【第三章 よみがえる焔】②


「春賀くん、それってどういう意味?」

「単純な計算問題を解いただけだよ。ひとりは命を拾う選択肢があるんだから、三人まとめてやられるより全然いいと思ってね」


 じろりとにらみつけてくる織姫へ、ハルは淡々と告げた。

 さっき自分で構築した儀式用魔方陣の上に、ぐったりと腰を下ろしながら。


 上空ではラーク・アル・ソスがゆったりと余裕の飛翔をしながら、地上に向けて『焔』を放射中だ。それをルサールカが体で受けとめている。

 ソスは火焔放射を続けて、『焔』の熱を高めていくつもりなのだろう。

 吐ききったと思えば、すぐに再放射を開始する。

 地上のアーシャやハルたちをかばうため、ルサールカに回避は許されない。

 まだ持ちこたえてはいるが――あまり猶予はなさそうだ。ハルは言った。


「新都まで徒歩で帰るのは大変だし、危険もあるけど……あの上位種にやられるよりはずいぶんマシな試練のはずだ。車で移動するより発見されづらいだろうしね」

「バカを言わないで。逃げるときは春賀くんもつれていくわよ」


 合理的な助言は、感情的な宣言にはねのけられた。

 それこそバカバカしい。春賀晴臣はやせている方だが、赤ん坊ではないのだ。

 織姫のように華奢な女の子がおぶっていけるはずもない。


「春賀くんのそれが心の病か、平将門の呪いかは知らないけど。病人みたいな人を放り出して避難できるほど、わたしは図太くないの。そんなことしたら良心の呵責に耐えかねて、こっちが心の病を発症しちゃうわ。絶対に」


 死にいたる選択だと理解できるだろうに、気高く善意を貫こうとする。

 ハルはため息をついた。実は予感していたのだ。

 このお姫さまなら、こういう答えを口にするのではないかと。


 幻覚に苦しみながらも、ハルは空に目を転じた。

 上位種の吐き出す『焔の息ファイアーブレス』に苦戦していたルサールカ。

 だが、敵の火焔がわずかに途絶えた瞬間、ついに反撃に出た。


「ルサールカ!」


 アーシャの檄が飛ぶ。その瞬間、ルサールカが流水の動きを見せた。

 水が高きから低きへ流れるように、『ぬっ』としたなめらかさで飛翔したのである。


 それはおそろしく静かな急上昇だった。

 だが、速さは稲妻のごとし。ほとんど一瞬でソスの真正面にまで距離を詰め、ルサールカは一角獣の角を上位種の頸へと突き込んだ。

 頸部のどまんなかを貫ければ、致命傷になったかもしれないが。

 ソスはふたたび獣の反射神経で頸を横に振って、『角』をしのぐ。惜しい。

 しかし、わずかな隙を逃さず攻撃に転じるあたり、さすがの勝負勘だった。


 焔につつまれたハルの視界――。

 そのなかでアーシャの秀麗な顔立ちには、鋭気と凛々しさがみなぎっていた。

 威風堂々としている。妖精かアンティークドールのように華奢な少女。

 だが、彼女はこうして戦っている姿がいちばん絵になるのだ。


「……いつもあんな感じなら、惚れちゃうかもしれないのにね……」


 ぼそっとつぶやく。

 このまま幼なじみが勝てれば、何の問題もないのだが。

 もろもろ考えると儚い期待だ。ひそかに覚悟をかためるハルだった。





「晴臣の調子、やっぱりよくないようですね……」


 へたりこんだ幼なじみをちらりと見て、アーシャはつぶやいた。

 竜族と戦う力はなくとも、本来の晴臣は修羅場慣れした少年だというのに。


 依頼主側の魔女候補者と幼なじみ――。どちらも死なせるわけにはいかない。

 覚悟を決めて、アーシャはソスをにらむ。


 一方、彼女の『蛇』ルサールカ。

 さっきは隙を突いて、ソスに『角』を突き込んだ。

 だが、もうアーシャの頭上に舞いもどり、次の攻防にそなえて空中で待機している。


 アーシャはうなずいた。当分、一撃加えては離脱する形でいい。

 まだ格闘戦を挑むタイミングではなかった。

 組んずほぐれつしながら、敵の喉笛に喰らいつく。

 そういう荒々しい戦法は、もっと相手が隙を見せたときに選ぶ手だ。

 今、自分たちがすべきことは――


「ルサールカ、疑似神格を筐体化!」


 アーシャは切り札をひとつ解きはなった。ルサールカに魔力を使わせたのだ。


 キュアアアァァァアアッ!


