第五章 五代十国 南漢国


 兄・劉隠の母は韋宙の養女むすめだった。実家の姓をとって韋氏と呼ばれた。劉隠誕生の十五年後、劉厳が生まれた。韋氏の子ではない。段氏という側室の子だ。

 男児誕生の一報を耳にし、韋氏は柳眉を逆立てた。手のものを使い、生まれたばかりの赤子をさらった。裸にし、府邸内の池に接する庭石のうえに据えおいた。韋氏は短刀を逆手に持ち、赤子の胸を突こうとした。一瞬、赤子はするりと身をかわして池のなかに落ちた。跳ねた水のしずくが、韋氏の目に入った。反射的に眼を閉じた韋氏の網膜に、立ち込める水煙が映った。白く濁った水煙のなかで蛟龍みずちと化した赤子が韋氏に微笑んでいる。韋氏は思わず短刀を手放し、赤子を水中から救って、抱き上げた。

 蛟龍は水霊・水神の化身だ。蛇に似た想像上の動物で、当時の人はこれを龍の一種と見た。毒気を吐いて人を害するが、味方にすれば超自然的霊力はわがものになる。

「龍の子をめ――」

 韋氏の記憶の底で、父韋宙のことばが蘇った。韋氏はためらうことなく赤子を引き取り、わが子として育てた。これが劉厳だ。

 実の母段氏は悲しさと悔しさにいきどおり、三日後、恨みを残して憤死した。

「韋氏よ、いまにみておれ。己が子ともども、地獄に堕ちてほぞをかめ」

 劉謙が病死してまもなく、韋氏は夫の後を追った。段氏の怨念が責めつづけたものか、死に顔は恐怖でこわばっていた。


 チャンパ航海から帰った劉厳は、清海節度使劉隠のもとで副使を任じられ、劉氏勢力を嶺南最強の藩鎮軍団に導いた。歳こそ若いが軍事的才覚は兄を超えていた。十五年の歳の差は効果的に働き、兄と競うことなく劉厳は、兄につかえた。文字どおり兄事したのだ。劉隠もまた不幸な生い立ちの異母弟をかばい、ことあるごとに励まし、教え諭してきた。臣下もふくめ、ふたりの間にわだかまりはなかった。


 十世紀初頭のこの時代、のちの歴史では五代十国と呼ばれる。小国乱立の分裂時代だ。唐が滅び、宋が興るまでの五十四年間に、中原の黄河流域においては朱全忠の建てた後梁こうりょうのあと、後唐・後晋・後漢こうかん・後周という五つの王朝があいついで出現し、さらに淮河わいが・長江以南の地方では前蜀・後蜀こうしょく・呉・南唐・呉越・びん・楚・南漢・荊南・北漢という十をかぞえる割拠政権が、興亡をくりかえすことになる(北漢のみ黄河流域)。

 皇帝あるいは王と称した統治者のほとんどが唐末の節度使あがりだったから、武力抗争はお手のものでも、国家経営には適性を欠いた。五代の王朝は、唐を簒奪した後梁で十七年、大半が十数年、早いものだと四年という短命に終っている。十国のうち最長は呉越の七十二年で、宋の建国十八年後に帰順する。南漢はこれに次ぐ六十七年だから、短くはない。蛇足ながら、国名に前・後・南・北をつけるのは重複を避けるための後世の便宜であり、むろん当時の国名にはついていない。


 劉隠は朱全忠の中原制覇に賭けていた。衰退した唐にかわる天下一統を朱全忠の後梁に託したのだ。多額の「助軍銭」を献金し、臣下が主君の徳を称えて帝位につくよう請願する「勧進表」を奉った。

