【第一章 竜のいる故郷へ】④
カレー屋、喫茶店、マッサージ店、古書店、DVDショップなど。
いくつものテナントが入居している雑居ビル四階。
アーシャことアナスタシア・ルバシヴィリがいるのは古書店『弥勒堂』の店内だった。
さらにいえば、レジのなかだった。
べつにバイトをしているわけではない。客として来店しただけなのに。
軽くため息をついてから、丸イスに腰かけたアーシャは膝に置いた本へ視線を落とした。
ただひとりの販売員である店主に留守番を頼まれて、もう二時間が経っている。
その間、来客数ゼロ。まさに開店休業の状態だった。
コミックなど一冊も置かない硬派な古書店は、この手の店ではありがちなことに整理整頓が行きとどいてない。
棚に収まりきらない古書は雑然と積みあげられ、古紙のタワーを店の随所で形づくっている。
アーシャはこの古くて小汚い店には、不似合いな容姿だった。
美少女なのである。
繊細にととのった顔立ちはどこか儚げだった。蒼みがかった銀髪も神秘的だ。
そして、抱けば折れてしまいそうなほど細い体つき。
容姿に恵まれた東欧の白人少女にしばしば見られる、妖精のような肢体だった。
「ごくろうさん。店番してもらって助かったよ」
いきなり『弥勒堂』のガラス戸が横にスライドして、青年が入ってきた。
イケメンと呼んでも良心の呵責を覚えない程度には、ととのった顔立ちだ。
ただし、無精ひげとよれよれのシャツが第一印象の好感度をマイナスしている。
「これ、おみやげのカレーパンな。お礼代わり」
「おみやげよりも、せめてあと三〇分早く帰ってきて欲しかったです」
差し出された紙袋を受け取りながら、アーシャは苦情を口にした。
新入荷したという古書をチェックしに来店したのはお昼すぎ。
そこで見城青年に店番を頼まれた。
すぐもどるだろうと軽い気持ちで引き受けたのだが。
「同じビルのカレー屋さんでランチするのに、何で二時間もかかるんですか?」
「そりゃあれだ。向こうのマスターと『もうかりまっか?』『ぼちぼちでんな』みたいな会話をしてさ。食後のコーヒー飲みながらスポーツ新聞を四紙読みくらべてたら、結構時間が経ってたんだ」
「そこはウソでもさぼり以外の理由をおっしゃってください。ところで」
おみやげの袋をのぞきこんで、アーシャは言った。
「これは焼きカレーパンのようですが……。私、『焼き』よりも『揚げ』派なので、次はそちらをお願いします。揚げたパン生地のカリカリが好きなもので」
訪れた国の食事情に苦もなく順応するのは、アーシャの特技である。
東京新都で暮らしはじめて、まだ一月足らず。
しかし、すでに日本オリジナルの総菜パンへのこだわりを語るレベルに到達していた。
「そこは女子なんだし、ヘルシーな方を食っとけよ」
「大丈夫です。このとおり、いくら食べても太らない体質ですから」
宣言して、アーシャはうすい胸に手を当てた。
見る人が驚くほどの食事量を連日キープしながら、儚げな妖精のごとき肢体は決して脂肪の重りをまとうことはないのだ。
しかし、見城はとぼけた顔つきで異論を唱えた。
「それ、体質じゃなくて若さのおかげじゃないか? ある年齢を超すと、乱れた食生活はグワンと体に反映されるんだぞ。特に白人の女の子って、大人になると横の体積いきなり増やして、体型変わるしなー」
「わ、私はあんなふうにはなりませんっ。絶対に!」
耳に痛い指摘を聞いて、思わずアーシャは叫んだ。
ちなみに、今の反論に根拠はない。脊髄反射のようなものである。
「それよりも見城さん。これとこれをいただきます」
「毎度どうも。ミス・アーシャのメガネにかなう品があって何よりだよ」
アーシャが示した古書を見て、見城は礼を言った。
書名は『ニコラ・フラメルと王者之魔術』と『
古い洋書と昭和初期の和書という異色の取り合わせだった。
だが、アーシャはどちらも問題なく読める。
そのひとつが異常な言語センスだった。
未知の外国語であっても一、二か月ほど学習すれば、母国語と同じ流暢さで操れるようになるのだ。
「支払い方法は今までと同じでいいですか?」
「ああ。月末までにこの支部の口座に振り込んどいてくれ」
確認するアーシャに、見城はうなずく。
この『弥勒堂』、ただの閑古鳥が鳴く古書店ではない。
これでも研究機関《S.A.U.R.U.《サウル》》の支部なのだ。
八人も入れば定員オーバーになる、超小規模支部であったが……。
「世界中あちこちまわりましたけど、こんなにせまい支部は初めてです」
「仕方ないさ。もともとオカルト関係のあやしい書籍をメンバーに売ったり、逆に買い取ったりするためだけの場所だったんだ。組織が新都から撤退するにつれて支部あつかいされるようになっただけで」
アーシャの感想に、見城がつぶやく。
今、買い求めた二冊の古書。
どちらも『形而上学的知識体系』――すなわち魔術について、旧時代の“探究者”が書き記したものだった。
「おれだってさ。肩書きはここの店長になってるけど、本来はうちの上司――柊の姐さん直属の部下ってだけだし」
「そういえば、一週間に二日しか営業しない店ですものね」
店主の留守中も出入りできるよう、アーシャも晴臣も店の合鍵を所持している。
にやっと笑う見城へ、肩をすくめながら訊ねてみた。
「《S.A.U.R.U.》って一応、世界的な組織でしたよね?」
「まあな。けど、メンバーがすくない都市の支部には割と冷たい組織でもある。ほれ、合理的経営ってやつ」
「秘密結社が経営のスリム化に励むのって、浪漫に欠けますね……」
「世界中に仲間はいるけど、各国政府を陰から支配するような都市伝説とは無縁の組織だからなあ。実際、この新都在住で本部に正式登録されているメンバー、今いる三人だけかもしれんし。おれ、ミス・アーシャ、あとは――」
「晴臣ですね」
「そう、春賀先生の息子さんだ。これから会うんだろ?」
「……なんのことでしょう?」
言い当てられて、アーシャはとっさにとぼけた。
べつに犯罪行為をするわけではない。予定を教えても問題は生じないだろう。
なのに隠そうとしたのは――恥ずかしかったのである。
さりげなく体の向きを変える。
華奢な体を遮蔽物にして、レジ横に置いたバスケットを見城の視線から隠すためだった。
しかし、青年は空気を読まず、面白そうに言う。
「そのバスケット、ソースの匂いがするな。中身は弁当か? あの少年といっしょに食べるつもりで持ってきたとか?」
「ななな、何を根拠にそんなこと言うんですか!?」
「いや、ほら。自分ひとり用の弁当なら、おれを待ってる間にミス・アーシャはぺろっと食べちまうんじゃないかと思って。ちょうど昼時だったし」
見城青年が留守にしていたのは、一二時半から一四時半の間。
アーシャの胃袋は十数回も『くー』と空腹をつつましく訴えた。
そのたび彼女は持参したバスケットを食い入るように見つめたのだが。
しかし、あとで幼なじみと会うことを考え、誘惑を振りはらったのだ。
「へ、変な誤解はしないでください。私、今日は研究用の資料を集めるつもりなんです。晴臣なんかいっしょではありません。……それじゃ、もう行きますね」
「おお。少年によろしくなー」
そそくさと入り口へ向かうアーシャに、見城はさらりと言う。
とぼけた無精者に見えて、なかなか油断ならない青年なのだった。
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