【第一章 竜のいる故郷へ】⑨


 二〇年以上前、地球にドラゴンたちが『帰還』した。

 しかし、この超生物どもが居住地に選んだのは地球上ではなかった。


 遙か天空の彼方――。

 大気圏をも越えた衛星軌道と、月面が彼らの領土となったのである。


 全てのドラゴンは、大気圏を自力で突破する飛翔力と生命力をそなえている。

 その事実を知っても、人類はもう驚かなかった。

 だが、ドラゴンたちのある習性を知ったとき、人々は己の信じる神に祈るか、運命を呪うかしたはずだ。


 ドラゴン族は、しばしば発作的な破壊衝動に襲われる。

 そして、月面ないし衛星軌道から地上に飛来し、人類の居住地コロニーをめざすのだ。


 あとは無惨に破壊し尽くす。

 有翼の襲撃者たちは都市を砕き、町を蹂躙し、農村を焼き払って、破壊衝動を満たすのである。

 しかも、この襲撃は群れで行うときの方が多かった……。


 猛悪な『Dragons strike』の発生に、人類側は憤然と抗議した。

 竜の種族の代表を名乗った紅き巨竜がニューヨークに設立した、地上的感覚でいうところの『大使館』に対して。


 すると、かの『王』はCNNのカメラの前に飛来し、こう語ったという。

 あの驚くべきゆたかなバリトンで、朗々と、悪びれずに。


「この問題はまことに遺憾である。ついては竜の種族を代表して約束したい。われらが狂える同朋に対して、諸君ら人類が自衛権を行使するつもりならば、われわれは決してこれを妨害しないだろう。王の称号にかけて誓約する」


 重々しいくせに、無責任な言いぐさだった。

 要するに『監督するつもりはないから、勝手に身を守れ』と言ったのである。

 かくして二一世紀の人類は、恐るべき天敵――空より襲来するドラゴンどもと共生せざるを得なくなった。


 だが、不幸中の幸いというべきか。

 ドラゴン族の大多数を占める小型種は、比較的たやすく撃破できる相手だった。

 とはいえ、それはあくまで。一般の見方は、やはり異なる。

 地下五階の書庫から地上をめざす退避中、織姫も心配そうにつぶやいた。


「ドラゴンたち……新都まで来るかしら?」

「数は四匹だから、ふつうに考えたら可能性は低いね」


 ハルは答えた。

 ちなみにエレベーターではなく、階段を早足で登っている。

 停電して閉じこめられるといけないからだ。

 先頭がアーシャ、二番目は織姫、最後尾がハルという隊列だった。


「連中の群れが二〇匹未満なら、一機あたり一億ドルもする戦闘機の編隊とか、一〇億ドルする空母艦や巡洋艦が必死に戦って、一発あたり何十万ドルのミサイルや砲弾を気前よくバラまけば、どうにか全滅させられる。昔の怪獣映画にくらべたら、かなり分のいい戦いだよ。コストパフォーマンスは悪いけど」

