【第一章 竜のいる故郷へ】

【第一章 竜のいる故郷へ】①


 事のはじまりは二か月前だった。

 この頃、カレンダーは二月の暦を示していた。


 冬まっさかり――と思うのは、北半球に住む人間の早合点だろう。

 当時ハルがいたのは南半球のオーストラリア、しかも海辺の町だった。


 まさに夏のさかり。見あげれば空は青く、高く、雲の白さもまぶしかった。

 日差しは厳しかったが、それが逆に夏の解放感を高めてくれた。

 そして海。透きとおるように青い、美しき海。白い砂浜。

 ちょっと海岸まで足をのばせば、夏の全てを満喫できる町だった。

 お世辞にも都会とはいえないが、街の暮らしが恋しくなるほど田舎でもない。


 ほどほどにのどか、ほどほどに快適。

 ここにハルがやってきたのは、仕事のためである。


 ――月と衛星軌道からドラゴンどもが飛来し、都市部を襲撃することが不意の天災と同じほどの頻度となった昨今。

 先進国の地方自治体は万一にそなえて、緊急避難の詳細なマニュアルを作成していた。

 さらにその運用で失敗しないよう、入念なシミュレーションを定期的に繰りかえすのも常識だった。


 そのうえで、自衛手段があれば尚いい。

 しかし、この町の近隣に軍関係の施設はなかった。

 また沿岸部とはいえ、TPDO――環太平洋防衛機構の巡視艦隊を頼るのにも限界はある。

 そうした条件に左右されない『保険』を欲しがる人間はどこにでもいた。

 ハルが所属する組織の主な業務は、彼らに『知恵』を売ることであった。


 組織の紹介でハルがやってきたとき、南半球の季節は冬だった。

 夏を迎えるまでの間、世界的考古学者兼盗掘者インディ・ジョーンズよろしくオーストラリア各地を駆けまわり、ついに任務達成。

 入手した『副葬品』を地元有力者に渡して、御役御免となった。


 適格者として選ばれた女性が『魔女マギ』となれるかは、まだわからない。

 だが、そこはハルの管轄ではない。

 しばらくは休養もかねて、のんびりバカンスと洒落こめばいい。


 というわけで、手はじめに海沿いのカフェに入り、ミックス・フルーツジュースをちゅるちゅる飲んでいたとき、全てをご破算にする電話がかかってきたのである。


「……アーシャか」


 タッチパネル操作の携帯端末に、送信者の名が表示されていた。


 アナスタシア・ルバシヴィリ。


 グルジア出身。通称アーシャ。

 幼なじみ。くされ縁。

 友人のすくないハルにしては珍しく、長い交友関係を保ってきた少女である。


 液晶にふれて、ひとまず通話をはじめてみた。


『おひさしぶりです、晴臣。ごきげんいかがですか?』


 幼なじみの声は可憐で、涼やかだった。

 実は容姿の方も、この声にふさわしい麗質をそなえている。


 しかし、彼女を異性として意識することは、なぜか難易度の高いチャレンジだった。

 ステーキ二キロをペロリとたいらげたり、「今日は食欲がないんです」なのにカルビ三皿完食する姿をよく目撃するせいかもしれない。


 ともあれ、うわべだけなら儚げに見える幼なじみへ、ハルは答えた。


「そこそこうるわしいよ。一仕事終わらせたばかりだから」

『それはうれしいニュースです。では、折りいって相談が――』


 ぴっ。ハルは通話を打ち切った。

 考えたうえでの行動ではない。衝動的なリアクションだった。


『いきなり電話を切った理由、説明してもらえますか?』


 かけ直してきたアーシャの声は、可憐なのにドスが利いていた。


「悪い。君が僕の楽園を踏み荒らすケダモノに思えて、ついやってしまったんだ」

『理由になっていません。乙女をケダモノ呼ばわりしないでください』

「じゃあ説明してあげよう。……前に話したと思うけど、僕は将来、十分な貯金をたくわえたら、どこか静かな町で隠居暮らしするのが夢なんだ」


 ハルが言うと、電話越しに軽いため息の音が聞こえてきた。


『……あれですか。たしか三五歳までに達成するのが目標なんですよね?』

「うん。あとの人生は仕事もしないで、のんびり趣味だけに没頭する」

『それ、一〇代男子の夢としては、致命的に夢成分が足りないと思います』

「そうかな? 人生設計としては、これ以上ないくらい夢に満ちてると思うよ? 通りがかりの人に訊いてまわったら、かなりの同意を得られそうだ」

『同意者は多いでしょうけど、そのなかに一〇代青少年層はすくないはずです』


 アーシャの口調は辛辣というより、淡々としていた。

 あきれているようだ。しかし意に介さず、ハルはさらに続ける。


「とにかく、それが僕の夢なわけだ。で、今いるところが理想的でね。ほどほどにのどかで、それでいて快適に暮らせそうな町なんだ。しかも海が近い」

『理想的というのは、やっぱり……』

「うん。隠居先として申し分ない場所だと思う。――アーシャ、僕は一仕事を終えたばかりで、理想を実現できる土地にいる。将来の予行演習もかねて、ここでバカンスをはじめようと思うのは、自然な成りゆきだと思わないか?」

