絶望

「…………」


 俺は真夜中の公園の中で、ベンチにうなだれていた。

 逃げられない。

 こんなことをしていても、逃げられないのに……。

 いっそ、この右腕を切ってしまおうか?


 ……だめだな。


 一度選ばれた以上、切り落としても、この腕は俺の元に戻ってくるだろう。

 そして俺の体は今でも徐々にエルガイアに侵食されている。

 もう遅いだろう。


 そして何より、自分で自分の腕を切り落とすのが、怖い。

 きっと凄く痛いだろう。


 怖い。


 怖くてそんな勇気は出ない。

 自傷行為を勇気と言って正しいかもわからないが。


「…………」


 いつまでこうしているんだろう? どれくらい経っただろう。

 スマホの電源も落としている。


 ただ静かで、ひたすら静かで、初夏の余熱を浴びながら、もう時間も忘れて、こうしている。俺はいったい何をやっているんだろうな?


 家に帰る気も起こらない。


 きっと帰るのが遅くて、電話も通じなくて、姐はまた怒っているだろうな。


 あ……。


 懐中電灯が二つ、まるで何かを探すように動いて、近づいてくる。


 見回りの警官だ。


 やばい、見つかったらやばい。


 もう警察も信用できない。見つかったら職質を受けて、俺があの結崎拓真だと知られたら、まためんどくさくてややこしい事になる、


 逃げよう。


「誰だ?」


 声が聞こえてきたが、振り返らず、走ってその場から逃げる。

 走って、走って、公園を出て路上に出て、信号を渡って、走って走って。


 やめた。


「…………」


 どこに行こう?

 どこに行けばいい?

 どうすればいい?


 車が一台、道路を通り過ぎていく。昼間だったら矢継ぎ早に走ってくる車も、今は少ない。エンジン音が無感動に遠のいていく。


 遠くから、救急車のサイレン音がした。


 何か事件でもあったかな? もしかしてミュータントに?


 いや、考えすぎか。


 普通に自宅で誰かが急病で倒れたり、普通の車事故が起こったのかもしれない。


 とぼとぼと当てもなく歩く。


 当てもなく歩く道は、長くて、暗闇にあっさりと飲み込まれていた。


 外灯も少なく。俺は暗闇の真っ只中にいた。

 今の俺は、空にある星よりも薄い。

 なんで、なんでこうなったんだろうな?


 じゃらり。


「――はっ」


 突然の金属が鳴らす音に、俺の心臓が飛び出しそうになった。


 こわばった体を動かして、振り向く。

 それは一人の坊さんだった。


 持っていた杖で地面を叩き、なんて名前だったか忘れた、先についている幾つもの輪っかがじゃらりと音を鳴らす。


「結崎拓真殿とお見受けする」

「…………」


 こんな出現の仕方をするなんて、この坊さんの正体は分かりきっていた。


 ミュータントだ。


「私はトウテム。人より逸脱し、また人より長上の能力を得し者。故に我が人生は修行の道。この国での正しい修行の姿はこうだと知り、失礼ながら真似をさせていただいております」


「…………」


 トウテムは一方的に言ってくる。


「我はエルガイアとの真剣勝負を所望する。故に、結崎拓真殿。貴殿に挑みたく思うが、よろしいか?」


「……何言ってんだよ?」


「はて? 私は何か通じない言葉でも出しましたか?」


「戦ったって、勝負したって、あんたの方が強いのは、決まりきってるだろ!」


「結崎拓真殿、失礼ながら貴殿は二度もの我らの襲撃を、そのエルガイアの力で退けた。それは事実でありましょう? まだお互いの手の内も明かしていない状態で、何故私の方が上回ると断言で来ましょうか?」


「決まりきっている。いつだって、誰だって、相手はいつもいつも俺より強い」


「相手はいつも自分より強い。それは良い言葉をいただきまして、大変恐縮でございます。立派なその心構え、この身に確かと届きました」


「じゃあ、戦わなくてもいいよな? 決まりきった勝負に、何の意味があるって言うんだ?」


「それは否。いくら実力に差があれど、それは実際の勝負に関係はなく、貴殿は幾度もの我らの戦いに勝ってきた。今ここで決めることは、早計かと?」


「いいんだよ! 俺は弱いんだ! そんなに戦いたかったら、俺なんかよりも、天下の警察様にケンカを売って来い!」


「それはつまり、その警察という治安維持組織を先に叩いてから、貴殿と勝負をしろと?」


「あああもう!」


 なんでミュータントはどいつもこいつも、俺を引っ掻き回すんだ!


