【第二章 盟約の儀式に向けて】⑤
「昨日はごめんなさい。うちのおじいちゃんが変になって」
十條地家訪問の翌日。朝の教室、ホームルーム前。
ハルが席に着くと、先に来ていた織姫がいきなり謝罪してくれた。
「あやまってもらう必要はないよ。気にしちゃいないから。まあ驚きはしたけど」
「おじいちゃんって、ふだんは厳しいくせに変なところで過保護なのよね。とにかく、春賀くんには悪いことしちゃったわ。せっかく家に来てもらったのに迷惑かけちゃって」
隣同士での朝の会話。学校ではよくある光景だろう。
なのに、なぜだろう? まわりの級友たちがいきなり色めき立ったような。
ななめ前の席にすわる武藤さん&船木さんの女子ふたりが目くばせし合っていた。
すぐ前にすわる男子・高山の背筋も『びくん!』と硬直したように見えた。
気のせいか? 不審に思いながら、ハルは答える。
「家庭の事情はそれぞれだし、昨日のあれは本当に気にしてないよ」
本音を言えば、この間の
やはり『呪い』の線なのか。考えてみれば、心当たりは多々あるわけで……。
思い悩むハルに、事情を知らない織姫は明るく言った。
「じゃあ、これはお詫びのしるし。遠慮なく取っといて」
差し出しされたのはコンビニの袋。ハルは中身をのぞいてみた。
「今の謝罪は中華まんふたつ相当の安さなのか。十條地の誠意には感心したよ」
「ふたつじゃないわ。キャラメルマキアート苺カスタードまんはわたしの分。春賀くんのはショウガ焼きキムチ抹茶まんの方。あ、食べたら味の感想を聞かせて。興味はあるんだけど、なかなか自分で試す気になれなかったやつなの」
「君の誠意ある対応には、本当に痛みいるな……」
ハルはコンビニ袋に手を突っこんだ。
日本のコンビニチェーンがやけくそのように開発したメニューの多彩さと、しれっと色物を押しつける織姫に眉をひそめながら。
ピンクの中華まんではなく、毒々しいオレンジ色の方を口に運んでみる。
「まずくはないけど……指揮者のいないオーケストラ並にまとまりがない味だ」
「やっぱり定番メニューほどの安定感は望めないのね。……実は肉まんとあんまんを買おうかとも思ったんだけど。春賀くんが安定志向を無闇にバカにするタイプの痛い人だといけないから、こっちできわどく攻めてみたの」
「食に関してはね。僕は平々凡々で十分な、つまらない男なんだ」
「わかったわ。次に差し入れする機会があったら活かしてみる」
織姫はやたら甘そうな中華まんを手で割りながら、上品に口へ運んでいる。
一方、ハルは四口で完食する。それを見て、彼女は言った。
「春賀くん、こっちも食べてみる? キャラメルの甘さが過剰にくどくて、そこが癖になりそうな気もほんのすこしするわよ。スイーツ好きというより砂糖依存症みたいな層を狙ったとしか思えない、おかしいほどの甘さだけど」
饅頭のかけらを差し出してくる織姫。
見ようによっては『はい、あーん』っぽい構図だが、ハルは淡々と言った。
「自分の担当分は、責任を持って自分で処理してくれ」
クラスメイトが適当な言葉を投げつけ合う。どこの学校でも起こる一幕。
だが、ハルはここで認識した。さっきの感覚は気のせいではなかった。
まわりの級友たちが、自分たちを驚きと共に注目している。なぜだ?
「なあ春賀……おまえ、十條地さんと仲いいんだな……」
前の席の男子・高山がうらめしげに言ったので、ハルは淡々と異を唱えた。
「勘ちがいだよ。十條地は見境なしってくらいに気さくな女子だから、僕にもそのノリで接してるだけで。ただ、僕は引っこみ思案だから彼女の気安さについていけない。仲がいいとは言えないと思うな」
「春賀くん、引っこみ思案だったの? ウソ!?」
織姫が意外そうに言う。ハルはここぞとばかりに主張した。
「ウソじゃないよ。見てればわかるだろ?」
「わからないわ。春賀くんってむしろ異様にふてぶてしい人だと思ってた」
「君の方は意外と正直すぎる人みたいだ」
「それは当たり。でも、見境なしに気さくな性格じゃないわよ。わたし、無駄にえばる人とか乱暴で失礼な人は大きらいだし」
「そりゃ君でなくたって嫌うような連中じゃないか」
「ち、ちょっと待った! 春賀くん、十條地さん、ふたりに確認させて!」
割りこんできたのは、ななめ前方にすわる女子・船木さんだ。
自分の席を立って、ハルたちの前までやってきた。ほとんど小走りだった。
「何日か前さ。十條地さんは『春賀くんに興味がある』って言ってたよね!?」
「ええ、言ったわ。そうしたらこの人、わたしのこと避けはじめたの。いろいろあって、ようやく春賀くんも本性を見せるようになったけど」
「言っただろう、僕は内気で引っこみ思案なんだ」
「ウソ。人間関係がわずらわしいだけでしょ。ただのめんどくさがりよ」
ハルはひそかに感心した。やはり織姫は勘がいい。的確に急所を突く。