 ワイバーン型の蒼き蛇は高らかに哭いた。

 すると、その真下でコンクリートが割れ、そこから勢いよく水が吹き出しはじめる。

 水の柱を呼んだのだ。この柱は途中から二又に分かれ、それぞれの先端は蛇の頭部をかたどり、うねうねと這いずる蛇のごとく蠢く。


 言うなれば、噴出する大量の水が巨大な『双頭の蛇』と化したのだ。

 双頭の水蛇は長く長く頸をのばし、とぐろをまいて、ルサールカの周囲三六〇度をぐるりと取りかこんでしまう。さながら防壁のごとく。

 さっきのように『焔』を吐かれつづけても、これで問題ない。

 水蛇を構成するのは《水》の疑似神格。

 焔を鎮め、悪しき魔の力を封じ込む水神の力だ。

 そして、水蛇の双頭はそれぞれがルサールカの右と左に陣取る形となった。


 リヴァイアサンも竜族上位種に匹敵する魔力を行使できる。

 それが『疑似神格』。アーシャたちの切り札だった。


「ルサールカ、仕掛けるのはまだ。今は自分と私たちの防御を最優先に」


 アーシャは小さくささやいた。

 あの上位種に全力突撃を敢行して、押し切れるほどの破壊力。

 今の自分たちにはしぼり出せない。だったら、ひたすら守りをかためる方がいい。


 ソスには好きに攻めさせる。そうやって相手の疲れを待ち、隙が出るのを待つ。

 そのときこそ、あの青銅ブロンズ色の喉笛めがけて――。


「ふふ。“まがいもの”の身で眷属をしたがえるか!」


 ルサールカと『双頭の蛇』を眺めて、ソスはほくそ笑んだ。


「やはり手強いな。しかし、だ。それだけに手負いであるのが惜しい。本来であれば、もっとさまざまな手管で私を愉しませてくれたであろうに……」


 こちらの不調を見抜いている。アーシャは眉をひそめた。

 『蛇』が疑似神格を何度使えるかはパートナー次第。アーシャは第五階梯の魔女。


 これは『一日に五回、神格の使用を命じられる』力量の持ち主という意味だった。

 本当なら、より早いタイミングで術を使っていけた。


 だが、今ようやく一度目。ルサールカへの負担を配慮したためだ。

 神格の行使は、命数尽きた『蛇』の寿命をさらに大きく削る。

 相棒に残された命を有効活用するために、出し惜しみは不可欠なのだ。


「せっかくの強靱さも、傷のためになまくらとなったか。惜しい話だ。そして、興の削がれる話だ。休眠を終えて、はじめての獲物であるというのに!」


 ドラゴン上位種には、妙な美意識やこだわりを持つ輩がすくなくない。

 それを思い出しながら、アーシャは怪訝に思った。彼は何を言いたいのか?


「愚鈍なるハボネスども。王への道の探究者、ジズーの召し出しに応えよ」


 ソスが呪文を唱える。すると夜空にいきなり流星が顕れた。

 衛星軌道より、幾十もの光が地上へ降りそそいできたのだ。

 時ならぬ流星雨ではない。現在、月面と衛星軌道上には竜族の居住地コロニーがいくつも築かれ、そこにはラプトル――大量の小型種が生息しているのだ。


「あなたも眷属を呼びますか!」

「うむ。興を削がれたと言っただろう? 君の相手は羽トカゲどもにまかせよう」


 ソスとルサールカの間に、天翔ける流星たちが降臨してきた。

 その数は三〇ほど。いずれもルサールカより小さなドラゴンたち。

 天より降下してきた鋼色の小型種、ラプトル・ドラコーニス。


 そう。上位種は小型種の群れを魔術で召喚し、自在に使役できるのだ!

