【第三章 よみがえる焔】③


 ハルの運転する軽自動車は小川町を通過し、本郷通りを疾走していた。

 法定速度も併走車も気にしなくていいフリーラン。

 ハルは躊躇せず、思いきりアクセルを踏み込んでいる。全速力であった。


 だが、実はかなり危険な行為でもあった。

 廃墟の車道にはどんな障害物が転がっているか、わからないからだ。

 そのうえ夜だから視界も悪い。一定以上のスピードを出すべきではないのだ。


 実際、ハルも往路では平均時速四〇キロ以下のノロノロ運転をしていた。

 だというのに、今は全速力――。

 全ては後方の空から追ってくる魔獣への恐怖ゆえだった。


 ハルがスピードを上げ、全力で逃げにかかったからだろう。

 ソスはすこし高度を上げ、今はビル群のやや上あたりを飛んでいた。


「まあ、時速五〇キロでも二〇〇キロでもドラゴンどもには大差ないだろうけど……」


 ハルはつぶやいた。ハンドルをにぎる手が汗ばむ。

 高速飛行の魔術を使えば、上位種は音速の壁を越えられるからだ。


 あのドラゴンが狙う白銅鏡は、上着のポケットに入れてある。

 古来より祭礼に使われてきた神宝の類は、ときに魔力を宿すことがある。

 そして、そうした品のなかには単なる魔力以上の霊威――神性を宿すにいたり、神の代替品にまで昇華する器物があった。


 この『聖なる神器』がハルたちのいう副葬品だった。

 副葬品が獲得した神性と魔力は、形が変わっても基本的に不変である。

 鏡に加工しようと、ドロドロに溶かして鋳型に流し込もうと、すぐに神性は失われない。だからこそ盟約儀式で『心金化』させて、リヴァイアサンの心臓に錬成できるのだ。


 ラーク・アル・ソスはどう考えているだろう?

 必死に運転しながらハルは思案した。

 自動車内の鏡を巻きこみたくないから、焔や魔術を使わないと考えるか。

 あるいは、熱で溶けたり壊れたりした鏡には錬金術でもかけて、新しい形をあたえればよいと考えるか。


 前者ならいい。当分、命の猶予ができる。逃げのびる目も出てくる。

 しかし、鏡を狙う理由が所有欲よりもハルたちを虐げたいという欲求ゆえであれば、このまま豪快に焔を吐いてしまうのではないか?


 吐くな。吐くな。吐くな――。ハルは必死に祈った。

 せめてハルが車を捨てて、廃墟の街中にもぐり込むまで。

 そうしたら、ひたすら気配を殺して、魔術も使って、なんとしてでも逃げ切ってみせる。

 逃げ切れないかもしれないが、人為の限りを尽くして悪あがきしてやる――。


 だが、願いも祈りも通じなかった。

 気づけば、竜族の口が放つ青白い焔に軽自動車は呑みこまれていた。

 当然のことながら、ハルもその熱と衝撃を全身で味わう羽目になった。





『蛇との盟約はどうして女性にしか成しえないのか、だって?』


 この問題について父に訊ねたのは、いつのことだろうか。

 ハルの記憶では、たしか五年前だったはずだ。

 幼なじみのアーシャが“相棒”ルサールカと盟約を結んだ直後の会話である。


『まあ、理屈をいちいち説明し出すと長いうえに退屈な話になるんだがね』


 息子の問いかけに、父はすこし考えてから、こう答えた。


『こう言うと、ものすごくシンプルになる。才能の差だ』

『才能だって?』

『うん。神・魔術・怪物といった超自然の事象にたずさわる職能の男女比は、太古の昔から女性の方が上だった。巫女、魔女マギ、生け贄の乙女……。もちろん、同じ役割を男がこなすケースもある。でも比率でいえば、やっぱり女性の方が多数派だ。この分野の資質はそれだけ性別に左右されるんだ』

『そうか。女子の方が魔術使いとして、生まれつきすぐれてるんだな』


 親子の対話にしては、理屈っぽい言葉が多すぎる。

 しかし、毎度のことなのでハルは気にせず、うんうんとうなずいた。


『おまえも知ってのとおり、私たち人間族が魔術と縁を切ってから何世紀も過ぎてしまっている。特に産業革命以降は、この怪しげな学問にわざわざ取り組む物好きは、おおむね詐欺師やカルト集団のお仲間だった』