「でも春賀くん。今、『ふつうに考えたら』って言ったわよね?」


 ハル発言の曖昧なところに、織姫がつっこんできた。

 この状況でも落ち着いているらしい。いい度胸だとハルは感心した。


「ふつうじゃない考え方をしたら、今の予想はどう変わるの?」

「うーん。捕捉したのが東京湾上で、陸に近いからね。一匹でも取り逃がして東京に飛んでこられたら、割とかんたんに緊急事態だな」

「討ちもらしはどうしても出てきますしね……」


 アーシャもつぶやいた。実戦を知る彼女が言うと、尚更真実味がある。


「あと、めったにないことだけど。小型種――ラプトルじゃないヤツら。言葉を話すエクエスの連中……上位種がいたら、危険度は一気にレッドゾーンだ」

「ラプトル? それに何ですって?」


 ハルがわざと『専門用語』で言うと、織姫は首をかしげた。

 やはり彼女は素人なのだ。まだ。ひそかにうなずいてから、ハルは補足した。


「ドラゴンたちの学名の略だよ。君もたぶん、近いうちに教わるはずだ。……地上の方はどうなってるかな?」


 ついに階段を登り終え、三人は地上一階に到達した。

 早足からほぼ駆け足にペースアップして、通用口に急ぐ。

 受付のおじさんはどこかに消えていた。とっくに避難したのだろう。


 すぐ外に出る。

 そして、三人はそれぞれの方法で感情を露わにした。


「こりゃ参ったね」とハルは頭をかき。

「ラプトル……」とアーシャはつぶやいて、視線を鋭くし。

「そんな。よりによって、どうしてここに?」と織姫は呆然として。


 三人とも夜空を見あげていた。陽はとっくに落ちていたのだ。


 冴え冴えとした半月の輝きと、春の星座の星明かり、そして街灯の光に照らされながら、有翼の獣が上空を旋回中――。

 体長は七メートル前後。体表は鋼色だった。

 爬虫類のトカゲじみた頭部と胴、手足。尾は蛇。

 コウモリの羽に似た両翼を力強く羽ばたかせている。

 ハルの記憶の底にあるのと、まったく同じ生物だった。


 ドラゴン。竜族小型種。ラプトル・ドラコーニス。


 ハルたちの不安は当たった。

 このドラゴンは環太平洋防衛機構と空自・海自の織りなす防衛網をくぐり抜け、どうにか東京新都へ到達したのだ。

 彼が『館』上空を飛んでいる理由も、ハルにはわかる。


「原因を想像するなら、たぶんあいつは『館』から出てる魔力の匂いに惹かれて、飛んできたんだろうな……」


 竜族はレアメタルや貴金属、魔力を宿した品物に目がない。

 年齢を重ねて賢くなったラプトルは、そうした品々を光り物を好む鳥類のように蒐集したがるときがあるのだ。


「ったく。ラプトルのくせに鼻が利くやつだよ……」


 ハルがつぶやいた直後、上空のドラゴンが吠えた。


 オオオオオオオオオォォォォォンッ!


 猛々しい野獣の咆哮。

 凶猛に燃える瞳で地上の『館』を見おろしている。


「みんな、走って! こうなったら、運を天にまかせて逃げるしかないわ!」

「いざとなったらルサールカを呼びます。ひとまず逃げましょう!」


 織姫の声に、アーシャの声もかぶさる。

 その気になれば、ハルの幼なじみは小型種ごとき瞬殺できる。

 だが、彼女は切り札を温存するつもりらしい。

 それとも、この局面でも召喚を避けたいほどルサールカは思わしくないのか。

 気になるが詮索する余裕はない。


 ハルは駆け出した。アーシャも、織姫もいっしょに走る。だが、しかし。


「……あれ?」


 首をかしげたのは、なんとハル自身だった。

 足が言うことを聞かなかった。

 勝手にもつれて、つんのめってしまったのだ。


 これでもドラゴンと接近遭遇した経験は数回あるし、命の危機という状況なら幾度も切り抜けてきた春賀晴臣だ。なのに、どうして?


 倒れこんだ格好のまま、ハルは空を見あげた。

 あいかわらずドラゴンは『館』の上を旋回中だった。

 だが、今までよりも羽ばたきが力強い。

 面構えの獰猛さも増していた。


 鼻面に険しくしわを寄せ、牙をむき出しにした野性の形相。

 あの迫力、獲物に飛びかかる寸前という表情である。

 なのにハルの体は動かない。まるでガソリンが切れた自動車のように。


「ど、どうなってんだ……?」


 ハルは必死に力を振りしぼり、立ちあがろうとした。できない。

 せめて腰だけでも上げようとした。ダメだった。指一本動かせない。

 強制停止させられた機械のように、ぴくりともしない。恐怖で体が硬直したのか?

 でも、その割に心と頭はクリアで、こんな益体のないことを考えている。


 本当にどうした、自分? 愕然としながら、ハルはさらに驚いた。


 視界を占有していた、夜空を旋回するドラゴンという状況。

 その情景がいきなり紅く燃えはじめたのだ。


 焔。紅蓮の焔。

 ハルの見る景色はめらめらと燃焼する焔によって、おぞましいほど紅く染まっている!


 そしてハルの頭上、紅い焔で満たされた視界の中央部では――。

 力強く飛翔するラプトルが大きく口を開いていた。


 喉の奥に青白い火が見える。

 人類の諸都市を無慈悲に焼き払ってきた『焔の息ファイアーブレス』。

 あれを吐くつもりなのだ。

 おそらくハルを目障りに思い、焼き払ってしまうために!


「春賀くん! 待ってて、今助ける!」

「晴臣!? く……古き清浄の御印に願い奉る!」


 女の子たちの声だった。逃げはじめたとき、ハルは勝手にころんで急停止した。

 だから、彼女たちはハルを置いてけぼりにする形で走っていったのだが。


 織姫が駆けもどってくる。助けにくるつもりなのだ。

 ハルはあきれ、そして怒った。

 織姫は本当に度胸がいい。でも、明らかな判断ミスだ。

 彼女まで巻き添えとなって死んでしまう!


