【第二章 盟約の儀式に向けて】③


 取調室の代わりに連れこまれたのは、おそらく女子の寝室だった。


 和室である。隅には書き物机。その上にハルが使っているのと同じ教科書が数冊、きれいにそろえてあった。

 壁にかかっているのは、胡月学園高等部の制服。もちろん女子のだ。

 さらに、女の子の部屋にふさわしい小物や調度類……。


「適当にすわって。わたしの部屋だから、遠慮しなくていいわよ」


 疑惑を裏づける織姫の言葉だった。

 きれいだし、日当たりもいい。

 だというのに居心地悪さを感じながら、ハルはあぐらをかいた。

 真正面に織姫もすわる。こちらは正座だ。

 背筋もピンとのびていて、しつけのよさを感じさせてくれた。


「さあ。わたしたちふたりだけなんだから、遠慮とか気遣いとか、変なお愛想や営業トークも抜きにして、はらを割ってお話しましょう」

「君が今いらない宣言したのはどれも、人間同士のコミュニケーションを円滑にしてくれる大切な要素だと思うよ」

「かもしれないけど、今のわたしたちには不要なの。わたしと――」


 織姫は自分の胸に手を置く。

 今さら気づいたが、すばらしくグラマーだ。


「春賀くんは同級生でお友達。しかも、おたがいの秘密を知ってる同士なんだから」

「ちょっと待った。ほかふたつはともかく『友達』ってのはどうだろう?」


 相対する女子の魅力を無視するように、ハルは渋面を作った。


「そこまでの人間関係、僕らはまだ構築してないはずだ」

「あのね。わたしたち同じクラスになって一週間以上経つし、二日前には命の危機っていう人生の節目までいっしょに体験したわ。それ以来、ちょっとしたときにあれこれ話をするようにもなっている」


 一方、織姫はいつもどおりの晴朗さで、驚くべき宣言をした。


「これを友達同士と言わずして、何て言うの?」

「…………」


 なんと、その程度で友達認定か。ハルはぼやきたくなった。

 また、気づいてしまった。今、織姫はおそらくわざと言わなかった。彼女があのときハルを救おうと、危険をかえりみずドラゴンの下に身をさらしたことを。

 あれを口にしたら、ちょっとした精神的優位を確保できると承知のうえで。


 根拠はない。単なる当てずっぽうだ。

 だが、十條地織姫という女の子は、そういう気遣いを本当にさりげなくしてくれそうだ。

 自分は『気遣い抜きで』とか言ったくせに……。


「まあ、友達云々は横に置くとして。肚を割るってところは受けいれようか」


 やっぱり苦手だ。何でこんなにまぶしいのか。悩ましい思いでハルは言った。


「で? どうして僕と話をしたいのさ?」

「前に言ったじゃない。あなたに興味があるからよ」

「自分で言うのもなんだけど、そんなにたいした人間じゃないよ。いっしょに来たアーシャはそりゃすごいもんだけどね。僕の方は《S.A.U.R.U.サウル》って組織の委託を受けて、盟約儀式をいろいろ手伝うだけの使いぱしりだ」


 初めての打ち明け話に、織姫は不審そうな顔になった。


「そんなアルバイトをしてる高校生ってだけで十分変わってるわ。特殊な知識とか熟練が必要なんでしょう? 春賀くん、ドラゴンや魔術のこともくわしいみたいだし」

「年齢制限のない仕事だしねえ。君の言ったとおり特殊な技能職だから、年齢はあまり問題にならないんだ」

「じゃあ、どこでそのスキルを身につけたのよ?」

「そりゃかんたんだ。我が家の家業だったんだ」


 家業? 不思議そうにつぶやく織姫へ、ハルは続けた。


「僕の親父も《S.A.U.R.U.》のメンバーでね。『蛇』――リヴァイアサンの錬成や盟約の方法論なんかを確立させた研究グループのひとりだったんだ。親父にいろいろ教わったり、家にあった資料なんかを読んでるうち、僕もそっち方面にくわしくなった」

「お父さまが……」

「大体さ。年齢不問って点では、魔女の方がフリーダムだよ。とりあえず『乙女』であればいいんだから。アーシャなんか魔女になったの一〇歳のときだ。君だって」


 美少女と呼ぶしかない年齢の織姫に、ハルは言った。


「その若さで魔女マギの適格者として認められ、地域社会から多大な援助を受けながら、『蛇』との盟約を果たそうとしている。今回S.A.U.R.U.に支払う報酬だって、この東京を拠点にする企業や資産家、宗教団体なんかが出資した金から出るわけだし」


 今回、依頼者として織姫の祖父がひかえてはいる。

 だが、彼は織姫という魔女育成プロジェクトの代表者にすぎない。

 彼女のために金を出し、支援している人々はもっと大勢いるはずだった。


「この間『館』の書庫にいたの、君の体を魔術に慣れさせるためだろう?」

「ええ。ああしないと『蛇』が強くならないからって」

「『蛇』の強さは、盟約する魔女がどこまで“魔術になじんでいるか”で決まる。ああいう妖気たっぷりの空間に慣れるだけでも、駆け出しの魔女にはいい訓練になるんだよ」

「それ、たしか前も聞いた。何回行っても慣れる気がしないけど……」

「スポンサーの期待と投資に応えるつもりがあるなら、ガマンすることだね。ただ肚を割るついでに言うと、君は魔女に向いてないと思う」

「どういうこと? わたし、あまり才能がないの?」


 侮辱に取られかねない言葉なのに、織姫の反応は実に素直だった。

 きっと性根がまっすぐで、ひねくれてないのだろう。


「才能じゃない。気質の問題かな」

「……もしかして、わたしものすごくお淑やかに見える? これでも結構おてんばだし、現代っ子だし、口より手を出すのが得意だから割とケンカも強い方よ? ドラゴンたちと戦ったりするのも大丈夫だと思ってたんだけど」


