【第一章 竜のいる故郷へ】⑤
学校を出たハルの携帯端末に、アーシャからのメールが届いた。
用事はすんだという報せ。
そして合流場所の指定。
駅前かファーストフード店で待ち合わせるのかと思いきや。
「何で公園なんかで?」
たしかに今日はいい天気で、外にいるのも苦にならないが……。
とにかく最寄りの両国駅近くの大きな公園に入る。
公園のベンチでぼんやり待つこと十数分。
遅れてやってきたアーシャは、なぜかハルの顔を見るなり赤面した。
「べ、べつに晴臣に会いたかったわけじゃありませんからねっ」
「いきなり何言ってんだい、アーシャ」
幼なじみの珍発言へ、ハルはつっこんだ。
理由は不明だが、アーシャは恥ずかしげにモジモジしていた。
「僕がここに来たのは、君に呼び出されたからだぜ?」
「た、たしかにそうですけど! ふくむところは一切ありませんっ。今日呼んだのは研究の手伝いをお願いしたからであって、晴臣といっしょにお出かけしようとか、これっぽっちも考えてませんから!」
「わざわざ説明されなくても、わかってるって」
冷静に答えるハルを、なぜかアーシャはうらめしげに見つめてから。
でんと、持参したバスケットをベンチに置いた。
「とにかく、腹が減ってはいくさはできません。お昼ごはんにしましょう」
「好きに食べてくれよ。僕はすませてきたから」
「――晴臣、今なんて?」
「だから、もう昼飯は食べたって」
「わ、私がここまで必死に我慢したのに、ひとりで先に!?」
裏切り者を見る目でアーシャは言う。
またしても理由は謎だったが。
「そりゃそうだよ。これでもまじめに学校へ行ってるんだ、今のところ。昼休みには学食行ってランチもすませるさ」
「そんな。晴臣のことだから、一週間で不登校になると思ったのに」
「僕のまじめさをバカにするなよ。これでも一月くらいはきちんと通ってから、適当な口実を作って通信制高校に編入しようと思ってるんだぜ」
「その不真面目さと腹黒さはやっぱり晴臣……。あ、でも」
愕然としていたアーシャだが、急に持ち直して言った。
「考えてみたら男の子なんだし、二度目のランチくらいペロリといけるはずですよね。さ、いっしょにお昼を食べましょう」
「遠慮させてもらう。君の手作りだろ? だったらきっと」
ハルは遠慮のない手つきでバスケットを開けた。
主食のサンドイッチや副菜の野菜料理、フルーツなどがきれいに収められている。
食欲旺盛なアーシャは食べるだけでなく、作る方も得意なのだ。しかし。
「予想どおりだ。サンドイッチが全部カツサンドってのはいかがなものかな? 昼にカツ丼食べたばかりだから、さすがにちょっとヘビーというか……」
「それは誤解です。よく見てください」
「いい感じの狐色に揚がった衣といい、豚肉の白い断面といい、誤解の余地もなく一二個のカツサンドじゃないか」
ハルの指摘に、しかしアーシャはふふっとほくそ笑んだ。
「カツはカツでもビーフカツ、ポークカツ、チキンカツの三種取りそろえです。それぞれちがった味わいと食感を楽しめます」
「……なるほど」
たしかによく見れば、赤身の牛カツサンドも四つ交じっていた。
かくして公園のベンチに手作り弁当を広げて、アーシャは一度目、ハルは二度目のランチと洒落こむことになった。
天気はよく、風もおだやか。春の空はすがすがしいほどの青さだった。
絶好のお弁当日和だが、ハルの食欲はもちろん旺盛ではない。
胃腸へのダメージがすくなそうな野菜のラタトゥユやピクルスをつまんでいたら。
「野菜ばかり食べてないで、肉や炭水化物もいっしょに食べてください。かたよった菜食主義よりも、バランスの取れた食事の方が健康への近道なんですよ?」
「その発言、君がすると説得力に無茶苦茶欠けているよ」
アーシャの忠告に答えてから、ハルはついにカツサンドを取りあげた。
かじる。記念すべき(?)一個目は豚だった。
時間が経ってしっとりした衣と食べ応えのある厚いカツ、何よりソースが美味い。市販のソースにケチャップやマスタードを混ぜることで、複雑な旨味を作りあげていた。
副菜のラタトゥユも味が深く、ピクルスは自分で漬けた手作り品だ。
実のところ、アーシャはお世辞抜きにすばらしい料理人なのだ。
「……これで献立のがっつり系偏重傾向と、過剰な分量がなかったらねェ……」
「何か言いましたか、晴臣?」
「いいや、べつに。ところで、ひとつ忠告なんだけど」
四個目のカツサンドを食べ終えたアーシャへ、ハルはまじめな顔で言った。
「君はよく太らない体質を自慢するけど、それって単に若いからじゃないか? 僕らもいずれ二〇歳、三〇歳になっていくんだ。今から節制に慣れておくのもいいと思うよ。将来ダイエットで苦労しないために」
「あ、あなたもですか、ブルータス!」
「どうして急にカエサルの最期……?」
気色ばむアーシャのうめきに、ハルが首をかしげたりしながら。
バスケットの中身は着実に減っていった。
ちなみに一二個のカツサンドは、ハル三アーシャ九という割り当てに落ち着いた。
「ところで、ルサールカの調子はどうだい?」
「よくはない……いいえ。だいぶ悪いですね。もう長くはないでしょう」
食べながら質問したハルにアーシャは答えた。
一瞬だけ言葉を濁したのは、おそらくハルではなく自分自身に楽観的な言葉を聞かせたかったのだろう。
だが、結局そうしなかった。彼女はすでに暗い結末を覚悟しているのだ。
ここで下手な慰めを言えるほど、アーシャとのつきあいは浅くない。
ハルはため息をついて、こう言うにとどめた。
「そうか。あいつ、いい『蛇』だったのにな」
「ええ。頼りになる相棒でした」
早すぎる過去形を用いたハル。
おそらくわざと同じ誤用をしたアーシャ。
幼なじみなのだ。いいことも楽しいことも数多く共有してきた。
悪いことも悲しいことも、どうにもならない理不尽も。
こういうとき気の利いたセリフを言えるセンスは、ハルにはない。
無言でパンとチキンカツを咀嚼する。
そして、肩をならべていっしょにいる。
アーシャの祖母が亡くなった直後に再会したときも同じだった。
ハルの父が病没した三か月後に再会したときは、彼女の方が無言で寄りそってくれた。
もしかしたら、これがアーシャの言う『絆』とやら、なのかもしれない。
「おなかも満たされたことですし、そろそろ行きましょうか」
昼食を食べ終えると、アーシャはさばさばと言った。
ボリューム満点のカツサンド九個と、しめっぽい話題の影響を微塵も感じさせない。
いつもどおりの声だった。
一方、胃袋の許容量を大幅にオーバーさせていたハルは、口を利くのも億劫なため、無言でうなずいた。
しかし腹部の重さは無視して、すばやく立ちあがる。
決して似たもの同士ではないハルとアーシャだが、ひとつ共通点があった。
感傷で行動力をにぶらせる贅沢とは、どちらも縁がないことだ。
それは危険と死別の多い生活で、図太さと大雑把さが鍛えられたせいかもしれなかった。
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