エルガイア討伐戦線

ひと時の平和

 ハンニバル=バルカス

 (紀元前二百四十七年~紀元前百八十三年 享年推定六十四歳)

 

 カルタゴ(現チュニジア共和国)の将軍。

 大帝国ローマに挑み、多大な戦果を上げ、帝国を震撼させた人物。

 第二ポエニ戦争をはじめ、トレビアの戦い、カンナエの戦い、そしてザマの戦い、ローマに何度も戦いを挑み、勝ち続け、大帝国ローマはカルタゴという一国よりもハンニバルたった一人に恐怖した。その戦略は現代でも高く評価されている。


 最近は、エルガイアに体を侵食されていつつも、体が安定してきたのか、最初の頃の激しい空腹と飢餓感に常に襲われなくなった。


 白飯がぎっしり詰まったドカ弁にそれと同じ量のおかず。定期的に多めに食べ物を摂取すれば腹の虫も大人しくなっていた。


「ふう……」

 がつがつと二段弁当を食いつくし、買っておいた缶紅茶を飲んで一息をつく。

「はい先輩、急にお腹が空いた時にどうぞ」

「おう」


 隣に座っていた後輩の倉橋優子、ゆっこから弁当を受け取り、座りながら腕を大きく伸ばす。


 力もついてきた、体も安定している。体力もついてきた、精神状況も良好。


「これでいつ赤い牙とやらがやってきても、返り討ちにしてやるぜ」

「どんどん頼もしくなっていきますね。先輩」

「おうよ! 警察署での特訓も辛くなくなってきたからな」


 それに対して、屋上のフェンスの上に立ち、遠くを見ていたヘックスが大きくため息を漏らした。


「……なんだよ? やっぱり文句があるのか?」


 ヘックスというカカロ族の超人は、今は髪の長い美少年の格好をしているが、実際は翼を持った鳥と人間の両面を持つ。


 そのヘックスが、額に指を当てて「うーん」をうめきながら難しい顔をした。


「言いたい事があるなら言えよ。それからとりあえずそこから降りろ。回りから注目されてるぞ」


 素直にヘックスはフェンスの上から降りて、こちらに向いた。


「あまりにも暢気すぎて頭痛がしてきたよ。結崎拓真」

「なんだと?」

「もう既に、赤い牙はこの日本に到着している」

「戦いは近い。つかの間の平和だったってことか」

「はぁ……」


 ヘックスは腕を組んで頭を垂らし、大きくため息をついた。


「だからなんだ、その態度は。赤い牙とやらはそんなに強いのか?」

「ああそうだよ、今君が暢気していられるような相手ではないというのに……」


 これはダメだといわんばかりに、ヘックスが首を振った。

 なんだかその言動にイラッとする。


「ヘックス、おまえってさ、結局何なの?」

「どういう意味かな?」

「お前は何でここに、俺と一緒に居るんだ? お前がミュータントなら、赤い牙側の人間のはずだろ?」

「いいや違うね」


 ヘックスはキッパリを言った。


「赤い牙はクリミナルア様。第三王子の直下の精鋭部隊だ。僕はクリミナルア様の部下じゃない。第二王子、クリスタニア様の直下であり、観察者だ」


「派閥、みたいなものか?」


「率直に言うとそうなるね。僕はクリスタニア様の名の下に、君を観察しているんだ」


「つまりお前は、俺の味方でもないし赤い牙部隊の側の人間でもない。第三者だ。ということか」


「君にしては理解が早いね」

「バカにしてんのか?」

「バカどころか、自分が愚かだということを自覚してくれ」

「喧嘩なら買うぞ?」

「そういうつもりじゃない」


 そこでゆっこが口を出してきた。


「それで、赤い牙は、そんなに恐ろしい強さを持っているんですね。それこそ、今の先輩ではきっと手も足も出ないくらいに」


「ああ、そうさ。だから今の結崎拓真に幻滅している最中なのさ」


「でもどうして、そんなにミュータント側は、そこまでエルガイアに固執するのでしょうか?」


「それは……いや、やめておこう」


 ヘックスがゆっこの疑問に口を濁した・


「ずばり、その第三王子様が躍起になるほど、エルガイアの本当の力はもっともっともーっと強大であると?」


「……確かに、そうだ」


「その頃のエルガイアって、どれだけ強かったのですか?」


「強いなんてものじゃないよ。あれは……もう次元が違う。圧倒的、としか表現のしようがないくらいにね……」


「じゃあ、今の先輩では、まだまだまーだ十分にエルガイアの力を引き出していない、と?」


「十分どころか百分の一にも満たない」


「まだ一%程度の力も引き出せていない、と言うことですか」


「ああそうとも、エルガイアは千年以上前にたった一人で、僕達超人を一人残らず封印したんだ。普通の人間の側で協力しつつといえど、主力で最前線で戦っていたのは、常にエルガイア本人だった」


「封印。……そういえば、エルガイアはどうやって皆さんを封印したんですか? しかも生きたまま千年も眠らせるなんて」


「…………」

「どうしたんですか、ヘックスさん?」

「……答えたくない」

「どうしてですか?」


「それを言って、『引き金』になりかねないからだ。僕からの口では言えないな」


「……まるでハンニバルですね」


 ハンニバル?


「ああ、映画のあれか?」


「……違います。歴史の人物です。しかも千年どころか紀元前の有名な将軍です」

「確かに、エルガイアを例えるならハンニバルがとても近いかもね」


「だからなんだよ? ハンニバルって」


「ハンニバル=バルカスという歴史上の人物で、ローマ帝国に挑み、連勝し、大帝国ローマに恐怖と畏怖を与えた人物……『ローマはカルタゴ一国よりも、ハンニバル一人を恐れた』とかなんとかと言わしめたほどです」


「へえ、俺がそのハンニバルねえ……」


 なんかよく分からないが、すごい人物だったのだろう。


「君じゃないよ、本物のエルガイアに対してだよ」

「俺はその百分の一も引き出せてないパチもん、ってことか?」

「まあそうだね」

「即答するな。やっぱりお前喧嘩売ってるよな?」

「見解の相違にすらなっていない。身の程ってものを、いい加減理解してもらいたいものだ……」

「んだとコラ」


 こちらが睨むと、ヘックスはこちらをチラリと見ただけでまた、ため息をこぼした。


「もういい。本当のエルガイアの力を知らないまま、赤い牙に討伐されてくれ。じゃあ、さようなら」


 ついにはヘックスは頭を抱えて、屋上から出て行ってしまった。

 何なんだアイツは。まったく……。


「敵なのか味方なのか、よくわからねえヤツだな、やっぱり」


「うーん、そうですかねえ? ヘックスさんに先輩が、本当のエルガイアの力を少しでも見せていたら、きっと心強い味方になってくれる。くれたのかもしれませんよ?」


「へいへい、どうせ俺はエルガイアの右腕分の力もまったく引き出せていないパチ者ですよ」


 一瞬だけ見せた、ゆっこの真面目なまなざし。一応は心配してくれているのだろうか?


 だが俺は、エルガイアの本当の力も、赤い牙の強大さも、ヘックスの思惑も、まったく知るすべのないままでしかなかった。


 知りようが、なかった。

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