三十六振目 日本刀が洪水を起こす

 日本刀が洪水を起こした(原因となった)事象についてです。

 天正十八年(1590)八月下旬(八月十五日とも聞く)、降雨の影響によって吉井川の氾濫と土砂災害が発生。備前の地は水没し流出家屋一千数百戸、死者行方不明者七千人。

 この失われた人命は、もちろん刀鍛冶や刀剣製造に関わる人とその家族。生き残りは資料により異なるものの二、三名。

 さて、この洪水。

 備前の地が水没したという点から、地すべりか斜面崩落によって堰止め湖が発生。この決壊と共に下流河川で大氾濫を招いたと想像できます。

 これが発生した理由こそ日本刀。

 砂鉄採取で鉄穴(かんな)流しといった手法があるわけですが、これは鉄質を含む土を水路に流し沈殿した鉄を採取する比重選鉱。これを行うと、下流に多量の土砂が流れ堆積し、河床上昇を招いてしまう。


 江戸期の製鉄であれば一度に使用される原料鉄10トン、木炭12トン。これによって製造される鋼が2トンで、この中で良質な部分が200キロ。

 一振りの製刀に必要な鋼が10キロとしても、一度の製鉄によって良質な鉄を使用した20振りの刀が製造される計算でしょうか。

 一度の製鉄によって失われる森林は1ヘクタールと言われますが、製鉄以外に製刀に炭を使用する事を考慮すると、かなりの大量伐採が行われていた事が想像出来てしまう。(もちろん使用される炭はそれぞれ異なるでしょうが)

 「鉄7里に、炭3里」といった言葉があるように、大規模な森林伐採が必要となります。山林の保水能力が低下。さらには河道内に土砂堆積で、河床上昇を招く。幾つもの要素が重なり、大被害になったという事でしょうか。


 現代の被災地でも復興は困難ですが……この時代であればどれだけ困難な事だったでしょうか?

 鉄採取、製炭、製鉄、鍛刀、研磨、鞘、白銀などの技術者と、その知識が喪失。施設、器材、道具類も喪失。販売ルート、人的繋がりや伝手も喪失。基本的な衣食住すら喪失。

 特に道具類は注文して翌日配送なんてありえないわけで……生き残った鍛冶が、どれだけ備前伝を再興できたのかは不明。道具類や設備が揃わねば作刀手法は簡素化簡略化せざるを得ないわけで。実際に備前が復興した際は粗製濫造に走った事もそれが原因でしょうか。

 そこを考えると新刀期の基盤が美濃伝となったのも、この洪水が遠因か。

 さらには西国における主要な武器工廟が失われたわけですから、もしかすると関ヶ原の戦いにも多少は影響したのかもと想像を逞しくしてしまう。


 なお、洪水に関しては製陶業においても同様の事象が生じており、明治初期の岐阜県東濃地方の庄内川(別名を土岐川)は製陶で生じた泥によって河床が上昇、製炭によって近隣の山々がハゲ山となり洪水と土砂災害に悩まされた記録があります。

 話は逸れますが、森林の保水能力は時間雨量90mmが限度と言われていますので昨今の降雨状況をみてますと、木があるからと安心ばかりはしていられませんね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます