【第二章 盟約の儀式に向けて】

【第二章 盟約の儀式に向けて】①


 織姫が生まれ育った十條地家に『門限』はない。

 ただし、それは自由放任とイコールではなかった。


 決まった門限がない代わりに、織姫は一五歳女子にふさわしい帰宅時間を自らの意志と判断で守らねばならないのだ。

 しかし、この日の帰宅は夜の二三時とかなり遅かった。

 あの『館』の居心地よくない地下にもぐっていたら、ドラゴンと遭遇してしまったためだ。


 帰宅後、織姫はまず祖父の部屋へ向かった。

 築一四〇年という年季の入った木造建築の廊下を歩いていく。

 十條地の家は、地元では知る人ぞ知る武家屋敷である。

 中庭を一望できる長い廊下があたりまえのようにあり、祖父の寝室兼書斎はもちろん和室だった。

 障子が開いていたので、座椅子にすわる祖父の姿は廊下からも見えた。


「おじいちゃん、ただいまもどりました」

「ああ」


 ドラゴンとの遭遇後、事情説明の電話を入れておいた。

 だから織姫はかんたんに帰宅のあいさつをすませ、祖父も短いうなずきで応える――だけと思いきや。祖父は厳しい顔つきで言った。


「緊急事態だとしても、すこし遅いのではないか? 歳頃の娘として、もっと早くに帰ってくるよう気を遣えたはずだろう」


 七〇歳をすぎているのに、祖父の体つきはいまだ逞しい。

 若い頃から剣道で鍛えた成果らしい。

 おまけに某自動車メーカーの元専務取締役。

 室町以来の名族であった武家の血をひく名士。好んで和服を着る懐古趣味。


 それらのもろもろが重なるせいで、不機嫌なときの重厚な迫力は尋常ではない。

 だが、織姫は怯むことなく、あっさりと答えた。


「バカ言わないで。たしかにあのドラゴンは水無月……羽純の『蛇』が倒してくれたけど、だからってすぐ帰れるわけじゃないし」

「む」

「羽純は体が弱いのよ。『蛇』を使ったあとはいつも寝こむっていうし」

「しかしだな、織姫――」

「心配だから様子を見てきたわ。あ、熱が出てるそうだけど割と元気だったから、一応安心していいみたい」

「そ、そうか」

「それにドラゴンがやってきたあたりは電車だって止まるのよ? いつもより帰宅に時間がかかるのはあたりまえでしょう? 結構歩くことになっちゃったし」

「だったら、タクシーでも拾えばいいだろうッ」

「みんな困ってるときなんだから、そういうのは本当に必要な人が使うべきよ。わたしはたいていの人より健康だし、体力もあるもの。四駅分歩くくらいなんともないわ。大体もったいないじゃない、タクシー代?」

「その程度のはした金、じいちゃんがいくらでも払ってやる!」


 さっきまでの重厚さは、すでに祖父から失われていた。

 祖父ひとり孫娘ひとりという家庭環境のせいか、やけに過保護なところがあるのだ。

 しつけの面ではスパルタのくせに、ときどきここぞとばかりに甘やかそうとする。


「ダメよ。自分で稼いだわけでもないお金、あんまり無駄使いするものじゃないわ」

「むぅ」


 ばつが悪くなったのか、祖父はせき払いして話題を変えた。


「ついさっきから連絡があったぞ。儀式の進行役はすぐに用意できるそうだ。二日後この家に来て、必要事項を説明するらしい。予定を空けておけ」

「儀式の? じゃあ、いよいよわたしも……」

「ああ。こちら側の準備は全てすませてある。あとはおまえ次第だ」


 来るべき時が来たようだ。織姫は力強くうなずいた。


「わかったわ。心の準備、ちゃんとしておく。――あ。さすがにおなかがすいたから、帰ってくる途中で食べてきちゃった。今日の晩御飯は、明日の朝いただくわね」


 十條地家の夕食は、毎日お手伝いさんが手作りしてくれる。

 その労作に、織姫はなるべく完食という形で応えるつもりなのだ。

 そういえば、偶然出会った同級生はあのあと夕食をどうしたのだろうか?

