三十三振目 剣

 日本刀と言えば太刀や刀、脇差しに短刀。しかし、その外にも種類があり薙刀、槍、矛、剣。というわけで両刃の剣について。

 剣とあって「つるぎ」と読み、その中でも平安時代から南北朝時代までのものを古剣「こけん」、大和鍛冶作の古剣を大和古剣「やまとこけん」と呼びます。


 しかしながらつるぎは、中世ファンタジーなどの剣(ソード)とは全く違い日本独特の形状をしています。なお、剣の刃長は一部で50センチ以上のものもありますが、概ね20センチ前後で短刀サイズが一般的です。

 頭の部分が張り途中やや締まり元で再び張ってくる形状(横幅だけでなく厚みににおいても)。これは古代からの、つまり青銅器の姿がそのまま伝わっていると言われ、各流派を問わず剣を製造する際は同様の形状をしています。

 粟田口の剣などは、くびれがなく殆ど真っ直ぐ……とも言われますが、パッと見で分かるほど差は感じないぐらいの、ゆるーいくびれです。


 つるぎは仏用であったり高位僧侶などが使用する法具・宝具であって武器ではありません。当然ながら信仰が絡むため最高の一品が献上され出来が素晴らしく良い。よって、剣は名工が鍛えるという話も頷けるかと。

 なんにせよ寺社等の為に鍛えられ、そこに献上されたものですから、なかなか世に出て来ません。逆に言えば、なぜそうした剣が世に出てくるのか……触れてはならぬ闇があるのかも。

 当然ながら母数が少ないため重要刀剣となった剣は少なく、ざっと大和系だけで見ても15振り程度なので恐らくは全体でも20振りぐらい。なお、重要刀剣になった剣には粟田口や、変わった所で備前の畠田(真守)もあります。


 大和伝系の重要刀剣15振りから見ますと、古剣2、大和古剣3、剣10(内無銘8、在銘2いずれも千手院)となっています。(もう少しありますが第60回審査の辺りで数えるのが面倒に……)

 さて重要刀剣の分けでは「古剣、大和古剣、剣」とあります。

 これは、一般的な刀剣書の分類(平安時代から南北朝時代までを古剣、大和鍛冶作の古剣を大和古剣)と少し違っています。

 平安時代作を「古剣」

 平安時代から鎌倉初期にかかる作を「大和古剣」

 鎌倉後期以降の作を「剣」

 となっています。

 それら15振りの中で2振りのみ刃長55センチ以上の剣があり、これを除外すると刃長(平均23.3センチ、最大26.3センチ、最小19.6センチ)、元幅(平均2センチ、最大2.25センチ、最小1.6)、茎(平均9.8センチ、最大11.5センチ、最小8.1センチ)といった感じです。


 重要刀剣にはかさね記載がありませんが、健全な剣であれば元重ね0.8や0.9センチ、先重ねでも0.6センチぐらいあります。両鎬形状のため、断面は少し平たい◇(左右が刃で上下が鎬)となり、全体がゆったり滑らかな流線形状で優美な感じがします。

 その姿形は……試作新幹線ALFA-Xのノーズ、銀英伝のブリュンヒルト(OVA版)のような感じでしょうか(余計分かり難い?)。


 剣そのものの歴史は古いですが、古来の神道呪法では剣を必要としませんので、剣が必要となるのは仏教(それも密教系)の伝来を待たねばなりません。

 仏教伝来は奈良時代としても密教伝来は平安時代初期。

 密教の修法が確立するのは平安時代中期以降――そこから考えると、長さ20センチ前後の古剣が出現するのは、そこから。よって剣の分類が平安からとなるのは、そうした理由かと。

 なお、大和五派で千手院派の発生が平安末期、当麻・手掻・保昌・尻懸の四派は鎌倉後期発生。それにもかかわらず、重要刀剣の資料では千手院極めの剣は鎌倉後期以降のものばかり。