 父も父で、子供向けの手加減など一切考えずに講釈する始末であった。

 そういえば、よく似たもの親子とあきれられたような……。


『使わない能力は自然と鈍るものだろう? 神代の昔、浪漫あふれる古代とくらべたら、現代人の魔術的素養はずいぶんと低くなってしまったのさ』


 竜の近似種を人造する、錬金術の大いなる作業――。

 これはいにしえの大魔術だったのだという。


 父の所属していた《S.A.U.R.U.サウル》の研究班は古代・中世・近世の資料を発掘し、丹念に解読した。

 これを注意深く研究し、再利用の目処を立て、数々の艱難辛苦を乗り越えて、どうにか復興させたのである。


『結果、蛇と心を通わせ、高等魔術を実践できるような逸材は、もともと資質にすぐれている女性にしか現れなくなったわけだ』

『じゃあ大昔なら、男も蛇と盟約できたのかもしれないのかな?』

『かもしれないね。とはいえ、今の時代を生きるわれわれは、うら若き乙女に危険を押しつける形でしか、竜どもに対抗する魔術を成しえないわけだ……』


 なつかしい父との話を夢に見ながら――。

 ハルの意識はすこしずつ覚醒へと向かっていった。


 当時の自分は、あんな親父によく愛想を尽かさなかったよなと感心しつつ。

 そして、父は父なりによく息子の相手をしてくれていたよなと、なつかしく思いつつ……。





「わあああっ!」


 夜風が吹く冷たい路上で、ハルは悲鳴と共に飛び起きた。

 意識を失っていたらしい。

 自動車ごと竜の焔で灼かれたのが最後の記憶だった。

 だが、なぜか高層ビルが建ちならぶ都心のオフィス街で倒れていたのだ。


「火傷ひとつしてない……よな」


 ハルはつぶやいた。

 信じがたいことに無傷だった。服にも焼け焦げひとつない。

 上着のポケットも探ってみると、例の白銅鏡はしっかり入っていた。

 竜の火で灼かれた以上、あの軽自動車はネジの一本も残さずに燃え尽き、どろどろに融解するか蒸発したはず。ドライバーも当然まきぞえだろう。なのに、どうして!?


 現在地をたしかめるべく、ハルは周囲を見まわした。

 駅前だった。しかも、かなり大きなターミナル駅のようだ。

 古めかしい煉瓦造りの駅舎を見て、すぐに気づく。


 ここは、かつて東京駅と呼ばれた場所なのだ。

 ハルが倒れていたのは、丸ノ内口のすぐ近くだった。

 近代的な高層ビル群がやたらと目につく界隈にあって、大正浪漫の香りただようレトロな駅舎はひときわ異彩を放っている。


 さっきまで自動車を走らせていたのに、どうしてこんなところに?

 いぶかしみつつ、ふと道路を見て、驚いた。

 銀の懐中時計――父の形見が落ちていたのだ。

 粉々に砕けていた。そして、時計の破片のなかに、黒い小石があった。

 丸みのほとんどない鋭角的な石である。石英のように見える。

 この石を拾いあげて、ハルは驚いた。


「熱い……?」


 石はなぜか熱気を宿していた。ずっと持っていたら低温火傷になりそうだ。

 とりあえずウェストバッグに放りこんでおく。

 父はこんなものをどうして懐中時計に仕込んでいたのだろう?

 いぶかしんだ瞬間、ラーク・アル・ソスの重厚な笑い声が空に鳴りひびいた。


「ふ……ふふふ。猿どもの近似種でありながら、やってくれるものだ!」


 かなり近い。ハルはびくっとした。

 あわてて東京駅の入り口に飛び込むと、外から見られないよう用心しながら、空の様子をうかがってみた。


 二ブロックほど先――日比谷通りの上空に、ブロンズドラゴンがいた。

 地上を睥睨しながら翼を広げ、ゆっくり通過していく。


「なるほど。竜の種族をあざむく策があればこそ、愚行に挑んだのだな。ふふふふ、なかなかによい趣向だ。名も知らぬ人間の若者よ。ラーク・アル・ソスは君を狩り立て、八つ裂きにすると誓いを立てよう!」

「か、買いかぶりもいいところだぞ……」


 ゲームでも楽しむようなソスの宣言に、ハルは頭をかかえたくなった。

 追いつめられたネズミの勢いで、走り出しただけなのだ。

 まあ、ソスがこちらに来たのなら、アーシャと織姫はおそらく大丈夫だろう。

 それについては、ハルの行動が生み出した僥倖といえた。大金星だ。


 ルサールカはだいぶ弱っている。

 パワー全開にしてラプトルの群れを蹴散らす全盛時のような真似は、むずかしいだろう。だが、ソスさえいなければ十分に勝てる。

 アーシャなら、だましだまし上手いこと戦ってくれるはずだ。


「携帯がつながれば、向こうの状況も訊けるんだけどな」


 アンテナが機能していない旧東京では、通常の電話はつながらない。

 ハルは肩をすくめて、ふたたび外の様子をうかがう。

 ソスはゆったりとした飛翔で、この界隈の上空を旋回していた。

 鋭い竜族の視力で地上を見渡しているのだ。


 そのうち視力だけでなく、探索系の魔術も使いはじめるだろう。

 そうなると、息をひそめて隠れるのもむずかしい……。


 ハルはウェストバッグの中身を床にぶちまけた。

 入れておいた商売道具から、役立ちそうな道具を探す。

 懐中時計――予備の『時計仕掛けの魔術師クロックワーク・マギ』はともかく、折りたたみ式のナイフはまったくの無価値だろう。


 あとは皮ケースにいれた二二口径のリボルバー式の拳銃。

 偽造免許の入手と似たような経路で確保した品だった。

 荒事は専門外のハルだが、たまに護身用として重宝するときがあるのだ。

 こんな小口径でも攻撃魔術と併用すれば、ヒグマ程度なら射殺することも――。


 ハルはため息をついた。竜族の脅威はヒグマの何億倍だろう?

 やはり、死か。暗い未来予想が頭のなかで首をもたげた瞬間、ハルは視線を感じてハッとした。

 すこし先には、今や広大な廃墟でしかない駅構内の闇が広がっている。


 そのなかで金色の瞳がふたつ、妖しく輝いていた。

 瞳の所有者は、この間も会った緋色の和服をまとう少女であった。

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