沈む

「…………」


 今夜。全てが終わる。

 自殺するとしたら、きっとこんな気分なんだろうな。

 心が、静かだった。


「おい結崎、寝るんじゃない」

「…………」

「まったく……」


 今夜、あのトウテムというミュータントに、俺は負ける。

 エルガイアから開放されるんだ。

 あとの事なんて知ったこっちゃない。


 俺は自由になれるんだ。

 あともう少しで……。


「……ふふ、ぐふふふふ」

「結崎?」


 なんだか、すごくおかしくなってきた。


「ぐはっ、はははははははははは!」

「結崎!」

「ははははははははは! あはははは! あははははははははははは!」

「大丈夫か結崎!」


 数学の教師が俺の肩をつかんで揺さぶってくる。


 周囲が「アレ大丈夫か?」「なんか怖えええ……」「頭おかしくなった?」クラスメイトがドン引きしながらこそこそと話している。


「はははは、はははは……はははは、はぁ……」


 ひとしきり笑って、疲れた。


「おい、だれか保健室へ連れて行け。結崎、なにか辛いことがあったのなら、担任に相談しろ。目にクマが出来ているぞ。とりあえず保健室で休め」


「……はい」


 もう、何も覚えていない。

 気がついたら、俺は昼休みまで寝込んでいた。


「先輩、起きました?」


 ベットの隣で、椅子に座っているゆっこがいた。


「ああ、大丈夫だよ。俺は正気だ」

「なんか突然発狂したそうですね。見た目から正気に見えないんですが……」

「大丈夫だよ大丈夫。あともう少しで、全て終わるんだ」

「終わる?」


「ああ、今日の夜。赤い牙の一人と戦って、負けたら俺の右腕を持って帰るんだとよ。命は助けてくれるらしい。結構真面目そうなミュータントでさ、約束は守ってくれるってよ」


「…………」


「やっと、やっとエルガイアから開放されるんだ。右腕はなくなるけど、ようやく楽に慣れるんだ。そう思ったら、なんかすごく楽しみになってきてさ……」


「先輩……」


 大きく息を吸って、大きく吐いた。


「やっと普通の一般人に戻れるんだ。もう戦わなくていいんだ。今夜どんなに頑張って戦っても、どうせ負けるんだしな。勝てるわけが無いんだから、負けは確定だよ。エルガイアの右腕が無くなれば、俺には元の楽な生活が待っているんだ……ふふ、ふふふふふ」


 そしてゆっこに釘をさした。


「舘山寺さんたちには黙っていてくれよ。特にあの月島って言う上司には絶対にだ。邪魔されたくないし。後の事は警察に任せればいい。……まあ、エルガイアの右腕を持って帰れば討伐したも同じだから、もうミュータントがやってくることも無い。赤い牙もさっさとネパールへ帰るだろうさ」


「…………」

 ゆっこが立ち上がって、小さく「ごめんなさい」と言って、保健室を出て行った。

「…………」

 黙ってそれを見送る。


 幻滅されたかな? まあいいか。もう何もかもがどうでもいいし。元々ゆっこから求愛してきてたんだから、失恋にもならないし。右腕はなくなっても、今後の生活はどうにかなるだろう。


 これで、本当にいいんだ。

 自分にそう言い聞かせる度に、心が落ち着いて気持ちが良かった。

 せっかくだから、寝ておくか。

 早く夜にならないかな。


    ―――――――――――――――


 ピリリリリリ、ピリリリリリリ

「うん?」


 メールの着信音。


 最後の始末書がもうすぐ書き終わる。ボールペンから手を離して、胸ポケットから携帯電話を取り出した。


 倉橋優子君からだ。

 『先輩を助けてください。』


 なんだこれは?