 一方、アーシャは召喚の歌を唱え、ルサールカを『呼ぶ』構えだった。

 ヘマした幼なじみを救うため、相棒の貴重な命を削り取るつもりなのだろう。


 ――くそっ。ここまでありえない失態をさらすとは。


 ハルは己のふがいなさに怒りを燃やした。

 せめて織姫だけでも助けられないか。方策を考えようとした瞬間、空中の竜が青白い焔を吐き散らす。


 怒りと絶望と自己嫌悪がマグマのように込みあげてきた。

 しかし、それとほとんど同時に、輝く五芒の星が空中に顕れる。


 この星はハルたちを守るように、ドラゴンの吐いた焔と『館』の中間に出現した。

 みごと超高熱の青白い火を受けとめてくれる。


 五芒星は邪を祓い、魔を裂き、鬼を打つ、聖なる守護者の印なのだ。

 しかも焔を受けとめながら、五芒星の素材である光は形を変えていった。

 光の軌跡が描く星から、光の軌跡が描く蛇へと。


 蛇は自らの尾を自らの口で呑みこみ、『∞』の形を空に誕生させた。


 ここから『∞』は顕在化していく。

 質量のない光から、実体をともなう生物へと変化していったのだ。

 それも、さらに形を変えながら。


 ハルたちが見守るなか、五芒星から生まれた光は『竜蛇』への変化を完了させた。

 それは人類の敵たるドラゴンたちとは、大きく形状の異なる竜だった。

 胴は蛇のように長く、四肢は極端に短い。

 頭には鹿のような角が生え、全身を緑柱石エメラルド色の鱗がおおっている。

 その姿には魚類めいた雰囲気がある。

 言ってみれば、非常に東洋的なシルエットの『竜蛇』であった。


「水無月……。間に合ってくれたのね」


 ハルを抱き起こそうとしていた織姫が、ほっとしたようにつぶやく。

 水無月。竜蛇型リヴァイアサンの名前らしい。


 リヴァイアサン。

 神秘と魔術が生み出した人造の竜。

 ドラゴンを討つために造られた、ドラゴンと類似の肉体を持つもの。魔女と命を共にする『蛇』。


 そして、その誕生と盟約をプロデュースするのがハルたち《S.A.U.R.U.《サウル》》だった。


 ――キュアアアァァァァァアアアッ!


 甲高く水無月が鳴く。


 すると、ラプトルは警戒するように翼を羽ばたかせ、急上昇した。

 対して、水無月の飛び方は優美とさえ言えた。

 胴の長い魚がそうするように身をくねらせながら、泳ぐように空中を進むのだ。


 さらに、また鳴く。キュアアアァァアアッ!


 水無月が『右腕』にあたる右前肢の掌を開き、前方に突き出した。

 その右前肢は左にくらべて倍近くも長く、掌も大きい。

 四本指なのだが、指先に生える爪は刃物のように鋭く、長大だった。

 左手よりも遙かに凶暴な右手と、その四本爪――。


 ハルは気づいた。これがリヴァイアサン水無月の『角状部位』なのだ!


 キュアアアァァァァァアアアッ!


 直後、右手の爪から白い電撃がほとばしる。

 これに撃たれて、ラプトルの動きが空中で止まってしまった。

 かなりの衝撃だったのだろう。


 すると、水無月は例の優美な飛び方でラプトルとの距離を詰めた。

 大きな右手と四本爪を振りあげ、振りおろす。

 一撃で小型種の胸に四筋の切り傷が穿たれ、水銀色の血が飛び散った。


 たまらずラプトルは悲鳴をあげる。オオオォォォォンンッ!


 今の攻撃で使われた、大ぶりの四本爪。

 角状部位は戦闘時の攻撃手段として多用される。

 いわばリヴァイアサンの『角』ともいえる器官なのだ。


 水無月の『爪』のように、角状部位はひときわ目立つ形状をしていることが多い。

 生まれついての武器でラプトルを圧倒すると、水無月は口を開けた。

 そこから吐き出すのは、青白い熱線――!


 リヴァイアサンが生まれながらに持つ、二番目の武器だった。

 これを全身に浴びたラプトルはあっさりと絶命した。

 息絶えた小型ドラゴンの骸はむなしく墜落し、地上に激突する。


 直後、この亡骸に変化が起きた。

 爬虫類に似た肉体が『石』に変じていく。

 四肢の先から手足全体へ、胴、そして長い頸、頭部の順番で石化は進行していった。


 死後硬直の代わりに、竜族は『石化』するのだ。

 さらに、竜の骸は生前の強靱さがウソのようにもろくなる。

 実際、このラプトルも墜落時の衝撃で、体の半分以上が砕け散っていた。


 竜族特有の死に際を見とどけながら、ハルは考える。

 全員が無事だったのは不幸中の幸いだろう。

 だが、自分の体はどうなってしまったのか? 今の大失態、まるでドラゴンを見てパニック障害でも発症してしまったような……。


 東京での新生活、いろいろ前途多難なようだった。

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