【第二章 盟約の儀式に向けて】⑥
そして、三日後の夜を迎えて。
ハル・織姫・アーシャは隅田川にかかる両国橋の前に集まっていた。
川を越えれば、そこはもう旧東京エリアである。
蔵前橋、厩橋、駒形橋など隅田川を渡河できる橋は、警備員などはいないものの全て封鎖されている。
尚、この両国橋の封鎖はよそよりも比較的厳しい。
通用ゲートが設けられ、二四時間態勢で警察官が常駐しているのだ。
旧東京エリアを巡視・巡回する警察関係の車両が通行するための出入り口だった。
それを遠目に眺めながら、織姫がふとつぶやく。
「でも、ドラゴンたちの領土なのに管理は人間側でやってるのよね。変なの」
「あいつらは住むために『租借地』を欲しがったわけじゃないんだよ。あれを建てたかっただけなんだ」
ハルは隅田川の向こうに広がる暗夜を指さした。
対岸の廃墟郡にともる照明は一切ない。完全なる闇に沈んでいる。
しかし、人工の光が皆無であるため、かえって月と星々の輝きが明るさを増し、やわらかな白い光で地上を照らしてくれていた。
この“明るい”闇夜に浮かび上がる『柱』のシルエット。
それが旧東京の中心部に打ち立てられたモノリス。
高さ一〇〇〇メートルを越す、黒い石柱の威容であった。
「あの柱がある周辺は……変わるんだ」
「変わる?」
「ええ。魔力、霊力、妖気、瘴気……そういう魔道のエネルギーが満ちるといいますか。水も土も空気までも、ふつうの土地とはちがうようになるんです」
目をみはった織姫に語るのは、今度はアーシャだった。
「ふつうの人間は一月もいれば魔力の強さに当てられて、深刻な体調不良になるといいます。その代わり、魔力が強くなった土地ならではのメリットもありますが」
「もしかして……今回みたいな儀式がやりやすい土地って意味?」
後輩になるかもしれない織姫の気づきに、アーシャはふっと微笑んだ。
「正解です。リヴァイアサン新生のように大規模な儀式では、その土地が宿す霊気と魔力を無視することはできません。だから今夜も――」
「こうやって、旧東京でも特に霊気の強い場所を探すわけだ」
天候や季節、地脈・霊脈の状態に応じて、土地の魔力は強くなったり弱まったりする。
今夜の魔力状況を走査するべく、ハルは愛用の『時計』を取り出した。
「それは何?」
「僕らの商売道具。『
織姫の問いに答えて、ハルは銀製の懐中時計を軽く持ちあげた。
東京新都に帰ってきた直後、書斎で見つけた父の形見だ。
歯車、ゼンマイ、バネ、振り子など数百もの部品が連動して動く、古式ゆかしい機械式の時計だった。
これが『
現代版魔法使いの杖である。
カチッ。カチッ。カチッ。時を刻む秒針の音。
これを心臓の鼓動に同調させるのだ。
ハルは息をととのえた。今、秒針のスピードと脈の速さはほとんど変わらない。
時計の針と心臓。同じリズムで動くところをイメージする。
カチッ。とくん。カチッ。とくん。
すると秒針のスピードがわずかに遅くなり、ハルの心臓と完璧に同じ速さで一拍するようになる。その瞬間、魔力が生じた。
普通人には生み出せないはずの、超自然のパワーが。
「中国の風水なんかだと、大地を巡る気の流れ――龍脈を捉えることが重要だったらしい。その要領で、魔力の流れや分布状況を観相してみようか」
ハルは旧東京エリアの俯瞰地図を広げた。
航空写真をもとにしたものだ。右手に持った赤ペンで、地図上にいくつも丸を書きこんでいく。ペンを導くのはハルの意志ではない。
時計仕掛けの魔力で行使した、《霊脈探査》の術だった。
もちろん丸で囲んだポイントが、魔力の強い場所である。
「ここがよくはないですか。それなりに広い場所もありそうですし」
「御茶ノ水のあたりか。了解。その線でいこう」
地図と丸をのぞき込んだアーシャの意見に、ハルは即うなずいた。
一方、織姫は好奇心に輝く目で懐中時計を見つめている。
「こういう機械があるとは聞いてたけど、初めて見たわ。ふつうの人でも魔法を使えるようにしてくれるんでしょう?」
「もちろん持ち主がそれなりに魔術を知ってなきゃダメだけどね」
