五十二振目 現代職人と現代刀

 調子の悪い白鞘の修繕を依頼。

 どこ悪いかったかと言えば、持って動かすとタイミングによっては中でカタカタと鳴る。つまり中で刀身が鞘に当たってしまう『鞘当たり』の状態という事で、これはよろしくない。刀身にヒケ傷がついてしまうのです。

 白鞘は続飯そくいと呼ばれる糊で二枚の板が接着された状態。それを分解して(これを割ると言います)、中を削って調整して貰う予定でした。しかし……どうにも続飯が予想より強いとかで、下手に鞘を分解しようとすると本当の意味で割れかねない。しかし古い時代の鞘で、それはそれで貴重のため……まるっと新調しました。

 白鞘関係では一番の上手な方に依頼する事ができまして、少し順番待ちもあって約3ヶ月(実作業としては1ヶ月ちょい)。お値段は、白鞘新調と古鞘の繋ぎ(木製刀身)の制作で5万少し。昔に比べ、随分と安くなったものです。

 肝心の出来映えは……良いです。

 鯉口はぴったり精度良く、木もずっしりとした密な材を使って貰い、仕上げも滑らか丁寧。注文通りに木はボテッと卵形にして頂きました。でも木の繋ぎ目が少し見える点と、木目に対する配慮が多少甘いかな……。

 お陰で現代職人に対する印象まで改善。


 実は現代職人に対しては根深い不信感があったので、これまで白鞘を直すか直すまいかずーっと躊躇していたわけです。

 これまで関わった職人ときたらもう……納期(しかも自分から申し出た)を平気で半年や一年過ぎるとか、刀装具制作は頼んだデザインが違う。拵えを依頼すれば茎が収まらないとか、しかもそれを指摘すると舌打ちするとか、さらに指摘すると適当に削ってガンガン叩いて収めて入りましたとか……さらに言うなら、挨拶しても返事すらできない職人とか……まあ、これは愚痴です。失礼しました。

 頑固職人とは仕事に対する姿勢の事を意味する事で、横柄態度で『俺は職人だぞ』と威張る事ではないと思うのですがね。

 もっとも、全ての方が悪いわけではないです。

 素晴らしい職人も沢山います。

 特に印象深い方は、子供の頃に祖父に連れられ旅行にでかけた際に出会った刀鍛冶。その方は非常に丁寧で、田舎の老爺でしかない祖父にも、子供である私にもしっかり応対してくれて、頷きながら話を聞いてくれる人でした。

 なお、それからずーっと時が過ぎ知りましたが、その方は人間国宝の某氏。一流の職人は人に対する態度も一流。


 それはさておき、もし職人に依頼するのであれば直接依頼は避け、刀剣商を経由した方が良いかと。刀剣商を経由すると多少は中間マージンもありますが、それは数千円のもの。最大の利点は……職人に「文句が言える」という点です。

 「文句が言える」とは、クレームをつけるという意味ではなく、いい加減な仕事をされた時に文句が言えるという事です。

 個人では、いい加減な仕事をされても「知らん」と突っぱねられると、それまで。納期を過ぎて催促しても、「今やってます」と言われると、それまで。

 しかしお店経由であれば、店がきちんと責任を持ってくれます。

 職人も店との付き合いがあるため、修正も納期も対応してくれる。そもそも最初から手を抜くこともそうはしない。


 それはさておき、現代刀について。

 現代刀の紹介では『地沸が無く無地でステンレスのような鏡』と紹介される場合もありますが、これは間違い。

 正しくは、鍛えが非常に詰んで鍛えが細かいため無地風に見えるという事です。

 実際に現代刀を手にした事があれば、そうした事は直ぐに分かる事なのですが、何故かしら無地無地と決めつけたがる人がいる。


 かつて堀井俊秀氏の太刀を拝見させて貰いましたが、これはパッと見の雰囲気は末古刀。重ねが非常に厚く健全である点と、刃文の沸が強い以外は肌も地沸も素晴らしい。持ち主が横に兼光を並べてくれたのですが、これがもう見劣りしない。

 堀井俊秀氏は北海道の製鉄業関係から支援を受け作刀を実施していたようで、そこから提供された素材で試作した中の一振りだったようです。


 大野義光氏の山鳥毛写しも拝見させて貰いましたが、これも凄い。

 この時は箱書きに「山鳥毛写し」とあったので、それを写せるのは一人しかいないと予想してましたが、刃文を見るとやっぱり大野氏と分かる。もちろん地鉄もしっかりして見事なものです。古名刀がリアルに、そして新たに誕生したものとして感動できてしまう。

 この大野氏は活躍中の現代刀匠として一番人気の方。

 太刀であれば300万円ぐらい、山鳥毛写しとなれば500万円以上。一般的な現代刀匠作が100万円行くかどうかで、人間国宝であった天田氏作が400万円付近という状況を鑑みれば、今を代表する刀鍛冶の一人である事は間違いないでしょう。

 もちろん値段以外の観点からも、時代を代表する事は間違いないです。

 なぜならば、独自の世界を切り拓いているから。

 大野氏の刃文は「大野丁子」とも呼ばれるほど独特で、白く冴え冴えとした(少し舞茸に似た形状)独特の見事な丁子です。

 他の刀匠たちが単なるコピーとして写しをする中で、写しの中に自分の感性を落とし込める唯一の刀匠ではないかと。


 現代刀には現代刀の、新刀には新刀の、古刀には古刀の良さがあって、人それぞれに好みが違うだけ。どこに美をを見いだすかは千差万別。槍に美を見いだす人は、その真っ直ぐば白銀さが好きと言う。鎖鎌に美を見いだす人は、その分銅の重さと質感が好きと言う。

 でも、他人の好みで自分の好みを語ることほど下らない事はない。

 ある名言をもじると「どんな刀も製作時は現代刀」となります。本来はその時代における日本刀を大事にすべきで、現代刀だからと馬鹿にする事は間違っている。


 しかし現代(将来は、東京時代と呼ばれるのでしょうが)は未来において、きっと写しの時代と呼ばれると思います。

 写しは名品にどれだけ迫れるかが問われ、過去の名品と比べ、自分のどこに不足があるのか、どうすれば名品に迫れるのか方向性を確認するため行われるのですが……その先がないように思えます。

 年月を経て研ぎ減った状態の再現に終始され、往事の姿を想像し自分なりの古刀を再現する方はあまり居ない。故に、写しに自分の世界を落とし込める大野氏は凄いという事です。

 あとは悪い意味でも写しの時代でして……これは偽作が横行しているという意味であります。

 今の時代は百年後二百年後にどう評価されるのかな。

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