【第一章 竜のいる故郷へ】②


 そして、時間は矢のようにすぎていく。

 帰国するにあたって、ハルにはすませておくべき案件が山とあった。


 まず、自分たちが所属する組織《S.A.U.R.U.《サウル》》の日本本部に連絡を取った。


「というわけで、不本意ながら帰省する運びとなりました」

『あら。長すぎる家出生活に、ついにピリオドが打たれるのね』


 オーストラリアからの国際電話で事情説明&帰国のあいさつ。

 ハルの話し相手は女性である。

 名は柊さん。電話越しに聞く声はたおやかで、雅と言いたくなるほど優雅であった。

 彼女こそ日本の《S.A.U.R.U.》関東地域を統括するリーダーなのだ。


『何度言っても帰ってこなかった晴臣くんがとうとう……ちょっと感無量だわ』

「家出じゃなくて出稼ぎですよ」

『その歳で遠洋漁業の真似事をしなくてもいいんじゃないかしら。東京にだって仕事はたくさんあるわけだし。聞いてるでしょう、東京方面の人材不足について』

「はい。主に柊さんの口から」


 電話の相手である組織の幹部・柊さん。

 ハルやアーシャのような《S.A.U.R.U.》メンバーに仕事を斡旋することも業務のひとつにしている。

 担当地域の民間人や公的機関から『依頼』があったときなど、その内容に適したメンバーの派遣をコーディネートするのだ。


「人手が足りなくて困ってる。ありとあらゆる仕事と雑用をやって欲しい。こき使ってやるから、早くもどってこい――そんな感じで」

『……待って。私、もうすこしまわりくどい表現を使ってきたはずよ』

「一度、泣き落としを使われたこともありました」

『あのときの演技、いい出来だと思ったのに……。晴臣くん、平然としていたわよね』

「直前の話題から涙にうつるとき、微妙に不自然だったんですよ」

『そういうとき、素直にだまされるのも男の器量だと思うわよ♪ あ、そうそう』

 割と曲者である組織の幹部は、いきなり話題を変えた。

のコネが利く高校も紹介するから、ちゃんと通いなさいね』

「高校!?」

『あたりまえでしょう。あなた、本当はそういう歳なんだから』

「すっかり忘れていました」

『忘れたことにしていた、でしょう? いつまでも専業トレジャーハンターしてないで、高校の単位くらいちゃんと取得しなさいね』

「ああいうところ、苦手なんですよねェ。どうせ友達もできないでしょうし」


 ハルが得意とする仕事は『副葬品』と呼ばれる古物の調達だった。

 厳密には、神体擬装用呪具という。

 長ったらしいため自然と使われなくなり、やや不謹慎な通称が幅を利かせるようになったのだ。

 これをハルは古代の遺跡や由緒ある聖域などから発掘・盗掘・採取したり、美術品や骨董品をあつかうブラックマーケットで入手するのである。

 柊さんが『トレジャーハンター』という理由であった。


 ハルだけでなく、父もこの仕事を得意としていた。

 目当ての品を確保するため、親子で世界各地を飛びまわることも珍しくなく、ハルは転校に次ぐ転校をワールドワイドで繰りかえしてきた。

 このため、学校という施設への帰属精神がうすいのだ。


『いきなりネガティブなことぶっちゃけるわね……。まあ、たしかに晴臣くんは致命的に空気を読めない子だけど。おなかをすかせた熊が近くにいても、平気でバーベキューはじめちゃう、みたいな』

「読めないんじゃありません。読んだうえで気にしないだけです」

『つまり、問題は感受性じゃなくて社会性にあると。ますますちょうどいいわ。いい機会だから、学校という閉鎖空間で社会勉強してきなさい』


 面倒なミッションを押しつけられたあと、ハルはついに帰国をはたした。

 東京新都経済特区は、かつての行政区分でいえば東京都江東区・江戸川区あたりから足立区・葛飾区、そして埼玉県南東部にかけてを再開発したエリアである。

 その墨田区内に、春賀家の持ち家はあった。

 本来はヨーロッパの洋館をイメージしたという、立派なお屋敷だ。

 しかし、長く住人不在だった結果、家は廃屋同然に成りはて、庭は荒れ放題に。

 屋敷は屋敷でも幽霊屋敷となっていた。

 ハルはこの家を最低限、男ひとり住める程度に片づけた。


 積もり積もった埃をざっくり払い、きれい好きなら眉をひそめる雑さで掃除機をかけ、換気し、かつて書斎だった部屋に簡易ベッドを持ちこんで寝床にする。以上。

 なんともアバウトすぎる片づけではあったが……。


「この家も親父が死んだあと以来だよなー」


 自分の城になった書斎を眺めつつ、ハルはつぶやいた。


 まあまあ立派な書棚には、代々好事家が多かったという春賀家の蔵書がぎっちりとおさまっている。

 ただし、父の所有物はすくない。万巻の書をひもとく読書量であったが、読み終えた書籍はデータ化することが多かったからだ。

 しょっちゅう住まいを変えていく暮らしから、自然とそうなったのである。


「あ。親父のやつ、ここにしまってたのか」


 書斎の重厚なデスク。その引き出しを開けて、ハルは気づいた。

 なかに銀製の懐中時計があった。

 見覚えがある。晩年の父がよく手もとに置いて、しみじみ眺めていた品だ。


 ちなみに、只の時計ではない。

 父にとっては商売道具のひとつ、『』である。

 家業を継いだハルも、同じ道具を重宝している。


「思ったとおり、結構いいやつだな。使わないなら僕にくれって言ったのに……」


 銀時計は直径一〇センチほどの円形だった。

 懐中時計としては大ぶりだが、ハルはズボンのポケットにねじ込んだ。

 今、愛用している品より高級品なのだ。必ず役に立つ。

 まあ、形見のひとつくらい持っていようかという気持ちが一部あったのも、否定はできないが……。


 次いで、ハルはデスクの上に書類を広げた。

 柊さん紹介の学校に入学するにあたっての、必要書類である。

 記入して提出しなくてはいけないのだ。あと、新都に一箇所だけある《S.A.U.R.U.》支部を訪ねて、連絡員と顔通しもしなくては……。


 やることはいくらでもあり、ハルは連日いそがしくしていた。

 そうこうするうち、ついにアーシャも来日。

 新生活の準備がひととおり終わったところで、四月となった。


 日本の新学期は四月から――。

 そんなことも忘れていたハルは入学式の朝、あわてて制服に着がえ、カバンを手にして飛び出す羽目になった。

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