 戦は一文の得にもならない。たとえ百金を投じてでも、「中原王朝の強力な統制下、早く平和を回復し、たがいの商いで競おうではないか」という信念にもとづいている。

 小王朝ながら唐の「禅譲」を受け皇帝となった朱全忠は、劉隠を広州清海・交州靖海の両軍節度使・南海王に封じ、推戴の功に報いた。

 しかし劉隠の思いをよそに、中原の北方に新たな勢力が動きだしている。契丹きったんだ。やがて渤海ぼっかい国を滅ぼし、大遼と称し、北京・大同を中心とする燕雲十六州を侵奪することになる。


 劉隠が病の床についた。見舞った劉厳に、葛業が同行した。葛業はいま、嶺南沿岸の南海航路を取り仕切る劉氏水軍を一手に差配している。仁安の遺志による。

「若には海が似つかわしい。タージへお供仕るによって、いつなりと海へお戻りなされい」

 心ならずも陸へ上がり、劉隠のもとへ伺候する劉厳へ贈った、葛業のはなむけのことばだ。葛業の真意が込められている。劉厳は忘れていない。

「兄者の病が癒えれば、おれは海に戻る。チャンパの先を拓くのは、おれの務めだ」

 いま劉厳は兄にかわり嶺南の水陸を統括している。兄の病は一時的なことと見て、組織に手は触れていない。劉隠が独自のネットワークで集めた人材は、嶺南に新しい国を築くための枢軸となって、劉厳の出方を注視している。

「兄者の子はまだ幼いが、いずれ成長する。さすればおれはいつでも手を引き、海へ戻る」

 その決意に偽りはない。だから劉隠には早く治癒し、飛龍になってもらわねば困る。

「いや、わしは龍にはなれぬ。飛龍とは、あるいはおじじのことだったかも知れぬ。歳は百を越えていたというが、正確に知るものはいない。歳なぞにかまわず、思うがまま自由に生き、海の帝国という壮大な夢を残して逝った。戦をすら商いの種にした」

 龍隠は寂しげに否定し、祖父を偲んだ。

「わしの子はまだ幼い。劉厳よ、遠慮はいらぬ。わしが身まかれば、わしの子にかまわず嶺南の地をひとつにまとめ、商いに強い劉氏の国を建ててくれ」

 劉厳にはひとつ疑問がある。

「兄者はなぜ朱全忠についたか。ついたがために足かせとなり、嶺南の独立を遅らせる結果になったのではないか。中原の梁国なぞ嶺南に遠く、加担したところで報われることはなかろうに。遠水近火というが、遠方の国では急場の用には立ちそうもない」

「だからいいのよ。無用な戦はするな、戦は商売の敵だと、おじじからずいぶん聞かされてきた。梁王朝が中原で威光を効かせていてくれるからこそ、梁と北で接する中原以南の諸国はうかつに嶺南を襲えない。だからわれらは近隣諸国と友好関係を保ち、交易を維持できる。遠交近攻ならぬ、遠交近交の策よ。商いの利益は、戦勝に勝る」

 兄はそこまで考えていたか。聞いて、劉厳は舌を巻いたが、納得はしていない。

 人口が増え文化が向上したいま、日常の生活に交易は欠かせない。小国に分裂し戦火が飛びかうなか、それでも人々は相互に依存しあって生きてゆかねばならない。ならば交易振興を最大の国是とする嶺南は、軍兵の侵入は拒んでも、海陸ふくめ交易の路は絶対に閉ざさない。ぎゃくに水軍を発動して、敵味方なく交易船の防御にあたる。これが徹底できれば、大きな信用となり、嶺南に戦を仕掛ける国もなくなるのではないか。劉厳は身震いした。

「われらは商人の後裔だ。商いに徹すれば、嶺南に戦のない福地の園が築けるかもしれない」

 九〇七年、三百年の栄華を誇ったさしもの唐王朝が、あえなく滅亡した。その四年後、劉隠は病死する。あとを継いだのが劉厳だ。まだ二十三歳の若者にすぎない。劉謙・劉隠父子は封州統治を皮切りに、嶺南各地を制覇するのに三十年かけて地道に勢力を拡大してきた。それでもまだ、すべてを統括し切れていない。