 さらに重要刀剣で鍛えと刃文を見ていくと、

 古剣:板目or板目流れ肌で地景、直刃に小沸など。

 大和古剣:概ね小板目に肌が細かく詰み、直刃にほつれ。砂流しや金筋はあまり見られない。

 剣:概ね柾目がよく現れ地沸がよく付き、直刃にほつれや二重刃砂流し金筋が見られる。

 といった違いがあります。

 そうなると……元来の(奈良から続く系統の)作を「古剣」、古千手院の作を「大和古剣」、千手院の作を「剣」と分けているのかもしれません。まあ大雑把な想像なのですが。


 上記の様に古剣は数が少ないため、その希少性から重要刀剣になった剣はほぼ表に出ません。

 保存や特保の剣であれば稀に出ますが、重ねが半分程度(0.5や0.6)まで研ぎ減り刃も減り弱っていたり、鋒の焼きが×であったり、疵が多数であったりと……古いだけに状態もそれなり。こうした剣であれば保存刀剣50万円以下、特別保存刀剣100万円以下ぐらいでしょうか。もちろん状態が良ければ、全く別の値段になっていくわけですが。

 重要刀剣になった剣を見ますと、その約80%が第26回(昭和54年)までに出現しています。その点からすると、保存や特保で状態の良い品というものは今や殆んど無いと思っておくべきかもしれません。

 それでも出る時は出るでしょうが、店も分かっているので上得意先などに声をかけ売ってしまう。仮に出たとしても瞬時に売れていくのかと。


 剣を取り扱う場合の問題点は幾つかあります。

 まず完全な左右対称でないためハバキの装着に癖が生じます。茎も白鞘もそこに収めるには癖があり向きが決まっています。しかし両刃の為に向きが分からずよく間違えて、やり直す必要があります。面倒です。

 そのため刃文や鍛えの状態、それとハバキの微妙な変化や柄や鞘の木目などを記憶し、正しくセットできるようになる必要があります。ちょっと気を使う。

 さらには通常であれば峰を滑らせ収めますが、両刃なので刃を滑らせねばならず気を使う。もっとも、上記のような形状のため刃が鋭くないので問題ないです。しかし、恐らくは過去の所有者がミスしたであろう跡に刃が取られ、中でズレながら収まっていくので、かなり気を使う。

 中世ファンタジーの戦士や騎士は両刃剣をあっさりと鞘に収めますが……実際はどうなのでしょうか。工業品ではないですから完全に左右対称ではないわけで、それがピタッと鞘に収まるのでしょうか? それとも鞘に余裕を持たせてあるのか? しかしそうなると、鞘の中で動きカタカタと音が響いてしまいそうな……。


 余談ながら、大和鍛冶は日本の歴史と密接に関わっています。

 平城京に都が存在した奈良時代は鍛冶の主流として活躍。

 しかし都が平安京に移った平安時代からは衰退。

 以降は鍛冶の主流となる事はないものの、鎌倉時代に近づくと仏教と共に寺社が勢力を持ち、奈良が中心のため大和鍛冶も勢力を盛り返す。平安末期には千手院が東大寺や興福寺に招かれ、鎌倉後期頃には当麻、手掻、保昌、尻懸の各流派が興り寺社の専属鍛冶として勢力を拡大。

 大和鍛冶としては荘園の関係から越中の宇多、備後の三原、九州の延寿や波平、その他にも全国様々な流派に影響を与える。また相州伝の創設者となる新藤五国光も、一説では大和出身とされる。

 しかし室町時代に入り、守護大名や戦国大名の勢力拡大に伴い寺社勢力が衰退すると大和鍛冶も衰退し各国に散りつつ消滅していきます。

 その中で最も影響を受けるのが美濃伝。

 大和鍛冶は奈良から三重方面の伊勢に、そこから木曽川を上流に辿って移住し美濃鍛冶と合流していく。そして美濃鍛冶は美濃出身の武将のお抱えになり、その領国へ同行し全国に散って新刀期の礎に。

 こうして大和鍛冶は今も日本刀の歴史の中に脈々と生き続けているのかと。 

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