 聞き捨てならない告白に、ハルは思わず遠い目をした。


「とりあえず『おてんば』と『現代っ子』は、二一世紀の日本だと死語じゃないかな? お嬢の君らしい、レトロな言葉の選択だよ。あと『ケンカ強い』ってカミングアウトには深くツッコミたい意欲をムチャクチャ刺激された。けど」


 どうやら天然の気もありそうな織姫に、淡々とハルは言う。


「問題はそこじゃない。ドラゴンたちの近似種である『蛇』と魂を共にするには……君はすごくまともで、健全すぎる」

「健全?」

「うん。魔術ってのは光と闇でいえば闇、月と太陽でいえば月に属するものだ。十條地みたいに心の根っこから陽の気で満たされたような人間は……たぶん魔術になじめない」

「時間をかけて訓練すれば、大丈夫じゃない? わたし、根気強い方だし」

「どうかな。さっき『何回行っても慣れる気がしない』って言ったろ? もしかしたら君の本能はわかってるのかもしれない。あそこにわだかまる闇の知識と、十條地織姫という人格は決定的に相性が悪い同士だって」


 そう。春賀晴臣と十條地織姫の相性が悪いように。

 と、ひそかにハルは思う。だが、織姫はあっけらかんと言った。


「それ、たぶん春賀くんの考えすぎ……ううん、買いかぶりすぎよ。わたし、言ってもらったほど陰のない人間じゃないもの。最近、春賀くんがわたしを避けてばっかりだから、実は結構イラッとしてたし」


 その程度で『陰』なのかと苦笑しかけたハルに、織姫が訊ねる。


「専門家の春賀くんに質問。どういう気質の人が魔女まじょに向いてるの?」

「心に闇をかかえた人間。狂気めいた何かを魂に秘めた人間。まっとうな人間の感性ではとうてい想像できないイメージを思い描ける人間。僕の知るかぎり、特級マスタークラス――第四階梯より上にいく魔女は大体どれかに当てはまるね」

「でも……それだと、あの人は? ほら、春賀くんの仲間の」


 名を思い出そうとしているのだろう。織姫は思案顔で言った。


「たしかアーシャさん。あの人、すごく華奢で儚げで、とってもか弱そうよね。でも、すごい魔女なんでしょう?」

「いいところに目をつけたじゃないか」


 織姫の着眼点を、ハルは誉めそやした。


「アーシャはね、か弱そうなのはうわべだけなんだ。彼女の本性は……そうだな、ケダモノと言うべきかもしれない。人の皮をかぶった獣なんだよ、あいつは!」

「人の皮をかぶった――獣!?」

「どうも現生人類が進化の過程で失った野性の本能を、いまだに色濃く残してるみたいでね。だからかな……魔術っていう知識の根源的で原始的な部分が合うみたいなんだ」


 魔術とは深遠なる学問である。だが、知識と智力だけできわめることはできない。

 常軌を逸する精神の力と感性があって、はじめて大成できるのだ。


「アーシャの心と体は難なく魔道になじんでしまう。戦いのときだって、誰より獰猛で、的確で、野蛮なんだ。それこそドラゴンたちにも負けないくらい。あれはもう、破格の怪物と言っていいね」

「ち、ちょっと春賀くん、女の子に何てこと言うのよ!?」


 幼なじみを絶賛するハルに、なぜか織姫はケチをつけた。


「変なこと言ったかな? あいつの才能を手放しで賞賛してるんだけど」

「とてもそうは聞こえないから!」

「そのとおりです! い、言うにことかいてケダモノとか獣とか怪物とか! 花の乙女を何だと思ってるんですか!?」

「ん?」


 部屋の外でわめく声を、ハルは聞きとがめた。

 織姫も小首をかしげ、寝室と廊下を仕切る障子に手をかける。

 がらっ。

 開けた障子の向こうには、耳をそばだてているアーシャの姿があった。


「……何やってんだい、君は?」

「……晴臣と織姫さんがどんな話をしてるのか、小耳にはさもうと思いまして」


 アーシャはすっとぼけるように釈明した。

 あさっての方向に顔を向け、こっちと目を合わせようとしない。


「そういうのを小耳にはさむとは言わない。ただの盗み聞きしてる不審者だ」

「仕方なかったんですっ。ふたりともこそこそして、あやしい雰囲気でしたし! 織姫さんのおじいさまも心配してらしたし!」


 さっきまでの疑似クール少女の面影はなく、完全に素で幼なじみは叫ぶ。

 ハルはその迂闊さに「だからアーシャの営業は詰めが甘いんだ」と眉をひそめつつ、無視できない言葉に気づいた。じいさまも心配してた?


 見れば、アーシャの背後に織姫の祖父が突っ立っていた。

 何やら激情を抑えこむように、ぴくぴく顔の筋肉をひきつらせている。


「君は学校では、織姫の同級生なのだったな? すこし話しておきたいことがある」

「ああ、すいません。すぐ儀式の説明にもどります」

「そんなことはどうでもいい。今、重要なのは、君が孫娘の部屋に入った初めての男であるという事実だ」

「へ? そうなのか、十條地?」

「言われて初めて気づいたけど、そういえばそうね」

「年頃の男女が寝室でふたりきりなんて、ふしだらですっ。不純異性交遊の温床です!」

「うむ、そういうことだ。君が織姫の学友という立場を悪用し、孫をたぶらかしたりせんよう、いろいろ言いふくめておきたい。しばらくつきあってもらおうか」


 アーシャは叫び、老人は重厚なしかめ面で言う。


 織姫は不思議そうにきょとんとし、ハルは新たな厄介事に直面した。


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