 ボタンを押して、そんなタイトルのメールの内容を読んでいく。


「……は」

 そこには、信じられない内容が書かれていた。

「なん、だと……」


 しまった。なんてことだ。


 俺は、大事な事を見落としていた。


 拓真君。彼のことを――


 なんで今まで気がつかなかったんだ。


 気づいてあげられなかったのか。


 拓真君は、今まで戦いながら何度も傷ついていた。苦しんでいた。

 それでも何度も挑んでいた。

 俺たちの代わりに、負けても負けても立ち上がり、頑張り続けていた。

 だけど、本当はずっと頑張り続けるなんてできるわけがない。

 そして、頑張り続けていた彼を、俺たちは簡単に捨ててしまった。


 辛く苦しい戦いを強いられて、頑張って頑張って、そしてそんな彼をあっさりと拒絶して捨てたんだ。俺たちは……。


 そんな彼の気持ちに。俺たちは、何も応えてあげていなかった。


 拓真君――


「舘山寺君、始末書は終わったかね?」

「月島課長……」


 とっさに、携帯電話を隠してしまった。その挙動に、月島課長が鋭く聞いてきた。

「何の連絡があったのかね?」

「いえ、これはその……」


 どうするべきか。プライベートだと言って隠しておくか? だが、拓真君がミュータントと戦って、負けるつもりで、彼は今――


「どうやら、何か隠し事のようだね。よくないよ、そういう事は」

 数秒黙しただけなのに、感づかれてしまった。

「そ、それが……その……」

「舘山寺警部補。見せなさい」

「……はい」


 俺はそのメールの内容を、月島課長に見せた。

「ほほう。これはまた……」


   ―――――――――――――――


 ようやく夜になってくれた。


 夕方になる前から、ずっとここで待っていた。

 思えば、この場所で俺はエルガイアになったんだっけ。


 あの時壊された巨大アスレチックは、改装されてよりしっかりとした作りになっていた。


 数ヶ月前の事なのに、まるで何年も昔だったような気がする。


 心残りは、右腕が無い生活が待っているのと、エルガイアのあの爽快な気分に浸れなくなることぐらいだ。


 これ以上、辛く苦しい戦いを続ける事を放棄する代償としては、まだ安いほうだろう。


 ゆっこもいない。あれから俺の前からいなくなってしまった。

 もうすぐ、夏が来るな。

 今年は思ったほど雨が少なかった。

 湿った風が、夕日の熱を残して吹いてくる。

 すごく、穏やかな気持ちだった。


 じゃらり


 ――来たか。


「結崎拓真殿。約束どおり参上仕った。まず、此度の私の勝手な願い。受け入れてくれたことを感謝いたします」


「ああ、約束したからな。そっちこそ、邪魔が入らないよな?」


「もちろんの事。この戦いは一対一の戦い。誰にも邪魔はさせませぬ」


「じゃあ、さっそくだが、始めようか」


「お覚悟は出来ているようですね」


「ああ。出来ているさ。全力出したって、あんたにはかなわないよ。俺は」


「約束は真剣勝負。その前から敗北宣言など、関心は出来ませんな」


「そうだったな、相手はいつも俺よりも強い。この言葉を遺言代わりとして、ついでに持って行ってくれ。もう二度という事もないだろうから」


「あい分かった。それでは始めましょう」


 坊さんの格好をしたミュータント。トウテムが編み笠を外して変身した。


 やっぱりアムタウ族か。


 初めて出会ったミュータントも、アムタウ族だった。そういえば、アスラーダのヤツはどうしているかな? この顛末に、きっとアイツは地団駄踏むほど、悔しがるだろうな。ざまあみろ。


 俺は巨大アスレチックの一画に座っていた所を立ち上がり、芝生の上を歩いて、トウテムと向き合った。


 さて、最後の変身。だな……。

 俺は最後になる変身、エルガイアの姿になって、構えた。


 特に、合図を待っていたわけでもなく、お互いに静かに構えて、

 最後の戦いが始まった。


 拳を強く握り、腕を振るう。突き出す。

 脚を伸ばし、振るう。空振り。

 相手の拳が顔面に入って、目がチカチカする。

 相手の蹴りが、腹にめり込んで苦しい。痛い。

 肉薄状態でお互いに手を組んで力を込める。どんなに力を込めても、推し負ける。

 頭突きを入れる。相手も頭突きをしてきて、跳ね返される。


 体を動かす。動かす。動かす。


 腕を振るい、足を振るい、なぎ倒される。


 ……ああ、なんて。


 なんてこんなにも、虚しいのだろうか……。


「拓真君!」

「拓真君!」


 気がついたら、俺とトウテムは強い明かりに照らされて、舘山寺さんと木場さんの声が聞こえてきた。さらに、俺たちは機動隊員たちのシールドで取り囲まれていた。


 ゆっこのやつ、やっぱり舘山寺さんたちにチクッたのか……。


「先輩!」


 ゆっこの声がする。


 だから余計な事をするなって言ったハズなのにな。


 まあいいや、みんな見ていてくれ。


 エルガイアと言う、弱すぎてヒーローにもなれなかった人間の、幻想が壊れるところを……その最後を。

 



『――君は何者でもない。しかし何者にもなれる。それこそ、正義の味方にも、人間を脅かす悪魔にもなれる――』

 ……ああ、子安さん。

『――だが君にはまだ何も無い。何持っていない。だが、君には何者にもなれるという、可能性がある――』


 ……すみません。子安さん。


 俺には、無理でした。




 意識が、深く深く沈んでいく。

 まるで底の無い、水の中にいるようだ。

 不思議と苦しくも無く、辛くも無く、痛くも無く。

 ただ穏やかに、静かに、安らいで。

 俺は、眠った。

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