懐中時計をしまいながら、ハルは言った。
「こいつはB5ランクまでの術を使わせてくれるから、携帯用としてはかなりいいヤツだ。じゃあ、さっそく移動しようか」
と、近くに路上駐車している軽自動車を眺める。
《S.A.U.R.U.》所有の車両を見城に運んできてもらったのだ。
「ちょっと待って。車があるのはいいけど、誰が運転するの?」
「そりゃ今さらな質問だなー」
「大丈夫です。私も晴臣も運転の方は何も問題ありませんから」
織姫の指摘した問題点にハルは肩をすくめ、アーシャがあっさり答えた。
「……日本の法律だと、一八歳未満の人間は普通免許を取得できないはずよね。で、春賀くんはわたしと学年同じ。留年とかしてる?」
「いいや。十條地、君と同じ年に生まれたピチピチの一五歳だ」
「晴臣の口からピチピチなんて自己申告されても、違和感しかないですね……。あ、ちなみに私もみなさんと同じ一五歳。花も恥じらう乙女です」
「なあアーシャ。君、前に食用の菊か何かをむさぼり喰ってなかったか?」
「ええと……単刀直入に訊くけど、ふたりとも免許は?」
訊ねる織姫は、憂鬱そうな表情だった。
犯罪者予備軍を見つけてしまった、どうしましょうとでも言いたげな。
するとアーシャがうすい胸を張り、フフンと微笑しながら免許証を取り出す。
「そんな心配をしてたんですか。このとおり、準備に抜かりはありません」
「僕の方も大丈夫だ。ちょっと金がかかったけど、あれば何かと役に立つしね。前もって日本国内用に調達しておいた」
ハルも免許証を出す。
しかし、織姫はあきれ顔になった。
「アナスタシア・カミンスキー、一九歳。春田春之介、一八歳。今まで聞いてたのと全然ちがう名前と生年月日欄に、わたしはどうつっこめばいいのかしら……」
「あー。参考までに言うと、世の中には知り合いの紹介と謝礼金でいろんな書類を用意してくれる職業の人もいてさ」
「こういう仕事をしてると、お世話になる機会も結構多いんです」
「それに偽造なのは免許だけで、腕はまちがいないから」
「私と晴臣は一二歳の頃、タクラマカン砂漠で軍用ジープを代わる代わる運転して、オアシス伝いに砂漠縦断して以来の運転歴です。大船に乗ったつもりでいてください」
「わたしが気になるのは腕じゃなくて、あやしい偽造免許の方!」
あきれ顔の織姫を軽自動車の後部座席に乗せ、アーシャは助手席、ハルは運転席におさまった。アクセルを踏んで、車を出す。
両国橋に設けられた警察車両用のゲートに近づいていく。
《S.A.U.R.U.》は日本政府を陰から支配する都市伝説とは無縁の研究機関。
だが、多くの公的機関と深いつながりを持つ組織でもある。
日付入り通行許可証の用意は、事前にすませてあった。
通用ゲートは、高速道路の料金所を思わせる外観だった。
ただし、行く手をさえぎるのは堅牢そうな柵だ。
三〇代後半くらいの警官が待機していたので、ハルはゲートの前で車を止め、窓から通行許可証を差し出した。
警官は許可証をひととおり見てから返し、ボタン操作。
ぎぎ……。駆動音がして、柵が上にせりあがっていく。
かくして、ハルたちは旧靖国通りに足を踏み入れたのである。
廃墟となる前、旧時代の首都を両国から新宿にかけて横断した道路であった。
ハルの運転する軽自動車は快調に進んでいった。
旧靖国通りに沿って、かつての浅草橋や東神田の界隈を走り抜ける。
だが、無人だった。
かつては数え切れないほど行き交っていた車も、人も、全て消え失せていた。
もちろん街灯もない。車のライト以外は月と星明かりだけが光源である。
途中、岩本町のあたりで無惨な光景を目にした。
「結構、派手にやられてるな」
「ドラゴンたちに壊されて、そのままになっているのね……」
ハルの感想に、織姫があいづちを打つ。
飢えたドラゴンの一群が飛来したのだろう。
高層ビル、雑居ビル、一般家庭の家屋、公共施設、倉庫、工場、商店――市街のことごとくが砕かれ、裂かれ、焼かれていた。
あらゆる建材がガレキとなって、飛び散っている。
だが幸い、道路の方は障害物となるガレキもすくない。迂回せずに先へ進めた。