「俺はもう辞めたんだ! 戦うことを辞めたんだよ!」


 俺は右腕を突き出した。


「狙いはこれ、エルガイアの本体である右腕だろ! ほら、くれてやる。さくっと切り取って持って帰りやがれ! 自分でやるのは怖いんだ! あんただったら痛みを感じることもなくさくっと切り落とせるだろ! さあ、やれよ!」


「……私はそのような事を、貴殿に望んではありません」


「この腕を切り落とせば俺はエルガイアになれなくなる。『討伐』の達成だ! 簡単に事が運べるなら、それでいいだろ十分だろ! 持って行け! 俺にはもう要らない!」


「残念ながら、無抵抗の者をいたぶる性分は持ち合わせてはおりません。私は正当な、一対一の戦いを所望しております。戦ってはいただけませんか?」


「嫌だって言ってるだろ!」

「……ふむ、それは困りました」


「何も困ることなんて無いだろ! この右腕を持ち帰ればそれで終りなんだからよ!」


「ならば、どうしたら戦っていただけますか?」


「腰が低いのか見下しているのかわからねえヤツだな! しかも物分りも悪い! アンタどうしようもないな!」


「それは大変失礼をいたしました。この未熟な自身をお許しください」


「なんで、なんでどいつもこいつも! 俺に戦うなとか死ねとか戦えとか使命だって、無茶苦茶行ってくるんだよ! 俺は! もう! 戦いたく! ないんだよ!」


「…………」


「俺はもうただの一般人に、ただの高校生の生活に戻りたいんだよ! エルガイア? 使命? 戦え? 真剣勝負? ふざけんな! 俺は、俺は! 俺は……もう……」


「…………」


 叫んで叫んで、俺はその場に膝を落とした。


「なあ、アンタも赤い牙のミュータントだろ? エルガイアをどんな手段をとってでも討伐するつもりでやってきたんだろ? じゃあもう殺せよ! いっそもうこの場で殺せよ! これ以上俺をぐちゃぐちゃに引っ掻き回すな! もう、やめてくれよ……頼むからさあ……。なあ、頼むよ」


 もう叫ぶ気力も無い。


「俺を、俺を、こんな戦いから解放してくれよ。何で俺ばっかり、命を狙われなくちゃならないんだ? 一方では俺をもう戦うなお前は要らないと拒絶され、別の一方では使命だの何だのって言われて戦えって……もう限界なんだよ。もうほんと、勘弁してくれよ……」


「…………」


 頬に熱い涙が伝う。鼻から水が垂れてずずっと吸い込む。息が荒くなって喘ぐ。


「結崎拓真殿……」

「う、うぅぅ……ぐすっ、うう……」


 俺は何やっているんだ?

 初めて会う人物に、さらに敵なのに、そんな相手に俺は助けを求めている。


 情け無い、本当に情け無い。


 こんな俺を見て、さすがに呆れただろう。

 この坊さんのまねをしたミュータントは、さぞ失望しただろう。


 それでいい。好きなだけガッカリしろよ。


 それで俺を殺すなり、情けをかけて右腕だけを持って帰るなり。好きにすればいい。


 どう足掻いても、もうミュータントと戦っても誰にも勝てないし、逃げられないし、希望なんてありゃしない。どこに行っても、どこにいても、常に命を狙われる人生なんてもうごめんだ。


 やるならさっさとやってくれ。


「…………」

「…………」


 いつまで、俺はこのトウテムというミュータントに見下ろされていただろうか。


「少々、暴言を失礼いたします。……甘えるな小僧!」


 突然のトウテムの怒りに、俺は驚いた。


「我らはどれだけそのエルガイアと言う存在に苛まれたと思う! その戦いに、どれだけの無垢な血が流れたと思う! ろくな努力もせずに! 諦めて、逃げて、投げ出して! 無様に泣き叫んで! それで済むと思うな!」


「…………やっぱり、それがお前の本音か」


「大変失礼をいたしました。心よりお詫び申し上げます」


「じゃあ、あんたと戦って、俺が負けたら、この右腕を持って帰ってくれるか? 俺を元の、ただの人間にしてくれるか? 命だけは、見逃してくれないか?」


「……ふむ」


 トウテムが考え込んで、それから口を開いた。


「貴殿の願い。分かり申した。ただし、真剣勝負。全力を持っての戦いを望みます。貴殿の願いを譲歩しますゆえ、こちらの譲歩も聞き届けていただきたい」


「ああ、分かった。俺が全力を出しても、どれだけ弱いのかを見せてやるよ」


「では……今晩はこれにて失礼いたします」


「じゃあ、戦うのは明日でいいな? 今日はもう俺、疲れているんだ」


「分かり申した。では、明日に、先ほど立ち止まっていたあの公園の広場で行いましょう」


「わかったよ。約束する」


「確かに約束と聞き申した。ゆめゆめ忘れぬよう。真剣勝負の一戦をよろしくお願いしまする」


「ああ、もういいから、さっさと行けよ」


「では、失礼いたします」


 編み笠が一度傾き、そしてトウテムは高々と跳躍して、去っていった。


 明日。何もかもが終わる。終わる事ができる。

 誰からも文句を言われなくなり、元の日常に戻れるんだ。

 俺は、とても、とても重いものを下ろしたような気分になり、安堵した。

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