一方、船木さんは爛々と目を輝かせながら、さらに問う。
「この何日かで、ふたりの距離は急速に縮まったんだね。じゃあ、確認その二。昨日、春賀くんは十條地さんの家に行ったんだよね? そこで家族の人と鉢合わせたの?」
「まあね。事情があって、十條地の部屋に上がらせてもらった」
ハルが即答した瞬間、教室の雰囲気がいきなり変わった。
なぜだろう? まわりで耳をそばだてていた男子は全て怒り・憎悪・嫉妬の目で、女子はテンションの高い「きゃ!」みたいな目で、こちらを見ている。
船木さんはといえば、満足げにうなずいていた。
「確認その三! 春賀くんは十條地さんちにお邪魔して、何をしたの!?」
「悪いけど、答える気はないよ。黙秘させてもらう」
「じゃあ十條地さん、よかったら教えてくれる!?」
「うーん……ダメ。ないしょ。わたしたちの間だけの秘密にさせて。関係ない人たちに話すことじゃないと思うの」
「了解しました! じゃあ、このことはもう訊かないね!」
やっぱりうれしそうに船木さんが請けあう。
この一幕をハルだけでなく織姫まで後悔するのは、数日後のことである。
うわさ話が蔓延するまで、わずか一週間。
胡月学園の高等部では、事実無根の怪情報が飛びかっていた。
『学園随一の美少女にして人気者、十條地織姫の熱愛発覚』
『意外! 告白したのは姫(織姫を意味する学内用語)の方から!?』
『お相手は同じ一年生。なぜあんな根暗そうなヤツを姫は? 憎しみで人を殺せたら。今いちばん殺したい男ランキング一位! ※調査対象・全男子生徒』
『姫の寝室に足を踏み入れた唯一の男。オレたちはあいつを許さない。絶対にだ』
『検証その一・家族の介入があった以上、何もなかったのではないか?』
『検証その二・楽観視は禁物。全校男子よ、今こそ覚悟を決めるとき』
『相手の男は姫との恋愛疑惑を完全否定。ウソつきかツンデレか、はたまた同性愛者か』
『続報・姫側も交際疑惑を否認。しかし、つきまとう疑惑の影。誰も摘みとれぬ高嶺の花、学園のプリンセスにも春到来か? 全男子が泣いた!』
そういうことになっていると聞いて、ハルは思った。
みんな、事実かどうかも確認できない不正確な情報をめぐって、何でそんなに盛りあがれるんだろう?
予想外すぎて、警戒すらしていなかった。
「つまり十條地、君はそれだけ人気者だったんだな」
しみじみとハルはつぶやいた。
「次からは気をつけるよ。不特定多数の男子が偶像崇拝するみたいに疑似恋愛の対象にしてる女子と、うかつに話すもんじゃないって」
ここは人気のない校舎の屋上。目の前には織姫がいる。
教室や廊下で話していると人目がわずらわしいので、ここまで来たのだ。
「さんざんちがうって言ったのに、どうしてうわさが収まらないの!」
憤然とこぶしを握りしめ、織姫は訴えた。
「わたしと春賀くんが――なんて、あるはずないのに!」
「本人を前にして『あるはずない』って断言はいかがなものかな? 男のプライドらしき何かがちょっとだけ傷つくよ」
「え? まさか春賀くん、わたしにそういう気持ちあるの?」
「ないよ。君とそういう関係になったとき味わうリスクがどんな感じか、まさに実体験してるから。めんどくさくてたまらない」
「あのね。本人の前で『つきあうのがめんどくさい女』発言もかなり失礼よ?」
失言にすかさず織姫がつっこむ。ハルは肩をすくめた。
「ま、それはともかく。あちこちまわって否定し続けても意味はない。深く静かに潜行して、うわさ話が収まるのを待とう。ガマンがいちばんだよ」
「……ふうん。他人事みたいに言うのね」
さりげなく言ってから、織姫はじっとハルを見つめる。
ひそかにドキリとした。こちらの思惑を見抜いているような口ぶりだ。
この学校から一か月以内にフェードアウトしてやろう。
織姫にはひとりでガマンしてもらおう……という不真面目な思惑を。
ハルは話題を変えることにした。
「それはそうと、儀式の日程が決まったよ。三日後の夜だ」
「……わかった。いよいよ本番というわけね」
儀式。もちろんリヴァイアサンとの盟約儀式である。
突然の告知に、織姫は顔を引きしめた。
「ところで、この間の説明で言ってたわよね。一歩まちがうと大惨事になる儀式だから、広くて人のいないところでやるって。具体的な場所は決まったの?」
「ああ。この辺で条件を突きつめると、やっぱりあそこがいちばんだからね」
盟約儀式に都合のいい条件を全て満たす場所。
ふつうなら容易に見つかるものではない。
しかし、東京新都のすぐ近くには、最適の土地――無人と化した東京租借地がある。
三日後、織姫と共にめざす目的地は『旧東京』の廃墟群なのだ。
願わくば、儀式が無事に終わるまで、謎の呪いもしくは
信じてもいない神様に祈りたくなるハルだった。
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