 祖父の部屋をはなれ、ひとり廊下を歩きながら、織姫はつぶやいた。


「こっちのこと、誘いもしなかったけど」


 戦闘後、アーシャという白人少女に「私はおなかがすきました!」と訴えられて、同級生・春賀晴臣は「飯を食べられるか、食料を調達できるところにもぐりこむとしよう」とうなずき、ふたりで去っていったのだ。

 織姫には「じゃ、また学校で」と、あっさり告げるだけだった。


「わたしを避けたいようにも見えたけど……気にしすぎよね。嫌われるようなこと、した覚えないし。というより、そこまで接点なかったし」


 見るからに『変わり者』という雰囲気のクラスメイト。

 飄々とした表情と物言いが印象的な男子である。

 一体、どういうプロフィールの持ち主なのだろう?

 興味がわいてきた織姫だった。




「というわけで春賀くん。あなたのこと、教えてもらえる?」

「どういうわけだい、そいつは……」


 隣にすわるクラスメイトにいきなり質問され、ハルはぼやいた。

 朝のホームルームがはじまる前。教室に入って席に着いた直後であった。


「十條地さん。さすがにいろんな言葉を省略しすぎじゃないか?」

「同じ学年なんだし、呼び捨てでもいいわよ。男子を呼び捨てじゃちょっと柄が悪い感じになるから、わたしの方は『くん』をつけるつもりだけど」

「じゃあ十條地。僕の何を知りたいっていうのさ?」


 十條地織姫は、明らかに物おじしない性格である。

 今日中に何らかのコンタクトがあるだろうとは確信していた。


 だが、朝一番にいきなりとは……。

 隣同士という席の配置が恨めしい。

 また、ハルはある事実に気づいた。

 今、言われるままに彼女の姓を呼び捨てにしてしまった。

 どうやら、織姫は人を自分のペースに巻きこむことが得意らしい。


「まず、春賀くんのプロフィールを教えてくれるとうれしいわ」

「国籍・日本。性別は男。現住所は墨田区内。身分証明書の肩書きは高校生。こんなところで十分だろ?」

「わたしが興味あるのは、春賀くんが今言わなかったプロフィール欄よ」

「これでも個人情報のあつかいには慎重な方なんだ。身長と体重くらいは申告してもいいけど、スリーサイズは勘弁して欲しいな」

「安心して。そっちにも興味ないから。教えて欲しいのは、春賀くんが学校以外のところで勉強した知識のこととか昨日あそこにいた事情。でも――」


 ハルはびっくりした。不意に織姫の顔が近づいてきたからだ。

 すっと身を乗り出し、ハルの目をのぞき込むようにして、織姫は端整にととのった美貌をこちらに向けている。


 ハルは確信した。たぶん、この娘との相性はあまりよくない。

 やっぱり苦手だ。望んで日陰を歩いてきた春賀晴臣のような男には、こういう身も心も陽の要素ばかりで構成された少女はちょっとまぶしすぎる。

 そばにいると落ち着かなくなるというか。避けて通りたくなるというか。


「もしかして春賀くん、わたしのこと避けたがってる?」


 しかも、決して鈍いわけではない。十分以上に鋭いときた。


「わたし、昨日からちょっとぶしつけだったかしら。もしそうだったなら、ごめんなさい。根がせっかちだから、ついこんなふうに人と話してしまうの」


 きっと、まわりに気配りもできる少女なのだろう。 

 昨夜は危険もかえりみず、ハルを救おうとしてくれたくらいだ。

 ますますまぶしい。ますます苦手だ。ハルは嘆息した。


「いきなり根掘り葉掘り訊くのはたしかに失礼よね。今日のところは、わたしがあなたに興味あるのを知ってくれればいいわ。またあらためて、おしゃべりの相手をして」

「そいつはどうも……」


 投げやりに答えながら、ハルは気づいた。

 こちらを驚きの目で見つめているクラスメイトがいる。

 右ななめ前の席にすわる女子・武藤さんと、そのもうひとつ前にすわる船木さんだ。


 女子ふたりは、ハルと織姫の会話を小耳にはさんだようだ。

 織姫はいつものはきはきした声と明朗さで、ハルに話しかけていた。

 席の近い彼女たちには、そりゃ聞こえもするだろう。

 ハルは気にせず、特に何かしようとは思わなかった。

 このときの不注意を、あとでじんわり後悔することになるのだが……。