『そういえば、そちらは今、夏休みシーズンでしたね……』

「そんなときに君は“相談”と口走った。どうせ仕事の話に決まってる。だから電話を切ったんだ。僕の神聖な楽園に、無粋なケダモノを侵入させないために……」

『さぼりの口実を、神聖なんて形容しないでください』

「僕はここでダラダラなまけるだけの生き物になりたい。よそを当たってくれ」

『お断りです』


 双方の主張は平行線をたどるばかりだった。

 行きちがいを打破するように、アーシャが語りはじめた。


『私、個人的に取り組んでみたい研究があるので、近いうちに東京新都へ行って、しばらくあちらを拠点に活動しようと思うんです』

「研究だって? わざわざ新都で?」

『はい。ただ、あの街のことをよく知りませんし、サポートしてくれる《S.A.U.R.U.サウル》のスタッフもすくないと聞いています』


 ハルとアーシャが所属する研究機関《S.A.U.R.U.サウル》。


 ドラゴン族に対抗するため『形而上的知識体系』を復活させ、研究し、広く世に広めることを目的とする――一種の秘密結社だった。


「今となっちゃ、東京もただの地方都市だ。結構さびれてるはずだし、スタッフを大勢常駐させる意味がないんだろ」


 ハルは淡々と言った。

 二〇年以上も昔の『ドラゴン帰還』と第一次襲来ファースト・ストライク

 その結果を受けた不平等条約で、世界各地に竜族の『租借地』が二〇〇以上も造営されることになった。


 東京租借地もそのひとつ。

 現在、日本の首都機能は中部地方に移転している。


『でも、信頼できる仲間がひとりいてくれるだけで、だいぶちがうと思うんです。……晴臣はたしか、あの街の出身でしたよね? 持ち家もあると前に聞いたような。ということで相談ですけど――』

「もう三年も帰ってないし、帰る気もないよ」


 アーシャが最後まで言う前に、すばやく断るハルだった。


『そこをなんとか。幼なじみを助けると思って』

「友達は遠くにありて想うものさ」

『……薄情者』

「鬼と言ってくれてもかまわないよ」

『じゃあ遠慮なく。鬼、悪魔! あなたは正真正銘の屑で、最低の外道です!』

「若い女の子にそんなこと言われたら、ちょっとぞくぞくするね」

『しかも変態!?』

「…………ふっ」

『さ、最後のは形だけでも否定してください!』


 ハルの半笑いに文句をつけてから、アーシャはこほんとせき払いした。


『でしたら晴臣。昔話をしましょう。まだ私たちがとても幼かった頃、ふたりだけで町に出たとき、迷子になったのを覚えてますか?』

「あのときはたしか、君が先を歩いていて、道をまちがえたんだぜ?」

『それを言うなら、地図をなくしたのは晴臣の過失です。ともかくあのとき、私たちはおなかをすかせたまま町をさまよいました』

「そうだった。そこで僕は提案したんだ。アーシャみたいにかわいい女の子が涙目で上目遣いしてお願いすれば、心のきれいな大人か幼女偏愛ロリータ趣味の汚い大人がご馳走してくれるだろうから、チャレンジしてみようって」

『そうでした……。そんな物乞いみたいな真似、できるわけないのに』

「みたいじゃない。正真正銘の物乞いだ」

『だったら尚更です。それより話題をもどしましょう。――あのとき、私はなけなしのお金でハンバーガーを買って、一文無しになりました。そして、貴重な食物をふたりで半分こして分かち合い、空腹をまぎらわせたんです』

「ちょっと待った。僕の記憶によれば、君の取り分は半分よりも多めだった」

『ほ、ほぼ半分だったんだから、いいじゃないですか!』

「その反論から察するに、やっぱり確信犯だったか」

『……美しい想い出に泥を塗る疑惑は捨ててください。とにかくいいですか? あのとき以来、私たちがはぐくんできた絆はふたりの宝物です。その絆に恥じないよう、楽しいことも苦しいこともふたりで分かち合い、互いが互いを支え合うべきじゃありませんか』

「その理屈は強引だと思う」

『いいんですっ。あのとき晴臣は私の食糧を半分持っていったんだから、それくらいのことはしてもらわないと釣り合いが取れません!』

「……あのとき僕たちがいたの、たしかルクセンブルクだったよな」


 ハルは当時の物価と現地通貨を思い出そうとした。


「ハンバーガー一個だろ。たぶん、二ユーロもしなかったんじゃ……」

『大切なのは、己が持つもののほぼ半分を分かち合おうという気持ちです。金額の大小で受けた恩の多寡を決めるのは、男が下がりますよ』


 以上。ハルを東京に帰省させる原因となった、二か月前の会話である。


 さんざん無駄口をたたき合ったが、アーシャことアナスタシア・ルバシヴィリはたしかに春賀晴臣の旧友だった。


 本音をいえば、『今さらどうして東京なんかに……』という気持ちがある。

 ずっと帰っていなかったのだ。そして、故郷とはいえ待っている人間もいない。

 その事実をわざわざ確認しに行かなくても――と思う。


 だが、こんな理由で断れない程度には、アーシャとのつきあいは長く、深かった。

 かくして、ハルは「やれやれ」と肩をすくめることになった。

 バカンスは三日で切りあげ、東京新都へ帰郷する準備に取りかかったのである。

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