 知性を持たない純粋な獣であるラプトルたち。

 本来なら、策も統率もなくルサールカに襲いかかってくるはず。

 だが、今回はちがった。


 ラプトルの集団はルサールカを整然と取り囲み、包囲網を形作る。

 ラーク・アル・ソスの指示を受けて、軍団として戦闘行動を取っているのだ。


「では、私の方は失礼して……その宝物を回収させていただこうか」


 戦場を眷属たちにゆだねて、ソスは悠々と翼を広げた。

 ドラゴン上位種の視線は地上の魔方陣に注がれている。

 その中心に置かれた白銅鏡、彼のお目当てである神器の上に。


 ラプトルの群れを迎え撃ちながら、アーシャが舌打ちした瞬間だった。

 晴臣がいきなり予想外の行動に出たのは――。





 懸念していたとおり、空にラプトルどもが飛来して。

 ハルはため息をついた。あの計画を試すしかないようだ。

 ひどく不確実な挑戦になるから、できれば避けたかった手を――。


 上手く動かない右手をどうにかのばし、ウェストバッグを探る。

 折りたたみ式のナイフを入れておいたのだ。取り出して、じゃきんと刃を出した。


 ――焔の幻覚と金縛り状態、一度は気合いで吹き飛ばした。

 だったら、もう一度やってやると。ハルは左手でナイフの刃をぐっと握り込んだ。


「く……痛ッ!」

「ちょっと春賀くん、一体どうしたの!?」


 当然ながら左手の内側は切れ、血がしたたり落ちる。

 いきなりの自傷行為に織姫は驚き、心配そうにハルの顔をのぞき込んだ。


 その瞬間だった。焔につつまれていた視界がクリアになった。

 痛みがあやしい幻覚を吹き飛ばしたのだ。


 織姫の白い顔が鮮明に見える。足にも……力が入る。

 ハルは超至近距離にいる美少女へ語りかけた。


「君は忘れてるみたいだけどさ。儀式中に起きた不慮の事故から君をガードするのも、僕らが請けおった業務なんだ。ギャラ分の仕事はしないと……」

「えっ?」


 どうにか立ちあがる。驚く織姫を尻目にハルはさっき魔方陣の中央に置いた台座によろよろと歩みよった。その上の白銅鏡をつかみ取る。


 盟約儀式で『心金化』するため、提供してもらった副葬品だ。

 それから、ハルはふらつく足で軽自動車の運転席にもぐり込んだ。

 挿しっぱなしにしていたキーをまわして、エンジンスタート。


「悪いけど、あんたが欲しがっているものはよそへ持っていかせてもらうぞ!」


 開けた窓から空へと叫ぶ。ドラゴン上位種への呼びかけだった。

 すると、空中のソスは「む?」と若干の驚嘆をあらわにした。

 猿の一匹程度にしか認識していなかったハルの宣言に、意表を突かれたらしい。


「ほう……」


 ソスの視線が自分と車に突き刺さるのを、ハルは自覚した。

 こうなると、もう理屈抜きに恐ろしい。

 ルサールカは三〇体以上のラプトルに包囲されている。

 幼なじみの支援はしばらく当てにできない状態なのだ。


 また、地上にいる当のアーシャとも目が合った。

 こくり。幼なじみは小さくうなずいた。ハルの意図を了解したのだ。


 まあ、意図というほど立派じゃない、という見方もできたが。

 何しろ破れかぶれで行動を起こすだけなのだから。


 ほとんど詰みに近い八方ふさがりの現状。

 せめて上位種が狙う『宝物』を持ち去って、ソスの注意を惹きつける。

 ラプトルの何匹かでもこちらに差しむけてくれれば申し分ない。

 わずかとはいえ、ルサールカにかかる負担を減らすことができる。

 その後ハルを待ち受けるのは、だいぶろくでもない運命だろうが。

 指をくわえて竜どもに押しつぶされるより一千倍ましだ。

 そうしてあがくことで、万にひとつの活路を見出せるかもしれないし……。

 ハルと幼なじみは魔術ではなく、阿吽の呼吸で意思を確認し合った。


(まかせます、晴臣。でも、ここで今生の別れをするつもりはありませんからね!)

(こっちこそだ。おたがい、なんとしても生きのびるとしよう)


 アーシャの『行きなさい』と言わんばかりのうなずき、別れを告げる気は微塵もなさそうな決意のまなざし、静かな戦士の威風――。

 それらが幼なじみの想いを明瞭に教えてくれた。


 あちらも似たような解読法でハルの心を読み取っているはず。

 だから、ハルはもうアーシャを一顧だにせず、軽自動車のアクセルを踏み込んだ。


「春賀くん! 囮になるなんて無茶よ!」


 織姫の声を聞いた。お姫さまもハルの狙いをそれなりに察したらしい。

 彼女が魔女として大成できるとは、やはり思わない。

 だが、本人が言っていたとおり意外と荒事の才能はあるのかもなと、やや失礼な感想を抱くハルだった。


 しかし、もう織姫のことも気にせず、車を走らせる。

 祭場および戦場となった大学構内から出ると、そのまま本郷通りの坂道を下る。

 めざすのはとりあえず南。旧大手町・丸の内方面。

 ある程度の距離をかせいだら、自動車は捨てるべきか。

 あとはひたすら廃墟のなかを逃走して……。


 幸い土地勘はあった。

 あまり帰省していなかったとはいえ、故郷である。

 ハルも父も魔術をなりわいとする《S.A.U.R.U.》関係者。

 ふつうより魔力の強い東京租借地には何度も潜入し、調査書を本部に提出していた。


 地図など見なくても、主要幹線道路と裏道の模様はパッと思い浮かぶ。

 だから、上手くいけば命を拾う目は十分にあるはず――。


「な!?」


 自らに希望的観測を言い聞かせていたときだった。ハルはびくりとした。

 後方から悠然と迫る飛行物体がバックミラーに映っていた。


 青銅色の翼をゆったりと広げて、余裕の体でハルを追うブロンズドラゴンだ。

 高度を上げず、ごていねいに車道の上を飛んでいる。

 おそらく、ハルに追われている事実を認知させるためだろう。

 狩りを気取っているのかもしれない。


 親玉のソスが自らハルごときを追跡とは――。


 ラプトル一匹程度なら、魔術も駆使すればギリギリ逃げ切れたかもしれないのに!

 ルサールカとアーシャに飽きたというのは、どうやら本当らしかった。

 そして口を大きく開け、焔を吐こうとしているのもまちがいなさそうだった。

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