 ーー三十年はかけすぎだ。

 治世を継いだ劉厳は、表面的には劉隠の熟柿の落下を待つ穏便な施策を踏襲したが、腹の中では嶺南の完全な統括と独立を一気に勝とる性急な方策を画策していた。

「まず嶺南の全土を支配下に置き、国を建てて自立する」

 葛業を参謀に、劉氏の統治に服さない地方豪族をひとつづつつぶしにかかったのだ。珠江の東側には小規模の不平分子が虫食い状態で巣くっていた。まとまれば面倒だが、個別に潰せばらちもない。海陸から兵を繰り出し、たちまち七十余の城砦を攻め落とした。余勢を駆って東は潮州まで至り、北は韶州しょうしゅうを下し、西は邕州ようしゅう(いまの南寧)を収めた。

 しかし祖訓を遵守し、五嶺を越えて兵を出すことはなかった。


 五嶺をはさんで南に嶺南があり、北に嶺北がある。嶺北はいまの湖南だ。この地に割拠し楚国を建てたのが馬殷で、木工職人から身を起こした、乱世一方の雄だ。

 出自は許州(河南)、劉謙とほぼ同じ世代だが、劉謙がいくつか上になる。流賊の群れにしたがい各地を転戦、しだいに頭角を現わし、湖南で開花した。劉謙が亡くなった二年後、四十五歳で湖南武安節度使となった。どちらかといえば、遅咲きの花に属する。五嶺を越えて、たびたび嶺南に侵攻、しばしば劉隠の軍勢を打ち負かし、ついには容州と高州を占拠するにおよんだ。両州とも広西・交州(ベトナム北部)にかけての戦略要地だ。容州は容県、いまの広西玉林市にふくまれる。唐玄宗の寵妃楊貴妃が、幼いおりに荔枝れいし(ライチ)の味を覚えたというゆかりの地だ。高州は南海に臨する広東茂名市に属する。

 両州奪回は、嶺南が独立するための絶対条件だ。容州攻めは劉厳が直接指揮をとる。高州へは葛業が劉氏の沿岸配備の水軍をひきい、海からの上陸作戦を敢行する。


「兄者、おれに任せろ」

 前年の戦では、両州とも楚の軍勢に遅れをとっている。連年の敗北は許されない。満を持して劉厳は、大弓片手に容州に乗りこんだ。広州から珠江水系の西江を遡り、支流を伝っての水戦だ。大柄な劉厳の武者姿はいやでも目につく。楚軍は軍船をしたて、迎え撃つ構えだ。やや小柄で大将らしき鎧兜の武将が、扇を片手に船中に立っている。

「劉厳どのと見た。噂に高い龍の射手、その業前を拝見つかまつる」

 いい終わるや、手にした扇を頭上に放った。扇は左右に開き、ひらひらと宙に舞った。

「やすきこと。いざ、ご覧そうらえ」

 揺れ動く船上で、劉厳は矢を射った。矢は狙いを誤らず、扇のかなめを弾き飛ばした。扇の骨が砕け、地紙が細かく裂けて散り、ゆっくりと舞い落ちた。

 次の瞬間、劉厳は水上を飛んでいた。敵の船に乗り移ったのだ。抜いた小刀を扇の主の咽喉もとにつきつけ、兜を引き剥がした。

「いや、これは!」

 相手の顔を見て、思わず劉厳は小刀を外した。

女性にょしょうとは知らず、失礼した」

いくさをするのに、男も女もありますまい。わたしの負けです。ご存分になさいませ」

 おんなは劉厳を直視し、静かに眼を伏せた。

「ならば申そう。馬殷どのがご息女であろう。わしの嫁にもらいうけたい」

 評判のじゃじゃ馬娘と知って、その場で劉厳は求婚していた。

 敵も味方も固唾かたずをのんで、成りゆきを見守った。おんなは首をたてに振った。

 馬殷は、両州から兵を引いた。ふたりの婚姻を認めたのだ。

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