣』。
それはドラゴンの名で知られる生き物だった。
上位種らしく、みごとな体格である。
頭部には鋭い角が九本も生えていて、まるで王冠のようにハルには見えた。
体表は『紅蓮色』と呼ぶにふさわしい、あざやかな赤だった。
人間でいえば腰をおろして、あぐらをかいたような姿勢だ。微動だにしない。
そして、このドラゴンと向き合った瞬間――
握っていた『石』が閃光を放って爆発し、粉々に砕け散る!
「わあっ!」
しかも、いきなり全身が燃えはじめた。
轟々と燃える焔につつまれて、ハルの全身はまさに火だるまと化し、気が狂いそうなほどの超高熱に襲われた。
熱い。熱い熱い熱熱熱熱熱熱熱い。
人型の焔となってハルは床の上を転げまわり、のたうちまわる!
「ああああああああっ!」
もがき苦しむハルの上に、あの少女の声が降ってきた。
(さあ小僧。その新たな焔を聖なる刻印へ吹きこむがいい。ただし、焼け死ぬ前にな。できなければ、おまえはここで燃え尽きる以外の道を得られぬぞ)
「って、その話は聞いてないぞ!」
いきなりの通告に七転八倒しながら文句を叫ぶ。
そうしながらも、ハルは見た。
紅きドラゴンの眼前に青白い光の線が浮かびあがり、ひとつの記号を空中に描く光景を――。
描かれたのは、『矢をつがえた弓』ないし『傾いた半月』を象形化した文字。
ハルの目にはそのように見える記号だった。
「る、ルルク・ソウンの魔術記号、なのか……?」
激しい熱と痛みに悶絶しながらもつぶやく。
竜族の叡智を凝縮させた楔形のルーン文字と同系統のデザインに思える。
しかし、一度も見たことがない文字だった。
(これはかの秘文字のなかでも、覇者にのみ許される屠竜の刻印……なかでも妾が最も愛し、重用した『弓』の一字をくれてやる)
またも少女の声。これをつむぐのはドラゴンの口元だった。
同時に『矢をつがえた弓』の象形文字は縮小し、手のひらと同じほどの大きさになって、のたうちまわるハルの手前に降ってきた。
光の線が描いたルーンは、宙に浮きながら青白く明滅する。
(妾が息絶えたとき、《弓の秘文字》も一度は燃え尽きた。だが、燧星のかけらより起こした焔をともせば、ふたたび屠竜の権威を世に示すであろう――)
要は、この妙な字も巻き添えにすればいいということか。
絶叫し、のたうちまわりながら。
気が狂いそうなほどの熱さと痛みに悶絶しながら。
床すれすれの高さに浮く『弓』に似た魔術記号へ、ハルは精一杯に手をのばした。文字どおり、死にものぐるいであった。
その原動力は気合いと根性、死ぬのは絶対に御免だという恐怖感。
いつものハルなら、途中であきらめていたかもしれない。
だが、命がかかっていると言われれば、さらに全身が炎上中という惨事の最中であれば、気力も最大限に高まるというものだ。
(死力を尽くせ、小僧。力というのは己の手でつかみ取り、引きよせるものだ!)
紅蓮色のドラゴンが少女の声で無責任にあおる。
言われるまでもない。ハルはぎりっと歯を食いしばり、必死に右手をのばす。
ついに手が届いた――。
その瞬間、《弓の秘文字》とやらも焔につつまれて、めらめらと燃えはじめる。
やりとげたハルの意識はすぐに朦朧としていった。
だが、最後に右の手のひらがおそろしく熱くなるのをたしかに感じた。
(ふふ――。はたして新たなる時代に新たなるそろもんが生まれるや否や……しばらく遊んでみるのも悪くはなかろうて)
少女の声が何かささやいていたが、このときにはもうほとんど意識はなかった。
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