 ハルはこの日、いつも以上に授業を長く感じた。

 隣にすわる織姫がときどきハルを見ていたからだろう。

 視線を意識し出すと、どうも落ち着かない。あえて気づかないふりをし続けた。


 まさか、こんなふうに異性の視線を受けとめる日が来るとは……。

 奇妙な感慨を覚えながら、全ての授業が終わるのを待つ。


 放課後になると、隣席の主と目を合わさないよう注意しつつ、そそくさと教室を出た。

 早足で駅へ急ぎ、新都環状線で東駒形へ。

 駅から徒歩一〇分。雑居ビル四階の『弥勒堂』に入るなり、愚痴をこぼす。


「えらい目に遭ったよ。まじめに学生なんて、慣れないことはするもんじゃないね」


 閑古鳥の鳴く古書店には顔見知りしかいない。

 店主にして《S.A.U.R.U.《サウル》》スタッフの見城青年と、幼なじみのアーシャである。


「どうしたんですか、晴臣? 顔色が悪いですよ?」

「悪くもなるよ。もうしばらく印象のうすい地味な男子生徒をやったら、適当に学校からフェードアウトする肚なのに妙な興味を持たれて……」


 アーシャに答えてから、ハルは行儀悪く頭をかいた。


「やっぱり僕には、うわべだけは品がよくて儚げだけど、本性は腹をすかせた獣みたいなアーシャがお似合いだよ。適当なあつかいで十分だから気楽でいいし」

「お似合いという言葉はともかく、それ以外の誹謗中傷に遺憾の意を表明します!」

「それより見城さん。僕、やっぱり心の病ってやつじゃないかな? ほら、この間のよくわからないパニック障害。きっとフロイト先生がよろこんで屁理屈こねそうなドラマが僕の心の奥底で進行中なんだよ」


 ドラゴンとの遭遇時に味わった金縛りと幻覚。

 あのあとアーシャにつきそわれて病院で検査を受けたところ、精神科をふくめた全ての項目で『異常なし』と診断が出てはいた。


 が、それでもPTSDこことのやまい説を声高に唱えるハルだった。

 突然かつ不自然な失調に納得しがたいのと、ちょっとした下心からである。


「だからさ。療養も兼ねて、しばらく東京を離れてみようと思うんだけど、柊さんに言っといてくれないかな?」

「そりゃずいぶんと急だな。ミス・アーシャの手伝いはいいのか?」

「そうです。私の意見も聞かないで」


 見城の言葉に、アーシャが乗っかってきた。

 頬をふくらませて不満そうにする。

 ハルの下心『これを口実に東京を脱出しよう』を見抜いているのだろう。


「いや、ほら。また仕事に支障が出ると厄介だし、学校の方でも面倒事ができたし。この際、どこか遠くでのんびりするのもいいかなって」

「そこは日本人らしく、もっと勤労精神を発揮してくださいっ」

「ま、個人的には四年くらい南の島で遊び暮らすのも、若者らしい現実逃避だと思うが」


 年少者ふたりのやりとりに、見城がのんきな口調で割りこんできた。


「悪いな。もう仕事の予定が入ってるんだ。東京からの疎開は当分あきらめてくれ」

「仕事って……ずいぶん急ですね」


 唐突な通知にアーシャがつぶやいた。


「実は前々から儀式をやってくれって打診されてたんだよ。こちらで用意できる盟約儀式用の副葬品がないから、のびのびになってたんだけどな。依頼主側に金とコネが十分あったらしくて、モノをあちらで確保できたと昨日連絡があった。あとはとんとん拍子さ」


 この仕事を振られるのが、新メンバーふたりなのは考えるまでもない。

 片割れのハルは肩を落とし、アーシャはいきなり笑顔になった。


「ふふっ。せっかくのビジネスチャンス、無駄にはできませんね。この仕事が終わるまで引っ越しは延期。それでいいですか、晴臣?」

「ドタキャンして評判が悪くなったら困るし、もちろん延期するけどさ」


 よろこぶアーシャの隣で、ハルはつぶやく。


「儀式をする候補者って……もしかして十條地とかいう、立派そうな名前?」

「よく知ってるな。こっちの事情にずいぶんくわしいじゃないか」


 感心したらしい見城の言葉に、肩をすくめる。

 くわしいわけじゃない。ありそうな展開を予想しただけだ。


 十條地織姫のまぶしい横顔を思い出して、ハルは天を仰ぎたくなった。

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