二十九振目 本阿弥と折紙

 本阿弥家は宇都宮三河入道の鑑定系統にして、刀剣の鑑定、研磨などを家業として足利将軍家に仕えていた一族です。豊臣、徳川と仕え刀剣鑑定を主として行うようになりました。

 阿弥は南無阿弥陀仏から来たもので足利将軍家に設けられた芸能関係の職業の名称。刀剣の本阿弥以外に、鍔の正阿弥、能楽の世阿弥、画の能阿弥なども有名でしょうか。もちろん他にも〇阿弥という名称の職業があったようです。

 本阿弥家九代から十三代(光徳こうとく光室こうしつ光温こうおん光常こうじょう光忠こうちゅう)の折紙は古折紙こおりがみと呼ばれ抜群に信頼性が高いです。これは、現代の鑑定において指標とされるぐらいです。

 九代以前については折紙などの鑑定紙は残されていません。

 九代光徳にも折紙は無く、コヨリか極めの金象嵌(大磨上無銘物には金象嵌、生茎の無銘品には朱銘)で極めています。この九代光徳の金象嵌であれば、現代でも在銘と同等の扱いを受けるとも言いますが少し言いすぎかも。残りの十から十三代の金象嵌であれば、たとえば500万円の品が600万円に値上がる効果があります。


 本阿弥と言えば折紙、折紙と言えば本阿弥。

 折紙とは現代で言うところの鑑定書。この折紙がある刀は(古折紙かどうかは別として)、それだけでも格式の高さの証明にもなります。なぜならば、当時は身分制度の存在する社会。お金を積めば鑑定してくれるものではありません。それなりの地位や格式がなければ、依頼すら出来ないという事ですから。


 折紙の書式が整ったのは十三代光忠からで、以降はこれを踏襲しています。使用された用紙は前田家の奉書を取り寄せ使用していました。

 縦34.3センチ、横50センチの用紙を半折りにし、その片面に鑑定内容が記載されます。その半折り状態のものが、巻八折りになっており(つまり長方形の部分が八つ並んだ状態)右から順番に1~8として。

 1.空白

 2.銘が記載され在銘無銘は関係なく鑑定結果が記載

 3と4.その中心折れ部に跨がり『正真』と記載があり、その下側で概ね3側に「長サ弐尺四寸三分」と記され、4側に「但磨上無銘也」などと小さく記載

 5.『代金子○枚』又は『代○貫』と記載

 6.空白

 7.年号と干支、月日。下部に花押

 8.空白

 そして花押のある裏面に本阿弥の「本」の印が押されています。

 かなり分厚いしっかりした紙で、長年折り畳まれたものながら折れ部の痛みは殆どありません。外面など多少は毛羽が立つものの、しっかりしてます。

 これの外側に包む紙(熨斗みたいなもので名前は失念)とセットになるとベストですが、折紙単体だけでも価値はあります。

 もちろん折紙のある刀は高い!


 折紙発行の権限は本家のみに限られていました。本家と分家の十二の家が毎月三日に集まり合議の上で鑑定を行い、本家名で折紙を発行というのが鑑定の流れ。

 分家は証明書として「添え状」の発行は許されてましたが、「見受け」、「拝見」と鑑定ではないとの内容しか記載できません。

 古折紙の鑑定信頼度は日本美術刀剣保存協会のそれを上回り、現代の鑑定の指標ともされています。そのため古折紙がある場合は、その名称のまま合格します。ただし、折紙そのものが正真であるかは日本美術刀剣保存協会に証明して貰わねばなりませんが。

 なにせ折紙の偽造も多々ある……。

 用紙・記載者が本阿弥家でない物。用紙は本物でも、記載者が本阿弥でない物。折紙は本物でも別の刀に附されたもの、などなど。

 年号と干支、日にちの確認は最低限したいです。

 たとえば年号と干支で『宝永7年寅』とあれば、宝永元年はきのえさる年のため、さるを1として7番目でとらで合っているとかの確認です。

 日にちは『三日』になっているか。上記のように本阿弥の折紙発行は三日だけに行われましたので、三日以外で記載された折紙があれば100%偽物です。


 十三代までが古折紙と呼ばれているわけですが、十四代以降は極端に信頼性が落ちます。特に十四代と十五代については田沼折紙と呼ばれてしまう程。まさに政治の影響を受けたというものですね。

 十六代はやや信頼を戻しますが依然として信頼性は低く、そのまま信頼を取り戻す事なく十九代で幕末を迎えています。

 その後、明治時代では本阿弥光遜が有名です。ただし、光遜自体は本阿弥の人間ではなく、分家の本阿弥光味の流れを汲む本阿弥光賀の娘婿になります。鑑定の名人ではありますが、時々間違いもあって鑑定が盛り過ぎとか、わざと脇物に逃げているとかを見かけます。


 それは兎も角。

 九代目頃は金一枚からの折紙があったものの、その後は改められ金五枚以上に折紙を附し、それ以下については小札を附される事になりました。

 十四代以降はいろいろやらかしてまして、ある時代では古折紙を回収し新たに高額の代付け金額を上乗せして再発行したりしてます。これによって手数料や謝礼金を得ていたようです。

 代々の鑑定の結果を台帳として残されていたようですが、第二次世界大戦時に焼けてしまったそうです。歴史価値として非常に残念でなりません。


 代金子〇〇枚と記された折紙は、大名間など身分の高い人々の贈答刀に附されたものに多いです。その他に、銭〇〇貫で表される事もありますが、これは金一枚が形式上の価格と実際の両替額とが異なるため、儀礼的価値と即物的価値のどちらを求めたかによる違いになります。

 つまり、代金子〇○枚とは市場価値ではなく、刀剣ランクを〇○枚で現しているだけなので注意が必要です。そして、その刀剣ランクは本阿弥家の好みにより相州物が高め。

 相州物であれば金百枚、五十枚が普通であるのに対し、たとえば名工名品の古備前信房で在銘金三十枚、無銘金五枚と扱いが随分と違います。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る