「ラプトル――この間も飛んできた小型種でさえ、野放しにすれば洒落にならない打撃力を発揮します。まして上位種のすさまじさと言ったら……思い出したくないですね」
助手席にすわるアーシャが淡々と言った。
妖精めいた可憐さに、研ぎすました名刀にも似た戦士の威が混ざりこんでいる。
力と戦いについて語るとき、彼女はよくこういう顔になるのだ。
「上位種がどうとか前にも言ってたわよね? どうちがうものなの、アーシャさん?」
今の語りに織姫が食いつき、これから先輩になるアーシャへ訊ねた。
「そうですね……。ドラゴン上位種はラプトルよりも体格が倍以上の大きさで、戦闘能力も高く、そのうえ多くの言語を使いこなします」
すこし考えてから、アーシャは語りはじめた。
「シュメール語、コプト語、古典ギリシア語にラテン語、現生人類が操る数々の言語。彼ら自身の言語であるヒューペルボレア語に、竜族の魔術的叡智を結集させたというルルク・ソウンのルーン記号……。おまけに上位種には強い魔力まであって、超高等魔術を息でも吸うように行使できるんです」
「魔法って、さっき春賀くんが使ったみたいな?」
「とんでもない。僕ら程度のとドラゴンのとじゃ比較にならないよ。
「ただ、威力は同等でも、術の練度や使える回数に差がありますから……。正直言って、四倍以上の数的優位がないときは戦いたくないですね」
アーシャの戦歴には、ドラゴン上位種との交戦記録が数回あったはずだ。
その死線をくぐり抜けた彼女の言葉に、織姫が感慨深げに言った。
「じゃあ、わたしも魔女になれたら、その上位種と戦う可能性が――」
「すくなくない確率であります。ラプトルの相手なら通常の軍隊でもできますが、上位種は魔術で機械類を無力化したり、万単位の人間を眩惑できますから……
「それに、上位種は地上をうろついているときも多いからね。貴金属とかレアメタル、魔力を帯びた呪具なんかを探しにくるんだ」
ハルたちのような事情通は、あまりラプトルを『ドラゴン』呼ばわりしない。
真のドラゴン族はあくまで上位種――。そういう意識があるからだ。
今の話に大きくうなずいてから、織姫は言った。
「ということは、あの紅いドラゴンも上位種? ほら。ネットの動画とかでよく見る、流暢な英語で演説するドラゴン――そう、ハンニバル!」
二〇年以上前、ロックフェラーセンターに飛来した紅き巨竜。
地球人類は「竜の種族の王であり、代表者である」としか自己紹介しない彼に、ある異名を送った。それが『ハンニバル』なのだ。
かつてローマ帝国を蹂躙した、古代カルタゴの名将の名――。
ハルとアーシャは一瞬だけ目くばせを交わしてから、さらりと言った。
「当たりだよ。あいつは僕らの世界じゃ、いちばん有名な上位種だ」
「ところで晴臣。例の『心の病』はその後どんな具合ですか?」
「一応、再発はしてないけどさ。ただ、あれって本当は呪いとか祟りの類じゃないかって思いはじめているよ」
「言われてみると私たちの場合、仕事柄そっちの方がありそうですね……」
通称『竜王』。カエサル・ドラコーニス。
あの連中は上位種のなかでも最高のイレギュラー。
まだ
ふたりの連携にも気づかず、織姫は新たな話題に食いついた。
「ち、ちょっと、呪いってどういうこと?」
「いや、ほら。この間、竜を見たとき起こした発作だよ。最初はパニック障害みたいなものかと考えたんだけど、いろいろ思うところがあってさ」
謎の霊(?)との遭遇をふりかえりながら、ハルは言った。
「うちは僕も親父も古墳みたいなところで罰当たりな真似を重ねてきたから、身に覚えはあるんだよね。親父もそういえば急に体調を崩して、あっさり逝っちゃったしなあ」
「一度、《S.A.U.R.U.》の本部で診断を受けるのもよさそうですね」
「春賀くんたちの業界って、結構何でもアリよね……」
三人を乗せる車は、いつしか目的地の近くまでやってきていた。
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